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ブログ - ≪曹渓庵佐々木指月老師のこと≫ (6) 閑徹

≪曹渓庵佐々木指月老師のこと≫ (6) 閑徹

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
Kakuken 2020/2/2 0:10
(6)印可証明
 中国より輸入する古仏像の破損をつくろうことで生活の資を得ながら、ある程度の貯金が出来ると、両忘庵老師について修行を積むため、指月は前後二回にわたり帰国している。最初の帰国では指月の修行は修了には至らない中に貯金が尽きてしまった。昭和二年春の再度の帰国の時は、今度こそと思い、多年生命をつないで来た彫刻の鑿(のみ)を、太平洋の真中と思われるあたりの海底に沈めて来たという。彼は彫刻家たることに誇りをもっていた。加えてその鑿は、二十年来、彼と彼の妻子を養ってきたものである。その鑿を捨て去ったのは、よりよき心境を獲得しようとする熱意のさせたことである。折しも産期の迫っている妻と長男をも伴っての帰国であった。牛込区榎町にささやかな家を借りて落ちつき、妻とめ子はそこで女子を産んだ。指月はその家から日暮里の両忘庵に通う者となったのである。指月の義母喜多子は小島鳥水方に身を寄せ、指月からの仕送りによって生活していたが、その家に帰り、程なく六十歳をもって没した。指月は最後を看護し、千葉県五井の父の墓のかたわらに葬ったという。
 【指月は折々私の家を訪問し、対座すると雑談をたのしみ、尽くるところを知らない状態であったが、修行のことについては一言も語らなかった。禅門の規定に従ってのことである。私も問おうとはしなかった。一ヶ月間を経過しての昭和三年の春のことである。指月はいつになく甚だ明るい面もちをして、私の部屋へはいって来た。そして坐ると共に“ぼく、とうとう印可証明をもらいました” “ほう? それはよかった”二人は相黙して、しばらくものも言わなかった】
 
 【禅道にあっては、印可証明ということは極めて重大事である。それは始祖達磨大師を標準とし、その悟道と同等のものを身に著け得たことをその師より認められ、証明を与えられることである。それを得ると師家となり、人を指導する資格をもつのである。臨済禅はその法によって、その教義を伝えて来ているのである】
 
 【“君もいよいよ師家としての資格をもったんだねえ”そう言った私は、今さらのように指月の顔をみた。二十年前、美術学校の学生として、湯島天神下の私の下宿へ来、人生問題をもち出して私を手こずらせたのが、この男を両忘庵へ入門させた動機だったのである。その頃この男は、物を言うにも上目づかいをし、笑を用意して、空っ呆けたような顔をしていたのであった。そのころは紅い唇が眼についた。それが今ではどうだろう。強い信念を持っている者だけに見える、熱意と冷静を一つにしたような眼ざしをしているではないか。その目は顔の中心となって、内部をうかがわせないものともなっているのだ。師家といえば禅宗の最高位である。同じく禅僧といっても、大寺の住職で師家の資格を持っていない者が、決して少なくないと聞く。私は人生の遭遇のあやしさを、指月の顔面の表情の上に、まざまざと観る感じがしたのであった。これは言葉とはならないものである。】
 【それから幾日も経たない日のことである。指月は例のごとく私と雑談を楽しんでいるうちに、ふと、一挿話をまじえた。その一挿話は、今でもはっきり記憶している。指月は言う。“ぼく昨日、老師と両忘庵をぶらぶらしましたよ。植込みに色々な花が咲いていて、天気がいいんで、それを観てまわったんですよ。すると老師が、「 指月さん! 私もう五百年経ったら、もう一度生まれて来て、この国の状況を見ようと思いますよ 」、にこにこして、そう言うんです。ぼく「 そうですか 」と答えたんです。宇宙は一大溶鉱炉ですよ。それくらいのこと、何でもないんです。禅宗って、そういったもんですねえ ” これが挿話の全部である。
さりげなく話したこの挿話の内包しているものが、すなわち生きて、身についている指月さんの心境だったのである。指月はその後、この種のことは語らなかった】
 
 八十二歳の空穂は、指月の印可証明に関わる遠い日の出来ごとを、さながら昨日のことのように綴っているのである。
 

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