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ブログ - ≪曹渓庵佐々木指月老師のこと≫ (4) 閑徹

≪曹渓庵佐々木指月老師のこと≫ (4) 閑徹

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
Kakuken 2019/12/31 12:26
(4)禅の修行
 かくて指月は両忘庵老師の鉗鎚を受け、禅の修行に励むのであるが、当時の両忘庵の様子が空穂の筆によって興味深く活写されているので、以下に繁をいとわず転記させていただくことにする。
 
【佐々木指月は、私の紹介状を持って、私には親戚で、やや久しく両忘庵主釈宗活老師の門下となり、その鉗鎚を受けていた市岡太夢を訪い、伴なわれて両忘庵に行き、入門の礼を取ったのである。
私は釈宗活老師とは、太夢とのつながりをとおしてある程度の面識をもっていた。
東京生まれで眉目秀麗、一見典型的な秀才型と思わせる人であった。円覚寺で修行中は、十年間を通じて、ほとんど床上に寝たことがなく、夏は藪蚊の多い山中で、衣の袖を頭にかぶせ、禅堂の柱に凭って、微睡(まどろ)んで夜を明かすのを常としていたとのことである。
しかし私の見た限りでは、そうした刻苦の跡は全くとどめず、いつもにこやかに、物云いのやさしい人であった。両忘庵はこの老師の開いた禅堂で、上野公園の裏、御隠殿坂をくだり、路を横切った日暮里に入った所にあった。禅堂にふさわしい、単純素朴な、まだ真新しい建物であった。】
【老師は師家とはなったが、一寺の住職となることを避け、学生・智識層の多い地をえらんで禅堂を設け、臨済禅の伝道と布教を志したので、当時すでに帝大をはじめ学生層の門下が相当に多く、女性もある程度加わっており、中には秀抜な学生も何人かも居たとのことである。
 佐々木指月はそうした宗徒団へ、最新の門下として加わったのである。】
 
【臨済宗では、入門した者はそれと同時に、老師(師家の尊称)から一則の公案を授けられる。公案とは大乗仏教の神髄を、きわめて簡潔な、具象的な、しかし暗示的な語にしたもので、古来の名僧がその門下を教育するために捻出したものだという。累積して七百何十則の多きに及んでいる。それを授けられた門下は、坐禅を組んで精神集中をし、その内包するものを会得し、体得して、その公案と一体になりうるまで工夫するのある。その到り得た程度を試験するのが老師の職である。密室の中で、威儀を正して、老師と門下と面と面と相対して行うのである。老師が可しと認めることを透過(とお)ると呼んでいるが、一則が透過るのは容易ならぬ難事だという】
【維新の傑物山岡鉄舟は、在家の人として鎌倉円覚寺で修行し、最初に授けられた一則の公案を透過るに七年間を要したという。江戸の家にあって坐禅工夫し、思いうる所があれば乗馬で、鎌倉まで通いかよいした、努力しての七年間だったのである。
また、夏目漱石は、心理学者元良勇次郎と共に釈宗演老師に入門し、円覚寺での摂心会に籠って、公案の第一則と取り組んだ。元良は透過ったが、漱石は透過れなかったと聞く。漱石の随筆『夢十夜』と題するものに、公案が透過れず、苦悩し昂奮した気分を魅力多く書いているのを読んだことがある。これらは余談であるが、伝統久しい大乗仏教がいかに会得し難いものかをうかがわしめることである。
 佐々木指月は、入門して幾らもたたない中に、はやくも幾則かの公案を透過ったということである】
【道号はある程度公案を透過った後に、師家から授けられるものであるが、指月は入門後いくばくもなくして授けられ、栄多は指月居士となったのである】
以上が指月の入門と修行についてふれた文章からの抜粋でるが、空穂が両忘庵の消息に通暁していたことは瞠目するのである。
 

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