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ブログ - 公案と現成公案(1)   正徹

公案と現成公案(1)   正徹

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
横浜座禅会 2018/10/21 18:19

 平成27年9月にNHK Eテレのこころの時代で放送された安永祖堂老師による「人生是公案」という番組での言葉の一部を以下紹介します。
 「禅の世界には『現成公案(げんじょうこうあん)』という言葉がございまして、禅の修行と言いましても、修行道場で座禅を組んで、公案を解決するというのは、これは『畳の上の水練』と言いまして、要するに実際に海で泳ぐということではないです。その予行演習をしているようなものですよね。本当の修行は、世の中に出てからだ、と言われます。つまり現成公案、私たちが生きていく上で日々の生活、辛いこと、なかなか解決できないこと、次から次へと起こってくるではないですか。それに立ち向かう、そういうことなんでしょうね。だから私たちが生きていくというのは、実は公案の修行というものを日々重ねているものと全く変わらないんじゃないかと思いますよ。お釈迦様は、人が生きるこの世界というのを『苦』とおっしゃいましたね。いわゆる『苦しみ』の『苦』と書きますけれども、苦の世界であると。この『苦』というのは、苦しみということよりも、もともとインドの古い言葉━サンスクリット語といいますけれども、『ドゥッカ』というんだそうです。
では、『ドゥッカ』というのはどういう意味ですかいうと、『満たされないこと』なんだそうですね。仏教でいうところの『苦』というのは、『満たされないこと』。故に私たちは常に満たされないでいるのかも知れません。そういう苦に溢れた人生というものを本当の自分として生きていく。それはまさに公案の修行と全く変わらない。大変なことだけれども、一つひとつ解決していくところに価値があるんではないかと、私は考えています。」
 以上が祖堂老師の言葉で、「畳の上の水練」という言葉を紐解いてみると、「理論や方法を知って
いるだけで、実際の役には立たないことのたとえ。」とあり、注釈に「畳の上で水泳の練習をしても実地の練習をしていないため、水に入ってみれば何の役にも立たないことからそういう。」とあります。老師の言葉は公案および現成公案の核心を突いた言葉で、大いに勇気づけられる思いがします。
(次回に続く)

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