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ブログ - 旭滝のご紹介 《普化和尚について》 by Can徹

旭滝のご紹介 《普化和尚について》 by Can徹

カテゴリ : 
ブログ » 日常
執筆 : 
Kakuken 2018/9/2 21:38
台風の多い今年の夏ですが、皆様、いかがお座りですか。
以前は9月になると防災ネタが定番でしたが、最近は自殺問題だそうですね。
まあ、静坐会で一緒に座って、お茶でもどうぞ。ココロがカル~くなりますよ。
会えば不思議と楽しくなる、Can徹さんから、投稿をいただきました。
 
旭滝のご紹介 《普化和尚について》
 
今年早春、たまたまテレビで伊豆市の『旭瀧』の紹介番組を拝見しました。
早速、家内と見学に行ってきました。拙宅の韮山から車でおよそ40分のところです。予想を裏切らず、見事な柱状節理でできている高さ105mの瀧です。
直に拝見しまして、再度感動しました。写真を何枚か撮りましたので、ご覧ください。


 
≪ここ伊豆半島は、60万~20万年前に、はるか南方から日本列島にドッキングした半島です。その当時、火山活動が活発に行われ、その結果として、伊豆半島のいたるところで、柱状節理をみることができます。≫
*柱状節理の説明文もデジカメに取りましたのでご覧ください。
 
さて、実は、現地に行ってみて驚いたのですが、『旭滝』は、普化宗のお寺『瀧源寺』(現在は廃寺となっています。)の境内にありました。
普化宗と云えば、虚無僧を思い出します。昔、時代劇の映画を見たことがあります。袈裟を掛け、深い編笠に顔を隠し、尺八で、寂しいそうな曲を奏でながら、ひっそりと諸国を行脚している姿を思い出します。
寂しい、悲しい気持ちになったことを思い出しました。当時、たぶんこの瀧に打たれて修行されたのではないでしょうか。
虚無僧方のお墓が滝の隣にありました。お疲れさまです、と合掌し、写真を取らせてもらいました。
 
因みに、『瀧源寺』(虚無僧の宗派)について調べました。
当時、一国一寺といわれ、伊豆国には、武蔵国の鈴法寺の末寺であるこの瀧源寺が、普化宗としては一か寺だけでした。明治四年、普化宗そのものが廃宗となり、残っているものはこのお墓や『旭瀧』下の境内跡だけになったそうです。
 
何故、寂しく、悲しく感じてしまうのでしょうか?
虚無僧の風貌、奏でる尺八の音、行脚の様子・・・
この地で作られた尺八の名曲『瀧落ちの曲』は現在も盛んに吹奏されているそうです。どなたかご存知の方がいましたら教えてください。

≪普化宗について≫
我が国には、鎌倉時代末期に伝わり、虚無僧集団として生きてきたそうです。
普化宗は、中国、河北省、鎮州の普化和尚が初めた禅宗の一派です。
 
≪普化和尚について≫
禅僧は一般に、持戒堅固で、僧侶としての威儀を具し、行持綿密な方が多いのですが、それとは反対に戒律を超越し、威儀にこだわらず、その行も風変わりな方、いわゆる風狂な僧も少なくありません。
(一休禅師も当時としては破格な禅僧であったと思います。)
古来そうした風狂破格な僧の代表格と知られている僧が、鎮州の普化和尚です。生没年不明、出身地や履歴も明らかではありません。盤山宝積(ほうしゃく)禅師に法を嗣いでいます。鎮州で布教活動を展開したことで、鎮州の普化和尚と呼ばれるようになったそうです。
 
この鎮州の近郊に滹沱(こだ)河が流れており、臨済義玄がその河畔に臨済院を創建して宗風を挙揚していた。その関係で、普化は臨済と相知るようになり、臨済の教化を裏から支援することとなった。
 
普化和尚は、鎮州に在って一寺に住することなく、夜は諸所に止住して宿り、昼は街頭に出て、手にした鈴をリンリンと鳴らして、
『明頭来や明頭打、暗頭来や暗頭打、四方八面来や旋風打、虚空来や連架打』
と連呼するのが常だったという。
 
《およそ「明頭来」の明は大小・長短・是非・美醜などの差別の歴然としていること、活人剣の働きである。「暗頭来」の暗はその反対で差別がなく一味平等なことである。殺人剣の働きがある。「打」の一字は、いわゆる打つ、なぐるの意味ではなく、「花に逢えば花を打し、月に逢えば月を打す」とか、「茶に逢えば茶を打し、飯に逢えば飯を打す」という場合の打で、「それに即応して、行動する」という意味である。従って前二句の意味は、
相手が差別歴然と活人剣で来れば、こちらも差別歴然と活人剣で応じ、先方が把住して殺人剣となって出てくれば、当方もグッと把住して一味平等の殺人剣で対応する。更にいえば、先方が世間法で来れば世間法で応じ、仏法でくれば仏法で、権(けん)道でくれば権道で応ずる。 ということである。
 
次に「四方八面来や旋風打」である。
ここでいう「四方八面来」とは、殺中の活有り、活中の殺有りというように、手目を見せず千変万化して出てくることである。そして相手がこのように縦横無尽に千変万化して出てくるならば、こちらもあたかも「旋風」つむじ風のように、変転自在、虚実とりまぜて応対するということである。
 
「虚空来」とは、虚空のような真空無相、清浄無一物の肚から、明だの暗だの、殺だの活だのという一切の定石を離れ、軌格を超越して無心に出てくることである。普化和尚はこれに対しては、「連架打」で応対するというのである。連架というのは、小豆などの脱穀に使う農具で、太い棒の先端にクルリクルリと変転自在に回転する小さい棒をとりつけたものである。相手が真空無一物の場から無心に働いてくるならば、こちらもあたかも連架のように変転自在で無心で対応するということである。
 
普化和尚は、「わしはこのような対応の仕方で衆生済度に当たっている。サァ、どなたでもいらっしゃい。お相手して進むぜよう」 と。
 
さて、袈裟を掛け、深い編笠に顔を隠し、尺八の奏でる寂しい虚無僧姿と、普化和尚の『明頭来や明頭打、暗頭来や暗頭打、四方八面来や旋風打、虚空来や連架打』と、どう繋がっているのでしょうか?
 
≪普化和尚については、『五燈会元鈔講話』 如々庵芳賀洞然老師著 抜粋し、かつ、参考にしました。≫
 
         合掌  小林閑徹   拝

 
 

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