数息観のすすめ⑤

トップ  >  数息観のすすめ  >  数息観のすすめ⑤
  数息観の仕方について

まず息を数えはじめる前の心構えですが、小さな蒲団の上に五尺余りの形骸がチョコナンと坐っているのだと思わないで、天地乾坤をつっくるめて一枚の蒲団として、これを尻の下に敷き、その上に宇宙の主人公がドッカと坐るのだという気概があってほしいものです。

そしておもむろに数息にとりかかるのですが、まず合掌してから自然の呼吸を心の中で数え始めるのです。引く息と出る息とをもって一つと数え、次の引く息と出る息とをもって二つと数えます。

人によって、いろいろの数え方があるようですが、私共は次のように規定しています。経験上それが一番効果的のようですが、すでに習慣づけられている人は、あえてこの規定に従わねばならないということもありますまい。

ただ修練の程度に応じて、100 まで数える場合と、10 まで数える場合と、数えない場合とに区別して前期・中期・後期と区別しております。

これは誰から指図されるものでもありませんが、自己の修熟を自分ではかって是非実行してお貰い申したいのであります。でないと、数息観の真の妙味を味わうまでに到らないで、止めてしまう場合が多いのです。後期に達しないと真の妙味は出てきません。

前に挙げたような効果なら、前期・中期でもないことはないのですが。「なるほどこれは安楽の法門であるわい」 と合点がいくまでには、数息観にして、しかも息を数えないというところまで円熟しなければなりません。その詳しいことは後で申します。

まず前期から説明致しましょう。最初の入息をイーと、そして最初の出息をそのまま受けてチーと数えます。つまり一呼吸でイー チーです。次の呼吸がニー イーであり、その次がサー ンーであります。
かくて1 1番目はジューと吸い、イーチと吐き、2 0はニイーと吸いジューと吐き、2 1は二ジューと吸い、イーチと吐きます。1 0 0 はヒャーと吸いクーと吐き、そのまま再びイー チーと1にかえるのです。

これだけのことなら、数のかぞえられる者なら誰でもわけなくできる筈ですが、ここに二つの条件があります。この条件を無視したのでは、ただ息を数えることだけであって、数息観になりません。ところが、この条件にかなうことは甚だむずかしいことで、大いに錬磨修熟を要する次第です。さればこそ前・中・後期と分かれる所以であります。

さてその条件と申すのは

a . 勘定を間違えないこと
b . 雑念を交えないこと
c . 以上二条件に反したら1 に戻すことの三つです。

これは何でもない条件のようですが、さていよいよ実施してみると、容易でないことに気づきます。

a の勘定を間違えないことは、数をとばしたり後戻りをしたりしないことです。b の雑念を交えぬとは、数をかぞえること以外のことを考えぬことです。

勿論、無感覚になっているのではないのですから、外界からの刺激を受けて、見えもし聞えもしましょう。いわゆる見れども見えず、聞けども聞えずというのは、単に見えぬ聞えぬということではなしに、見たら見たまま、聞いたら聞いたままにして、自己の考えを乱されないことです。

むずかしく言えば二念を継がないことです。例えば目の前を一匹の蚊がブーンと過ぎたとします。そしたら、蚊がブーンと過ぎただけにしておけばよいので、今のは縞蚊だから刺されたらさぞ痒いだろうの、アノフェレスではないからマラリア病にかかる心配はないとの連想をはたらかせずに、すなわち、二念を継がず、そのまま数息観をつづけていけばよいのです。二念をつぐと三念四念と連想が起り、記憶を呼び起こす想像をたくましうして、ついには数息観をしていることすら忘れはてて、あらぬ事に思いを廻らしていることがよくあるものなのです。

実際やってみると、この第二の条件の雑念を交えないということが、一番むずかしいのです。c の条件は、勘定を間違えたり、雑念が交じったりしたら、正直に1 に戻して初めから勘定のし直しをします。たとい8 0、9 0まで数えてきて惜しいところであっても、aとbとの条件に反したら、いさぎよく1 に戻す。この原則を良心的に守るとしたら、恐らく前期の人の数息観の完全にできる人は一人もありますまい。

何とならば、これが完全にできる自信がついたら、中期に進んでよい人なのですから。前期の間は、そう厳格にこの三条件を振り回したら、自己嫌悪におちいって、数息観をするのが嫌になってしまいますから、或る程度のミスは黙殺することにします。黙殺といっても余りひどいのはいけませんが、7 9の次にうっかり5 0と数えてしまったのや、足が痛くなったから、こんど1 0 0 まで数えたら止めようと思う位は、まァ黙認しておこうというものです。


もっとも黙認にも階梯があることで、最初の1 0 0 までは余りやかましく言わず、次の1 0 0 はやや条件を厳しくし、さらに次の1 0 0 を数えている時はなるべく条件を厳守して、数え直しをやるようにするとよいです。それでもある程度の黙認をやらないと、なかなか1 0 0を3回、つまり3 0 0まで数えることはできないものです。

ですから線香が一本燃え終わったら、数にかかわらず、その日はそれで止めることにでもしないと疲れ過ぎます。最初のうちは余り無理せん方が長つづきします。どうせ完全に数息観ができるなんて、半年や一年の修練では望めないことなのですから、あまり気をおとさずに、細くとも長くつづけることが肝心です。

それは私がまだ旧制高等学校の学生であった頃、東北帝国大学総長のH さんの奥さんから( この方は後に瑞巌窟老師の法を嗣いで現に8 8才( 1 9 5 4) で毎日二?香坐っておられます。) 「立田さん。毎日一?香だけお坐りなさいね。もし一日でも欠かしたら、それで法が絶えるのだと思って、細くとも長くつづけて下さいね。もし何かの都合で一?香坐れなかったら、半分に折ってでも4分の1に折ってでも一?香は一?香になりますからお続けなさいね」 と言われた。

私はそれを正直に実行して来たのです。もし私が心から“ 今日あることを得たり” ということを許されるなら、全くこの奥さんのお蔭であると、今に感謝している次第であります。

この体験から私は皆さんに、細くとも長く毎日かかさず坐りつづけることを、おすすめするのです。普通の線香の長さは2 2センチメートルあり、これが大概4 4分間でとぼります。そこで完全に数息観ができたとすると、一?香で3 3 0 まで数えられることになります。

勿論、この数は人々によって違いますが、1 分間の通常呼吸が幾つだから、4 4分で幾つになるという計算で割り出したのでなく、私どもの体験から申すのですから、大体の標準にはなると思います。

毎日3・4 0 分の時間としたら、早く起きるとしても大した苦労にもなりますまい。これを日課として続けてゆくと習慣になって、一日休むと何だか気持ちがわるいようになります。そうなればしめたもので、これはと思うような効果が現れ始めます。が、一方、三昧の力を養うという点になると、ここらで一工夫しなければならなくなります。

というのは、数を勘定するということが一つの習慣となってしまって、何等の努力もせず、しかも全く別なことを考えながらでも、数則だけは調子よく続けていけるという状態になります。これでは三昧の力を養うわけにはいきませんから、とくに例の三条件を厳格に守ることにします。

また時には1 0 0から逆に9 9 ・9 8 と数えてみるのも一法です。こんなふうにして滞りなく数息観が実施できる自信がついたら、自分免許で中期に進むのもよいでしょう。
プリンタ用画面
前
数息観のすすめ④
カテゴリートップ
数息観のすすめ
次
数息観のすすめ⑥