数息観のすすめ③

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次も心身の安静に関連しての病気の例ですが、これは北海道の人で、私の弟子であるH という青年の話です。彼氏は終戦後、結核療養所のベッドの上の人となりました。

どこの療養所でもそうのようですが、俳句や和歌は鉛筆一本と手帖一冊あれば簡単に楽しめるというところから盛んのようです。彼氏も初めは、それを熱心にやったのですが、どうも結果がよくなかったのです。あまり凝( こ) りすぎたせいもありましょうが、病勢が俄然悪化してしまったのです。

以下、彼氏の告白をそのままお伝えしますと、“ 私はそこで断然作句をやめました。が、人間の頭というものは、何か考えていないと承知ができないとみえて、俳句から遠ざかると、とたんにつまらぬことが気になり、家のことが心配になって、かえって病気には悪いようです。かといって、凝り性の私には再び作句にもどる気にもなれなかったのです。

そうこうするうちに、私の命も時間の問題だというところまで来てしまいました。そこで思いました。かって先生( 私のこと) から白隠和尚の『夜船閑話』のお話を伺ったとき、数息観の効能をお聞きしたのを思いだし、どうせ死ぬなら万事を放下して、息を引きとる間際まで数息観をやってみよう。

どうせそんなことで助かる命とも思えないが、心配してみたところで、怖れてみたところでどうなるものでもないのだから、せめて数息観三昧になって、死に直面したこの焦燥から抜けでたいものだと思って、それから一心になって数息観を試みました。

ところがどうでしょう。予期しない効果があらわれて、気持が非常に楽になったばかりではなく、病気の方も薄紙をはぐように、よくなってきました。そこで自信をえて、なおも数息観をつづけていたら、ついに医者もびっくりするような奇蹟的な退院となり、今ではこうしてピンピンしております。

これは全く数息観のたまもの、ひいては先生のお蔭であると感謝している次第です” と。H さんは今、元気で小学校の先生をしています。

誰でもがこの青年のようにうまくいくとは限りますまいが、とにかく心身の安静ということが、病勢の消長に深い関係のあることを思えば、数息観にこれくらいの効果があっても不思議はないようです。

ただ、あまり数息観を狂信して、医者のいうことをきかなくなったり、現代の医術をばかにしたりしては、かえって弊害があります。病気にかかったら医者に相談し、その言に従うことは、当然でありますが、数息観がその補助の役目をはたし、効果のあることは間違いありません。


数息観の効果は、心身の安静からくるものばかりではありません。
今もH さんの話のうちに数息観三昧という言葉がありましたが、この三昧の力というものが、また大した効果のあるものです。

三昧ということは、よく囲碁三昧だとか読書三昧だとかという時に使われて、誰でも知っておりましょうが、元来古代印度の言葉でSamâdhi というのを音訳したもので、三摩提とか三摩地とかとも書かれています。定( じょう) とか正受( しょうじゅ) とかに意訳されて、心を一境に住して散乱させないの謂いであると解されています。

そのほんとうの意味は、なかなかやかましいことで、後で定力とか道力とかのお話をする時に触れることになろうと思いますが、今は単に囲碁三昧程度の熱心さ位にお考えおき下されば、それで結構です。囲碁に熱中しておる時には、時のたつのも忘れ、暑さも忘れ、腹のすいたのも忘れ、何もかも忘れはてて、碁を打つことだけになりき切っています。ああいう状態を囲碁三昧というのでしょう。

読書三昧も同じことと思いますが、この方は面白い本を読んでいる時に限られているようです。

つまり学校の教科書の如きに対しては、なかなかそうはいきません。が、もし教科書に対しても読書三昧になれたら、成績はぐんぐんよくなること請合いです。ですから、平素数息観をやって三昧の力を養っておきさえすれば、その力を学業の方へ応用して、たとえ面白くない教科書に対してでも、読書三昧になれようというものです。

私は25 年間教壇に立っていた経験がありますが、その間幾多の学生諸君に数息観をすすめて、その成績を向上せしめております。

それはその筈です。私にいわせれば、多くの学生諸君は机の前に坐って本を開いてはいるものの、ほんとうの意味における勉強はしていないのです。遊び半分といっては語弊があるかも知れませんが、三昧の力を養っていないから、雑念や妄念の合間合間に、本に書いてある事柄を考えているようなものです。

それでは能率のあがる筈がありません。聖人も【心ここにあらざれば見れども見えず、聞けども聞こえず】と言っています。

ただ机に囓りついているばかりが勉強ではありません。ところが三昧の力を養っておくと、心を一境に住し散乱させないのですから、つまり心ここに在るわけですから読めばほんとうに読むことになり、考えればほんとうに考えることになります。これで成績が向上しなければ、しないほうがどうかしていると言いたい位です。


学生でない方には学業の話は興味がないかも知れませんが、三昧の効果は学業の上ばかりではありません。いかなる仕事でも、その能率を上げる上に効果があります。とくに喧噪な雰囲気の中にあって、その場の支配を受けやすいような仕事に従事している人にとっては、その効果が覿面( てきめん)です。

私の知っているS という大阪の株屋さんは、数息観さえしっかりやっておけば、損することは絶対にないと言っています。勝負ごとには、あせりは禁物です。こんな秘法を公開すると、パチンコ屋の親爺さんに営業妨害で訴えられるかも知れませんが。


また、こんな効果もあります。芸術や武道において、格段の進歩をみたの、忽然と秘術を感得したのということを聞いております。これなども三昧の力を養えたら、さこそと肯ける次第です。

山岡鉄舟居士が『洞山の五位』という公案を悟って後に、無刀流を創始したという話はあまりにも有名でありますが、現に警視庁の師範をやっておられる剣道八段のO 氏が、若い者にしきりに“ 坐れ坐れ” と奨励しているのをみても、三昧の力は芸道・武道の奥義にも通ずるものがあることがわかります。


また、これは心身の安静とか三昧の力とかに関係がないこともありませんが、とくに自分の心を自分の思う方向に向けるという面において、数息観はあずかって力があります。

早い話が、何もない応接室に新聞一枚持たずに、長い時間待たされたと想像してごらんなさい。大概の者ならいらいらして来て、ついには癇癪を起してしまいます。こんな場合に数息観をやりながら待っていると、時間が無駄にならないばかりか、時のたつのも忘れています。

それでもまだ主人公が出てこないなら、こんな時こそ常々考えたいと思っていたことをじっくり考える時です。冷静にもなっているし、他から煩わされることもないので、案外うまい考が浮かびます。

さらにこれが刑務所の独房へでも入れられた場合と仮定すると、問題がいよいよ重大になってきます。応接間はいくら待たされても長くて半日、むしゃくしゃした顔で面接したために話がうまく運ばなかったで済みますが、刑務所ではそうはいきません。

私の親しく願っていた人で、中国地方のある市の市長をしておられたM という方がありました。この人は選挙か何かのことで、未決で独房生活をやった経験の持主です。御縁があって私の室内にも参禅してきたことがありますが、その経験談によりますと、数息観が非常に役にたったと述懐しておられます。

初めの間は他を恨み、制度の不備を憤慨して、寝ても覚めてもそのことばかり、気も狂いそうであったということですが、実際見るからに温厚そうな老人でしたから、さもあったろうと思われます。

フトしたことから、“ こんなことではいけない、この期間を何か有益な面に利用してやろう” と、さしずめ実行できる数息観を徹底的に試みることに決心されたそうです。

その後日の告白によると、“ 数息観によって落ち着きを取り戻してからというものは、独房生活も人生を深く掘り下げて考えるにはよい道場となりました。負け惜しみじゃアないが、配所の月もまた風流なものになりましたよ” と。

こんなお話ばかりしていたのでは、いくらでも実例があり際限もないことですから、後は皆様の今後の実習によって、生きた実例をぞくぞく生み出して戴くことにして、次にその実習についてお話をすることに致しましょう。
 

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