青年部ブログリレー(第10走者)

青年部 座禅ブログ - 青年部ブログリレー(第10走者)

青年部ブログリレー(第10走者)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
青年部静坐会 2017/11/15 1:12
 
東京支部の藤田法照です。
ブログリレーを仰せつかりましたので、駄文ですが失礼いたします。

 
さて、いきなりつまらないコップの画像ですが…
名前が書いてあったのですが、もうだいぶ剥げてしまっています。
このコップの意味はまた後ほど。
 
皆様、座禅を始められたきっかけを書いていらっしゃるので、私もお話ししていこうと思います。
 
私は3年ほど前に、大きな病気になりました。
病名は伏せますが、夜の9時過ぎに救急車で運ばれてICUで1週間過ごすという経験をしています。
夜の9時に異常が起こって、近所の病院の夜間窓口に駆け込んだのですが、ここで先生に叱られます。(病人なのに…)
「なんですぐ救急車呼ばないの!!!」
叱られながらも、来てしまった以上は病院も、なにもせずに救急車を呼ぶわけにもいかないらしく、とりあえずその病院でできる検査をして救急車で別の病院に転送されることになります。
看護師さんが受け入れの病院を探すため電話しますが、2つ断られて3つめの病院がやっと受け入れてくれることになります。
この病院が結構遠くて搬送されるのに1時間くらいかかったように思います。
 
到着したのは午前0時をまわることでした。
まず当直の先生にいろいろ聞かれましたが、ここでもまたすぐに救急車を呼ばなかったことを怒られます。(病人なのに…)
諸々検査を受けた後、先生の説明がありましたが、「とりあえず大丈夫だけど24時間は再発の危険が高いので、絶対安静。その後も1週間はICUで経過観察」ということでした。
ICUのベッドに移されたのは午前1時をまわっていました。
再発すれば最悪の場合、死ぬ可能性もある病気だったのでさすがに眠れず、ベッドから出ることも叶わないので考えるくらいしかやることはありません。
もし死んだらどうなるのか、死んじゃうなら最後に誰々に会いたかった等々、いろいろと浮かびます。
でも24時間、長々と考えると、さすがに最後は煮詰まって結論みたいなものが出てきました。
 
「こんなつまらない人間で死んじゃうとしたら、ずいぶんもったいない人生だったな」
 
というところに行き着きます。
「つまらない」とは、どういうことか?
私が思い浮かんだのは「品格」という言葉でした。
正直言って、品格なんてなくても、ほどほどにまともにやっていれば生きてはいけます。
憲法にも六法全書にも「品格を持て」とも書いてありません。
無いよりはあった方がいいのでしょうが、目先の生活に追われてそんなことを本気で考えることはありませんでした。
そんな私がなぜ「品格」なんて考えたのか自分でも不思議ですが、いよいよ終わりかもしれない、となったときに不甲斐ない人間のまま終わるのが納得いかなかったのだと思います。
そんな不安に駆られながら過ごした24時間も過ぎて、とりあえず生き延びました。
その後は経過観察となります。
最初の3日くらいは24時間ずっと点滴をされ、トイレに行くにも看護師の方に毎回付き添ってもらうような有様なので、ほとんどベッドの上だけで生活するような状況です。
健康で自由に動けるということは有り難いことなんだと実感します。
 
入院5日目に主治医の先生から説明を受け、「とりあえず薬さえ飲み続ければ大丈夫」というお墨付きをいただいて、6日目に退院しました。
 
退院して外に出たときは、今までに感じたことのないような、生まれ変わったようなすがすがしい気分というのを味わいました。
心の中は一点の曇りもないような快晴の状態です。こんな気持ちは生まれて初めてだったと思います。
 
私はずっといろいろと問題を抱えていました。
だから、心の中が晴れ渡っているようなことは滅多にありませんでした。
でも、退院したときは、心の中は快晴そのものです。
「ただ生きている」ということがこんなにも素晴らしいことだったんだな、と実感しました。
でも、心は晴れ渡っていても心の中にあった重苦しいものの原因はなにも解決していないなくて、相変わらず心の中に留まったままなのです。
それでも心の中は快晴。これってどういうことなんでしょう?
私はずっと、重苦しいものの原因がある限り、心の中は重苦しいままで、原因は一生かけても解決できないものなので死ぬまでずっとこんな感じなんだろうと思っていました。
でも、そうではなかったようです。
 
 原因=重苦しい
 
と思っていましたが、実際には
 
 原因 → 重苦しいと受け取る心 → 重苦し
 
ということで、原因と重苦しいの間に、それを苦しいものと受け止めるなにかがあるのだと気がつきます。
病気になってみて、「ただ健康であることがとても素晴らしいことなんだ」と気がついたときに、この「重苦しいと受け取る心」が消えたのだと思います。
原因が解決するかどうかに拘わらず、重苦しいものを解決することができる、というのは大きな発見です。
でも、これは病気をしたた経験で一時的に解決しているだけで、このままでは時間が経てば元に戻ってしまう、という予感はありました。
 
「この気持ちをずっと持ち続けられる方法を見つけないといけない」
 
と思い立って、退院後はその方法を探すことになります。
自己啓発セミナーや、メンタルトレーニングなど、いろいろと調べて、体験可能なところにはいって体験することもしたのですが、いまひとつしっくりとくるものがありませんでした。
なぜしっくりこなかったかというと、「重苦しいと受け取る心」が退院したときに解消したのはなぜか?という疑問に明確に答えてくれるところがなかったことと、セミナーやトレーニングが、これから起こる人生のいろいろな問題に対して全てに有効だとは思えなかったところでした。
あれこれ探している中で、ネットで出会ったのが擇木道場のホームページでした。
座禅は、心を落ち着かせるにはいいなと思いましたが、最初は問題の全てに答えてくれるもの、とまでは思っていませんでした。
例えば、身体を鍛えるには筋トレとかランニングとかいろいろな方法がありますが、座禅も心を落ち着かせるための一つの手段、という程度にしか考えていませんでした。
道場では座禅だけではなく、禅についての勉強会や、時には老師がいらっしゃってお話しをしてくださる時もございます。
そこでいろいろとお話しを聞いているうちに、重苦しかった心がどうして退院したときに解消したのか、どうやったらその気持ちを持ち続けられるのかということを禅では明確に説明できるということがわかってきました。
また、人間禅は「人間形成の禅」だということを知ります。
まさにICUで思った「品格」の問題の対応にも繋がります。
 
ということで、いろいろと考えた末に人間禅なら全て解決できそうだと思ってここで修行していくことになりました。
 
さて、冒頭にあったコップの写真ですが…
これは入院中に病院が歯磨き用に用意してくれたものを持ち帰って使っています。
元々使っていたコップもあったのですが、入院後はこのコップに変えました。
 
幸いなことに、大きな病気をしたおかげで心が晴れ渡るということがあることを知りました。
でも、退院後、晴れ渡っていた心も徐々に雲が出てきて、残念ながら何ヶ月か経ったら元通りでした。
やはり入院という一時的な大きなショックで得られたものですから、やはり効果もずっと続くわけではありません。
私は毎日このコップを使うことでその時の気持ちを思い出しています。
そして「修行を続けて、いつかあのときの気持ちを手に入れよう!」と思いながら歯磨きをしています。
 
合掌
法照 拝
 
 
 

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