7月31日 第2回「仏教講座」が開催されました。

青年部 座禅ブログ - 7月31日 第2回「仏教講座」が開催されました。

7月31日 第2回「仏教講座」が開催されました。

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青年部静坐会 2016/8/8 22:13

<第2回>釈尊の死までを辿る「涅槃経(ねはんぎょう)


14:00~14:30 前回の復習、仏教の基本「縁起」「中道」「四諦」「八正道」など

14:30~16:00 本題


◎「釈尊の生涯」その後の教化活動 

ベナレス郊外のサールナート(鹿の苑)での初転法輪の後、教化活動が始まった。

① 伝道の心得 宣言

「諸人の利益のために」「世人に対する共感のために」

「神々と人間との利益安楽のために」

「二人して一つの道を行くことなかれ」→→→

仏教には教えがない。自分自身が法をより所として道を行じて生きていくものである。自己の胸襟を開き、自分自身で語るものである。法話などの伝道活動は、借りた言葉でなく、おのれ自身を撒け出す以外にない。「独りでゆけ」という言葉は、ダンマパタ、スッタニパータなど、原始仏典には大変多く出てくる釈尊の言葉である。

「独坐大雄峰」という禅語がある。独り、とはどういうことだろうか?

・・・人間は因縁による束縛を受けた存在である。そこにはおのずと悟りやそれによる安らぎとは、依存・執着から自由になることをいうのではないか。よく考えてみましょう。


② 青年たちに伝道

密林で座禅をしておられたとき、青年たちがある女性が盗みをして逃げたのを追っていた。

釈尊「婦女を探すことと、自己を探すことと、どちらが大事か?」

青年「自己を探すことの方が優れていると思います。」

釈尊「では座りなさい。君たちのために法を説こう。」


③ 国王の帰依

④ サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)

サーリプッタはアッシジ比丘の托鉢姿に打たれて、誰が師なのかをたずねた。

「諸法は因より生ずる。如来はその因を説きたもう。諸法の滅をもまた大なる修行者はかくのごとく説きたもう」

これにより2人は法の目を開き250人の仲間と共に釈尊の弟子になった。


初期仏教の一大事件だった。ふたりはそれぞれ智慧第一・神通第一と、のちに讃えられる釈尊の十大弟子である。


⑤ 500人の盗賊の済度

⑥ 南国のバラモン学徒の集団帰依


◎「涅槃経」 マハーパリニッバ―ナ・スッタンタ 

釈尊の最後の様子を忠実に伝えている経典。

古いものと、大乗経典としての新しいものがある。

後者は法華経と並んで大事にされた。

釈尊の最後の様子は、パーリ語のもの、漢訳大蔵経に5つ、

チベット大蔵経の中にもある。

中央アジアで近年サンスクリット本の断片が見つかり、ドイツ人が

出版した。

マハーパリニッバ―ナ・スッタンタ ・・・マハーの意は大きい、パリは完全な涅槃の意、死のこと。 スッタンタは経典の意。 大般涅槃経。 


1、晩年、鷲の峰(霊鷲山)にて修行者たちを集めて教えを述べた。伝説

<サンガが衰亡をきたさないための7つの法>

・しばしば会議を開き、会議に多くの人が参集する間は修行者らには繁栄が期待される。

・共同して集合し、共同して行動し、共同して教団の為すべきことを為す間は繁栄が期待され衰亡はないだろう。

・戒律を保って実践するならば繁栄が期待され衰亡はないだろう。

・経験豊かな長老たち、出家して久しい長老たち、導き手を敬い尊びもてなし、かれらの言動は聞くべきだと思う間は繁栄が期待され衰亡はないだろう。


2、旅に出る

王舎城を出て旅に出た。アーナンダ(アナン尊者)と2人か3人の旅。

80歳、 死の予感があったのではないだろうか。

① パータリ村(現・パトナ市)へ 

② ヴェーサーリーへ 


「自らを島とし、法を島とせよ」

竹林園で病に倒れる (一生の回顧) 

雨期に入った。雨安居。

雨季には猛烈な雨で外に出られない。 アレキサンダーも雨に悩まされた。 修行者は一か所に定住し瞑想にふける。この時季は虫も出てくるので、踏まないようにするため外に出ないという意味もあった。


「ここで尊師が雨期の定住に入られたとき、恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こった。」

釈尊は禅定に入り、この苦痛を耐え忍んだ。アーナンダは釈尊に近づき、最後の説法を懇願する。


「アーナンダよ、修行僧らは私に何を期待するのであるか?私は内外の区別なしに法を説いた。全き人の教法には何ものかを弟子に隠すような教師の握拳は存在しない。

私は修行僧の仲間を導くであろう、とか、修行僧の仲間に私は頼っている、と思うものこそ、修行者のつどいに関して何事かを語るであろう。

しかし向上に努めた人は、私は修行僧の仲間を導くであろう、とか、修行僧の仲間に我は頼っている、とか思うことがない。


・・・アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢を重ねて80となった。アーナンダよ、たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、私の車体も皮紐の助けによってもっているのだ。

しかしアーナンダよ、向上に努めた人が、いっさいの相を心にとどめることなくいちいちの感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、彼の身体は健全なのである。

それゆえに、アーナンダよ、この世でみずからを島とし、みずからをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。


③ 鍛冶工チュンダ 死に到る食事

パーヴァー村へ。

鍛冶工の子であるチュンダ青年が、自分のマンゴー園に釈尊がとどまっておられると聞き、食事に招待した。鍛冶工はカースト外といわれる身分。アンバパーリ―の時もそうでしたが、一切の差別のない姿がうかがえます。

行くと、「チュンダに、世尊は法にもとづいた話をして、教え、諭し、励まし、喜ばせた」

とあるように会話をして、供養を受けられた。


一口食べておかしいと思われたのでしょう。

「残ったキノコ料理はそれを穴に埋めなさい。」と言った。

チュンダ青年は

「残ったきのこ料理を穴に埋めて尊師に近づいた。近づいて尊師に敬礼し一方に坐した。チュンダが一方に坐したとき、尊師は法話によってかれを教え、諭し、励まし、喜ばせて、座から起って、出て行った。」


とあります。この静かなシーン。青年もせっかくのごちそうを埋めてきなさいと言われても騒がず静かにそのとおりにします。釈尊はおそらくにこやかなまま青年のために語り、しばらくして静かに席を立ってそのまま旅に出ていきます。

青年の師への信頼感が伝わってきます。

釈尊がまったく動じずに、大きな身体の変化を受け止めていることにも驚嘆します。


「さて尊師が鍛冶工の子チュンダの食物を食べられたとき、重い病いが起こり、赤い血がほとばしり出る、死にいたらんとする激しい苦痛が生じた。尊師は実に正しく念い、気をおちつけて、悩まされることなく、その苦痛を耐え忍んでいた。

 さて世尊はアーナンダに告げられた、「さあ、アーナンダよ、われらはクシナーラーへ赴こう。」と。「かしこまりました。尊者よ。」と、アーナンダは答えた。」

落ち着いた様子がうかがえます。

チュンダの家を出てつらい身体をひきずるようにしながら、釈尊はアーナンダと川のほとりにやってきました。


「尊師は路から退いて、一本の樹の根もとに近づかれた。 近づいてから、若きアーナンダに言った。  『さあ、アーナンダよ。 お前は私のために上衣を四重にして敷いてくれ。 わたしは疲れた。 わたしはすわりたい。』 『かしこまりました』と、アーナンダは尊師に答えて、上衣を四重にして敷いた。      

尊師は設けられた座に坐った。 すわってから、尊師はアーナンダに言った。『さあ、アーナンダよ。 わたしに水を持ってきてくれ。 私は、のどが渇いている。 私は飲みたいのだ。』    


病に瀕した姿が描かれます。


そしてまた次の川へ歩いていき、浴し水を飲んでようやく

川を渡りマンゴー樹の林に辿りついた。

『私はよこになりたい』といってしばらく横になっていたが、

「師は体が全く疲れ切って(川の)流れにつかった。

世に比ぶべき者のない完き人であったが。

・・・わがために衣を四つに折て敷けよ。『私は横になりたい。』と。・・・師は全く疲れ切った姿で臥した。」


このように疲れ果てているにもかかわらず、次のような言葉は発せられます。


「誰かが鍛冶工チュンダに後悔の念を起こさせるかもしれない。<友、チュンダよ。修行完成者はお前の差し上げた最後のお供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益がなく、お前には功徳がない>と言って。


アーナンダよ。鍛冶工チュンダの後悔の念はこのように言って取り除かれねばならぬ。

<友よ。修行完成者は、最後のお供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを私は尊師からまのあたりに聞き、うけたまわった。このふたつの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。


その二つとは何であるか。

修行完成者が供養の食物を食べて無上のさとりを達成したのと、および、このたびの供養の食物を食べて、煩悩の残りの無いニルヴァーナの境地に入られたのとである。

この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさに等しい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。

・・・アーナンダよ。鍛冶工チュンダの後悔の念は、このように言って取り除かれねばならない。

   

与える者には功徳が増す

心身を制する者には怨みのつもることがない。

善き人は悪事を捨てる。

その人は情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛から解きほごされた。」


*「みのり」は原因に対する結果。「果報」は異熟ともいい、行動は善か悪だが、善に対応するのは楽、悪に対応するのは苦、しかし楽も苦も、それ自体は善悪ではない。


2つの供養とは、成道の際の、スジャータの乳粥と、チュンダの死に到る供養のこと。

このふたつが、等しいみのり、等しい果報とはどういうことか。

死に臨んでなお、自分のことより弟子を思いやる釈尊のやさしさは無上のものだが、単に素晴らしく優しい人、という話で終わってはならないだろう。生を善きもの、死を悪いもの、という観念は真実ではない。現実の生死という状況の変化は、甘露(不死)の門を開いたものにとっては、無常の変遷に過ぎない。縁起の理法によって生滅するだけである。

これまで学んできた仏教の数々の教えが、この場面に凝縮している。

そして、釈尊は死を完全なニルヴァーナに到るものととらえており、忌むものとは全く捉えていないことも味わうべきでしょう。


④いよいよ入滅の地、クシナガラへ


「さあ、アーナンダよ。 私のために、サーラーの双樹

(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を敷いてくれ。アーナンダよ。

 わたしは疲れた。 横になりたい」と。


「かしまりました。尊者よ。」と、世尊に答えて、アーナンダはサーラーの双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いた。 そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく念い、正しくこころをとどめていた。」


アーナンダは、ついに「尊師の背後にいて敷物によりかかって泣いていた」

一心に釈尊の侍者としてどんなときもつき従ってきた若い青年のこの様子を見て釈尊は次のように教えた。


「やめよ、アーナンダよ。悲しむなかれ。嘆くなかれ。アーナンダよ。わたしは、かつてこのように説いたではないか、

――すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるにいたるということを。

およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。

アーナンダよ。かかることわりは存在しない。


アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためを図る、安楽な、純一なる、無量の、身と言葉と心との行為によって、向上し来れる人(=釈尊)に仕えてくれた。

アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努め励むことを行え。速やかに汚れのないものとなるだろう。」


なんといういたわりでしょうか・・・そしてここにも教えがこもっています。ご自分の死を題材に弟子を導いているような姿です。そしてアーナンダの資質を認め、将来必ず悟りが開ける、と励まします。


そこへスバッタという遍歴行者がやってきて、どうしても教えを受けたいと申し出ます。

アーナンダはもはや命のない師にはとても会わせることなどできない、押し問答が起こります。


やめなさい、アーナンダよ。遍歴行者スバッタを拒絶するな。スバッタが修行を続けてきた者(=ブッダ)に会えるようにしてやれ、スバッタが私にたずねようと欲することは、何でもすべて、知ろうと欲してたずねるのであって、私を悩まそうとしてたずねるのではないであろう。かれが私にたずねたことは、私は何でも説明するであろう。」と。

    

さて、スバッタに対して最後の説法が行われます。


 「スバッタよ。いかなる教えと戒律とにおいても、尊い八支よりなる道が存在すると認められないところには、第一の道の人は認められないし、第二も第三も第四も認められない。

しかし、いかなる教えと戒律とにおいても、尊い八支よりなる道が存在すると認められるところには、第一の道の人が認められ、第二も第三も第四も認められる。

ここに第一の道の人がいるし、第二、第三、第四の道の人がいる。

他のもろもろも論議の道は空虚である。ここに正しく住しなさい。

そうすれば世の中は真人たちを欠くことのないものとなるであろう。」


と、八正道の重要性を説きます。実践の宗教であることをあらためて感じるところです。

そして・・・

「わたしは二十九歳で、何かしら善を求めて出家した。

         スバッタよ。わたしは出家してから五十年余となった。

        正理と法の領域のみを歩んで来た。

        これ以外には〈道の人〉なるものも存在しない。」

と、一生の回顧と確信を静かに述べるのでした。最期の言葉は、

 

さあ、修行僧たちよ。 お前たちに告げよう

もろもろの事象は過ぎ去るものである。 怠ることなく修行を完成しなさい。<終>



<感想>

今回の講座は、釈尊の死までを辿ってきました。前回、釈尊の悟りとその内容について学びましたが、その悟りを1つ1つ確実に実践している姿が見えて、その言葉からは、生き様が迸っていて、それでいて、やさしく語りかけるように、伝わってくるものでした。これが、本当に不思議でした。人間形成を完成された釈尊の言葉が、本当に目の前で語りかけてくれるかのように、やさしくスッと伝わってくることに驚きました。時間を超えて、瑞々しく、語りかけられました。
個人的には、今回の講座で特に、強烈なインパクトがあった、2つの場面についてあげさせていただきます。

●アーナンダよ、私はもう老い朽ち、齢を重ねて80となった。アーナンダよ、たとえば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、私の車体も皮紐の助けによってもっているのだ。

しかしアーナンダよ、向上に努めた人が、いっさいの相を心にとどめることなくいちいちの感受を滅したことによって、相のない心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、彼の身体は健全なのである。

それゆえに、アーナンダよ、この世でみずからを島とし、みずからをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。


・・・健全な身体とは何か?

考えさせられるところです。そして、以下の事を肝に銘じたいと思います。

この世でみずからを島とし、みずからをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。


●アーナンダよ。鍛冶工チュンダの後悔の念はこのように言って取り除かれねばならぬ。

友よ。修行完成者は、最後のお供養の食べ物を食べてお亡くなりになったのだから、お前には利益があり、大いに功徳がある。友、チュンダよ。このことを私は尊師からまのあたりに聞き、うけたまわった。このふたつの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。


・・・悟りに至ったお供養と死に至ったお供養が、まったくひとしいみのりである。

考えさせられるところです。もちろん、相対的に生と死を見ていないし、少しでも偏りがあったら、出てこない言葉であると思います。ここのところをしっかりと見て、人間形成の修行をしていかなければならないと強く感じました。


記 粕谷玉道 

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