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石狩座禅道場



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ブログ - 最新エントリー

日曜座禅会

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札幌支部 石狩道場 2019/6/9 12:21
 暑くもなく寒くもない、いい季節になりました。
支部長が函館の摂心参加で不在のため、嘯月さんが直日&助警を務められました。爽やかな空気を感じながら、9名で坐りました。
  
 座禅後、マラソンをされているIさんの奥様は、ご自宅のある手稲方面まで走って帰られるとのことで、茶話会に出られずに、道場を後にされました。近々、マラソンの大会があるのだとか。バス亭まで走っただけでくたびれてしまう私は、嘯月さんにしても、Iさんにしても、あの長い距離を走る方々には、感心してしまいます。あの距離を走ろうと思うだけで、スゴイ。
  
 茶話会では、健康と食品のことが話題になりました。玄米や牛乳や卵の話など。皆さん、とても詳しく、興味深くお聞きしました。赤ちゃんのミルクがよいという話を聞いて、私も飲んでみようかと思いました。
  
 嘯月さんの車に乗せいただいて、裏の山門を通りかかったところ、真淡さん、Iさん、Oさんが、山門のところで何かをされています。嘯月さんと私も車を降りて近づいてみました。真淡さんが修理された山門を見ているところでした。色が剥げて歪んでいた山門が、修理されて色が塗られ、開け閉めもスムーズにできるようになっています。新品のようです。ボロボロだった物置のトタン屋根も新しいものに張り替えて下さっていました。どこで、そんな技術を学んだのかお聞きしたところ、学生時代に建築関係でアルバイトをされていたとのことでした。役に立つ技術をお持ちの方がいてよかった、と嘯月さんと話しながら帰りました。
 
 芙蓉記
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昨日は久々の土砂降りの雨で、雨音を聞きながら座禅カフェを行いました。昨年夏摂心会に参加されたチベット人医師のユラ先生がちょうど来札しておられ、滞在中にぜひまた石狩座禅道場で座りたいと仰り、座禅カフェに参加されました。座禅カフェは通常女性限定なのですが、時折遠方から男性が来られることもあり、そんな時は男性も参加していただいています。
 
いつもは私が直日と助警をしていますが、昨日は男性の参加も得て、嘯月さんに直日と助警を、藏燈さんに聖司を担当していただきました。そのため、いつもとは違った緊張感のあるとてもよい座禅ができました。どうもありがとうございます。
 
茶話会は、13人で円になって座り、いつもどおりお抹茶とお菓子で談話しました。自己紹介では、初参加の通訳者Yさんが英語日本語、ユラ先生と一緒に来られたドカさんがチベット語日本語の通訳をしてくださいました。ユラ先生は現在アメリカでチベット医学と瞑想を統合して心と体の健康を取り戻すことに取り組んでおられ、体内のエネルギーバランスや呼吸などの話をしてくださいました。座禅との共通点なども興味深く、もっとお話しを伺いたかったのですが、時間切れとなり残念でした。
 
蛇足ですが…ユラ先生は写真より実際の方がずっとイケメンだったと参加女性3人から感想が届きました!今回座禅カフェに参加できなかった女性の皆様、残念でした~(*^^*
 
珠玉 記
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坐禅中の素晴らしい体験

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札幌支部 石狩道場 2019/6/2 7:52
5月26日の日曜静坐会が終わって、
茶話会でS居士から、
小生が何年か前に話したことを覚えておられて、
話題に供されました。
それは、坐禅中の体験のことです。
それは、現境とか魔境とか古来から禅門で言われていることです。
具体的に禅門臨済禅の大宗匠の今は亡き秋月龍珉老師の禅の人
のという本の中に下記の記載があります。

その前に現境とは医者で禅修行を長年されている
太田深達氏は次のように言います。
「数息観が身についてくると、周りの雑音や状況に左右されず、
比較的に落ち着いて数息観が可能となります。
このような持、微妙な音が何処からか聞こえてくるような感じや、
静寂につつまれた湖畔にただ一人坐っているような感じや
あるいは自分の体から光が出るような感じ、
その他様々な気持ちが起こってくることがあります。
これらは全て連想能力が静まったあと、
潜在意識が意識上に投影されて出てくるもので、

「現境」と呼ばれている。
このような現境を誤って悟りと感違いすることがよくある。

  法統の正しい正脈の師匠に出会わないと正しい悟り
と現境を鑑別することが不可能なので注意を要する。

秋月龍珉老師の体験は
「私は小さい頃から非合理的な神変不思議なことが嫌いだった。
ところが、定に入るたびに武士が自分の横で坐禅をしている
という体験があって、
私の理性がそれを受け入れなかった。」
また、「いつしか三昧境に入って、
ふと気がつくと不思議と体がなくなってしまっている。
余りの不思議さに、本当にないのかどうか自分の体を
キョロキョロ見回してみた。
だが、やはり体はない。その時は魔境であることを知らないから、
私は大変嬉しくなって、老師に内参を願い出た。

その時の老師はのちに建長寺の管長をされた宮田東珉老師だった。
老師はガラス戸越し、私をジロッと見て、
しばらく言われた。「裏山にでも行って頭を冷やしてこい」
とすぐには入室を聞いてくれない。仕方なく裏山に行って、
大きな声で詩吟を詠じた。
しばらくして入室せよという合図があった。

すると老師は言われた。
「わが宗は黙に宜しく喧に宜しからずという言葉があるではないか」

そして、語を改めて「そこで、どんな境地が出
てきたのじゃ」と言われた。

そこで、私はその体験を話した。

老師は眼を瞑って静かに聞いておられた。
暫くして目をあけて、私の顔をじっと見つめて言われた。

「東京あたりの禅会なら、そこらあたりで見性ー悟りー
を許すかもしれないが、わざわざ埼玉の片田舎のわしの
ところまで出かけてきて、そんなことではまだ認めるわけにはいかん」

と、せっかくの境地も老師に取り上げられてしまった。

千葉 金風記
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5月26日の日曜静坐会にYさんという方が初めて来られました。
Yさんは坐禅は初めてですが、
勤務先の仏教学の先生と一緒にアルボムッレ・スマナサーラ長老
を勤務先大学に招き、講習会を開催したとのことです。

アルボムッレ・スマナサーラさんとは、
上座部仏教(テーラワーダ仏教)の長老です。
1945年スリランカ生まれ、13歳で出家得度。
国立ケラニア大学で仏教哲学の教鞭をとる。

1980年来日、駒澤大学大学院博士課程を経て
現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の
伝道と瞑想指導に従事されておられます。
上座部仏教とは南伝仏教(所謂小乗仏教と
大乗仏教側で呼んでいますが、
小生は価値中立的に見て南伝仏教といいます)
のことです。

南伝仏教の瞑想は最近、若い人や中高年の方に
関心を寄せる方が多いと聞いております。
Yさんに南伝仏教の瞑想との違いを説明する為、
臨済禅と曹洞禅の違いについて説明し、
坐禅後の茶話会でもこの話を話題にしました。

どちらかというと南伝仏教の瞑想は曹洞禅に
親和性があります。
臨済禅は雑念を斬りまくり、純一無雑に集中します。
実はこれは大変難しい修行です。

曹洞禅はどちらかというと雑念についてはとやかく言いません。
坐禅している姿、坐禅しているそのものが悟りの姿ー
修証一如ーであるとします。
臨済禅は公案により悟りを求道します。
曹洞禅は悟りを求道するのは為にする坐禅であるとします。

世間では色々言いますが、これは、宗風の違いで、
結局は同じものと段々わかってきます。

秋月龍珉老師はこう解説します。
道元禅(曹洞禅)は後般若の坐禅、
白隠禅(臨済禅)は前般若の坐禅。
ここで般若とはサンスクリット原語prajnaの
漢字音写語で直観的、直証的智慧のことです。

前般若の坐禅とは悟る為の坐禅であります。
これは衆生が仏になるという上り道を坐禅です。
後般若の坐禅とは既に仏として悟った立場から
坐禅する下り道の坐禅です。

白隠禅(臨済禅)で上り道をを説くのは
所謂法身の公案の修行だけで、
あとの公案体系の機関・言詮・難透・向上の
諸公案では下り道の後般若の坐禅を説くのである。

千葉 金風記
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皐月摂心報告

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札幌支部 石狩道場 2019/5/19 16:07
 
 16日(木)夜から19(日)の朝まで、皐月摂心会が厳修されました。結制茶礼のご垂示では、「34日の短い摂心ですが、短いからこそ、火の玉となって「公案三昧」「作務三昧」を行じるように」とのお言葉がありました。昼間は暖かかったのに、夜になると冷えこんできて、やはり道場は寒いと思いました。
  
 17日夜には、嘯月居士の法話がありました。今年81歳になるというのに、マラソン、典座長(食事係の長)を続けているスゴイ方です。サロマ湖100キロマラソンは、15年間続けて完走。典座長も20年以上続けておられます。その方が、学生時代に如々庵老師と出会い、その後二十数年後、札幌にて、また、運命的な出会いで坐禅を始めたこと。転勤で遠隔地から修行を継続したこと。どんな時にも走る、坐禅をするという習慣を続けてこられたことなどをお話しになれらました。いい法話でした。
   
 18日夜は、了々庵老師の食前の文第一の百丈和尚を取り上げたご提唱でした。食前の文の第一文とは、次のようなものです。

「百丈和尚の曰く、“一日作さざれば、一日食らわず”と。我れ今、恥ずることなくしてこの箸を取り得るや?」

  
 終戦時の飢餓やフィリピンのゴミの山で暮らす一家と比較して、現代日本は食料を大事にしていないこと、百丈和尚が最初の悟りを開いた因縁などを話され、「作すとは、もちろんいいことをなすのだが、いかになすかが大事だ。雑念なく、三昧でなしているかどうかだ。」というお話で提唱を終えられれました。
  
 毎日、お天気にめぐまれ、居士の方々は、タンポポ抜きに精を出していました。また、18日夜中には、旭川から仕事を終えた無外居士が駆け付けて来られ、朝1回の参禅をして帰って行かれました。
   
 円了茶礼のご垂示は、「道場内外の環境整備に力を注ぎ、道場も人も清々しいとい道場にするように」とのお言葉で締めくくられました。
 
  円了後の日曜坐禅会には、久しぶりにWさんも参加、和やかな時間を過ごしました。
 

芙蓉記
 
 

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皐月摂心準備

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札幌支部 石狩道場 2019/5/12 14:24
 風は冷たいけれど、爽やかに晴れた今日、日曜坐禅会と今週木曜日から開催される皐月摂心の準備が行われました。
 日曜坐禅会には、小学校5年生という可愛い男の子と麗しの女性3名が、初めて参加されました。初めてにもかかわらず、皆さんしっかりと坐っておられるようでした。
 私は、隠寮の準備があるので、茶話会を失礼させていただきましたが、大した仕事もしないうちに、茶話会を終えられた方々が手伝いに来てくださり、私がお風呂の掃除しているうちに、他の箇所の掃除を終えて下さいました。有難いことです。

その間、嘯月さんは典座関係、支部長は庶務関係の仕事をされていました。桜の花が、まだ少し残っていました。他の花もぽつぽつ咲いていました。今摂心は、隠寮の花を買わなくて済みそうです。

木曜からの摂心。関心のある方のご参加をお待ちしています。

  

芙蓉記
 

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三世総裁磨甎庵老師の著書
道元禅師の「学道用心集」 の序
に禅との出会いについて書かれています。

わたしは、旧制高校に在学中、昭和八年に肺結核を患い
、一度、生死の境をさ迷う経験を持ちました。
その時に病床で、自分の生涯は一体どんな意味があるかを、
死というものを前にして考えました。

然し、よく考えれば考えるほど、
今まで漠然と心に抱いていた 理念が根底から崩れ、
畢竟無意味ではないかという、
一種の ニヒリズムに落ち込むようになりました。

そしてそこから抜け出すために、
哲学や宗教に関する書物を あさって、
いろいろ読みましたが、哲学書は全く役に立たず、
宗教の信仰に関する書は、
身体を離れた精霊の存在や
死後 の世界の救いを説いている点で、
自然科学、特に生物進化論 の洗礼を受けている身として、
それを素直に受け入れることは 、
どうしても良心が許しませんでした。
中略
丁度、大学入学して間もなく、東大で
西洋倫理学の講義を担当 しておられた長屋喜一先生の
お薦めで、東大の生物学科を卒業 されて、
臨済禅の修行を大成され、在家の禅の師家
をしておられる 耕雲庵立田英山という方の
「科学と宗教」という演題の講演を 聴く機会がありました。

 そこで話された内容は、わたしが今まで
抱いていた宗教観を 根底から覆すもので、
禅は、所謂霊魂の存在や死後の世界を 全く説くことなく、
「大法に不可思議なし」を踏まえ、
科学の原理 に少しも違背することなく、
生死の問題を正しく解決して、 大安心を得る、
「見性悟道」の道であることを説かれました。
中略
わたしはこの講演が機縁で、耕雲庵立田英山老師の師に
あたる両忘庵釈宗活老師の「碧巌集」のご提唱を
聴聞する ことが出来ました。
中略
その時その「碧巌集」のご提唱の内容も
全く分りませんでした が、何故かこれこそが、
ほんとうの仏法というものを伝える、
正師であるという感じがして、心を深く打たれ、
生きたほんもの の「道」の師に接することの出来た法悦に、
涙が溢れ出てくる のを禁じえませんでした。

千葉金風記
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印度第19祖鳩磨羅多(くまらた)尊者曰く
「何ぞ疑うに足らんや、善悪の報に三時有り」

弟子の闍夜多(しゃやた)の質問ー
思いやりのある人が早死にし、
乱暴者が案外長生きする。
この世の中には原因結果の関係
というものはないのではないか?-
に対して上記のように答えます。

いやいや、けっしてそうではありません。
疑ってはいけません。良い行いをすれば、良い結果、
悪い行いをすれば悪い結果となるということに
関しては三種類の時間のずれがあります,
というのです。
一つには順現法受、
二つには順次生受、
三つには順後次受と
三種類の時間の違いがあります。
「順現法受」はいいことをすると即座にその結果が現れること。
「順次生受」はいいことをしてからしばらく時間がたってから現れること。
「順後次受」はいいことをしてから非常に長い時間がたって
やっとそのいい結果が現れること。
悪いことも同様です。

尊者は続けて「殊に知らず、影響相随うて
毫釐(ごうり)も忒(たが)うこと靡(な)く、
縦(たとい)百千万劫経るも摩滅せざることを。」

原因と結果の関係というものは密着していて、
ほんのわずかの食い違いもなしに仮に殆ど無限に近い
長い時間を経過して場合でも、
原因結果の関係というものは一分一厘の狂いもないものです。

「時に闍夜多是の語を聞きおわって
頓に所疑(しょぎ)を釈(と)く」
闍夜多は鳩磨羅多尊者の教えを聞いて
即座に自分が今まで持っていた因果の理法に関する疑問
を解消することが出来た。

道元禅師の上堂録(僧堂での説法の記録文書)
に永平広録があり、その中に三時業を下記の
ように説似してます。

或る人、永平(道元禅師)に問わん、
如何ならんか是現報(順現法受)と
祇(た)だ他に対して道(い)うべし
現報と云うは乃ち蕎麦(きょうばく)なり

そばは秋の初めに種を蒔くと
大体70日位で収穫出来るそうです。
即ち、原因のある直後に結果が得られるということです。

同様の筆法で 生報(順次生受)とはに
対しては「大麦」
冬に種を蒔くと夏に近づいてから収穫出来ます。
そばより少し時間がかかります。
更に後報(順後次受)とは対しては「好堅樹」
しっかり地面に立っている木は
苗木で植えても何年もかかりますという訳です。

5月16日(木)19時より5月19日(日)朝まで3泊
4日の皐月摂心会が了々庵老師のご指導で開催されます。

生きる上で悩みのある方、実社会で生きずらさを感じて
いる方、坐禅に興味のある方、是非お越しください。
坐禅初心者の方、若い方、中年の方、御歳を召した方
老若男女を問いません。

千葉金風記
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曹洞宗の僧侶が毎朝読経するものに修證義
という和文のお経があります。

修證義は道元禅師の正法眼蔵から抜粋したものです。
そのなかに因果歴然という言葉があります。
その第1章に「今の世に因果を知らず業報を明らめず、
三世を知らず、善悪を辨(わき)まへざる邪見の
黨侶(ともがら)には群すべからず、
大凡(おおよそ)因果歴然として私なし、
造悪の者は堕ち修善の者は陞(のぼ)る、
毫釐(ごうり)も忒(たが)はざるなり、
若し因果を亡じて虚しからんが如きは、
諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず」

今の世に因果の理法を知らないで、
過去・現在・未来と繋がっていることを
理解しないで、善悪など関係ないと思っている人々
に組みしてはならない。
因果は歴然として公明正大なものです。
悪をなす者は堕ち、善をなす者はのぼる。
そこにいささかもごまかしはありません。

若し因果がないというなら、
諸仏がこの世に現れることはなく、
達磨大師がわざわざ印度から中国に渡って
坐禅を伝えることはなかっただろう。

正法眼蔵に三時業という巻があります。
印度第19祖鳩磨羅多(くまらた)尊者の
ところの修行者に闍夜多(しゃやた)という者が
いて問うた。

私の家の父母は昔から仏法僧の三宝を信じて
生活していたが、病気にかかるということが非常に多く、
仕事を計画的にしてもいずれも思うようにいきません。

しかし、隣の家の旋陀羅(せんだらースードラという低い階級)
の家は非常に長い期間に亘り獣を狩りで殺しているが、
体はいつも健やかでその動作も調和しています。

隣の家には幸福が与えられ、自分の家は
何故罪を受けるのですか?

尊者が言われるには、そういう事実にけっして
疑問を持つ必要はない。

三時の業報の理というものがあります。
一つは順現法受、二つ目は順次生受、三つ目は順後次受
で原因と結果の関係は一分一厘の狂いもありません。

因果歴然という言葉は現代人には色々議論も
あろうかと存じますが、
正法眼蔵の記述にそって読み進めてみたいと思います。

 吾が人間禅第一世総裁立田英山老師は神秘を語らず、
迷信を説かずと立教の主趣にて高々と宣布しておられ、
自然科学者として英邁な道眼をお持ちです。

一方で道元禅師も日本曹洞宗の開祖
(但し、禅師ご自身はけっしてそう思っていた訳ではありません)
として偉大な宗教者で禅師の道眼も素晴らしいので
それも味わいたいと思います。

順現法受に続く

千葉金風記
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日曜座禅会再開!

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札幌支部 石狩道場 2019/4/14 14:41

石狩禅道場では先週から日曜座禅会を再開していますが、先週は支部総会があり、座禅会の開始が7時半で茶話会もなかったため、実質的には今日が通常通り9時始りの日曜座禅会のスタートとなりました。

このところ春らしい陽気が続いており、今日もぽかぽか陽気の中、8人が集まって座りました。参禅願いを出しておられるIさんご夫婦、Oさん、Iさんの顔が揃い、従来の日曜座禅会の雰囲気になりました。また、久々にKさんも参加されました。直日兼助警は耕尽庵老居士。耕尽庵老居士が警策を持たれるのは本当に珍しいので、私は眠くもなく肩も凝っていなかったのですが、ぜひ受けたくて警策をお願いしました。同じように思った方が多かったのか、ほとんどの方が警策を受けておられました。流石にばしっと重みのある警策でとても気持ちがよかったです。

茶話会ではKさんが今まで巡ってこられたお寺の話や修験道の話、中国や韓国の仏教の現状などを話され、興味深く話を伺いました。Kさんによると、お寺で法話会などやっているところはほとんどないということで、私達は貴重な時間を戴いているのだなあと実感しました。

座禅会終了後、私はまた近くの茨戸緑地を散歩しました。まだほとんど枯色ですが、自生している(種が飛んできた?)クロッカスが花を咲かせ、柳も芽を膨らませて春らしくなってきました。茨戸川にはカモ類の水鳥が多く、土手には雲雀揚がり、しばらくぼーっとして鳥の声を楽しんできました。

 

珠玉 記


 

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