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札幌支部 石狩座禅道場



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ブログ - ブログカテゴリのエントリ

短期摂心円了

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札幌支部 石狩道場 2021/9/21 15:17
 昨日、第205回摂心会が無魔円了いたしました。
 当初は一週間の予定でしたが、コロナの感染状況を鑑み、日程を短縮して二泊三日の短期開催となりました。緊急事態宣言下のため、職場の指示により参加できない会員もいました。

今回も藏燈さんと耕尽庵老居士から沢山の野菜、藏燈さんの奥様から手作り煮豆のご喜捨がありました。短期間でもあったため、野菜は長ネギとキノコを買っただけで済みました。


   藏燈さんからの野菜
  それにしても、嘯月さんは人数の多い時に、よく典座をやっていたなぁ、と毎回思います。人数が多いと作る料も多くなる上、参禅に時間がかかるので、料理に費やせる時間も短くなります。
  
 今回は、結制日から提唱がありました。一日目は、無門関から「喚主人公」の則、二日目は、「大乗仏教の真空観~真空妙有」と「不動心と転心」について法話風の提唱でした。二日目の提唱には、真淡さんが駆け付けられました。
 また、午前中にお休みが取れたからとのことで、空道さんが、二日とも午前5時過ぎから午前の参禅まで参加されました。空道さんのご自宅は札幌の南の方ですので、道場まではかなり時間がかかります。あの時間に入山するのは、大変だったろうと思いました。

   
 木々に囲まれた道場は、落ち葉降る季節です。私は、典座の仕事でずっと道場内にいましたが、居士の皆さんは、天気に恵まれた三日間、外作務に精を出されていました。
  

 コロナの新規感染者も随分減ってきました。次の摂心は11月。次回は、通常通り開催できるのでは、と思っています。

  

芙蓉記
 

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数息観によるストレス解消

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執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2021/9/11 17:05

「禅的呼吸法によるストレス低減効果」注1)という文献をネットで見つけ読んでみました。禅的呼吸法というのは数息観のことで、その効用について研究された論文です。いろいろな角度から研究されているのですが、数息観は心理的にだけでなく生理的にもストレス低減効果があるというデータが示されていて興味深かったです。巻末に掲載されていた禅的呼吸法の実習に参加した小・中学生の感想もおもしろく、数息観による坐禅の効用をよく言い当てているな、と感心いたしました。以下、抜粋の抜粋です。
  
「呼吸法をする前は少し心配事があったんだけど、呼吸法をやり終えると心配事がパッと消えたので良かったです」(小学生)
「心がこちゃごちゃしていたけど、やった後ではごちゃごちゃがなくなり、生き生きとした心になれました。やるぞという気持ちになることで、勉強やクラブにやる気がでてきて、いらだちがきえていきました」(中学生)
  
数息観を行い念を払うことに集中すると自然と思考が整理され、心配事が心配事でなくなり心が軽くなる、前向きな気持ちになれる、これは私も実感するところです。
  
1)奥野元子(2016)禅的呼吸法によるストレス低減効果 ―生理的指標(唾液アミラーゼ・血圧)と心理的指標(POMS・感想)による評価―
  

一山 記

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2週間振りにSさんが参加されました。
Sさんは円山の瑞竜寺に1年程通われている方で
自宅に近い石狩道場に参加されました。常連のKさん、
Y氏に嘯月居士、無光居士、蔵燈居士と小生の7人で坐りました。
 坐禅後の茶話会はSさんは所用でお帰りになりました。
お話を聞けず残念でした。
Kさんから数息観をしながら、別のことを考えてしまう。
皆さんどうなんでしょう?という問い掛けがありました。
Y氏から「1年継続しているが100まで数えられたことはない。
それを反省して、寝る前に坐禅を組むが、知らず知らず、
寝てしまいます。だから、Kさんも坐禅を諦めず継続して下さい」
と暖かい激励の言葉がありました。
 蔵燈居士からは雑念が起きてもそれに気にせず、
100とか150まで数えていると、雑念の方が諦めて、
余りそれに振り回されなくなり、数息観に専念できる
ようになりましたという貴重な意見。
 嘯月居士からは継続することです。継続しているといつかわかる
時がきっときます。
そして、出会いを大切にすることですというアドバイスがありました。

嘯月居士が大学入学したてのオリエンテーション時にたまたま、
座席を同じくした方の趣味が軟式テニスということで意気投合し、
その後83歳の今日まで交友を継続し、お互いに親友という間柄
となっていることを話されました。

また、大学時代山中湖の畔で、坐禅研修があり、その時の
指導された方が如々庵芳賀洞然老師でしたが、東京の大学
を卒業して20年経過して、何か忘れ物をしている気持ちがして、
坐禅をどこかでやりたいと思って、あちこち探していたところ、
新聞で坐禅の会があることを知り、会場に行ったところ、
師家が如々庵芳賀洞然老師だったという話をされました。
 
千葉 金風記

 


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 支部長が少し前に書いていたように、今年の5月に、人間禅の女性で初めて師家分上(老師となれる境涯)になられた緝煕庵老禅子の遺文集が、出版されました。
 その中の心に残った文章を、ご紹介したいと思います。
   
 「修行と生活の工夫」というお話の中に、
「私たち家庭婦人はにとって家事を動中の工夫として、作務として行じて行くには、私はまごころを投じて真剣になり切っていく以外ないと思っています。千変万化する家事に対応して正念の工夫を絶やさないことなどとは、私ごとき分際では到底叶わぬことですけれども、況んや唯漠然とこれを願っているだけではどうにもなりません。そこで私は生活時間を区切って枠組みを決めて、少なくともその枠に中は工夫三昧になるよう努めています。」
とあります。
  
 禅では、今ここで、直面していることになり切ることに重きをおきます。
掃除をするなら掃除三昧。読書をするなら読書三昧。と書くのは簡単ですが、なかなかできません。私など、普段ダラダラと家事をしている状態です。老禅子を見習って、時間を区切って、その時だけでも三昧になるよう努力していこう、とこの一文を読んで思っているところです。
   
  芙蓉記 

     

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雑念が湧く

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執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2021/8/22 8:40
 新聞や本など読んでいると思わぬところで禅にまつわる話に出くわし、へーっと思うことがありますが、そうした話の中に出てくる坐禅中に念が湧くことの言い表し方、捉え方、これが人それぞれで興味深いです。ある新聞のコラムでは、書かれた方ご自身の坐禅体験から、念が湧いてくることを自動運転と表現されていました。私たちが常に何かしら考えたり思ったりできるのは、半ば脳が自動運転しているからで、坐禅中に念が湧くのもこの自動運転のよるものだからそう簡単には止められない、そのような意味で書かれていたと記憶しています。
     
 また、サピエンス全史を書かれたハラリ氏も著書の中で面白い表現をされていました。この方は学生時代にヴィパッサナー仏教と出会い、この仏教独特の方法による瞑想(大乗仏教でいうところの坐禅に近いものです)を20年近く続けていらっしゃるそうですが、面白かったのはハラリ氏がこの瞑想中に気づいたことの表現の仕方で、瞑想を始める前は自分が人生の主人であり自分という会社の社長だと思い込んでいたが、瞑想を始めて見ると自分自身を制御することがいかに難しいか知り、自分は社長どころかせいぜい門番くらいの存在でしかないように思われた、そのようなことを書かれていました。先ほどの自動運転に例えると、運転席に座って自動車を自由に操っていたつもりが、実は座っていたのは助手席で、せいぜいネビゲートするくらいのことしかできていなかった、そのような感じを受けたのかなと想像しました。しかし、そうすると運転席に座っているのは一体誰なのでしょう。
   

この自動運転にブレーキをかけるのは難しいことですが、自動運転を止めて運転席に座った時どんな情景が見えるのか、最近はそんなことも思いながら坐禅を続けています。
  

一山 記

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終戦の日の日曜座禅会

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執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2021/8/16 14:31
 昨日の日曜座禅会は、無光さんと真淡さんに初参加のSさんも加わって、計7名で坐りました。後から、耕尽庵老居士もお見えになりました。
  
 Sさんは、札幌にあるお寺に毎週通って坐禅を組んでいらっしゃるとのことで、姿勢が良く、さすがに坐り慣れている感じでした。「坐禅和讃」をすべて唱えられる、とおっしゃたのには驚きました。
  
 坐禅後の座談会では、終戦に関する話になりました。当時小学校2年生だった嘯月さんは、終戦の日のことをよく覚えているそうです。海軍の軍人だったYさんのお父さんは、アメリカと戦争したら勝てないということは、最初から分かっていたそうです。
  
 ちなみに玉音放送の「耐え難きを耐え 忍び難きを忍び」という言葉は、達磨大師が、後に法を継ぐことになる神光(二祖慧可大師)が入門を願い出た時に、慧可に対して言った言葉です。「耐え難きを耐え 忍び難きを忍ぶ人物にしてはじめて成し遂げられるものである。お主のような小者にやれる修行ではない。」と、突き放したのです。終戦時の首相、鈴木貫太郎は、禅僧の山本玄峰と親しく、そのことから玉音放送の中にこの言葉が入ることになったのではないかと思います。
  
 道場の塀の外には、紫陽花が咲いています。もう、大分枯れてきましたが、遠目にはまだ綺麗に見えます。
  
  
  
 芙蓉記

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 ほとけは漢字で佛と書き、この字の略字が仏ということになっていますが、なぜこのような字形に略されるのか、坐禅を始めて仏の字を身近に感じるようになってから、結構気になっておりました。旁(つくり)はカタカナのムに似ておりますので、最初はムに無の意味でも持たせたのかと思い、いつぞや老師にそうお尋ねしたことがありましたが、そんなことはないと一蹴されました(笑)。それにしても、なぜそれほど画数も多くない佛を略する必要があったのか不思議といえば不思議です。昔から日本人にとって大事な語でもあったわけですし。
   
 しかし、少し資料などにあたって調べてみたところ(注1)、まず仏は和製の略字ではないということがわかりました。6世紀頃の中国の文献にはすでに仏の字がほとけの意味で使われていたそうです。従って、旁のムは、カタカナのムとは全く関係ない、ということになります。では、中国でも仏は佛の簡略形として使われていたのかと言うと、一応そのように解釈されているようですが、別の説もあるそうです。当時の中国には避諱(ひき)と言って、皇帝など目上の人の本名を直接口にしたり、書いたりすることを憚る風習があったそうですが、ブッダに対してもそのような意図で「仏」という字を使っていたのではないか、というのです(あの方、とかそんなニュアンスだと思います)。本当のところはよくわかりませんが、日本人にも何となく理解できる考え方だと思いました。一方、佛の字にどんな意味があるのか改めて辞典を引いて確かめてみたところ、元々はよく見えない、ほのかという様な、ほとけとは関係ない意味を持った字であったようです。音が似ているということで、後からこれを梵語(サンスクリット語)のBuddha(佛陀)に当てたわけです。
   
 結局、仏の字については音写字の略字ということ以外はっきりしたことはわからず、漢字自体に深い意味はない、ということがわかっただけでしたが、しかし何かしっくりきません。なんで、ムの形なんだろうかと。そこで、ムの字をじっと見ていたところ、また呆れられそうですが、何やら右足を上にして結跏趺坐している脚の形に見えてきました。道元禅師も、坐禅をする姿そのものが仏の姿と言われましたし、「仏」は人偏に坐禅、と勝手に解釈して、私の中では落ち着きました()
   
注1)「位相論的略字体史の試み」(2017年)
  

一山記


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8月の月例会&日曜座禅会

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札幌支部 石狩道場 2021/8/9 10:21
 昨日は、8月の月例会&日曜座禅会でした。
また、藏燈さんの車に乗せていただいて道場へ。
参加メンバーは、前回と同じ顔触れプラス家事のプロKさんでした。
   

暑かったのですが、窓から風が入ってきて、先週よりはマシでした。道場は木々に囲まれていて、ザワザワと枝の鳴る音を聞きながら坐るのは、心地よく感じました。

 

坐禅後は、オリンピックの話題になりました。みなさん、男子マラソンの途中で出かけてきたので、結果が気になるようでした。また、近年は、温暖化の影響か、北海道らしいさわやかな夏というものがなくなったという話になりました。今日は、大分涼しくなり、明日からはまたグーンと気温が下がるそうで、マラソンの日程があと数日遅かったら、あんなに蒸し暑い中走らなくても済んだのにと思いました。

  

道場は今咲いている花がなく、殺風景です。と思ったら、裏に2輪だけオレンジ色の百合の花が咲いていました。写真におさめようとしたのですが、風が強く揺れていて、私の安い携帯ではぶれてしまって上手く撮影できませんでした。

  

 芙蓉記

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庭のカラス

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札幌支部 石狩道場 2021/8/6 14:38
 なかなかコロナの終息も見通せず、しばらく日曜坐禅会は欠席して、その代わりに土曜日に一人で道場で坐るようにしています。ただ坐るだけでは物足りないので道場前の掃き掃除など作務をするようにしていますが、隠寮の庭のベンチに腰掛けて一息つくのが至福のひと時です。
   

庭にいると色々気がつくことがあるのですが、庭の周りのカラマツ林は鳥のねぐらにちょうどよいようで、カラスも二羽住み着いているようです。親子という感じでもないので、勝手に兄弟ではないかと想像していますが、あちらもこちらに興味があるらしく、私が道場前を行ったり来たりするとその後をつけるようにカラマツの木から木へと移ってきます。そんなことをしているとつい楽しくなりますが、そのカラスを見ていてあることに気がつきました。二羽のうちの一羽がくちばしを使って木々の細い枝を折っては捨て折っては捨てをまるで遊んでいる風にやっているのです。道場の庭にはよく細い枝が落ちているのですが、それまで風で折れたくらいに思っていたのが、実はカラスのいたずらだったのです。先日もハクモクレンのまだ青い実がたくさん落ちていたのですが、これもおそらくカラスの仕業です。これでは掃いても掃いてもキリがないではないですか。まだまだ作務が足りんぞ、ワシが庭を散らかしてやるから掃きなさい、とでも言われているようです。

一山記

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八月最初の日曜座禅会

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札幌支部 石狩道場 2021/8/1 11:49
 藏燈さんの車に乗せていただいて、道場へ。藏燈さんは、いつも早めに来て掃除をされているようで、私も一緒に掃除をしました。
   

今日は、嘯月さんも、参加されました。それにしても暑い。窓際に坐っていたのですが、風がほとんど入って来ず、ただ坐禅をしているだけで、ダラダラと汗が流れてきました。摂心の時より、暑く感じました。藏燈さんは、「摂心で沢山坐っていたから、一炷香が短く感じられる」と涼しい顔をしていました。

  

8月は、6日が広島に原爆が落とされた日、9日が長崎、15日が終戦記念日と戦争に関わる記念日があります。8月1日には、長岡と富山に大空襲があったそうで、何千という人が亡くなったそうです。その頃、新潟に住んでいて、お父様も軍隊に召集された嘯月さんが、戦争の悲惨さを離してくれました。そういう話のできる方が、身近に少なくなってきたと感じます。

 

 常連のYさんが、家庭菜園の新鮮なお野菜を沢山もってきて下さっていて、有難くいただいて帰ってきました。

 

 芙蓉記

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