ブログ - 愛語ということー修證義(しゅしょうぎ)より
曹洞宗の朝課のお経に修證義があります。その第4章の第22節に愛語を次のように書いています。愛語というは衆生を見るに先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如(じねんしゅじょうゆうにょ)赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり、徳あるは讃むべし、徳なきは憐れむべし、怨敵を降伏(ごうぶく)し君子を和睦ならしむること愛語の根本とするなり、面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす、面(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず愛語能く廻天の力あることを學すべきなり。
この絡子思ひ出の黴匂ふかな 立田幽石(老師60歳の時の作)
垣結うて庭深まりぬ蝉しぐれ 立田幽石(老師60歳の時の作)
千葉 金風 記
この絡子思ひ出の黴匂ふかな 立田幽石(老師60歳の時の作)
垣結うて庭深まりぬ蝉しぐれ 立田幽石(老師60歳の時の作)
千葉 金風 記