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ブログ - 老鼠牛角(ろうそごかく)に入るー大悟に必要なこと

老鼠牛角(ろうそごかく)に入るー大悟に必要なこと

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2020/2/15 7:02
 

閉幕した札幌雪祭りの雪像

前回、「憤とか悱とかはもとより我執とか吾我とかの一念から噴出する心理状態でありますが、これが逆に我執とか吾我を破るところのものになるのであります。といってもなかなか説得力があるものなのか、あるいは、現代の若い人達にとって、腹にストーンと落ちる程の文言なのか検討した時、果たしてそうだろうか?と思う訳であります。」で結びました。

一つのヒントとして科学的知見を加えたもので説得性を持たせるという手法であります。
以前「脳卒中になった脳科学者ジル・ボルト・テイラーの見た世界」という表題でブログを書きました。

ジルは女性の脳科学者、神経解剖学者で、彼女の場合、37歳の時、先天性の脳静脈奇形があり、血圧に耐えかねた静脈が破れ、大量の血液が大脳左半球にどっと吐き出され、左脳の広範囲が障害されました。

しかし、おかしなことにジルの心はこみ上げて来るような平和な感覚に満ちていたのでした。ジルは大変なことになったと自覚しますが、また、同時に脳科学者として「今日まで脳の機能が失われていく状況を内側から見て研究した人はいない。私はその珍しい研究が出来る機会を与えられた。これは素晴らしいことだ」と感激します。

ジルのこの奇跡の脳は肉体と外界との境界がなくなり、自分の体が個体ではなくあたかも流動体になったかのようになり、至福の時間、幸福に満ち満ちた時間を味わったという記述が何回も繰り返し書かれています。ジルはこの状態を「ニルヴァーナ」即ち涅槃と呼んでいます。

一般的にごく大雑把に言うと、人間の脳の働きとしては左脳がリーダー的で、右脳はそれを補う役目をしております。左脳ではどうにも解決できない囲繞事態が生じた時は右脳がその閉鎖的局面を打開する役を務めるようです。右脳は直観的で過去も未来もありません。「今、ここ」しかありません。禅では「今、ここ、我」を大切にと教えますが、右脳は先天的に禅的なのであります。公案も同様に論理型の左脳の働きや世間一般の常識では全く歯が立ちません。右脳で働きでしか解けないようになっているのです。左脳得意の理屈の働きを抑えて、坐禅すれば右脳から自ずと解答が出てくる仕掛けになっているのです。

左脳が行き詰まった状態を禅語で老鼠牛角に入るといいます。

葆光庵名誉総裁老師の提唱録に塗毒鼓(ずどっこ)があり、その除夜小参の中で老鼠牛角に入るについて次のように解説されます。

歳老いた鼠が牛の角の中にずうっと入っていって、向こうは行き詰まりでしかも狭まっているのを尻をつつかれて更に進もうとしても隅っこに追いやられてどうにも身動きが取れないニッチもサッチも行けない状態、これを「老鼠牛角に入る」という。二進も三進も行かないところに行ってじっと動かないで大死一番する。念慮を裁断し言葉を捨て去る、勿論再蘇する等はチラとも考えない。じーっと追い詰めて行ってミジっとも動かない。念慮を動かさないで、そこから後戻りしない。しかも大切なことはその状況を客観的に自分で判断しようとしないこと。これが大切です。と解説されています。

テーラワーダ仏教の瞑想は素晴らしいものがあります。テーラワーダ仏教の良さをそのまま認めた上で、テーラワーダ仏教の瞑想には自分を観察するという視点があります。

曹洞宗の只管打坐は臨済宗のように悟りの為にする坐禅ではありません。曹洞宗の只管打坐の素晴らしさ、曹洞宗の良さをそのまま認めた上で、敢えて、「老鼠牛角に入る」とは客観的に自分で判断しようとしないのです。年取ってよぼよぼになった鼠がついに追い詰められて、とうとう牛の角に逃げ込んだ。金輪際出ることが出来ない、工夫に工夫を重ねて窮し切った状態です。

また、進退窮まる、窮鼠猫を咬むとかいいます。普段、鼠は猫に追いやられて逃げてばかりいますが、進退窮まり、逃げ場を失った鼠は逆に猫に襲い掛かり、その鼠の勢いに多少たじろいだ猫は隙を見せて、鼠はその隙を見逃さず窮地を脱するのであります。

こういう状態になってからが本当の修行であります。ここでやめてしまう人がおりますが、残念なことです。文字通り、困って困って困り抜いて、そこにどん坐るのです。そこに理屈はありません。困ったという事実しかありません。

宮本武蔵の和歌に「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 踏み込むゆけば あとは極楽」

あるいは剣道の道歌に「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」というのがあります。

困り抜いて地獄だと思っていたが、無我夢中で我を忘れて、師家の室内に思い切って飛び込んでいったら、道が開けた。これを禅では大勇猛心といいます。
 
千葉 金風記

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