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ブログ - 大悟後の洪川禅師について

大悟後の洪川禅師について

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2020/2/5 6:29

新型コロナウィルスがパンデミックになった中、開会した札幌雪祭
 

思い返せば、僧堂の修行仲間の皆は洪川禅師の刻苦参究、辛酸苦修と形容憔悴して

面色土のようだと噂しました。

そして、皆 謂いました。「拙公(守拙さんー即ち洪川禅師)禅病になって、近日、斃れん」と。

斃死せん 斃れ死ぬのではないかと修行僧が噂していた 一夜、忽然と妙悟されました。

時に天保13年(1842年)6月27日、禅師27歳のことであります。

 

是より以降、洪川禅師は鬼大拙の室内に入る毎に、演(大拙和尚)拶するに、数段の因縁(公案)を提示して迫りました。禅師は直下に看破し、或いは一、二日にして透得し滞礙(たいげ)はなかったと言います。

毎々 毎回毎回 挙措 起居動作は快活で 自然に口 妙言を吐き 機 妙用を呈した

といいます。

 

ある一夜 大拙和尚は洪川禅師に次のよう語って聞かせます。

「箇事 譬へば 珠を(はくたく)するが如し。愈々剥けば 愈々光り 愈々琢けば 愈々明なり。我己に 儞を一剥琢し了れり 儞が幾生の工夫に勝れり。之を思へ」と、おっしゃて 即 一語を書して 洪川禅師に与えました。

その語とは「危に臨んで変ぜずは真の大丈夫」という七字の一行物であります。

洪川禅師は終生秘蔵して、折々は床の間に掛けて、香を焚いていたと言います。

洪川禅師は歓喜に堪えず、日を追って、神采煥発といいますから 精神も顔色も内からの歓喜でそれが自然に現れて、禅病も自然に清らかに回復して、容貌の元の洪川禅師に戻って、以前以上に面容 かんばせは潤いが増していきました。修行僧仲間は皆 この驚天動地の洪川禅師の変り様を不思議に思いました。

 

しかし乍ら 洪川禅師は慎みて歓喜を秘して漏らさずして、密々に 秘密裡にして参究を怠らなかったのであります。この歓喜を秘して漏らさずというのが極めて重要であります。

 

弘化4年(1847年)洪川禅師32歳の時、大拙和尚の命により 備前岡山曹源寺の儀山善来和尚に参ずることになりました。

嘉永6年(1853年)37歳の秋、法の淵源を尽くして隠山下棲梧軒(せいごけん)儀山善来老師の嗣法者の一人となって蒼龍窟という表徳号を授けられました。
 
千葉 金風記

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