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ブログ - 「なもあみだ」の俳句

「なもあみだ」の俳句

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2019/2/11 19:22

十二月の法話で了々庵老師が一遍上人のエピソードに触れられました。芙蓉さんも書いておられますが、後で述べることに関係するので、再度そのエピソードを書いておきます。

一遍上人が後の法燈国師の元で日夜座禅に励んでいるときのこと。念仏三昧とはこれだと思い、「唱うれば仏も我も無かりけり南無阿弥陀仏の声のみぞして」と和歌にして法燈国師に呈しました。国師は、「この見解、一応悪くはないが、まだ徹底していない。もうひと工夫してこい」と言います。そこでさらに座禅に励み、「唱うれば仏も我も無かりけり南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と改め、これを呈したところ、「これならよし!」と認められたというのです。

私はこのエピソードを知ったとき、まるで俳句みたいだなあと思いました。つまり、俳句を作るとき、「声のみぞして」は要らないと言われるのです。説明はなしです。自分でそれを納得するしかありません。

そして、先日たまたま『今井杏太郎全句集』を読んでいて驚きました。今井杏太郎は俳人で精神科医だった人です。年譜を当たっても特に禅の修行をした形跡はありませんが、このような句を残しています。

なもあみだなむあみだぶつ銀杏散る

この句だけでもすごいなあと思うのですが、さらに次のような文章を目にして、びっくりしました。或人がこの杏太郎の句とほぼ同時に

なむあんだ南無阿弥陀仏と銀杏散る

という句を作って発表してしまいました。後に杏太郎の句を知り、類想ではないかと思ったのでしょう、自分の句は自分の句として遺してもよいかと杏太郎に問い合せたのです。それに対し杏太郎は「と」の有無の違いは大きく、まったく別の句であるから大切に取っておきなさいと言ったのです。さらに読み進めていると、こんな件もありました。

「先ず、たとえば、「秋の暮」の句を作ってみたい、という衝動に駆られたとき、「秋の暮」とは、自分にとって何なのか、という問いかけがなされ、そして、じわっと「秋の暮」にむき合って行かなければならない。むき合うとは…。これをやや象徴的にいえば、仏にむかって手を合わせているような気配なのである。その結果、「秋の暮」と作者とが、一体になったとき、「秋の暮」が、不動の季語として一句の中に収まるのである。「大変なことだな」と思われるかも知れないが、そこへ到達するまでのプロセスが、俳句の本当の楽しさ、といえるのではないか。」

今井杏太郎は何だかぼわーんとした気の抜けたような俳句を作った人ですが、ひょっとしたらそれはすごい境涯だったのかもしれないと思いました。最後に今井杏太郎の句を少し紹介しておきます。

春の川おもしろさうに流れけり

馬の仔の風に揺れたりしてをりぬ

老人が被つて麥稈帽子かな

老人に会うて涼しくなりにけり

長き夜のところどころを眠りけり

雪が降り石は佛になりにけり

葉がみんな落ちてしまつていてふの木

 

珠玉記
 

 
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