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石狩座禅道場



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ブログ - 最新エントリー

摂心前半終了しました

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札幌支部 石狩道場 2020/9/23 15:12

摂心前半が終了いたしました。

20日()には、元会員で四国在住の紹隆さんより、今回もまた沢山の楽しい品々が届きました。あごだしは毎日、お味噌汁の出しに使っています。作務のあとのおやつに梨をいただきましたが、とても甘くてみずみずしく、昨日の昼食にいただいたうどんも腰があって美味しいものでした。

 

 21日には、Oさんが地方から車で5時間もかけてお越しになり、1泊どまりで初参加されました。飲食店を経営されておられるとのことで、典座(台所)を手伝っていただいたのですが、さすがに手早く助かりました。せっかく遠くから座禅を体験したいとお出でになったのに、「提唱を聴いてわけがわからなかった」ではお気の毒、との老師の計らいで、21日の提唱は法話に変更になりました。題は「無常の解脱」。世は無常であること、三昧により寂滅の境地に入ることなどを話されました。
 

Oさんは、22日の昼食後下山されました。厳密には1日と3時間滞在されたのですが、明るい方で、お帰りになると何だか寂しくなりました。「日課があって忙しいはずなのに、ゆったりしている。時間のたつのが早い。ということは、楽しいっていうことなんでしょうかね?」と感想をおっしゃっていました。道場では、日常とは違う時間が流れるのです。

   

  芙蓉記
 

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明日から摂心

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札幌支部 石狩道場 2020/9/18 16:39
 明日から、一週間の本格的禅の会、摂心会が始まります。今日は、藏燈さんに迎えに来ていただいて、食料品の買い出しに行ってきました。その際、藏燈さんが育てたお野菜をたくさんいただきました。

藏燈さんからの野菜

前典座長の嘯月さんは、摂心前に安いスーパーに行って、大量に仕入れておられましたが、私は車がないので、そんなことはできません。食料品のご喜捨はとても助かります。

芙蓉記

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この日本における臨済禅の流れの中で、北条時宗や上杉謙信等を皮切りにリーダーである武士達の多くが禅僧に師事し参禅し、日本独自のものである武士道を形成していったのは周知のことです。ここにおける武士達は当然僧侶ではなく在家者であり、その後武士以外の堺の商人であった利休なども禅僧に参じており、これらが日本における在家禅のはしりであったと考えて良いと思われます。

在家禅者とは、出家しない仏弟子・修行者のことであり、鎌倉時代以降の禅宗史では近年までの伝法の対象者から外れておりました。すなわち脱俗出家の僧侶がプロであるのに対して、在家禅者はあくまでもアマチュアの位置づけでした。

これに対して、明治8(1875)年に発足した両忘会の修行者は全て一般社会人であり、ここが在家禅の歴史的な始まりと言うべきであり、これが我々人間禅のルーツでもあります。

明治の傑僧の一人である楞伽窟(りょうがくつ)釈宗演老師の法嗣である両忘庵釈宗活老師はこれからの時代の潮流を考え、出家をしない在家禅者に初めて法を嗣がせしめたので
す。これは仏教史、禅宗史の特筆すべき快挙であり、宗教改革です。
 この在家禅者にして初めて嗣法者になった耕雲庵立田英山老師は、封建社会から民主主義社会へ変化した新しい社会における正法流通の在り方を、従来の僧堂のやり方を打破し、
古酒(伝法)を新しい革袋(在家禅)に注ぎ、科学と相反しない宗風を特徴とする人間禅を創設されたのです。―人づくり肚づくりと禅より
 
千葉 金風 記


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日曜座禅会と摂心準備

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札幌支部 石狩道場 2020/9/13 16:37
  つい最近まで真夏の暑さだったのに、急に寒くなりました。特に、今日は雨模様で肌寒く感じました。そんな中、藏燈さんの車に乗せていただいて道場に到着すると、雨が降りしきる中、耕尽庵老居士が草刈りに精を出されていました。道場の中では、真淡さんがトイレの掃除を、支部長が事務作業をされていました。昨日は、一山さんが隠寮の掃除、藏燈さんが草刈りされたということで、かなり綺麗になっていました。
  
 一炷香の座禅の後、今週末から始まる摂心の準備に取り掛かりました。支部長は事務作業の続き、他の男性陣は掃除の続きと外の作務、私は典座(台所)の食品の確認と掃除をしました。大体11時半ころには終了し、また、藏燈さんに乗せていただいて帰宅しました。
  
 コロナ禍ではありますが、消毒液を用意するなど気を付けておりますので、関心のある方は、ご参加いただければと思います。
 
  芙蓉記


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相見香(しょうけんこう)が供えられた室内にて新到は

老師に坐具を広げて三拝をする。

老師のご垂誡を低頭して聞き、掛塔の決意を新たにして、

老師のもとで参禅弁道に打ち込む事を契るのである。

これで師と弟子の関係が結ばれ、この関係は生涯通じて、

固く結ばれ続けるのであり、禅独特のものである。

 

これまで雲水出家僧の入門の様子を書いてきました。

入門までかなり厳しいものであることがわかります。

在家である吾人間禅はそこまで厳しい作法はありません。

しかし、参禅しようと志す方はそれなりの熱い志をもって

入門を願い出ることは出家、在家問わず重要なことであります。

 

9月19日(土)19時~9月26日(土)18時頃まで、

了々庵老師の御指導で1週間の摂心会(坐禅の集中修行期間)

が開催されます。会場は人間禅石狩道場です。

初心の方も大歓迎です。但し、初心の方は全日程参加は

精神的にも肉体的にも厳しいものがあり、仕事の都合に

合せ、部分的に参加されるようにした方が長続きします。

夜19時から老師の御提唱があるので、1週間これを

聞き続けるというのも一法です。
 
千葉 金風 記


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200回摂心会記念植樹風景

庭詰、旦過詰、知客相見を終え、正式に禅堂に入る儀式、
これを『新到参堂』という。

新到は前日に教えられた通り袈裟をつけて禅堂に入り、
聖僧(しょうそうー文殊菩薩)の前に坐具を広げて三拝する。
次に直日、侍者の前に低頭をして、侍者の「新到参堂」の

声とともに自分の単につく。

 
 
千葉 金風 記


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200回摂心会記念植樹風景
 

庭詰の二日間が終わり、旦過詰の七日の夜、やっと掛塔(かとう)が許され初めて

知客寮で相見ができるのである。

これを『知客相見』という。

古参の雲水に、あらかじめ教えてもらった作法によって恐る恐る知客寮の前に進み

低頭すると、明朝禅堂に入ることを許され、これからは道場の規矩(きく)を守り

専一に修行に励むよう言い渡される。

『知客相見』が終わっても、明朝の参堂を控え、気を抜くことは許されない。
 
千葉 金風 記

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大通公園にある黒田清隆像

庭詰が終わると旦過寮へ移る。

ここでは二便往来(便所)や食事以外は面壁(めんぺき)して、坐禅を続けなければ

ならい。これが「旦過詰」である。

旦過寮の障子は開け放たれたままで、決して姿勢を崩すことは許されない。

たまに、草取りに呼び出される時はほっとする一時である。(草取りさへ呼び出されない

僧堂もあります)

この一週間は、僧堂に入り修行を志す者にとって初めての正念場である。
 
千葉 金風 記


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雲水僧の入門―庭詰め

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札幌支部 石狩道場 2020/8/26 19:59

吾人間禅は出家ではなく、在家の修行者ですので、
   本当に禅の修行をしたいという方々に広く門戸が開かれて
  おります。

お坊さんの入門のしきたりについてちょっと触れてみたい
   と思います。

墨染めの衣に脚絆・足袋・草履履き、首から頭蛇袋と
   袈裟文庫、頭には網代笠をかぶり、独特の旅装束で山門を目指す。

薄暗い玄関の上り框に低頭し、大声で「タノーミーマーショー」
  と声をかける。すかさず「声が小さい」と声がかかる。
 さらに大声で声をかけると、「ドーレー」の
声と共に古参の雲水が現れる。
 その雲水に住所・授業寺・姓名を告げ、願書・履歴書・
誓約書を入れた
 封筒を差し出し掛塔(かとうー入門)を願う。

「当道場は只今満衆でございますれば、檀信とも多く、
貴公のような高貴な方が
ご修行して頂く所ではございません。
どうぞ、足元の明るい内にお引き取りください」
と断わられる。
薄暗い庫裡の玄関に置かれた「掛塔願書」を前に、後はひたすら低頭
して坐り続ける。

これが修行の第一関門、二日間の「庭詰」と言われる最初の試練である。

 
千葉 金風 記


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石狩道場で和太鼓タヲのメンバーの方々が練習しております。

 

知るというのは知の世界の話で、得るというのは慧の世界の話です。

知るというのは得るまでの準備に過ぎません。得なければ実際には役に立ちません。

禅では疑問をもって真っ向に振りかざすのを本領としておりますから、単に信ずるとい

う程度では許されません。

その行とは如何?水の性を追い求めるのではなく、これを静めて、その本来の相―すがた

ーを把握するのです。即ち、坐禅を組んで、公案の工夫三昧に入るのです。

公案とは公府の案牘(あんどく)から出て来た言葉です。要するに私的なものではない、

宇宙の大生命(命体)とか、大自然の真相(性相)とか、天地の公道(道用)とかいった

ようなものにつながる大問題・大疑団を公案というのです。

 大悟徹底した先覚者が、その通身是れ道 全身是れ法という境涯から、無造作に運びい

だした行為や言葉が後世 公案となって残っているのです。
 
千葉 金風 記

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