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札幌支部 石狩座禅道場



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ブログ - 最新エントリー

先般も御連絡申し上げましたが、来る1月30日土曜日拓北・あいの里地区
センター(JR あいの里教育大駅すぐ隣、TEL778-000)で午前9時から
静坐会を開催します。
参加費は300円です。
午前9時から30分~45分静坐(初心の方がおいでになった時は30分) 
5分休憩、更に30分~45分静坐
終了後 茶話会 お茶、お菓子で自由に質疑応答
午前11時30分解散
必ずマスク着用お願いします。
初心の方大歓迎です。
来る者拒まず、去る者は追わずをモットーとしています。
ちょと覗きに来ましたという方も結構です。
来月2月13日―土―、2月27日―土―も同じ会場で静坐会開催します。
 
千葉 金風 記
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スッタニパータは仏典の中でもっとも古く、ブッダの思想なり、
当時の人々の生活をもっとも
よく伝えているものとされています。スッタは「経典」、
ニパータは「集成」という意味です。
当時の修行者たちは樹上岩上に坐し、洞窟で瞑想する簡素な生活していました。
「自己に固執する見解を打ち破って、世界を空なりと観ぜよ。
そうすれば死をわたることができるであろう。このように世界を観ずる人
は死王を見ることはない。」
ここに空という教えが出てきます。原語はSunya-シューニヤで空と
訳しました。
シューニヤとは万物は無常でいかなるものも固定的な永遠の実体を
持っていないということです。
実体はないのに、現にいろいろな姿があるではないか?
これを追求すると因縁の教えになります。
無数に多くの原因や条件が働いて、現に我々が見るとおりの世界が
出来上がり、我々の生存が成立してます。その理まで見通すのが空の教えです。
 
千葉 金風 記
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前回、旧約聖書コヘレトの言葉について言及しましたが、
キリスト者はどう考えているのでしょうか?
結論を言えば、もし、神がいないとがすれば、この世界は、この
人生はいっさいが空の空であり、すべてが虚しいということです。
神への畏敬があるから、生きる価値があるというのが聖書に流れる
一貫した考えです。
 
仏教もまた、この世が本質的に虚しいもので、永遠に確かなもの
は一切存在しないしないという点で共通してます。
 
キリスト教と仏教の決定的な違いは前者が神、天の御国、永遠の
霊的命、創造主、霊魂の不滅を説きます。
仏教では上座部仏教でも大乗仏教でも当然、神は想定しません。
また、自己存在の永遠性を否定する無我を説いていますから、霊魂の不滅も
説きません。
人間は大脳皮質が発達した、考える葦です。思考をせざるを得ない動物です。
思考はその人を誤らせたり、間違った方向に誘導します。それが知の限界です。
禅では特に坐禅をすることによって、知ではなく慧で世界を見ます。
慧とは何か?坐禅をして静坐すると、1分もたたないうち、頭に色んなことが
浮かびます。これは、坐禅をするから気付くことなのです。日頃の生活で如何に
様々な妄念に押しつぶされながら生きていることがわかります。
 
千葉 金風 記
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冒頭の句は伝道の書―旧約聖書コヘレトの言葉の最初の部分に

ある言葉です。ブロードウェイのミュージカル屋根の上のバイオリン弾き

で主人公が歌ってました。

コヘレトの言葉8章11節に次のような言葉があります。

“罪を犯し百度も悪事をはたらいている者が、なお、長生きしている。

神を畏れる人は、畏れるからこそ幸福になり、悪人は神を畏れないから、

長生きできず影のようなもので、決して幸福にはなれない。

この地上には空しいことが起こる。

善人でありながら悪人の業の報いを受ける者があり

悪人でありながら善人の業の報いを受ける者がある。

これまた空しいと、わたしは言う。“

コヘレトの言葉の空は仏教の空と似てることから、新旧約聖書の中でも異色の書

とされてきました。

両者の空はどう違うのでしょうか?

両者の空の意味は違います。

仏教の空はこの世のすべては「諸行無常」であり、移り変わりゆく。

伝道の書の空は、この世であれこれ試みたこと、体験したことは、すべて

空しかった。

西洋の世界(聖書)では宇宙で天使の長ルシファーから罪が始まり、人類の

父祖に罪を起こさせ、創造主と被造物である人類の関係が損なわれたので、

その関係を修復するために、神ご自身がご自身の命を持って贖われた、それが十字架

という教え。

これに対して、仏教ではゴータマ・シダールタは天を、神を「絶対者」を見て語って

いるではありません。「諸行無常」とは目の前の世界は常に移り行くものであり、この

世の中に絶対的な確かさを有するものは存在しない。だから、確かなものでない自分に
執着し、しがみついてはならないということです。
このような中、我々が出来ることは何でしょうか?
朝、10分でも、15分でも坐禅を組んでみることです。
細くとも長く続けていると、我々はいかに色んな思いが去来して
それに振り回されているか実感できる筈です。
そこに気付けば、もうシメタものです。
 
千葉 金風 記


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北海道、札幌市の集中対策期間中、並びに首都圏、栃木、岐阜、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡の各府県に緊急事態宣言下ではありますが、あいの里静坐会は予定通り、1月16日(土)、1月30日(土)各々午前9時より静坐会を予定通り、開催します。
コロナ感染防止の為、マスク着用をお願い致します。
フェイスシールド着用いただいても結構です。
場所:拓北・あいの里地区センター;北区あいの里1条6丁目1-1 一階和室
 あいの里教育大駅のすぐ隣です。
   TEL011-778-8000
   金風携帯090-7654-0891
   不明な点があれば、上記金風携帯までご照会してください。
   また、いかなる質問でも申し受けます。
   初歩的なご質問でも結構です。
   ちょっと覗いてみようかなという方も結構です。
千葉 金風 記
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ここに磨甎庵白田劫石老師の名著「磨甎」に次の様な至言がある。

K、ヤスパースの哲学入門の第4講に「神の思想」についての一文がある。

ヨーロッパにおける神の思想には二つの源泉、即ち聖書とギリシア哲学がある。

聖書の神について、旧約エレミヤ書が引用されて次のように述べられている。

「エレミヤが、自分が永い生涯かけて築いたものが全て滅び去り、彼の国と民とが失われたのを見た時、そしてエジプトにおける彼の民として最後に残った者達さえも、もはやエホバを信じなくなり、エジプトの女神イーシスに信を捧げたとき、彼の弟子バルクが絶望のあまり、どうしていいか分からなくなった時、エレミヤは弟子バルクに向かって次のようなエホバの神の言葉を伝える。

中略

「エレミヤよ、お前はバルクにかく語れ。

エホバは言い給う。視よ、われ建てし所のものを毀ち、われ植えし所のものを抜かん。

お前は己のために大いなるものを求めるのか。己のために大いなるものを求めてはならぬ。」

人間は、多くは神を自分の安寧や幸福のために求め、信ずる。

人間は、自分の苦しみのどん底に投げ出されたとき、耐え難い不運に出逢ってどうしようもなくなったとき、神に祈る。

しかし、このような神は、結局己れのために己れによって造られた偶像の神であった、真の神ではない。

つまり地上において押し寄せてくる苦難や不幸の中で、自分というものが全て崩れるという根源的挫折が体験されたとき、いかなるものも打ち崩すことが出来ない信だけが残る。人間における純一のまことである。

だからそれは自分の中にありながら、自分を超えるものであり、世界の中のもののためでなく、全てのために先立つ超越者と不二なのである。

己れが死に切っていないと出来ないものである。

それは、坐禅を通じてではないが、一種の見性体験を暗示しているように見える。

禅の修行を一種の心理的な安心と考えている人達に対しては晴天の霹靂であ
ろう。キリスト教が迷信的要素を脱落して世界宗教たり得たのは、このような信仰体験に信仰が裏付けられているためと思われる。
 
千葉 金風 記

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佐々木閑氏の略歴は京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業後、
同大学大学院文学研究科博士課程を経てカルフォルニア大学バークレー校留学、花園大学教授。
戸塚氏は朝日新聞夕刊連載の佐々木閑氏の日々是修行というエッセイを楽しみにしていました。思わぬことで佐々木氏と面談の機会を得ることになりました。
戸塚氏の質問

    最近宗教に関心を持ったのは、没後10年を迎えるカルカッタの聖者マザーテレサが神の実在(彼女にとっては神の子イエスの実在)を死ぬまで信じていなかったという報道にショックを受け、いったい宗教、また、信仰とはいかなるものか、興味をもったこと。

    先生のエッセイや著書(犀の角たち)を拝読すると、古代仏教には神という考え自体欠落しているのではないか。

    キリスト教、イスラム教や日本の神道には世界の開闢を記述する哲学的な記述があるが

仏教では、キリスト教の創世記のような壮大な物語は聞いたことがない、なぜか

    仏教の来世、または永遠に続く輪廻転生の存在、そこからの解脱とは何か
佐々木氏の話

    カルカッタの聖者マザーテレサが神の実在を信じていなかったのは知らなかった。

    釈迦の開いた古代仏教は、あくまでも個人が瞑想修行によって人生の苦悩(老・病・死

)を克服し確かな安らぎの道を見つけることにある。

    釈迦の死後500年に亘って優れた仏教者が輩出し、仏教においても壮大な哲学が編み出された。それを倶舎論(くしゃろん)という。その中に宇宙論もある。

    仏教の哲学では、宇宙は永遠の過去から永遠の未来に向かって進んでいく。

つまり生き物は苦悩(老・病・死)を背負って永遠に生き続けなければならない。

仏教は瞑想修行により、その永遠の輪廻を断ち切って苦悩からの解放(解脱)を目指す。

解放された先にあるのは、時間も空間も存在しない完全な「無」である。無は大乗仏教の空とは全く異なる。

仏教は因果律によって世界を理解する。世の中の出来事は「神」からのトップダウンではなく、原因に基づいた法則によって起きている。

 
 
千葉 金風 記

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古城さんの俳句

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ブログ
執筆 : 
札幌支部 石狩道場 2021/1/3 15:04

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
新しい年が始まって、3日経ちました。皆様、いかがお過ごしですか?

 

今年は、コロナ禍でいつもの年とは違うお正月を過ごされた方も多かったのではないかと思います。札幌支部も例年は成人の日頃に「新年互例会」が開催されるのですが、今年は感染拡大防止のため中止となりました。通常、互例会は午前9時に支部員が集まってまず座禅、その後作務、11時より老師の垂示・茶礼、12時過ぎより昼食懇親会&俳句会という流れで行われます。俳句は前もって兼題等を支部員にお知らせし、5日頃を締め切りとして一人3句、提出してもらっています。様々な理由で最近道場に来るのが難しくなった方々には、中止の連絡していなかったのですが、そんな中のお一人、病気のため道場には来れなくなった古城さんから、俳句が郵送されてきました。

 

受け取った時、古城さんにも中止を知らせておけばよかったと思ったのですが、古城さんから連絡をいただけたのだから、かえって知らせなくてよかったかも、と思い直しました。俳句の欄外にかかれたメッセージから、身体は元気ではないかもしれなけれど、心は元気に、という様子が伝わってきました。

 

古城さんからの俳句を紹介します。

・インコ逃げ 一際侘し(ひときわわびし) 寒の月

・吹雪止み 童(わらべ)の歓声 亦(また)新た

・透析で 晦日元旦(みそかがんたん) まるで無し

 

    芙蓉記
 

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更に彼女自身の記述として

The smile is mask or a cloak that 
covers everything. I spoke as if my 
very heart wasin love with God
tender,personal love. 
If you were (there),you would have said,

“What hypocrisy”

微笑みは仮面、すべてを隠すコートです。私の心は神への愛の下にあると言ってきました。しかし、あなたがそこにいらっしゃたなら、「なんという偽善なんだ」と言ったことでしょう。

What do I labour for? If there be
 no God―there can be no soul.

If there is no soul then Jeses-You also are not true.

私は何の為に働いているのでしょう。もし、神が実在しないのなら、霊魂もない。もし霊魂がないなら、キリストよ あなた様も本当はいなかったのでは。

マザーテレサはミッションを始めた直後から死ぬまで「神がそばにいない」という懐疑の念を持ち続けていた。

彼女の信仰の原点はキリストが十字架上で叫んだ言葉“My God,My God, why have you forsaken me?” 「おお 神よ、なぜあなたは私を見捨て賜うのか」にあるという記事をみるとスケールの違いはあれ、マザーテレサも同じ困難に直面し続けた。

その中にあって40年以上に亘ってミッションを継続してきた彼女の強固な精神に深い敬意を払わざるを得ません。
 
千葉 金風 記


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戸塚氏は物理科学者で骨の髄まで無神論者です。
宗教に興味を持ったのはマザーテレサがキリストの声(Come Be My Light)の導きによって始めた貧者救済活動に携わりつつも、神への信仰に深刻な疑問を持っていたというCNN.comの記事を見てからでした。そして、その苦悩は彼女の死によってようやく解放されたというものです。
そのことを書いた2007年8月25日付ブログの要旨
昨日8月24日CNN.comの記事を読んでショックを受けました。よく知られているように、マケドニア生れのマザーテレサはスラムの聖者と呼ばれ、1948年以来40年以上に亘ってインド・コルカタで貧者や病人救済の為の活動を行っていました。1979年ノーベル平和賞を受賞、1997年に亡くなくなりました。
1946年、彼女はキリストの声に導かれてコルカタでの貧者救済のミッションを始めた、神への深い信仰が40年以上に亘る貧者救済の困難なミッションを彼女に継続させた、というのが大方の理解だと思います。記事の一部を引用します。
one of the great human icons of the past 100years,whose remarkable deeds seemed 
inextricably connected to her closeness to God and was routinely observed in silent and seemingly peaceful prayer by associates as well as the television camera,was living out a very different spiritual reality ,an arid landscape from which the deity 
had disappeared.

マザーテレサは過去100年で最も偉大な聖者(の一人)と言われ、彼女の驚嘆すべき行為は神へ近づこうとする信仰に支えられ、いつも心静かに祈っている(と周りからもマスコミ報道でもそう思われていた)人物である。しかし、神が消え去ってしまった砂漠のような光景の中に埋もれて生きて孤独な人物、という一面が浮き上がってきた。
戸塚氏が所謂宗教に興味を持ったきっかけ(2)に続く
千葉 金風 記

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