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石狩座禅道場



〒061-3245
石狩市生振六線南2号
(いしかりしおやふる6の2)

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札幌雪祭りに向け、懸命に雪像作成中 大通公園より

時に天保11年(1840年)9月8日重陽の前日で、禅師24歳、生別斎(しょうべつさい)を設け、親族、門人を呼び集めて愛用の書籍、硯、筆等を皆に贈り、かつ、妻子を父母に預けて、皆の前に生別の詩を唱えました。

孔聖釈尊非別人  孔聖 釈尊 別人に非ず

彼謂見性此謂仁  彼は見性といい、此は仁という

脱塵休怪吾麤放  脱塵怪しむことを休めよ 吾が麤放を

箇浩然一片真  箇の浩然の一片の真を行ぜん

そして、若い妻にも一紙(離縁状)を与えました。

我と汝と譬へば繊を以って 土遇人(つちにんぎょう)を繋ぐが如し

今絲断たれて我は山に入る。穢土厭離 帖 件(くだん)の如し

九華真人 一円相を花押とす

阿麻氏

九華真人とは道家思想で悟りを得た仙人の意味であります。

これが当時の今から280年前、約300年前の禅師の人生観であり、当時の封建時代における日本人の一部の人生観を反映しています。

現代から見れば、とんでもない男ということになるでありましょう。女性を物としてしか扱っていない。セクハラ モラハラ 散々女を食い物にして家事でこき使って捨てた等々 ♯ハーシュタグme tooでSNS発信すれば、即、炎上ものであります。現代では最低男で非常識で惨憺たる評価の男であります。だから、現代では御伽話であります。
鬼大拙 に続く
千葉 金風記

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令和2年1月12日新年互礼会では下記写真のような禅の初祖達磨大師の頂相を掲げることになっています。この頂相は両忘庵釈宗活老師の書かれたものです。
賛は 一葦(いちい) 江(こう)を過ぐ 当門 歯(し)無し
何ぞ 家私(かし)を尊ぶ 単伝直指(たんでんじきし)

偶々 尾州(尾張の国)の人で宗斧(そうふ)上座という人が浪華を過ぎて福島郷の円通庵という宿に宿泊していました。その宿のご主人が旅人に対する四方山話に禅師のことを伝えました。

宗斧(そうふ)上座曰く「近国―浪華京都含めて静岡位までーで名師を求めれば、八幡(静岡八幡円通寺)に海山和尚(卓州下)がおられます。また、相国(京都相国寺)に大拙和尚(隠山下)がおられます。海山和尚は御歳で恐らくは禅師のような剛の者の説得するのは適わないでしょう。大拙和尚は峻嶮で鬼大拙と呼ばれております。」

その事、奇しくも、父も亦、宿の主人を尋ねておりました。その言葉を聞いて、倉皇として、あわてて家に帰り、禅師に伝えました。

 

そして、禅師はその場で言いました。

「父母には不孝(孝行できません)ですが、道の為に命を捨てたいと思います。鬼大拙という名匠がおられて、その方の居場所までわかっています。今すぐ用意して京都にいる名師のもとに馳せ参じます。」

父母は禅師の志が尋常に非ざるを知っていましたので、禅師のいう通り認めたいと思いましたが、親戚が許しません。いつの時代もそうであります。外野席、親戚が五月蠅いものであります。

 

 親族が続々集まってきて、衆議紛紛交々来たって、禅師の志を阻もうとします。

現代であればさしずめこう言ったでありましょう。これは勿論小生の創作でありますが。

「年老いた父母を捨てていくのですか?この親不孝者め、そもそも、儒学では親不孝はもっての外と説いているではありませんか。若い妻を貰ったばかりで可哀そうに この若い妻に何の罪、咎、過ちがあったのですか? その方を離縁してまで出家するなどというのは人間のやることではありません。儒学でも仁を説いているのではないですか」等々

 

禅師は敢えて動じないで、竟に、自分で決断し、出家しました。
 
ついに出家決意 に続く
千葉 金風記

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本題に入る前に本ホームページの老師紹介欄に令和2年1月12日新年互礼会にて述べらた 了々庵老師の新年の御垂示が掲載されております。どうぞ御高覧ください。

同日行われた新年茶会で隠寮茶室の軸 両忘庵釈宗活老師 初夢 一富士二鷹三茄子
 

禅門僧侶の道へ

中之島には諸藩の藩邸が多く、塾で聴聞する弟子は常に30名以上と盛況を極めていました。昼は講義、夜は読書という生活で5年が経過していました。

一日孟子を講義していて、浩然の章に至って、ついに大声で「孟子は浩然を説き、我は浩然を行う」と叫んで、聴聞していた門人は皆 驚異(きょうい)驚き眼を刮目しました。

この頃より脱俗出家の志を抱いたと言います。

父母は大変心配して、嫁でも貰えば、脱俗の志も和らぐと考え、田中氏の女(娘)を妻とさせました。

しかし、禅師の志は愈々堅く動かないものになっていきました。頻りに名師を慕い、鬱々として楽しむ気配はありません。

父は禅師の根気に負けて、禅門の書籍、禅門宝訓を与えて読ませた。父は禅師が(*)達観(たつかんえい)の語を見て鋭意勃然(えいいぼつぜん)として脱俗の志が面に現れたのを見て、これは逆効果か?寝ていた子をまた、起こしてしまったと後悔しました。唯々時の過ぎるのを待つしかない、時が禅師の脱俗の志を和らげてくれるでありましょうと。

 

(*)五祖下の仏眼清遠が文字語言に泥(なじ)むべからずと戒め、昔 達観頴が

石門聰に初めて見えし時、弁を振るったところ、聰曰く

「子之所説乃ち紙上の語 子の説く所はすなわち紙上の語

其心精緻    其の心の精緻のごときは

未覩其奥     即ち未だその奥を覩(み)ず

当求妙悟      まさに妙悟を求むべし」と

 

この意とするところは、心の趣の精緻窮まりは、結局、紙の上に書いた理屈道理で到底及ばない。心の奥は実体験で妙なる得心がいかねばならぬということであります。

 

禅師、ある時 俄かに頭痛を病み、刀を以って胸を劈(さ)くように痛い。

日光を見る事が出来ません。白昼 戸を鎖して泣き臥すのみでありました。

数日この状態が続き、治癒する見通しがありません。

 

父が非常に心配して相者(人相見)に見せてところ、相者曰く

「凡そ 大を為すある人は 必ず 換骨の病あり 是 吉兆なり」と
続僧侶の道へ に続く
千葉 金風記

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隠寮(老師のお部屋)より雪の庭を写す
花をのみまつらん人に山里の ゆき間の草の春をみせばや 藤原家隆
 

今北洪川禅師の生い立ち

禅師は文化13年(1816年)7月10日摂州福島郷(現在の大阪府北部)の生まれ。字名(あざな)は洪川、諱(いみな)は宗温。父は今北善蔵忠久、今北氏20代目当主、儒者で確乎斎と号しておりました。今北氏は清和天皇を祖として東西南北の4氏に分れ、その北氏の中でも今北氏はその中でももっとも高い家柄だったと言います。

 母は江野村菊田氏の女(むすめ)瑠宇(るう)、瑠宇に男子三人あり、禅師はその第三目の男子であります。

 父は七歳で漢文の素読を授け、二年で四書五経を了(そらん)ずとありますから、即ち学び終わったということであります。父は九歳で更に福島仙桂について学ばせます。年十三までに秦漢以上の書、大抵の書を読み終わり、未だ周儀二礼を読まざるのみとありますから、中国古典の書を大半読み終わったことになります。

 僅か九歳で四書五経を読破して、よくその内容を理解したというのは、現代から見れば

驚くべきことでありますが、明治以前の江戸時代は幼時から塾や寺子屋などで漢籍の素読

などを学ぶのはごく普通のことでありました。

 年十四で藤沢東畡(とうがい)―荻生徂徠学派―に謁し、東畡は白文の徂徠集を出して読ませたところ難なく読んで、東畡は驚き、寧馨児(ねいけいじー晋唐時代の俗語でこのように優れた児という意味)、素晴らしい子供であると感嘆して言いました。

 藤沢東畡の塾にあること五年、儒学を学びながら、篠崎小竹、広瀬旭荘という宋学の門にも往来しました。然しながら、皆、禅師の意に適わず、納得がいかず、十九歳で自ら折衷学を唱えて大阪中之島に塾を開業しました。
千葉 金風記

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新年互例会

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札幌支部 石狩道場 2020/1/12 16:07
 本日、石狩道場にて新年互例会が開催されました。
9時集合、15分~座禅。10時~諸準備。
11時から、了々庵老師のご垂示・茶礼がありました。
茶礼後、皆で集合写真を撮りました。

 
その後、最近お茶を習い始めた藏燈さんのお点前によるお茶を、
隠寮でいただきました。これからは、時々、本格的お茶が味わえそうです。

 
お茶の後は、新年恒例の昼食懇親句会。

耕尽庵老居士の挨拶による乾杯。
 
どれもいい句で、選ぶのに困りました。
 
芙蓉記
 
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先ず、本題に入る前に1月12日(日)石狩道場(石狩市生振6線南2号、TELFAX0133-64-9045)にて新年互礼会が開催されます。
午前9時集合、9時15分静坐、午前11時了々庵老師の新年御垂示、1130分隠寮にて新年茶会、12時30分新年句会兼昼食会の行事となっております。
近隣の方々、初心の方々のご参加も歓迎します。是非、足をお運びください。
さて、本題に入ります。


1月7日早暁、ふと目が覚めて、外を眺めると美しい月

世界的の禅者鈴木大拙氏と今北洪川禅師

鈴木大拙氏が洪川禅師にお目にかかったのは、大拙20歳の時で、洪川禅師は大拙氏相見(以降敬称略)のその翌年なくなっておられますので、約1年の子弟の関係でありましたが、決定的な影響を受け、また、終生尊敬の念を抱いておりました。その時の思い出の一つに次のような話があります。

大拙が朝の参禅に入室した時、老師は隠寮の妙香池に臨んでいる縁側の粗末な机に向かわれ、簡素な椅子に腰かけて、今や朝餉をおあがりになるところであった。自ら土鍋のお粥をよそって、お椀に移し、何か香のものでもあったか、それは覚えていない。そして、いかにも無造作に、その机の向こう側にあった椅子を指して、これに坐れと言われた。その時の問答は今全く記憶にないが、ただ、老師の風貌のいかにも飾り気なく、いかにも誠実そのもののようなのが、深く、我が心に銘じられたのである。この時代は参禅の時間が決まっていず、老師はいつでも入室してよいとしていました。参禅に必要な喚鐘台は肩付けられることなく、いつもあったのでありました。

大拙は、今北洪川という本の序で「老師の如き型の禅僧は、日本ではもはや過去のものとなった。固より止むを得ない事実であろうが、なんだか物寂しいような気がしてならぬ」と述べておられます。

洪川禅師が亡くなられたのは明治25年1月16日、大拙が今北洪川という著作を書き上げたのが1944年(昭和19年)でありますから、洪川禅師没後75年が経過しており、老師の如き禅僧はもう過去のものとなったと大拙はいうのであります。
千葉 金風記

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初めに

今北洪川禅師は皆様御存知の方が多いと思いますが、吾人間禅初代総裁耕雲庵立田英山老大師の法の上から曽祖父に当たる方であります。

即ち 蒼龍窟(そうりゅうくつ)今北洪川老師、楞枷窟(りょうがくつ)釈宗演老師、両忘庵釈宗活老師、そして 耕雲庵立田英山老師であります。

何故、演題を御伽噺(おとぎばなし)としたかでありますが、今北洪川禅師の猛烈な修行振りは現代の世相という観点から見れば到底考えられない程厳しく、俗に今流に言うと優越的地位に於けるパワハラとも取られ兼ねません。あるいは、何故、そこまでしてついていくのですか?と反問し、きっと、師匠に宗教的洗脳でもされているのだろうとか巷間ーちまたーでは噂をするのでありましょう。とても普通の人々は理解し難いことありまして、ましてや、坐禅をする我々にとっても、ある種の憧憬はあるものの、とても真似の出来るものではありません。将に、現代にとってはもう御伽噺(おとぎばなし)としてお話するのがもっとも適当と判断したからであります。

幼少の頃、祖父や祖母に聞いた御伽噺は大変懐かしく、まるで、別世界の夢の出来事として眼を輝かせて聞いたものでした。

今北洪川禅師が生きた1800年代の主な出来事を列挙しますと、天保の大飢饉があります。1833年(天保4年)に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した大飢饉であります。禅師の御歳に当てはめると17歳から21歳の時期にあたります。江戸幕府の将軍は12代家斉、13代家慶の時代で、大風雨、洪水が連発して、さらには冷害に見舞われました。東北地方が壊滅的な打撃を受けました。収穫した米は大阪や江戸に回送されるシステムとなっており、東北、関東では餓死者が累々といった有様でした。農村の荒廃は甚だしく、各地で米価が高騰し、一揆、打ち壊しは頻発しました。1837年(天保8年)には大塩平八郎の乱が起きます。1833年から5年間の人口減少は125万2000人に上りました。当時の日本の人口は30百万人ですから、甚大な被害ということが言えます。

徳川幕府による平和―パクストクガワーナは崩れ始めるのであります。

また、世界 特にヨーロッパに眼を向ければ、産業革命を成し遂げた大英帝国は七つの海を支配し、巨大な世界帝国―パクスブリタニカとして君臨しておりました。特に、中国清との間で阿片戦争を引き起こしている頃であります。

 ここで余談ですが、パクストクガワーナという言葉は、如々庵芳賀洞然老師の御長男芳賀徹先生の造語であります。芳賀徹先生はこの造語の意味を次のように解説しておられます。パクストクガワーナとは、古代ローマのパクスロマーナ(初代皇帝アウグストウスから5代の平和安定の治世二百年)、19世紀の英国のパクスブリタニカとかになぞらえて、徳川幕藩体制によって維持された国内、対外両面の完全平和を指しています。

ローマの平和、ブリテンの平和にも勝るとも劣らぬこの「徳川の平和」の長期安定と豊穣

さは、この間に来訪したケンペルからオールコックにいたる全ての外国人観察者が賞賛

し、証言するところであります。
千葉 金風記

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このお話は仁徳庵風操老師がかって禅誌に執筆されております。

ジルは女性の脳科学者、神経解剖学者で、彼女の場合、37歳の時、先天性の脳静脈奇形があり、血圧に耐えかねた静脈が破れ、大量の血液が大脳左半球にどっと吐き出され、左脳の広範囲が障害されました。

しかし、おかしなことにジルの心はこみ上げて来るような平和な感覚に満ちていたのでした。ジルは大変なことになったと自覚しますが、また、同時に脳科学者として「今日まで脳の機能が失われていく状況を内側から見て研究した人はいない。私はその珍しい研究が出来る機会を与えられた。これは素晴らしいことだ」と感激します。

ジルのこの奇跡の脳は肉体と外界との境界がなくなり、自分の体が個体ではなくあたかも流動体になったかのようになり、至福の時間、幸福に満ち満ちた時間を味わったという記述が何回も繰り返し書かれています。ジルはこの状態を「ニルヴァーナ」即ち涅槃と呼んでいます。

ここからは仁徳庵風操老師の解説です。

人間の脳は左半球と右半球に分かれています。その間を脳梁というつなぎ役がつないで互いに助け合いながら人間の意識を作っております。

左脳は論理的思考型、右脳は直観型、左脳は分析的、感情的、仕事の心、考える心、右脳は

総合的、感覚的、休暇型遊び心、感じる心です。

一般的にごく大雑把に言うと、人間の脳の働きとしては左脳がリーダー的で、右脳はそれを補う役目をしております。左脳ではどうにも解決できない囲繞事態が生じた時は右脳がその閉鎖的局面を打開する役を務めるようです。右脳は直観的で過去も未来もありません。「今、ここ」しかありません。禅では「今、ここ、我」を大切にと教えますが、右脳は先天的に禅的なのであります。公案も同様に論理型の左脳の働きや世間一般の常識では全く歯が立ちません。右脳で働きでしか解けないようになっているのです。左脳得意の理屈の働きを抑えて、坐禅すれば右脳から自ずと解答が出てくる仕掛けになっているのです。
 
千葉 金風記

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毎年正月、石狩道場―石狩市生振6線南2号、TEL0133-64-9045-では新年互礼会が開催されています。
来年は1月12日(日)に開催されます。
当日の時間割は
午前9時集合
9時15分 坐禅
11時了々庵老師の年頭の御垂示
垂示終了後 隠寮―老師のお部屋―で新年茶会
12時30分 昼食会兼新年句会、兼題は悴(かじか)むまたは自由(新年に関するものでも可)となっております。
句会では賞品も用意しております。
石狩道場にこれまでいらしたことがある方の参加も歓迎します。
また、老若男女、坐禅初心者の方、いかなる信教も問わず、参加歓迎します。
 
参加費は300円です。昼食会にも参加される方は更に2,000円会費です。
 
兼題の悴(かじか)むですが、俳句歳時記によると
「寒気のため、手足、ことに手の指先などが感覚を失って自由にならないことをいう。
吹雪や厳寒のときなど、顔面の表情も悴んで、言葉も満足に話せない状態になることもある。指先・手足・体全体の状態から、人の心理までを表現しるのに使われる季語としてよい。」とあります。
悴める 手は憎しみに 震へをり 高浜虚子
かじかみて 脚抱き寝るか 毛もの等も 橋本多佳子
悴む手 をろがむごとく 土器渡す  鳥越憲三郎
 「をろがむごとく」は神を拝むようにという比喩
千葉 金風記
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北海道大学には昭和42年設立の坐禅サークル絶学会があります。
大学当局の公認のサークルであります。
設立50年以上になりますが、熱心に会を運営してくれた医学部学生が2年前に卒業し、その後、後継者難でこの2年間休止状態が続いておりました。
 
 2年前の絶学会の様子、静坐後の茶話会、左から3人目は仰月庵杉山呼龍老師
 
今年の10月からOさんという熱心な学生が中心となって、クラーク会館の坐禅会が復活しました。
12月26日にも坐禅会があり、蔵燈居士、芙蓉禅子、そして、私 金風も参加しました。
Oさんは起業家を目指している方で非常に活動的で、茶道部、華道部、邦楽研究会等他のサークルともコラボで企画を考えているようです。
Oさんの伝手で学生や社会人の参加も増え、茶室では手狭になり、もっと広い和室で行うことも検討しているようです。
今後の会の発展が楽しみです。
千葉 金風記
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