メインメニュー
秋葉座禅道場



〒956-0832
新潟市秋葉区秋葉3-14-7
TEL/FAX 0250-24-9724
お問い合わせは
このホームページ
からどうぞ。

お問い合わせはこちら




このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google
検索

ブログ - 最新エントリー

第181回摂心会・薫習

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/6/10 17:06

63()から人間禅新潟支部第181回摂心会がありました。

 

札幌支部芙蓉禅子に参加して頂きました。ありがとうございました。前回、体調不良でお休みしていた方々の参加もありました。

 

この期間は、老師様から公案を示され、その見解を呈する、禅問答ができる。最初は何のことか、まるで分らない「公案」でも、老師の部屋に通っていくと、最後には「なるほどなー」と思える答えにたどり着く。そしてそれは現実の世界に役立つ。

 

69()の懇親会は、上等な肉のすき焼き、枝豆、リンゴの入ったポテトサラダ、さっぱりした鳥の胸肉、漬物、バナナ、パイナップル、スパークリングワイン、ビール、日本酒、等、どれも量があり美味しかった。典座に感謝。歌は一人2~3曲歌いました。一番の歌詞は一人で歌い、二番の歌詞は全員で歌いました。盛り上がりました。10月の摂心会はカラオケに行く予定です。

 

薫習(くんじゅう)」という言葉があります。霧の中をあるいていると、知らない間に着物がしっとりとしてしまう。「すぐれた人に親しんでいると、気が付かないうちに自分もすぐれた人になれる」という教えがあります。いつも香を薫じていますと、いつの間にか、その部屋や敷物まで香りが染みついてしまうように、人間禅新潟支部の日曜静座会に通ったり、摂心会に参加していると、知らず知らずのうちに先輩方の背中に学び禅的生活が身に付いてくるといいと思っています。摂心会では、朝目が覚めたら顔を洗う前に禅堂を掃き清めます。家でも、場所を決めてやってみようと思います。

 

眞風老居士から皆さんに機関誌「越後路」の原稿を8月までに提出してくださいとメモを渡されました。  無弦記
 
 
 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (33)

リフレッシュ座禅会(5/29)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/5/30 0:14

 リフレッシュ座禅会もここ数回は参加者が6、7名と賑やかです。特に初めての方の参加もあり活気が出てきました。前々回くらいから、禅語の墨跡鑑賞もはじめました。新津の道場に所蔵する掛け軸を1本借りてクロスパルの和室の床の間に掛け、その意味を勉強して鑑賞しています。

 今日は如々庵老師の筆になる「独坐大雄峰」でした。独り大雄峰に坐す。9世紀頃の百丈懐海和尚の言葉です。禅の奥の院とはと問われて答えた言葉です。壮大な表現で特別な何かがありそうに思えますが、実は何気ない日常の中でいつでも正念に坐していること(余念なくその場面その場面に集中して生きること)それが禅の奥の院であるという意味だそうですが、ともかくも、坐禅習慣の人が増えればいいなと思います。

 もっと言えば家族や知人は元より外国人の人にも坐禅の仕方はこうだよと教えられるくらいの人がどんどん増えたらすごいだろうなと思います。それを目指して次もクロスパルで坐りたいと思います。(門)

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (25)

日曜座禅会・現代経営の 12

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/5/28 7:13

今日の道場です。清々しい初夏。

 

人間禅新潟支部、第181回摂心会が下記の要領で実施されます。奮ってのご参加をお待ちしています。
期日:62() 19時 結制 ~1週間

69() 昼 円了18時半円了懇親会

会場:秋葉禅道場(新潟市秋葉区秋葉3-14-7)

師家:了空庵 堀井無縄老師、講本/無門関

会費:参加費300/1日 寝具代300/1週 食費350/1

問合せ:HPからどうぞ。摂心会の詳細については当HPをご覧ください。

 

日曜座禅会は摂心会が近いので参加が多かった。皆さんと久しぶりにお会いできました。一炷香坐った後は摂心会の準備です。皆さんで手分けして、看板書き、布団干し、隠寮の掃除、お風呂掃除、香炉の灰を綺麗にする、典座の準備等。その後お菓子を食べながらのお茶会。老師様誕生日の葉書に寄せ書き。

 

堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より

第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。 無弦記

*****転載等はご遠慮ください。*****

 五 現代経営と禅

()これを得て以て商工耕作に従事せば

 また、江戸時代中期、駿河の国の大地主であった山梨了徹居士は、未だ白隠禅師に入門する前は「白隠の隻手の声を聞くよりは両手を打って商いをせよ」と、禅を揶揄していたが、ある時、フとしたことから人生に無常を感じ白隠禅師に入門、熱心に修行してからは、前句を大いに恥じて「白隠の隻手の声を聞いてから両手を打って商いをせよ」と改め、禅の修行と共に商人道を極めて世の為、人の為に働いたと云うことである。近頃の政治家にしても事業家や銀行経営者、経済評論家や経営コンサルタントにしても自らの人間形成を棚上げにして天下国家論じ済世救民を叫び、経営学を説き大言壮語している。「非力の菩薩ひとを救わんとして溺る」と煩悩妄想のかたまりで自らおも救えない者がどうして他を救うことが出来ようか。生き馬の目を抜くようなこの娑婆世界、自信をもって殺活自在の働きをするには、先ず、自利の修行に骨折り、ほんもの人間になることである。それには禅の正脈の師家の指導を受けて正しい人間形成をはかることである。(続く)

 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (32)

日曜座禅会・現代経営の 11

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/5/20 17:39

久しぶりに道場で坐りました。鳥の声が素晴らしく、とてもありがたい、贅沢な時間を過ごせました。はじめてお目にかかる人も、居られて嬉しくなりました。一炷香坐った後、隠寮で『風狂子一休』輪読会を行いました。龍徳居士お土産の八つ橋、支部長準備の美味しいお菓子とお茶をいただきながら、三十六 ()()寺 三十七 妙勝寺の再興 を支部長の解説付きの分かりやすい読み方で楽しく行いました。

大徳寺納豆、一休寺納豆の謂われ。龍徳居士から貨幣経済の普及、貨幣について詳しく話があり面白かった。その後、龍徳居士から、表具したての如々庵洞然老師の墨蹟「閑坐聴松風」「大道透長安」「三冬枯木花」「明歴々露堂々」などを見せて頂きました。人間禅創立七十周年記念品を頂き下山しました。

 

堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より

第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。 無弦記

*****転載等はご遠慮ください。*****

 五 現代経営と禅

()これを得て以て商工耕作に従事せば

 明治維新に多大の貢献をなし、剣の道では無刀流を開祖した剣道の達人、山岡鉄舟居士は、剣の道を究めるには禅の修行にあるとして、京都天竜寺の滴水和尚について修行に励み、「天地の間に一物なき無我の境」を体得し「剣禅一如」を我がものとし、更に20年骨折りして洞山五位の公案、「両刀(ほこさき)を交えて避くることを(もち)いず、好手還って火裡の蓮に同じ、宛然自ら冲天の気有り」を辛苦して透過し、無刀流を開眼、この心境が剣法の極意であると共に、人生を悔いなく生きる要諦であるとして、「我この呼吸を得て以て商工耕作に従事せば往くとして可ならざるはなし」と獅子吼されておられる。(続く)

 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (31)

現代経営のあるべきすがた 10

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/5/13 19:21
精一杯咲いている。
 
 自分が期待している事の不足分を嘆くより、与えられている事のすばらしさを味わうときに、すばらしい力があふれ出てくる。

かけがえのない自分。「トマトとメロンを比べても、イワシとタイを比べても、どちらもその命いっぱいに生きているから、そのままが素晴らしいんだ」今の自分を受け入れて、自分は自分でいいんだ。出来ることからやっていこう。
 

堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より
第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。 無弦記
*****転載等はご遠慮ください。*****
 五 現代経営と禅
()自利利他円満
 自分がそれを得て安心が得られた幸せを人にも分かちたいと云うのは人間の自然の人情である。自分がうまい御馳走を食べたら家族に食べさせたい、多くの人にも食べさせたいとするのが、自利利他円満の行である。経営においても、自分が智慧を磨き修練を積んで経営の任に当たることは「自利」であり、顧客の欲しいものを販売して顧客に喜ばれることは「利他」である。それによって販売が拡がり利益の出ることは「自利」で、その得た利益で次の商品開発をしたり、社員の福祉施設や、賞与として分配したり、顧客に感謝をこめてお裾分けすることは「利他」である。
 このように自利することは利他になり、利他することは自利となり、車の両輪のように相い伴うものである。この自利利他こそ経営の要諦であり、「企業向上発展の礎」である。
(続く)
 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (36)

現代経営のあるべきすがた 9

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/5/6 20:48
今日、植えられた稲の苗です。
自己、自分は、考えようによっては凄いものですね。
寝ていても息は止まらない、疲れが取れる。自分のこの体はなんとうまくできているのか、とてもありがたい。

「父母もその父母も吾が身なり 吾を敬せよ吾を愛せよ」と歌ったのは二宮尊徳先生です。この自己には永遠の祖先が息づいている。「仏道を習うとは、自己に習うなり」と言ったのは道元禅師です。「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて……当処即ち蓮華国 この身即ち仏なり」は白隠禅師。「神様どんな顔しているのかなと神棚を開けてみたら鏡があって自分の顔が見えた。」

苗も刻々と生長し秋には穂をつけます。大自然の一部の自分も刻々と成長してお役に立ちたいものです。
 
堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より
第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。 無弦記
*****転載等はご遠慮ください。*****
 五 現代経営と禅
()自利利他円満
経営者の中には少し調子がいいと自分だけの贅沢を考え、欲望を満たすことに専念し、それを充足することが成功者だとし、宗教心を持って経営にあたっている者は少ない。しかし、宗教がなければ、人類は殺伐たるものになり、繁栄のうちに滅亡するであろう。日本文化を作り上げてきた禅は「万古不易の真理」宇宙の大生命を体得する現代人にふさわしい生きた宗教である。坐禅によって三昧力を養い、煩悩妄想はもとより思慮分別、理屈道理を棚上げにして「父母未生以前」の世界に入り、真実の自己を徹見し、悟後の修行により更に錬磨を重ね、自由の境涯を得ることである。しかもそこへ停まることなく更に修行を重ね悟りや悟りの臭みを完全に抜け切り大悟徹底して自己人格の完成をはかることである。そして更にそこへ腰を据えることなく利他の行に打って出ることで、これを「自利利他円満」と云い「自覚、覚他、覚行円満」の大乗仏教の根本精神である。(続く)
**********
 
 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (29)

現代経営のあるべきすがた 8

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/4/29 20:45

道場のタンポポです。29()に支部総会があります。28()に前夜祭がありました。
 私は前夜祭だけの参加でした。宿泊して朝食の前に下山させていただきました。
 前夜祭は如々庵洞然老師の「洗心日々新」を掛けて行いました。皆さん歌も出て楽しいひと時でした。五月の連休に本部で歌う「明日があるさ」に替え歌で「明日はない」のフレーズを入れた方が禅的でいいのじゃない、とか盛り上がりました。本部へ行かれる方々ご苦労様です。ご健闘を祈ります。
 
 「洗心日々新」綺麗な心とはどんな心でしょう。逆境であろうと耐え忍んで不平不満を言わない強器の広心。慢心しない、相手を不愉快にしない、人喜ばる心。私に足らない所です。自分で自分の心の面倒を見よう。明るく、人に親切にする。さしあたる、その事のみをただ思え、過去は及ばず、未来知られず。今を一生懸命生きる。毎日坐禅をして三昧力をつける。
堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より
第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。 無弦記
 
*****転載等はご遠慮ください。*****
四 経営は人間味の豊かな人々の家庭である
()やる気を持続させる経営
 まず経営者自らが、仕事に真剣になることである。余りしゃべらんでも社員はその後姿を見て育つものである。社員の「個性、能力を把握し適材適所に配置」すること、目標は高く、新しい発想、創造力の生まれる環境をつくることである。「人物評価、処遇、報酬等は公正に」することであり、節目、節目で見直しすることである。報酬等の利益配分はできる限り大きく、やり甲斐ある職場をつくることである。経営理念を徹底し「顧客の喜びは自分の喜び、自分の喜びは顧客の喜び」とする企業をつくることである。社員が参画経営の使命感を持つ、夢とロマンのある魅力ある職場をつくることである。社則、内規は一年に一度は見直して、仕事は厳しく、仕事を離れたら人情細やかな温かい職場をつくることである。
******************

 
 
 
 
 
 

現代経営のあるべきすがた 7

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/4/22 17:16
いつでも、どこでも仏性そのもの、真実の自己として生きたいものです。そうなりたいと願い、気づいたことを書き、実践します。短所を矯める。長所も度を越せば短所になります、自己反省を心がけます。人のおかげ、物のおかげ、大自然のおかげで生かされています、恩返しの気持ちを忘れず、綺麗に生きたいものです。
 

堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より

第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。  無弦記

 

*****転載等はご遠慮下さい。*****

四 経営は人間味の豊かな人々の家庭である

()心の温もりある経営

自己の人格の尊厳と共に他の人格の尊厳を認め、「人間味の豊かな人づくり、仲のよい楽しい職場」をつくることである。

 社員が明るく挨拶のできる環境をつくることであり、規律を重んじ、整理、整頓、清潔、礼儀、作法のきちんと出来る職場をつくることである。「俺について来い」の時代ではなく、自分の立場よりひとの立場を考えてやれる「思いやり」のある経営、社員の悩みや心配を聞いてやれる職場、コミュニケーションが大事であり、アドバイスは内容よりタイミングを考えることである。社員がお互い切磋琢磨してレベルアップする社風をつくることで、弱い社員を引き上げてこそ組織は強くなるものである。叱る、ほめるは簡素に、跡を残さない叱り方をすることである。そして社長は社長らしく、あるべきように、社員は社員らしく、あるべきような職場をつくることである。(続く)

************************************

 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (23)

現代経営のあるべきすがた 6

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/4/15 16:13
梨の花です。私の住んでいる所は梨の産地で、この時期は気温を気にしながら人工交配作業を、人手を借りて大勢で行います。結実はこの作業如何にかかっています。
 
仕事をし果たす上で、一番の秘訣は、自分が現在なさなければならないとこ以外の事は、すべてこれを振り捨てると云う事、なすべきことに着手するということ。「一時一事」「一気呵成」「没頭」「三昧」。坐禅はよい練習になると思います。
 
NHKのガッテンで呼吸を取り上げていました。深い呼吸は体に良いと放送していました。坐禅の良さを確認しました。
 

堀井無縄老師  法話集『登茂志飛(ともしび)』より

第七話「現代経営のあるべきすがた」(平成12年執筆)を掲載させていただきます。無弦記

 

*********転載等はご遠慮下さい。*********

3  経営は信の構築である

(2)始末、才覚、算用、情報

「始末」とは、始めとおわり、計画的に物事をすすめて締めくくりすることであり、段取り、尻ぬぐいである。「段取り八分」と云ってこの段取りが綿密にできれば仕事は八分どおり出来たと同じだとの意である。

登山家のベテランは、晴れている日でも雨具を持ち、日帰り登山でも灯具や食糧を余分に持つと云うが、準備の段階で山登りは八分がた終わっているのである。

商いにしても、綿密な販売計画を立て、売り上げ、利益、回収等、「段取り、真剣、尻拭い」を繰り返すことであり、順調に進展している時も決して奢る(おご)ことなく、次の準備をすすめることである。計画以上の利益は社員に分配するのがよく、また顧客に感謝をこめてお裾分けをすることである。その分配したものはさらに大きい利益となって戻ってくるものであり、これは商いの原則である。

「才覚」とは、智慧を出し先手先手で商機をとらえることであり、工夫しアイデアを出し顧客の喜ぶ商品開発をすることである。仕事は無駄なく効率を考え生産性をあげることであり、常に業務改革、技術改革を怠らないことである。

「算用」とは、収支のバランス、ソロバンをはずさないことである。財務金融面のバランスをとり、適正在庫、回転率等、生産性の向上をはかることである。経常利益をあげ自己資本の充実をはかり、借金しない企業体質をつくることである。

「情報」は、正確な世界の情報、業界内外の情報を先取りし、分析、判断、決断で実行することである。経済は常に流動しており変化に対応できる柔軟な体質を作る事である。売れ筋は変化するものであって永久に売れ続けるものはない。売れている間に次の商品開発ベンチャーに取り組むことである。そしてスクラップとビルドで、人事・金融・顧客・仕入れ先の見直し、点検を怠らない事である。そして正確な情報を顧客にもすばやく伝達するサービス網を持ち、顧客本位の経営に徹することである。

「信」はこの「人材、始末、才覚、算用、情報」によって構築されるものである。  (続く)

******************

 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (26)

「見性」がスタート

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
niigata 2018/4/14 13:52

 禅の修行の最初の目標は真実の自己を見つけることです。「真実の自己」といっても決して不思議で秘密的なものではなく、自分が普段気づかないでいる本性(ほんしょう)を目で見るかのようにハッキリと自覚しようということです。それを見性(けんしょう)といっています。開悟とか得度とかともいいますが、それが禅の位置づけでは「まず」の段階、つまり修行の初一歩になります。そして、それに基づいてさらに修行を進めてその本性に磨きをかけていくこと、つまり実生活や実社会での対応力や感性を身につけることが次の段階で、開()()の修行すなわち「悟後(ごご)の修行」と呼ばれます。

 では、禅の修行でなぜ見性がスタートなのでしょうか。距離を測定するにしても話をするにしても基準がないと迷走して定まらないことを考えれば、見性が禅の修行の基準として重要であることが理解できます。それに、自分を磨くのに道具ばかり揃えても肝心の自分が分からないのでは磨くに磨けませんね。(門)

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (28)