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秋葉座禅道場



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ブログ - 最新エントリー

参禅会-その2

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ブログ
執筆 : 
niigata 2019/7/15 11:39
7日の朝、参禅の後にお茶会がありました。
圭芳さんがお道具、お抹茶、お花、お菓子、など色々準備してきてくださいました。
参加者は、仰月庵呼龍老師、智門支部長、澄空居士、圭芳禅子、無風居士、と私。
圭芳さんのお点前で無風さんが半東でした。
お茶とお菓子はとても美味しく、話が弾んで楽しい時間を過ごすことができました。
 
法話会、懇親会に四人のお客様が参加して下さったのは、
圭芳さんのお陰が相当あるのではないかと思って感謝しています。
 
懇親会で活躍した、回転する丸いテーブルは、智門支部長の手作りです。
素晴らしい出来でした、便利でした、お忙しい中ありがとうございます。
 
仰月庵呼龍老師は今回の法話会の中でも、成功するには「感謝、誠、三昧」があればよい、
とおっしゃったように記憶しています。
感謝は「ありがとう」三昧は「集中」だと。
 
誠は辞書に「うそ、偽りのない事。本当。偽りのない心。誠意。まごころ。」と書いてありました。
平澤 興先生(明治33年新潟県生まれ。元京大総長)の言葉に
「誠実というのは、愛情と努力といいかえてもいい。大きな仕事を成し遂げるのに最も必要なのは必ずしも才ではなく、むしろ多くの場合、物に対する愛情と努力です。ただ努力というと、ハチマキ式の堅苦しいことを思うが。楽しんでするのです。楽しんでやるというのはのん気に要領よくやるということではなくて、つねに変わらぬ心の緊張感を失わないという事です。真に偉大な人はこの無緊張の緊張を身につけ、むしろ働かずにはおれない人です。孔子も「知之者不如好之者。好之者不如楽之者」と言っています」。
があります。
 
「感謝、誠、三昧」は「ありがとう、愛情と努力、集中」に言い換えるとわかりやすいかもしれない。
                                 無弦記
 
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「応援しています」

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執筆 : 
niigata 2019/7/13 13:33
先日のブログを見ると、第一回参禅会は新しい老師をお迎えし、皆さん大いにがんばったようですね。私も病床で参禅をしているつもりで、皆さんの活躍を応援しております。(涼)
 
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第一回参禅会

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niigata 2019/7/8 21:54
1回参禅会が令和元年76()7()の日程で厳修されました。

仰月庵呼龍老師は前日に入山されました。
 
6
日、私は仕事の都合で講本下読からの参加となりました。
提唱は『禅海一瀾抄』第四則「克己復礼」
前の三則は『大学』『中庸』『孟子』から掲出された。
本則は『論語』からとったのであるから、これで四書から選出されたことになる。
今日は禅家でいう「大死一番絶後に再蘇する」を強く説くために、克己復礼をひきあいにだした。
               
               
                
    
  
  
  

「孔門は己に勝って仁を得、禅門は己を殺して仁を得」。
 
7
日、法話会にお客様が4人来て下さるとの事で、
私と守琮さんとで玄関周りの草取り作務をしました。
 
法話会は「禅とは何か…十牛図を通して」
1禅は大乗仏教であること。
2、禅は人間の苦しみを開放する。
3、どのような段階を踏むか。…十牛図

1撥草尋牛2権為見跡3従声見牛4得牛加鞭5牧牛純和

6帰牛帰家7忘牛存人8人牛俱忘9返本還元10入店垂手
4
、修行の前提となるもの…まこと

中庸に「誠は天の道それを誠にするは人の道」
5
、道眼と道力

真理を見る眼と真理を行ずる力。

人間禅は参禅で道眼は強いが、坐禅の時間が少なく道力が弱い。
6
、数息観点数表
  数息観の見える化。数息観評点基準(以前のブログ書きました。2018104日に前半114日に後半)
に従って明日から今度の摂心会94日までの点数を書いてくるようにと宿題が出ました。
 
0
:その日数息観をせず。
30
:ちょっとした待ち時間、通勤途中の電車内などで、初期の数息観を実行した(数息の質は問わない)
40
:始業前、休息時間など、空いた時間に(椅子に座って)合計15分以上数息観をし、数息観初期の1から100までを実行した。
45
:半炷香(25分間)以上静坐し、数息観初期の1から100までを間違えずに数えられた。
50
: 一炷香静坐し、数息観初期の1から100までを間違えずに数えられた。
54
:数息観初期の1から100までを一炷香を通して間違えずに数えられた。(45分間では、100までを3から4回かぞえられる)
55
:数息観中期の「二念を継がず」を1~5までは何回か達成できた。

 
懇親会は、先輩禅子IさんTさんOさんとリフレッシュ座禅に参加されている俳句会のMさんの参加もあって、大変盛り上がりました。とくに老師様からの提案の「一分間本音トーク」では和気あいあいで、これからの新潟支部の盛り上がりを予感させるようでした。

無弦記
 
 
 

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「立腰」に同感

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niigata 2019/7/2 8:21

630日のブログ、「立腰」を見て、我が意を得たり、と思いました。森信三先生がどのような方か寡聞にして存じ上げませんが、「立腰で生活する、立腰は子供に伝える財産」と、良いことを教えていただきました。

ここで私の反省点を言いますと、正しい姿勢は客観的に見てもらわなければできないということです。

私は自分では良い姿勢のつもりでいましたが、ある時自分が撮られた写真を見る機会があって、その姿勢の悪さに愕然としてしまいました。

自分の映像を見るか、他の人に指摘されるか。そうでないと分かりません。

他人の姿勢を指摘するのは勇気がいるし、躊躇するものです。また、指摘すると却って気分を害される可能性があります。しかし、指摘してあげるのが本当の親切です。

指摘する人、その役目は座禅においては助香ですが、日常的にも近くにそのような人が居たら大いに感謝すべきです。        (涼)
 

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6月30日、立腰

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執筆 : 
niigata 2019/6/30 16:49
昨日から雨が降り続いています。
大雨洪水警報、雷強風波浪注意報が出ているようです。
 
9時から945分まで坐り、5分休憩入れて1015分まで坐りました。
家ではこんなに長く坐れません。
皆さんと坐れる道場はありがたい所です。
心と体がリフレッシュできるようです。
 
その後、参禅会の準備作務をしました。
圭芳さんは水屋で茶会の準備をされたようです。
春徳さんと眞風さんはホワイボードを組み立てられました。
澄空さんは典座の準備。
無風さんは隠寮の準備。
私は香炉の準備。
 
1050分からお茶とお菓子をいただきました。
圭芳さんお点前の抹茶もいただきました。
楽しいひと時でした。
 
坐禅姿勢
弊社の朝礼で斉唱する言葉の一つに「背筋を伸ばしてあごをひく、姿勢は気力の第一歩」という言葉があります。
森信三先生の言葉に「私の今日あるは立腰というのを貫いてきたおかげですよ。私は15の少年の頃ある静坐法を教わった。以来、90歳の今日まで、この立腰だけは一貫して続けてきた。要するに、朝おきてから夜ねるまでいつも腰骨を立てて曲げない、ということです。これは主体的になるための極秘伝であるばかりでなく、健康法という面からも第一です。この立腰を子供に伝えるだけでもたいした財産だと思います。生きる力がわいてくる。
肩の気張りがとれて、全身の力が臍下丹田に収まって、ドッシリと落ち着いた人間になれます。」があります。
坐禅の良いわけが、わかりやすく語られていると思います。
                                    無弦記
 
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『女性美は足裏から』

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niigata 2019/6/24 20:15

先日NHKテレビで「女性美は足裏から」という番組(題名は少し違っているかも知れません)を見ました。

その中で、新体操の選手の姿勢が出て「耳と肩と腰が一本の垂直線上にあることが美しさを作っている」との説明がありました。なんと、「耳と肩と対し、鼻と臍と対し(座禅儀)」という座禅の姿勢と同じではないですか。

立ち居振る舞いを座禅の姿勢で行えば、美しい生活ができるということです。

ところで、何日か前のこのブログで、坊さんが座禅をしている絵を見て、私はこれが座禅の正しい姿でないか、と書きました。

それ以降気にしていたことがあります。それはこの人の閉じている口元が自然で力がないことです。

私達は新人の頃、口元はシッペイ口(への字)にすべし、と教えられました。

シッペイ口か自然か、どちらが本当か。皆さんの座相を見たり永平寺で座っている映像を見てみると、シッペイ口ではありません。やはり、自然の口元が正解ではないか、と思っております。(涼)

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休養

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執筆 : 
niigata 2019/6/24 6:55

ちょっと考えると、坐禅は何もしない無駄な時間を作る事になります。
 
集中して座っている坐禅の姿を、「回っているコマ」に例えられます。
しっかり回っていればいるほどコマは止まって見えます。
それと同じで坐禅も止まっているように見えて、人が持っている本来の力が、フル回転しているのです。
情報を遮断して姿勢、呼吸、心を整えることが真の休養になるのではないでしょうか。
 
無駄が無駄ではないということです。
 
                                無弦記

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大死

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niigata 2019/6/16 18:03
仕事の都合で日曜静座会に今週と来週、
参加できません。
NHK
、「禅の知恵に学ぶ」
3回「一寸坐れば一寸の仏 坐禅」を見ました。
 
印象的なところは
 
…坐禅の「坐」は、「いながらにして」とも読みます。「禅」は「禅那」の略で、「心が落ち着いていること、静まっていること」といういみがあります。つまり、「坐禅」とはいつでもどこでも心が静まっている状態。…坐禅は「安楽の法門」と表現されるように、正しい「坐禅」そのものが身体と心が統一され、静まっているのです。
…これまで抱いていた知識や常識を捨てざるを得なくなった…なにもなくなった…この大死一番と表現れるところを経て、本来の自分の心、つまり仏性が現れてきます。そのために参禅をするのであって、公案はその手段にすぎません。
…線香が一寸(3センチ)燃える間でも坐戦すればブッダと同じ心になれるという意味。
…毎日5分間だけでも坐禅を実践してみてはいかがでしょうか。5分座れば5分なりの仏になれます。
…肝心なのは、毎日同じ時間に行う事です。時々しかやらないことは「行」ではありません。
 
以上
 
先週の『禅海一瀾』の中に「あたかも大死底の如し」がありました。…病によって死ぬのは少死、工夫三昧に入った境界を「大死」と言う。満身火の玉のかたまりのようになってしまったのが「大死」で、冷たく死んでしまうのとは違う。こうなってくれば、われ自身の身体も目に入らぬようになってしまって、いわゆる「身心脱落、脱落身心」…
 

    無弦記
 
 
 
 

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9日の日曜静座会

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執筆 : 
niigata 2019/6/14 23:47
 9日の日曜静座会は梅雨とは思えず晴れ晴れとした天候でした。ここの道場は秋葉山の中腹にあり本当に自然環境がよく遠くには蒼い五頭山が望め、近くには青田の新津の平野が広がり、しんとした禅堂には鳥のさえずりがひっきりなしに聞こえてきます。今が一番よい季節で文字通り心洗われるようでした。
 禅は普段の軽くはない仮面を外し、何の為とも何の意味がとも考えず、重要ではあるのですがひとまずそれらを棚に置いて素顔の自分になってみようという試みです。そう考えると秋葉の禅道場はまさにうってつけの環境に思えます。そして、今日はちゃんと素顔の自分の顔を洗えたかどうかと次回を期して下山するのです。(門)
 
 
 
 座禅会に料理の先生も来られているので、今日(9日)はこの自然環境の中で座禅をして精進料理を楽しむ会をやってはどうかという話をしました。実施の方向でまとまりましたので近々ご案内できるかと思います。調整中ですので暫時お待ちください……。(門)
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百萬典経 日下之燈

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執筆 : 
niigata 2019/6/9 19:03
百萬(ひゃくまん)(てん)(きょう) 日下之(にっかの)(とう)」は『禅海一瀾』の緒言にある言葉です。
この言葉はイエローハット創業者で掃除運動を広める日本を美しくする会相談役、『凡事徹底』著者の、鍵山秀三郎さんが講演の中で引用されて有名になりました。
「百万本の経典を読んで勉強しても、ただ頭の中に知識として持っているだけで活動しなければ、太陽の下のろうそくの火にすぎない。つまり、役に立たない。」意味で使われています。実践躬行の大切さを説いています。
『禅海一瀾』では「…勇気を奮って工夫三昧に入った。一夜定中に忽然として前後際断す。絶妙の佳境に入る。恰も大死底の如し。一切物我有ることを覚えず。…歓喜の余り、自ら手の之を舞い足の之を踏むを忘れ、即ち忙しく連叫して曰く、百万の典経、日下の燈、またはなはだ奇なり、またはなはだ奇なり。…久しぶりに孔子様に親しくお目にかかる事が出来た。…」とあります。
坐ることの大切さを教わりました。
 

無弦記
 

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