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人間禅 関西道場


関西道場

京都府八幡市橋本東原28
090-3927-1237(法燈)
080-2516-4415
(慶雲)

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関西ブログ - 最新エントリー

地図(京阪橋本駅~関西道場)

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関西支部 2019/7/9 15:15
橋本駅~関西道場

関西道場周辺拡大図

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土曜静坐会報告(6月29日)

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関西支部 2019/6/30 14:58

日時:6月29日 19:00~ 静坐

 1炷香目: 19:00~19:45 静座

  出席者:法燈、慶雲、随心、絶学、泰仁、M居士、K居士、明眼以上8人

 2炷香目: 19:50~20:35
出席者:法燈、絶学、泰仁、M居士、K居士、明眼、以上6人

役位 聖侍:M居士  助警:法燈  直日:明眼

懇親会: 20:35~21:30

 

 静坐会の前にお茶の稽古会があり、弾んだ声が庭まで聞こえていました。お茶の稽古に出席された皆さんもそのまま静坐会に参加され、活気ある静坐会になりました。残念だったのは、おいでになる予定のJさんが急な用事で欠席されたことでした。

 終了後の懇親会では泰仁さんから、その昔学生時代に如々庵老師に初参禅した時「部屋中が如々庵老師だと感じ、一週間摂心に詰めた後外に出ると世界が違って見えた。」という話があり、よく理解できないながら皆で感心いたしました。

 

 イチジクの木の前に花壇を作り、9月摂心の花にと百日草の苗を10本余り植えました。たくさん花が咲いたら、静座会やお茶の稽古会にもどうかお使いください。

明眼 記
 


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今里静坐会報告(6月27日)

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関西支部 2019/6/30 14:53
6/27()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,Y居士・坂本法燈が出席して,第209今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(宗教についての無知と偏見,宗教の本質11~18)を輪読しました。

輪読内容は,能力の有限と欲望の無限,現実の相対と理想の絶対,そこに生ずる満たされがたい永遠の渇き,それが人間の悲劇といえば悲劇の根源である。人間の人間たる本質であるこの無限絶対なものへの渇きをいやす唯一の道こそ,まさに宗教なのである。有限で相対的で不完全である人間と,無限絶対で完全円満なもの,いいかえれば神や仏や法(ダルマ)との間に,正しく確かな通路を開き,無限絶対の世界の中に人間に安らかな座席を与え,あるいは見出させること,これが宗教の宗教たる本質であるところの救済であり,安心である。宗教の本質と使命とは,まさにこの意味での救済にある。ただし,一口に救済といっても,それに低次の救済(肉体的苦痛・病気や心理的な悩みを解決し物質的な幸福などの有限相対な願いをみたす)と高次のそれ(無限絶対なものへの人間のやみがたい渇きを瘉す)との区別がある。また,善因善果・悪因悪果という因果応報の理で人々を教化することをもって宗教の本質ないし使命だと考える向きも多いが,宗教の何たるかに徹しないものである。宗教の本質としての救済とは,この因果の鉄鎖にしばられ,自らの犯した罪業のおそろしさにせめられ,自己に絶望している人間を,その因果の鉄鎖から解き放し,因果の追究のとどかぬ絶対の世界,本来の意味での「聖域」に引取り,そこに遊ばせることにほかならない,といった内容でした。

これに関連して,耕雲庵老大師も全く同旨を述べられており,鈴木大拙も「絶対の他力これを宗教という,自分のはからいをもたずに(自分を全く棄てて)神の前に自分を絶対的に没入させることそういうところに本当の宗教的なものがある」と述べています。自力と他力の二門については,次回に輪読しますが,いずれの門も自己を殺し尽くして自他不二となることを求めており,この境涯に至れば,絶対他力と絶対自力は一致するものといわれ(老大師・山田無文),結局のところ自力も他力も,上記のとおり「有限で相対的で不完全である人間と,無限絶対で完全円満なもの,いいかえれば神や仏や法との間に,正しく確かな通路を開き,無限絶対の世界の中に人間に安らかな座席を与え,あるいは見出させて救済・安心を与える」ことになるものと思われる。洞然老師は,上記の後段の部分で,親鸞・歎異抄から「善人なほもて往生す,いかにいはんや悪人をや」を引用しているが,実に感動的な言葉である,といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の居酒屋に赴き,懇親会を開催しましたが,台風やサミットの厳戒態勢などもあり,早目に解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,7/11()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
  坂本法燈 記

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土曜静坐会報告(6月23日)

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関西支部 2019/6/30 14:47

日時:6月23日 19:00~ 静坐

 1炷香目: 19:00~19:45 静座

  出席者:法燈、慶雲、絶学、M居士、以上4人

 2炷香目: 19:50~20:35 静座

  出席者:法燈、絶学、M居士、以上3人

  茶酒話会: 20:40~22:00

礌石さんのピンチヒッターとして、急遽、絶学が土曜静坐会の担当として出席しました。

とても暑い日で、道場の戸を開けると蒸し暑い熱気がこもっておりました。

去年、取り付けたエアコンを約1時間前に付け、道場を冷やしておきました。

19:00開始前30分、慶雲さんが来てエアコンの近くに座られました。

静座開始することには、大きな道場にもかかわらず結構涼しくなり、慶雲さんの座るあたりは、逆に寒くなったので、場所を移送する程でした。

二炷香の後茶話会、M居士、法燈支部長、そして絶学、誰もお酒を飲む人はいませんでした。というのは、絶学、その日10:00~三国丘高校で剣道の稽古会。

その後、13:00から懇親会で、結構飲んで来たためであります。

 そんなことで、久し振りに落ち着いた、ひっそりとした、茶話会でありました。
   絶学 記

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土曜静坐会報告(6月1日)

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関西支部 2019/6/30 14:41

日時:6月1日 19:00~ 静坐

 1炷香目: 19:00~19:45 静座

  出席者:法燈、慶雲、絶学、M居士、K居士、Nさん、Jさん、以上7人

 2炷香目: 19:50~20:20 椅子禅

  出席者:法燈、絶学、M居士、K居士、Nさん、Jさん、以上6人

茶酒話会: 20:30~22:00


「静坐に捕らわれない、禅の修業:椅子禅のすすめ」を体験し、お互いに意見を交換することを目的に、行いました。

最初の1炷香は、通常の静座、次の30分は、椅子禅と致しました。慶雲さんは、帰られましたが、残った六人は、椅子禅を体験してくださいました。


茶酒話会において、各人に椅子禅の感想を話してもらい、討論会を行いました。

Oさんからは、わざわざ手紙を頂き、「椅子禅の勧め」に対する、様々な見地からのお考えを頂きました。

また、参加者各人からの貴重な意見が沢山集まりました。まとめて、後ほど皆様にご報告いたしたいと思います。

絶学 拝

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土曜静坐会報告(5月25日)

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執筆 : 
関西支部 2019/6/30 14:33
日時 2019年5月25日(土)19:00-21:00
場所 関西禅道場(京阪橋本駅下車 徒歩15分)
内容 座禅/「参禅とは何か」/茶話会

参加者 法燈居士、慶雲居士、M居士、智常 4名

5月になり道場の木々は水を得た魚の如く枝葉を伸ばしている。
1時間、早めに入山し、剪定を行った。まだまだ足りない。

今回の土曜静坐会は智常の担当でしたので、一炷香の静座の後、
智常から参禅の意義などについて30分ほどお話しさせていただいた。
その後、30分ほど静坐し、座談会とした。

5月は新緑の季節であるが、本当に木々が成長する季節であることを実感する。
一生懸命に生きている。ただ少し喧嘩しながら自分勝手に伸びている。
そこに人間が少し手を加えることで、バランスよく、生き生きと生き返る。
木々も笑顔になっている感覚である。

 智常 合掌 九拝
 

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和歌山木曜静座会報告(6月20日)

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関西支部 2019/6/21 20:27
日時  6月20日(木) 
      16:00~18:30 作務 外階段手摺修繕
      18:30~19:30 静坐
会場  和歌山道場
参加  Oさん、明眼  2人
役位  聖侍:Oさん、直日:明眼
 

入り口を入った通路のすぐ右にあるサザンカにチャドクガの幼虫(毛虫)がついていました。アースジェットを買ってきて散布し、木の前に「立ち入り禁止」のカラーコーンを置きました。この毛虫は死んでからでも触ると腕が腫れ上がりますので、静坐会や摂心でお越しの際はくれぐれも近づかないようにしてください。
 外階段の手すりの片方の塩ビ被覆が劣化し手を切る危険がありましたので、被覆をはがし金属タワシで下地の木のバリ取りをしました。気になっていたエアコンは、電気屋さんがちゃんと施工してくれていました。試運転をしましたら熱気がこもっていた道場が15分ほどで少しマシになりました。40畳の禅堂に予算の関係で8畳用2台を設置しました。でも、予想通り風の当たるところは涼しいです。(但し昨日くらいの気温ですと窓を開けた方がずっと涼しかったですが)
 Oさんと二人で一炷香静坐し、お茶を一杯飲んで下山しました。
     明眼 拝

 

 
 

 
 

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今里静座会報告(6月20日)

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執筆 : 
関西支部 2019/6/21 20:14

6/20()にプレジデント今里(大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室,千日前線今里駅)で,今里静座会(プレジデント今里の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)208回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)48回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。

 第一部はY居士・坂本法燈が出席し,第二部は坂本法燈が出席しました。

第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,座禅を座りました。その後,真向法などで身体をほぐして疲れを取り,抹茶をいただきました。

 今里静座会(プレジデント今里の部,第3木曜日)では,宝厳寺で開催されている今里静座会(宝厳寺の部,第24木曜日)とは異なり,輪読は行わない代わりに,座禅は身にて学道する赤肉団(生まみの身体)の学道なり(道元)といわれるように,調身・調息・調心を通じた数息三昧を大きな目標にして行きたいと思っています。また,茶話会において,数息観・仏教の修行の仕方や疑問,日常生活での問題点や要望など,さまざまなことについて自由な意見の交換をしていきたいと思っています。
 この日は,腰椎分離症を発症されて先日の摂心会を急遽欠席されたY居士が出席されました。まだまだ痛みがありそうで,歩くのも痛みが少なくなるように独自に工夫をされながらのことのようですが,危惧していたよりはお元気そうであり,一日も早いご快癒を祈るばかりです。この日は第一部だけのご出席でしたが,しっかりと坐られており,私も少しだけ安心いたしました。当分は,体調のいいときに今里静座会に出席する程度になりそうとのお話しでした。

 次回の今里静座会は,6/27()18:30~20:00に宝厳寺で開催いたします(宝厳寺の部・一部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。

                                      坂本法燈 記
 

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和歌山木曜静座会報告(6月6日)

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関西支部 2019/6/7 9:17
日時  66日(木) 

17:00~18:30 作務 台所掃除、禅堂机上片付け、電気ポット汚れ取り
 18:30~19:30 静坐
会場  和歌山道場
参加  山本耕三居士、明眼  2人
役位  聖侍:Y居士、直日:明眼
 

少しサボっていましたあら、色々な場所の汚れが目立ってきました、木曜静座会の作務で出来る所からきれいにしていきたい。浄穢不二の修行も浄があってこそ出来るというものです。
 Y
居士が田植えで遅れて来場のため、19:30まで静坐を延長。修了後、居士の軽トラでホームセンターに行きカラーコーンを購入、エアコン室外機の下に設置。先日、電気屋さんが工事中にケガをして、室外機を2階のハリに置いた状態で工事が止まっています。(地震でお落下の危険あり)そこにお寺の山門改修が始まり、普段は人が通らない禅道場裏が墓参の通り道になったため、危険防止のため急遽設置しました。

     明眼 拝

 

 
 

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今里静座会報告(5月23日)

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関西支部 2019/5/26 14:02

5/23()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,Tさん・Uさん・Mさん・Kさん・坂本法燈が出席して,第206今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。(望月さん・金谷さんは初めてのご出席です)

 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(孤貧219~226)を輪読しました。

輪読内容は,禅における人間の究極の理想像は,偉人も英雄も意識していない至極平凡な凡夫であり,その思想の根底には,孤貧とかすりきり貧乏とかいう,「貧」の境涯を非常に高く評価して,孤貧に徹しなければ自己完成が終わらないとする思想がある,その理由は,禅は与えるものではなく奪うものであるため,禅の修行でなんら得るものはなく,失うばかりで一切を失い尽くすならば,当然孤貧に徹せざるを得ないからである,といった内容でした。

これに関連して,禅や仏教はその大前提として,衆生本来仏なりといって,只一人の例外もなく人々は本来仏なのだと考え,そうであるからこそ,本来は完全で全く欠けるところのない仏性を,実際には曇らせている煩悩や雑念を取り除き,孤貧に徹することができさえすれば,本来の仏が完全円満なギラリと光り輝く姿を顕すのだとするのである,禅の修行で,見性入理によって自他の畔(境界)を取り去って天上天下唯我独尊と絶対的な自己を悟り(能所両忘),次いで,迷いだけでなくせっかくの悟りさえも捨て去って(迷悟両忘),初めて人は本当に自分の心を自由自在に使うことができるようになる(随所に主となれば立処皆真なり(臨済))さてここで,至極平凡な凡夫が究極の理想像であるなら禅修行など不要ではないかという誤解もありうるところであるが,一度高い山頂を極めた後と前では目に入ってくる風景は同じであっても,これを受け止める境涯が大きく変わっているものであるし,また,あたかも高速で回転する独楽は一見すると止まっているようには見えるが,実際には止まっている独楽とは大違いで,何か(雑念)が当たっても(全く執着せず)軽々とこれを跳ねとばしてしまうのと似ている(一見すると止まっているように見える急流に毬を投げ込んだときに,一瞬にして毬を流し去ってしてしまうのも同様),といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の店で懇親会を行いました(これには障害児に対する水泳のボランティア活動に参加されていたSさんも駆け付け参加されました)。吉野の金峯山寺にお祀りされているご本尊の金剛蔵王大権現は激しい忿怒の相をしているが,観る人によってはその相の中に優しさを観る人もあるということである。優れた仏像は,観る人の心の在り様をそのまま反映させるものなのかもしれないし,何者をも焼き尽くすような怒りはそのまま万物を許容し抱擁する仏そのものなのかもしれない。そういえば,昔湖北で観た十一面観音(向源寺と思う)の真後ろを向いた顔は暴悪大笑面というまるで獣のような顔をしており,これには当時圧倒され未だに私の記憶に鮮明に残っている。仏が鬼のような顔を持つということの意味を深く考えさせる驚くべき経験であった,といったようなことを話し合って、解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,6/6()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)

    坂本法燈 記

 
 

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