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人間禅 関西道場


関西道場

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関西ブログ - 20180415のエントリ

土曜静坐会報告(4月14日)

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ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/4/15 22:24
日時: 4月14日(土) 19:00~21:00
参加: KKさん、KIさん、KCさん(女性)、Mさん、Tさん(女性)
    礌石、法燈、慶雲、絶学、明眼 の10人
役位: 聖侍:KKさん、助香:礌石、助警:絶学、直日:明眼

 久方ぶりの雨の中を皆さんが集まり、二炷香静座後に茶話会をし22時前に解散しました。一般参加者5人は全員、合同静坐会に出席して下さった方なので茶話会でその時の感想をお聴きしました。泰仁居士の講話を聞けて良かったとの意見が複数あった他、総じて肯定的な感想が多く出ました。Tさんから「人間禅の皆さんを見ていると中学生の部活のようだ。一本気で楽しそうにやっている。」との感想が出たのが嬉しかったです。
 また、絶学居士とMさんは5月12・13日の「歴史ウォークin橋本」の打合せ・事前調査を入念にやっておられます。橋本という土地は京の入り口で昔から色々な事が起きた土地だとの事です。楽しみな企画です。
  明眼 記
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今里静坐会報告(4月12日)

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ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/4/15 22:14
4/12(木)に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)第167回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)第22回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部はHさん・Oさん・Sさん・HKさん・坂本法燈が出席し,お寺の和尚さんも参加されました。第二部はHさん・Oさん・HKさん・Sさん・Tさん・坂本法燈が出席しました。(Hさんは久しぶりの,HKさんは今里静座会へは初めての参加です)
 第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座りました。
その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(正念の相続104~108頁)を輪読しました。輪読内容は,①自己の本心本性を正念として瞬時も見失わないように相続していくことを正念相続といい,一休和尚の歌(本来の面目坊がたちすがたひと目見しより恋とこそなれ 我のみか釈迦も達磨も阿羅漢もこの君ゆえに身をやつしけり)にも歌われているように,真実の自己を認得するのはまだやすいが瞬時も取り逃さないようにするのは容易ではない。②瑞厳和尚は,毎日自分で主人公と呼びまた自分でハーイと答え,目を覚ましておれよ-ハーイ-他時異日人の瞞を受けるなよ-ハーイハーイと自問自答していたという「喚主人公」の則があるように,修行は永遠に続くものである,③親鸞上人は,「念仏を申してたとえ地獄に堕ちたりとも後悔すべからず候」と述べ,功利的な意図は微塵もなくただ念仏三昧あるのみであり,親鸞にとってはこれが正念相続といってよい,といったことでした。 そしてこれに関連して,①正念相続とは,一念一念が純真でまじりけがなく常に正念の塊りであることであり,静中(坐禅中)も動中(坐禅以外のとき)も,行住坐臥において,断絶せずに無限の時間にわたって間断なくこれができたら,それは仏祖の境涯に至ったというもので,これ以外に生きた仏祖(活祖)など存しないともいわれる,また,正念相続が徹底できれば,随所に主となれば立処皆真なり(臨済)の境涯にあるのであり,人間禅の重要法典である「宝鏡三昧」の最後で「只よく相続するを主中の主と名づく」と言われているところでもあるが,②他方,白隠の師である正受老人は,正念工夫を40年間継続してきてようやくここ5,6年来真個相続を覚得せりと言っているように,真に正念相続を履践することは難中の難であるといわれる(「喚主人公」の則参照)のであって,道元が,仏道は無窮であるとして間断なき永遠の修行の大切さを訴え続けたことに重なってくるように思われる,③親鸞上人の功利を超えた念仏三昧は,三昧行であるという点において坐禅における正念相続と同じであり,「坐る念仏これ坐禅 念ずる坐禅これ念仏」とも言われる趣旨がよく理解できるように思われるのであって,禅においては,禅は無所得であり無所悟(禅で得られるものは何もなく悟るものも何もない)といわれるところに通じるように思われるし,大信心という言葉の温かさが身に滲みてくる,④お寺の和尚は,ムー・ムーという趙州の無字の公案に徹することで正念相続になることができると言われる,といったようなことを話し合いました。
 第二部は総裁老師著「坐禅の効用-すぐ(仕事や勉強に)取りかかれる効果や「段取り・真剣・尻ぬぐい」ができる効果20~25頁」を輪読しました。この本は,アマゾンでも禅部門でベストセラーになった本であり,初心者には分かりやすく,禅の入門書としても理解しやすいと思われます。数息観法は,三昧力を養う東洋3000年来の心を磨く観法であり,仏祖が生誕する以前から存したもので,仏法がそれを取り入れたものであります。段取り・真剣・尻ぬぐいは人間形成の素養であるが,尻ぬぐいの関係で,剣道の試合では勝者もガッツポーズをするなどの勝敗に拘った態度を取ると失格とされるという(人を殺しておいて喜ぶとは何事かといった趣旨のようであります),といったような話をして,解散しました。
法燈 記
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