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人間禅 関西道場


関西道場

京都府八幡市橋本東原28
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関西ブログ - ブログカテゴリのエントリ

城崎俳句コンクール

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執筆 : 
関西支部 2020/4/19 7:25
城崎俳句コンクール

 城崎の俳句コンクールで優秀賞を頂き、皆さまにお祝いのメッセージを頂きまして、ありがとうございました。
絶学さんに「こんなのがあるから応募してみようか〜」と、教えて頂いて、城崎は今までに何度も訪れたことがあるので、俳句も詠めるかな〜と応募したものでした。絶学さんも応募されて、何と二人とも入賞となり、びっくりすると同時に大変嬉しく思いました。

 これも、一重にここまでご指導して下さいました故炭﨑博先生のお蔭です。
今までの城崎の俳句の入賞作品が、ネットに上がっておりましたので、見てみると、なんと炭﨑先生の俳句も載っておりました。
2013年第十回城崎俳句コンクールの優秀賞でした。
 
子宝(こだから)湯(ゆ)山手に花の鬼子母神(きしぼじん)  博
 
講評:「子宝湯」と「鬼子母神」が見事に組み合わされている。「花の鬼子母神」の「花」が一句を生かしている。
 
今回、絶学さんと私の優秀賞の句は、
 
 一の湯の足湯に休む夏の蝶  絶学
 
           講評:歩き疲れた者にとって足湯はありがたい砂漠のオアシスのような場である。一の湯の前にある足湯で、腰をおろし足を湯に浸していた。ふと見ると、近くに大きなアゲハチョウが羽を休めていたのである。別に蜜をとるのではなく。羽を揃えて静かに休んでいる蝶を見ていると、不思議な連帯感のようなものを覚えたのである。この景色を句としてとどめた感性に賛同する。同時に、蝶を基軸に足湯に集う和やかな空気が広がるようである。
 
御所の湯の天蓋溢るる緑かな  寿典
 
講評:階段を登りながら何となく貴族の雰囲気を味わうのも一興である。ちょうど新緑の頃、湯に入り、天井を眺めて圧倒された。滴る緑の圧倒的な質量感。なにも湯ばかりではない、心身を癒してくれるのは。そう思い広々とした天井をぐるりと眺め、再び熱い湯に身を委ねたのである。爽快爽快。
 
選者: 中西健治先生 元立命館大学文学部教授
 
炭﨑先生のご逝去からもうすぐ半年となります。
私達は、守破離の守の段階でしたのに、先生は逝ってしまわれて、戸惑うばかりでした。
しかし、先生の教えを守りつつ、さらに精進して、細道会をますます盛り上げて行く所存です。
皆さま、よろしくお願い致します。
                                    寿典
 
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ネットによる坐禅会

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関西支部 2020/4/16 15:01
ネットによる坐禅会

柳家小三治一門会が中止になった。往復はがきで申し込み当選したプラチナチケットであったので残念だ。
内定していた大学の市民聴講生も受入れ中止との連絡が届いた。市営体育館、プール、図書館もクローズが続いている。
会社OB会、大学同期クラス会も中止。所属している俳句グループの定例会や吟行も当面取りやめ等々、手帳の予定表が真っ白になった。
きょういく(今日行くところがある)、きょうよう(今日用事がある)がなくなってしまった。また当然ながら善良な市民として不要不急の外出は
自粛している。これではコロナで死ななくともコロナ関連死になりそうである。
このような巣ごもり生活では心身の健康管理が大事だ。関西支部も集合しての坐禅会は中止にし、泰仁さんがネット坐禅会なるものを開発した。
所定の日時に各自自宅で一斉に坐禅しその感想などをネットで情報交換するというものだ。各静坐会はこの方法で実践している。実際の坐禅会ほどでは
ないにしても、独座よりも、道友と一緒に坐っているとのイメージで、より臨場感、緊張感を持ってしっかり坐禅できる感じで、今の巣ごもり生活にマッチ
している。新型コロナ感染防止は長期戦になると言われている。様々に応戦して生き抜いていきたいものである。
 
加藤碩信
 
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坐禅体験 

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関西支部 2020/3/7 15:05

毎週水曜日の午後2時から八幡市橋本の道場で市民静坐会が開催されています。
しょっちゅう遅刻しながら、また、八幡市民でもありませんが、時折参加しています。
当日、道場の門扉は、すっきりと開け放たれます。大きなクロガネモチの樹の下を通り玄関へ。玄関の引き戸は、そっと静かに引いているつもりです。しかし、努力虚しくカラカラカラッと屈託のない音が鳴ります。「いらっしゃい!」とでも言うように。急いで荷物を置いて、バタバタと座布団を手に、道場の襖を開けます。 するとそこは、引き戸の「カラカラ」にも私のバタバタにも、なにものにも侵されない閑かさで満ちています。
 一ちゅう香が、あっと言う間だった、なんてことはまだ一度もありません。すぐに足は痺れ、色んな考えが頭を巡り、腰もだるく、さらには眠くてたまらなくなります。こう書くと、辛い時間のようですが、終わった後には自然と「また来よう。ここに戻って来よう。」と感じます。拍子木のカーンという突き抜けた音で切り取られたこの時間を、これからもずっと大切にしたいと思っています。
市民静坐会を絶やさぬように守り続け、温かい場をご用意下さり、ご一緒してくださっている皆さま、いつもありがとうございます。

追記
ホームページにも記載されている通り、新型コロナウィルス感染症対策の一環として、三月三日から静坐会はお休みされています。再開を落ち着いて待てる自分でありたいと思います。

 T

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日本数学史上最大の数学者岡潔

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執筆 : 
関西支部 2020/3/7 15:01

岡潔先生は、明確には禅の修行はされていない。しかし、ご著書を拝読するに、数学を通じて禅の悟りを得ておられる。
岡先生曰く、
「自分とは何か。体は全身の夥しい細胞が絶えず変わりつ維持されている。そこには「主宰性」がある。この主宰性は心理学のいうこころにはない。こころができるのは、食べ物を口に入れるところまでと、排せつの直前だけ。両端だけ。後は主宰をすることができない。主宰性は何か?」
人間の体は炭素、窒素、酸素、水素などの原子でできている。これらを組み合わせて化学物質をつくることができる。人間の体をこのように作ることも理論的には可能であるが、単なる物質であった化合物が、ある瞬間から、ドクッドクッと動き出す。この瞬間は神の領域である。岡先生は何かが支配している、何かが主宰している と気づかれた。
岡先生曰く、
「この身体、こころが自分だと思うのは間違い。一本の木がある。木に一枚の葉がある。葉が生きているのは木が生きているから。葉からすれば、本当の自分は木だ とも言える。しかし葉は一枚の葉としての役割しか行っていない。木が自分と言うのは言い過ぎ。人と言うのは、大宇宙の一本の木の一枚の葉。肉体は大宇宙の主宰性があるからこそ存在する。自分は木であることを知るとともに、自分の肉体は葉であることを知る。葉に近いところは縁が近い、遠いところは縁が遠い。自分が木だとわかっただけではダメ。葉、すなわち肉体との関係も知らねばならない。
幸福とか生き甲斐は、木から枝を伝わって葉にくる樹液。葉だけでは生きていけない。自我を主人公として生きていると生命の根源からの命の水が湧き出なくなってしまう。命の真清水は自我から湧き出ることはない。」と。
智常  

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武蔵野俳句大会

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執筆 : 
関西支部 2020/2/23 11:12
 
東京都武蔵野市に住んでいる。いささか旧聞に属するが、1月26日(日)に市内で俳句大会が開催された。有馬朗人氏をお招きして、講演、選句、講評があるというので参加してみた。氏は、元東大総長、文科大臣、文化勲章受章者等赫々たる経歴の持ち主であるが、俳人としても著名で、自ら結社を主宰する傍ら国際俳句協会会長でもある。講演は、世界で最も短い詩と言われる俳句を、韓国や中国の詩との比較、またわが国での俳句の歴史を繙き、ユネスコの世界文化遺産に登録すべく運動している状況が話された。
さて、参加者100名に及ぶ句会であったが、皆投句しての互選もあった。有馬先生が選句し、金賞1名、銀賞1名、銅賞3名、佳作15名が選ばれ賞品が授与された。その中で,拙句「底冷えて背骨の軋む坐禅かな」が銅賞に選ばれた。講評の中で、「厳しい環境の中、懸命に坐禅している姿が見えて、いい句です。」とコメントして下さった。坐禅ということが有馬先生の関心を惹き、鑑賞の対象になったということであろうか。
加藤碩信
 
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土曜静座会報告(2月7日)

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執筆 : 
関西支部 2020/2/9 11:46
場所 関西禅道場
内容 座禅/茶話会
参加者 礌石(当番),M居士、法燈、 計3名

 外では、冷たい風の吹く寒い日であった。新型コロナウィルス性肺炎が蔓延し、患者数が世界で34000人を超えたとの報道もあり、用心が肝要である。来年2月の剣禅一味の会場について、さすが地元の元町内会長のM居士から種々の貴重な情報を教えていただいた。なお、礌石さんの、ほぼ1年に及ぶ仕事の大型案件は、未だ片付いておらず、もうしばらくかかりそうだが、何とか見通しがつきそうであるとのことである。もう一息といったところのようである。

法燈 記

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土曜静座会報告(2月1日)

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執筆 : 
関西支部 2020/2/2 19:05
日時 2020年2月1日(土)10:00-12:00 
場所 関西禅道場
内容 座禅/茶話会
参加者 礌石,亀井居士、Tさん(女性)、Oさん(女性)、法燈、 計5名

外では、冷たい風の吹く寒い日であった。新型コロナウィルス性肺炎が蔓延し、患者数が世界で1万人を超えたとの報道もあり、用心が肝要である。礌石さんは、真向法も取り入れて、(室内では暖かく)快適な静座会であった。Tさんに本部俳句会での賞品を渡すことができ、Oさんからの差し入れを、皆でおいしくいただいた。なお、礌石さんの、1年に及ぶ仕事の大型案件は、未だ片付いておらず、もうしばらくかかりそうであるとのことである。

法燈 記

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今里静座会報告(1月23日)

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執筆 : 
関西支部 2020/1/29 8:55
1/23()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,鶴井随心さん・坂本法燈が出席して、第228今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(悟後の修行94~99)を輪読しました。

輪読内容は,牧牛純和(前の得牛加鞭で修行に励めば、いつの間にか道力がつき道眼が磨かれ、真実の自己が煩悩妄想にひきずりまわされることもしだいに少なくなってきて、さすがの野生の荒牛もややおとなしくなってくるが、修行の上ですこぶる骨が折れかつ長くかかる、見性悟道の)段階。騎牛帰家(前の牧牛純和の難コースを切り抜けると、悟りがほんとうに身につき規範も忘れ何をやっても道にはずれない自由な境涯・悟りと実行との一致する行解相応の境涯・いわゆる心の欲する所に従えども矩を踰えずという孔子七十の境涯に至る)段階、ただしは儒教では究極の境涯であるが、禅の修行ではまだ真実の自己という騎るべき牛があり、どこか悟りの臭みがぬけきっておらぬからはまだ究極ではない。忘牛存人(迷いの臭みはもとより悟りの臭みも完全にぬけきって、何の変哲もないただの人にもどった、大悟徹底の悟了同未悟の境涯・長く苦しい修行の道程を終えて、ほんとうの安心立命のわが家に帰りつき、ドッカと大あぐらをかいているという意味で帰家穏座の境涯・自己人格の完成(自利)という点からいえば究極の見性了々底の境涯の)段階、しかしこの境涯は自利の頂上ではあるが、無縁の慈悲にもよおされて衆生済度に打って出るという利他の行をまだともなっていないから、未だ真の仏の境涯ではない(四弘誓願は自利利他の誓願となっている)上記までが自利の境涯で、それ以後のが利他の境涯である。入店垂手(およそ仏の衆生済度というものは、あたかも太陽が自らの本性のままに無心に輝いて万物を育成ししかもいささかもその功をほこらないように、自利利他という区別も忘れ、救済するの慈悲を施すのという意識すらもなく、自然に自らの心のもよおすままにはたらいて、いつとはなく人びとを抜苦与楽することであり、この自然で天心流露のはたらきを仏の遊戯三昧=仏の境涯の)段階。人牛倶忘(の境涯にまで達した人物がの境涯にいたるためには、どうしても一切皆空に徹底しなければならない境涯の)段階。返本環源(を透過した上でさらに正念相続をいよいよ深め、そのかたわら世態人情をつぶさに観察しかつ衆生済度の上に必要なもろもろの付帯的な資格をつけるための聖胎長養の)段階、といった内容でした。

これに関連して,「十牛図」は、従声見牛で牛の尻を見た位で見性入理とし、牧牛純和で見性了々底とし、忘牛存人で見性了々底(悟了同未悟・帰家穏座)という段階を踏んで自利の究極に至り、一切皆空に徹し聖胎長養を経て、仏の遊戯三昧という仏(自覚覚他・覚行円満)の境涯に至るという坐禅修行(その内でも特に道眼の面)の全道程が、一望のもとに俯瞰されて、実に見事であり、禅の修行に励む者にとって有効な羅針盤となるだけでなく、禅に興味を持つ初心の方々にとっても格好の教材となるものと考えられる。坐禅修行の内の特に道力の面についての羅針盤としては、葆光庵名誉総裁老師の作成された数息観評点基準が大変に参考となる。仏とは、自覚覚他・覚行円満(自ら円かに悟り他を悟らしめ悟りと実行とが一致する実境涯)をえた完成された人間のことであり、娑婆即寂光浄土と観て、自然に自らの心のもよおすままにはたらいて、いつとはなく人びとを抜苦与楽し、仏の遊戯三昧の如く衆生済度を行じていくことは、実に素晴らしいことである、といったようなことを話し合いました。

法燈 拝


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今里静座会報告(1月9日)

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関西支部 2020/1/14 21:10
1/9()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)226回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)54回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。
 第一部は、耕隠さん・法燈が出席し、第二部は、耕隠さん・Sさん・MWさん・MSさん・法燈が出席して開催されました。(MSさんは初参加)

第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分の座禅をそれぞれ2回座りました。
 その後,第一部は,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(悟後の修行85~94)を輪読しました。輪読内容は,長い間の精進努力がみのって、父母未生以前における本来の面目即ち真実の自己を徹見したときの歓喜は大きく法悦は深く、禅の修行の目的である自力による救済・安心立命は一応達成されたが、それは禅の山に第一歩を踏みいれたに過ぎない。禅の奥の院に到達し、本当の安心立命の実境涯をえ、禅者の洒々落々たる大自在の境涯にいたるためには、さらにさらに修行を継続していかねばならない(悟後の修行)悟りに二つはないと悟後の修行を否定する向きもあるようであるが、凡庸なわれわれの場合においては、さらに坐禅の行にはげんで、着実に一歩一歩と自らの実境涯を高めて禅の奥の院にせまる以外に道はない。大悟十八回小悟その数を知らずともいわれるように、梯子禅と罵倒されようと悟後の修行の階梯を一歩一歩と登りつめていくほうがはるかに確実でわれわれに向いている。悟後の修行の大綱を、以下有名な禅書「十牛図」、即ち、父母未生以前における本来の面目=仏性ないし真実の自己を一頭の牛になぞらえ、この牛をさがしにかかる初発心の段階から究極の活仏の段階まで、言い換えれば禅の修行の全過程を十段階にわけ、それぞれの段階を図と序と偈頌とをもって説いたもの、によって説明する。撥草尋牛(初発心つまり西も東も分からず尋ねまわっている)段階、権為見跡(牛の居場所くらいはおよそ見当がついてくる見性以前の迷いの)段階、従声見牛(初関をパスして真実の自己とはこいつだ!これが仏性だ!と理の上で気がついたが、実際に仏(自覚覚他・覚行円満=完成された人間)の境涯に到りえたわけではなく、実際には仏性は依然として本能欲望の雲におおわれがちである、見性入理の)段階、この理仏を事仏にまで育てあげていくことが悟後の修行である、得牛加鞭(悟後の修行の最初の段階で、牛は煩悩妄想がきわめて旺盛であるから、手綱をしっかと握って大いに鞭をくれて野性を矯め飼いならさなければならず、修行で最も骨の折れる重要な)段階、換主人公の則=惺々著、といったようなことでした。
 そしてこれに関連して、頓悟と漸悟の違いがあるとされるが、釈迦、空海や道元のような天才でない私たちには、十牛図による漸悟を地道に歩むのが王道である。初関の透過は、従声見牛の段階とされており、図柄でも牛の尻を描いてあるだけで牛の全体を得ていないことを暗示してあるように、境涯的には、成仏したとはいっても真実の自己は煩悩妄想にさえぎられて依然として迷える凡夫の境涯にさまよっているのが実情であり、見性入理(自己即仏であることを理として自覚したにとどまる)という低次の見性にすぎないものであって、自覚覚他・覚行円満という、自ら円かに悟り他を悟らしめ悟りと実行とが一致する実境涯をえた完成された人間(事仏)とは相当離れており、実境涯を伴わない理仏の段階であるとされているのを見て、若干安心した(自己の経験に照らして見性入理で深く入れたという実感が余り感じられなかった故に)換主人公の則=惺々著とは、真実の自己が一切の他者(真実の自己以外の一切のもの)に対して常に主体性を確立しておれという意味のようで、人間禅における最も重要な聖典とされる「寶鏡三昧」の最後で「只よく相続するを主中の主と名づく」とされているように、正念の相続が修行における主中の主である、といったようなことを話し合いました。
 第二部は、人間禅名誉総裁老師著「坐禅の効用・一日一炷香のすすめ176184頁」を,輪読しました。禅修行において、公案参究によって道眼を開き、数息観の行取によって道力を付けることは、車の両輪であり、両者相まって人間形成が完成すると言われている。一日一炷香を欠かしたら法が絶えるという決意をもって、修行に励むようにという教えの有難さは、私自身も実感しているところであります。NHKTVを見ていると(サイエンスゼロ,ためしてガッテン),ハーバード大の研究で座禅やマインドフルネスなどの瞑想を2ヶ月間行うことによって海馬が活性化して5%増大し脳幹・小脳も増大したとの報告,自閉症・不安神経症・認知症・ストレス不安等にも効果がある,うつ病の非再発率が高まる(向うつ薬よりも高率),遺伝子の働きが変わるといった報告もあるそうです、といったようなことを話し合いました。


     坂本法燈 記

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今里静座会報告(12月26日)

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関西支部 2020/1/1 10:32
12/26()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,Tさん・耕隠さん・坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されて,第225今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(参禅と見性78~84)を輪読しました。

輪読内容は,師家から授かった公案につき自己の見解ができたら、その見解が真正の悟りであるかどうかを鑑別してもらうために、師家の室に独参しその見解を呈する(入室参禅)が、師家は工夫の仕方や方向を指示したり激励することはあっても一言も教えるようなことはしない(人情を涓滴も施さず)夏目漱石の小説「門」(主人公は宗助)に、漱石自身が鎌倉円覚寺で実際に参禅を体験したことを描写した場面がある(実際の老師は釈宗演、漱石の世話をした青年僧は釈宗活(釈宗演の勧めで人間禅の前身を創設)であった)。漱石(宗助)は、大疑団となり公案(「本来の面目」)と自己と不二一如になって工夫することなく、公案を自己に対立させて思慮分別をめぐらし脳細胞で思索していたのであり、数息観をしたこともなく公案に取り組んだので煩悩妄想や思慮分別が湧き出て禅定三昧どころではなく、また、恥も外聞も忘れて根気強く何回でも入室参禅を繰り返すだけの大憤志と根気がなく、ついに十日間で根を上げて、初関を透過できないまま山門を出ていく羽目になった。数息観によって養った三昧力をもって煩悩妄想はもとより一切の思慮分別・理屈道理を棚上げにし父母未生以前の世界に入ること、そして公案と自己と不二になること、これがこの第一関門を透過する上の要諦であり、それ以外にはいかなる抜け道もないのである。初関透過に至るまでには、人それぞれの個性や素質や因縁などによって期間の長短はあるが、如法に修行をつづけて退転さえしなければ、万人が万人誰でもみな、その賢愚・利鈍・僧俗・男女の別にかかわりなく、父母未生以前における本来の面目を徹見することができる。そして、この本来の面目とは、釈迦が「一切衆生悉有仏性」といったその仏性と、名は異なるが実体は同じものであるから、本来の面目を徹見することは、とりもなおさず釈迦の悟った仏性を徹見することで、その意味でこれを見性というのである、といった内容でした。

これに関連して,公案は、転迷悔悟の方便であり、人々の持つ鉄鎖(貪瞋痴)や金鎖(仏見・法見)などの拘りを打ち砕くハンマーであり、それによって初めて人々が誰でも本来豊かに有しているぎらりとした仏性が現れ出ることになるともいわれる。人情を涓滴も施さないということは師弟にとっても辛いことであるが、これが長い目で見た場合の本当の親切であって、情けをかけた老婆心はかえって本人のためにならず人間としての成長(大成)を妨げると繰り返し言われている。師家が入門してきた学人を室内において公案修行の指導・育成するやり方は、師家それぞれの人柄・家風を反映して千差万別であるといわれる。初関も浅く透ることもあれば、深く透ることもあろう。しかしながら、初関を透過して見性入理の段階に至ったとしても、その後の永い見性悟道・見性了々などの修行の段階が待ち構えているのであって、要は、各学人の個性や器量などに応じて、長期的な視野に立って学人に道力・道眼を付けさせ、学人の一生涯を睨んだ人間形成を大きく完成させていくことが最大の眼目であると思われ、参禅は、師家と学人の命がけの真剣勝負ということができるであろう、といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の居酒屋に赴き,懇親会を開催しました。寺院での参禅や徹宵夜坐の厳しさや、各師家の家風、知人の近況ことなど,さまざまな話を交わして解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,1/9()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
     坂本法燈 記


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