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人間禅 関西道場


関西道場

京都府八幡市橋本東原28
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(慶雲)

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関西ブログ - ブログカテゴリのエントリ

今里静坐会(2月14日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/2/17 20:52
日時  2月16日 
      19:00~20:35 静坐
      20:35~21:30 茶話
参加  さん、さん、居士、法燈、明眼
役位  聖侍:居士 助警:法燈 直日:明眼
 
 土曜静坐会を休んだことのない慶雲さんが、この日は欠席でした。代わりまして留護当番の明眼がブログを投稿します。
 この日の静坐会は、私がいつも行っている和歌山に比べて特別に寒く感じました。了後、地元のNさんが、道場のある橋本からは京都盆地の内側になり、隣の樟葉とは2~3度温度が違うと言っておられました。寒いはずです。その他にも、いろいろと八幡周辺の昔の話を伺って解散しました。
 一人残って四畳半の部屋で小さな電気ストーブを点け、掛布団2枚・毛布3枚かぶったうえにセーターを着て寝たのですが、寒くて夜中に何度も目が覚めました。京都盆地の冬恐るべし、です。
    明眼 拝
 
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今里静坐会(2月14日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/2/17 20:42
先日2/14()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)195回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)39回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていまして,第一部はT氏さんY居士鶴井随心さん坂本法燈が出席し、第二部は鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。
 第一二部とも,最初に般若心経を唱えて,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(愚かな男の話190193)を輪読しました。輪読内容は,一人の若い僧が修行に励みながらも色欲を制しきれないために日頃悩んだ末に,男根を断ち切らぬ以上立派な僧になれないと決意し,ある日鋭利な斧を借りてきて自分の男根をあわや切り落そうとしたとき,釈迦が来られ男の愚かさをたしなめて,仏の知恵を得ないためにお前はそんな馬鹿なことをする,そのようにして自らを傷つけるならば長く苦しむことであろうと諭され,転迷開悟とは愚かな振る舞いによって欲を断つものではないことを教えられた(愚かな男の物語法句比喩経),晩年のトルストイの崇高な求道心を慕って各地から巡礼者が集ってきた中に,一人の風変わりな老人(かつて巨万の富を蓄えた商人だったが,富は他人の財産を収奪して作られる不正なものであることに気づき,全財産を貧者に与えて自活しながら30年余り各地を遍歴している人物であり,ボロをまとい手製のパンをこねて常食とし,水だけを飲んでいた(牛乳は牛に対して相すまない))がいて,トルストイが見かねて茶を出すと,茶を飲むと(中国人は良い土地を茶の栽培で占領され麦を撒けないので)中国人からパンを奪うことになるといって固辞した(パンだけは人間の弱さに妥協していると言った)という実話がある。この老人は神の国を非常に窮屈に考え,自己の欲望を断ち切る消極的な行為を他への憐みと取り違えている,といったものでした。
そしてこれに関連して, 人間は,食慾性欲睡眠欲などの欲望がなくなっては,生命を維持することもできず,完全に欲望を断ち切ることは不可能であり,それは人間であることを否定することになるのであって,大切なのは,自分の欲望や心を,自分で自由自在に自然のままに,使いこなせるようになることであり(心の欲する所に従えども矩を踰えず),それができれば,煩悩即菩提となるであろう。大乗仏教では,人が自己の本心本性を尋ね行きこれを徹見し体得すると,全ての自他の畔が消滅して自他不二となってしまい,自己も貴方もさらには宇宙の万物(尽一切)も全てが本来ひとつの仏であり,煩悩や欲望を持ったこの身このままで,すべての衆生が仏であるという悟りに至るといわれます。「善人なおもて往生をとぐいはんや悪人をや」(親鸞)ともいわれ,欲望()も大きければ大きいほどでき上がる喜び()も大きいともいわれるところであります。理屈をいうと,禅や大乗仏教においては色即是空はそのまま直ちに空即是色なのであって(般若心経),この境涯に徹すれば,娑婆即寂光浄土と観て,菩薩の遊戯三昧を行じることができるようになるであろう。そして,禅のような自力宗(自己の裡に無限絶対のものを見出し自己を絶対者にまで育て上げる)と,浄土宗のような他力宗(自己に絶望し自己を棄て切って自己以外の絶対者にすがる)とは究極において一致する,なぜならば,自他不二に徹すれば,絶対者である自己と自己以外の絶対者は同一に帰するのであるから。即ち,己を空しくして真に己を活かすという仏教の根本原理は自力他力ともに共通しており,そして一切のはからいを離れるとき,天真自然に通ずる道,自然法爾といった究極の世界が広がってきます,といったようなことを話し合いました。
  法堂 記

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和歌山木曜静坐会(1月24日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/1/26 7:49
日時  1月24日 
      17:00~18:30 作務(摂心後の作務他)
      18:30~19:15 静坐
参加  さん、明眼
役位  聖侍:奥野さん 直日:明眼
 
 作務は、一階玄関のガラスの寸法取り(割れガラス取り換えの為)と新しく買った丼鉢の入れ替えをしました。文科系でして、ガラスが割れないか木の桟がおれないかとヒヤヒヤものでしたが、やればできるものです。
 さんとストーブはつけないで一炷香静坐し、この日は茶話はなしで下山しました。
   明眼 拝
 
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今里静坐会(1月24日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/1/26 7:47

1/24()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)193回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)38回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部は鶴井随心さん坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されました。第二部はさん鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。
 第一二部とも,最初に般若心経を唱えて,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(施しの心181187)を輪読しました。輪読内容は,仏教では,転迷開悟を得るために実践しなければならない六種の徳目(六波羅蜜=布施持戒忍辱精進禅定智慧)の第一に布施があげられているが,その布施のためには三輪清浄,即ち,施す人貰う人施す物がともに清浄無垢である必要があるとされていて,施す物が清浄であるとは,自己の所有物で平等に施して無際限でなければならないとされている。したがって,質と量においても差別なく無際限に施せるものを無尽蔵に持っていることを要求され,この条件にそうものは法施だけであり,法を自利の修行によって獲得した上で無心に施していくのが最も崇高な布施ということになり,聖徳太子も同旨を説かれている。布施の心について経典で説かれた代表的なものとして,雪山童子の物語(羅刹()が雪山童子に「諸行は無常なり是れ消滅の法なり」と偈の前半を説き,童子は後半の偈を懇望すると,羅刹は生きている人肉と生き血を食わせてくれたら言おうと述べ,童子は我が身を羅刹に与えると誓ったので,羅刹は「生滅滅しおわって寂滅を楽と為す」と後半の偈を示したため,童子は崖の上から谷底に身を投じたところ,羅刹は帝釈天に身を変じて童子を受け止めて地上に下ろした),投身餓虎の物語(王子が餓死寸前の虎の母子のために自分の身を提供する)があり,法隆寺の玉虫の厨子に描かれている,といったものでした。

そしてこれに関連して,禅では古来,自未得度先度他(自分が悟りの彼岸に到達することよりも他の人を先に到達させることを優先させなければならない)と説かれているところである。 欧米の幸福学の研究では,(自分に対してよりも)他人に物を与えることによって遙かに人間の脳の報酬系が活性化され幸福度が高まることが科学的に実証されていて,人間は本来社会的な生物であり,大乗仏教はそういった人間のありのままの本質に基礎を置いていることが分かる,布施においては,先ず自ら光を投げかけなければならない,そうするとそれが相手から跳ね返ってくるものである。そのためには,無我に徹して無心になり,自他不二の境涯になる(見性する)ことが前提であり,そうなると自然体で慈悲が溢れ出てくるようになる(孔子のいう心の欲する所に従えども矩を踰えず)。こういう所をステップを踏んで表したものが六波羅蜜である。また,布施を崇高なものと見るのは誤りであり,布施は我が子に注ぐ母の愛のような,自然な自ずから湧き上がってくるようなものであり,戒律のようなものではなく,財施と法施は同時に起こるものである,といったようなことを話し合いました。

 第二部は,総裁老師著「坐禅の効用-5章集中力三昧力を高める方法-(1)数息観法の初期中期後期の工夫-数息観初級から中級の人に対して126~130頁」を輪読しました。総裁老師の作られた数息観評点基準は,数息観の初歩から究極である只管打坐に至るまでの,道力形成の全過程を一覧表示した画期的なものである、といったような話をして,解散しました。
        法堂 記
 


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和歌山木曜静坐会(1月17日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/1/18 20:31
日時  1月17日 
      15:30~18:30 作務(摂心後の作務他)
      18:30~19:15 静坐
参加  居士、明眼
役位  聖侍:居士 直日:明眼
 
 作務は、13日(日)に終った和歌山摂心の洗濯物の後始末一階玄関の掛けたガラスの写真撮り他を行いました。
居士と6時半から一炷香静坐の後、K居士が稽古をされている合気道の話等のお茶話をして下山しました。

ストーブを点けると、家に帰ってから消したかどうか気になってしょうがないので、点けずに静坐をしました。寒かったです。
    明眼 拝
 
 


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今里静坐会(1月17日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/1/18 20:26
プレジデント今里(大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室,千日前線今里駅,下図二参照)で,今里静座会(プレジデント今里の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)192回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)37回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。
 第一部はさん鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。第二部は鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。

第一二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅をそれぞれ2回座りました。
その後,真向法などで身体をほぐして疲れを取り,抹茶をいただき茶話に興じました。

今里静座会(プレジデント今里の部,第3木曜日)では,宝厳寺で開催されている今里静座会(宝厳寺の部,第24木曜日)とは異なり,輪読は行わない代わりに,座禅は身にて学道する赤肉団(生まみの身体)の学道なり(道元)といわれるように,調身調息調心を通じた数息三昧を大きな目標にしていきたいと思っています。また,茶話会において,数息観仏教の修行の仕方や疑問,日常生活での問題点や要望など,さまざまなことについて自由な意見の交換をしていきたいと思っています。
 当日は,入門から見性までどの程度の時間がかかるか,公案の内容やこれとの取組み,入門参禅後の修行の在り方,心構え等やマインドフルネスなどについて幅広く様々な話をして,解散しました。
  次回の今里静座会は,1/24()18:30~22:00に宝厳寺で開催いたします(宝厳寺の部二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
                                      坂本法燈 拝
 
 (追伸) 31.1.10()1.13()の間に和歌山禅道場において人間禅和歌山座禅会第34回摂心会(担当師家洪濤庵老師)が開催されました。寒い中で師弟の間の張りつめた真剣勝負(参禅)が行われました。その中で,大阪から仕事の間を縫って深夜に和歌山に到着したため,門限の関係から禅道場のあるお寺の中に入れなくなり,自動車の中で一夜を明かして,翌朝の朝一番に参禅して直ぐ大阪に仕事で帰っていった道友(竜門さん)がいて,その道心堅固なところに感心させられました。(関西支部HPhttp://www.ningenzen.jp/kansai/もご覧ください)

なお,3/9()には関西禅道場で,各静座会会員を主な対象とした,年に一度の合同静座会が開催されますので,奮ってご参加ください。
 

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市民静坐会(1月16日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/1/16 19:09
  : 関西道場
   :45分×2回。
 参加者 : N氏TさんH氏、真際、慶雲   以上5名     
 直日:真際、  聖侍:中村、 
 
〇平成31年2回目の市民静坐会はH氏ほか常連のメンバーが顔を揃え本年度も 少しずつ充実した兆しを見せ、活力が伺えます。 
〇正月気分は完全に振り払っての90分の気力溢れる静坐を終えて、何物にも代えがたい充実感を味わいつつ、全員道場を後にしました。 
   慶雲 記 
 
禅林世語集 (土屋悦堂輯 京都其中堂書林)より。  
〇淋しさも 習いにけりな 山里に 訪いくる人の 厭わるるまで。 (兼好法師)  
○淋しさや 古堂に叫ぶ 猿の声。 
〇様々に 浮世の品は 変われども 死ぬる一つは 変わらざりけり。  
○様々に 変れる相も 変わる身も 業も一つの 心なりけり。  
○さまざまに とけども説かぬ 言の葉を 聞かずして聞く 人ぞ少なき。 (夢想国師)
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市民静坐会(1月9日)報告

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執筆 : 
関西支部 2019/1/14 9:23
  : 関西道場
  :45分 ×2回。 
参加者 : NさんBさん、真際、絶学、法燈、慶雲   以上6名    
直日:真際、 聖侍:Bさん 助警:法燈 
 
〇平成31年 最初の市民静坐会はいつも顔を出されるさんが体調を崩されて欠席されましたが、参加者6名 まずまずの市民静坐会となりました。  
〇作務(禅の修行として行う体を動かしての作業)についてはオールマイティーの大活躍をされる絶学さんは昨日も今日も道場へ出頭され、2階の隠寮の水道水漏れの修繕に取り組まれました。多謝。 
〇正月気分を振り払っての90分の気力溢れる静坐を終えて、何物にも代えがたい実感を味わいつつ、全員道場を後にしました。 
    慶雲 記 
 
禅林世語集 土屋悦堂輯 京都其中堂書林より  
〇悟りても 柳は同じ 緑かな。  
〇悟りとは 己が心を 責むるこそ 悟りの中の 悟りなりけり。 
〇悟りとは 悟りて悟る さとりなり 悟る悟りは 夢の悟りよ。  
〇悟りとは 眉毛の先の つるしもの あまり近くて 見る人もなし。  
〇悟りなば 坊主になるな 肴喰え 地獄へ行きて 鬼に負けるな。 (蜷川新右衛門)  
○さなきだに いとど危うき 露の身を 落ちよとさそう 萩の上風。(無窓国師)
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日時  12月27日 
      15:30~18:30 作務
      18:30~19:15 静坐
参加  明眼
 
 和歌山道場に参りますと、礌石さんが雨漏りで濡れた布団の代わりに関西支部の余分の布団を運び込んで下さっていました。また水漏れを起こしていた2階トイレは絶学さんが壁をめくって水道管の補修をして下さっており、外の草もどなたかが引いてくれていました。誠にありがとうございました。
 この日、隠寮エアコンのフィルター掃除やカーテンの洗濯をしました。夕方1階洗面所の掃除をしていましたら、窓の外に人の気配がします。2階は電気がついてないのに1階だけ点灯しているので心配になったと、隣のお寺(禅道場の大家さん)の和尚様が見に来てくださったのでした。皆さんのおかげで道場が維持できているのだと改めて思いました。
 2階の入り口に小さなしめ飾りをつけ、家から持って行った千両を堂内に置きました。あまり変わりえはしなかったですが、正月のおしるしです。一炷香独座し下山しました。どうかよいお年を。
  明眼 
 
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今里静坐会(12月27日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/12/30 7:52
12/27()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,さん鶴井随心さん坂本法燈が出席して,第191今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(大乗と小乗177~181)を輪読しました。

輪読内容は,小乗仏教は自己救済にとどまり利他がないのに対して,大乗仏教は自利利他を円満に具足しているところに基本的な相異があり,我が国では聖徳太子の高邁な識見から大乗仏教のみを取り入れ普及させたのが特徴である。釈迦没後500年頃になると仏教集団は,形式重視の上座部と内容重視の大衆部に分裂し,例えば,上座部は寂滅の語を解釈して灰身滅智(死滅)を説きだして消極思想に陥る(大乗仏教では,寂滅とは相対界の消滅を滅して絶対界に入り不生不滅を悟ることである)などしたので,真意派によって一大刷新運動が起こされ広大無辺の仏法を宣揚したのが大乗運動である。大乗仏教と小乗仏教では,救済の形質のいずれにおいても格段に大乗仏教が勝れている,といったようなことでした。

そしてこれに関連して,法華経は三乗(声聞縁覚菩薩)の教えを捨てて一乗(全ての衆生を解脱の岸へと運ぶ一つの大きな乗り物=大乗)の教えに統合していて,以前の三乗の教えは方便であったとしている。小乗(上座部)仏教と思われるスマナサーラは雑念を断つために自分の行動を実況中継することを説き,地橋秀雄(グリーンヒル瞑想研究所)は一瞬一瞬の知覚を言語化していくラベリング技術を説くが,実際に実践してみると余りに技術的な手法の習得に終始しいつまでも個我が残存しているようで如何にも煩わしいという印象を私には払拭できなかった。ただわが身をも心をも放ち忘れて仏の家に投げ入れる(道元)という簡素かつ自然な修養の方が本来のあるべき仏教のような気がしてしまい,思いの手放しをしていく非思量が大乗仏教であり禅であるように私には思われる,「青空としてのわたし」(山下)「アップデートする仏教」(藤田山下)では,小乗(上座部)から大乗への転換を,瞑想する主体が個我から本来の自己()へ転換する(雲から青空へ,小我からビッグマインドへ)などと称していて,これは核心を衝いている指摘であると思われる,また,上座部仏教では色即是空は認めるが空即是色(形のないものが形として現われているということ)は絶対に認めないといわれる,といったようなことを話し合いました。

次回の今里静座会(プレジデント今里の部)は,1/17()にプレジデント今里で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
    坂本法燈 記

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