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人間禅 関西道場


関西道場

京都府八幡市橋本東原28
090-3927-1237(法燈)
080-2516-4415
(慶雲)

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関西ブログ - ブログカテゴリのエントリ

土曜坐会(6月16日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/6/19 7:55
場 所 :関西禅道場
静 坐 :45X2
参加者 :Mさん、法燈、慶雲。以上 3名。
坐禅役位:   聖侍:Mさん  直日:法燈、

 
             記
 

○長い土曜静坐会の中には色んな静坐会があります。参加者の多い方が良いに決まっているが、今回は参加者の少ない静坐会であったが、意義ある静坐会であった

○当道場所在地在住のMさんが、参禅をご体験したいとの意向を表明されました。 これまで町内会その他のお世話をされて人一倍お忙しいMさんは時間をやり繰りされ道場に足を運ばれており、ヒマつぶしに坐禅でもやってみるかというような取組み方ではなかったことが伺えました。やるからには、何としても初関を突破され、禅の醍醐味を味わって戴きたいと念願いたします。

 

福原慶雲 記

 

 
「禅林世語集」(京都其中堂発行)より。
 

○此の世さえ うからうからと 渡る身は来ぬ世の事を何に思うらむ。(良寛和尚)

○此の世のみ 世とな思いそ後の世も 其の後の世も此の世なりけり。

 

○来いと云われず 手を叩かれず 歌の文句で悟りゃんせ。

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今里静坐会(6月14日)報告

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ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/6/19 7:50
6/14()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)173回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)26回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部はHさん・鶴井随心さん・坂本法燈が出席し,お寺の和尚さんも参加されました。第二部はHさん・Tさん・鶴井随心さん・坂本法燈が出席しました。
 第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(自然の見方120122)を輪読しました。輪読内容は,①自然を見る態度には,ⅰ自然のうちに完全な理があるものとして人間が自然に対立することなく自然の心(真理)に順応していく態度と,ⅱ自然を実験的に観察するため人と自然とが対立し自然は利用・征服されることに興味がもたれる態度の二つの違った見方がある,②ⅰは東洋的・仏教的で,自然は「どうしなくてもそうなっていく」もので,人為によることなく完備し,そこに理を認め真理を悟証していくのが東洋の観察態度である。仏教でいう諸法実相とは,ありのままの自然において,山河草木人畜禽獣の一切が,それぞれ仏性を備えてそのまま姿を現しているということである。したがって,自然に順応していくことが,人間を錬成し人格を完成する道でもあり,諸芸を成就するもとにもなるわけで,自然は文化の母体である。③ⅱは西洋的で,文化も倫理道徳も自然とは対立的にとらえられ,文化は自然を征服して人間が作るもの,道徳は自然を克服すべきものという思想であり,人為による文化・倫理道徳が,自然と相剋する事例がしばしば見られる(ソアーナの異教徒),といったことでした。

そしてこれに関連して,①自然法爾(人為を加えず一切の存在は自ずから真理にかなっていること)こそ,仏教の根底にありその本質であるともいわれている。(科学者は数式に神を見るともいわれる) ②大自然の作用は総べて法爾自然(如々)であるといわれ,この如是法三昧(自然法爾)の境涯から運び出せば,何をやっても是れ道,何を思っても是れ法で,嫌うべきものは何もなく,当所即ち蓮華国,此の身即ち仏なりとなる。つまりは,法爾自然に正しく生きることが大道に即した境涯で,人間が人間の性にしたがうことが何より自然であり人間の道であり,しかも人間が人間の道を行うことが本当に正しいことであり,それがまた本当に人生を味わう所以であるといわれる(当たり前のことを当たり前に・ありのままに)。③そして,そのような境涯に達するためには深い修行を要するところ,仏法の修行の眼目は何かの為にするものでもなく,自らが本来具有している仏の心性が,自然法爾に発現するように身心脱落していくことであるとされる。また,このような仏教は,キリスト教においては,最初の人間アダムとイブが神に背いて犯した原罪を負っており,本来人間は罪深いものであるとされているのとは,大きく異なっている,といったようなことを話し合いました。
 第二部は総裁老師著「坐禅の効用-常に平常心を保ってことに当たれる坐禅の効果30~34頁」を輪読しました。この本は,アマゾンでも禅部門でベストセラーになった本であり,初心者には分かりやすく,禅の入門書としても理解しやすいと思われます。簡易な坐禅ともいうべきマインドフルネス(ベトナムの臨済宗老師チク・ナット・ハンが提唱)が,世界的に流行し,アメリカにおいても,アップルとかグーグルや国防省も職員教育に採用しているのを見ても,その有効なことは明らかであり,大学などで脳科学的な効果の実証研究もされている。坐禅は,人間の心の自然(自然法爾)を保持するのに,ときどき頭頂連合野をリセットしてやる効果がある。数息観法は,仏教が仏陀によって生まれるはるか前の3000年前からの東洋的観法であり,仏陀が仏教のために数息観法を採用したものである,といったような話をして,解散しました。

 
 次回の今里静座会(プレジデント今里の部)は,6/21() 18:30~20:00にプレジデント今里1006号室で開催いたします。(二部構成。開催場所をお間違えのないようにお願いいたします)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
     坂本法燈  記

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市民静坐会(6月13日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/6/15 18:36
日 時 13日(
場 所 :関西禅道場
開始時間14:00
静 坐 :45分X2回

参加者 :Tさん、Yさん、Hさん、慶雲      以上4名。

坐禅役位   聖侍:Tさん、助警:慶雲、直日:Yさん

 

○梅雨の一休みの午後、4名での市民静坐会は、慶雲以外の3名は車利用で道場にあつまりました。

○八幡市会議員Y氏は約10年に亘る八幡市会議員としての議員活動の傍ら積極的に市民静坐会に参加され、春休み・夏休みなどに受け入れているインターンシップ学生の世話の一環として数年前から当道場での一泊座禅会などにも取り組まれ、本年も他の市の議員との共同で夏休み中の学生一泊静坐会を計画中とのことである。時期は8月末の予定との事。

   福原慶雲 記 

 
「禅林世語集」(京都其中堂発行)より。

○子を持ちし今の心に較ぶれば昔は親をは親を思わざりけり。

○此の経の心を得れば世の中の売り買う声も法を説くかな。

○此の道や 行く人なしに 秋の暮。(芭蕉)


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土曜静坐会(6月9日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/6/13 8:55
日 時 日(
場 所 :関西禅道場
静 坐 :45X2

参加者 :TMさん、Kさん、Aさん、THさん、Mさん、泰仁、礌石、法燈、慶雲。以上 9名。

坐禅役位:   聖侍:泰仁  助警:法燈、 直日:礌石 

             記
 

摂心会以後 最初の土曜静坐会は緊張感あるいい静坐であった

誰にとっても貴重な土曜日のひととき、真剣に坐禅を続けることの意義深さ、

静坐後の充実感は体験者でないと味わうことはできません。

同行の人達との何気ない表情やお互いに交わす言葉には何か励みになる力が潜んでいるように思われます。

 

慶雲 記

 

 
「禅林世語集」(京都其中堂発行)より。
 

○けぶくとも 後は寝やすき 蚊遣りかな。

○乾坤を其のまま庭に見る時は

我は天地の外にこそすむ。(宮本武蔵)

○乾坤を 腹におさめて 田植えかな。

○けろり閑 として烏と 柳哉。(一茶)

 

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今里静坐会(6月7日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/6/13 8:47
日 時 6月7日(木)
     18:00~18:30 摂心開催連絡打合せ(少しだけ)草引き作務
     18:30~19:15 静坐
参 加  さん随心明眼
役 位  聖侍:随心、直日:明眼
 
 先日の関西摂心に参加したさんがこの日も元気いっぱいに参加してくださいました。Y居士んは農繁期で静坐には参加されませんでしたが、静座会が始まる前に自宅で採れたビワを差入に持参してくれました。
 一炷香静坐後の茶話の話題は料理の話が中心になりました。さんが孫や親戚の人との共同生活で毎日料理を作っておられ、限られた時間に気持ちを集中して一気に料理を作るのが面白いとのことです。禅に通じるところがあると思います。また余談ですが、お通じがよくないときに、大根おろしの汁が効くというような話も出ました。
  明眼 拝
 
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和歌山木曜静坐会(5月24日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/5/24 21:40
日 時 5月24日(木)
     18:00~18:30 草引き作務
     18:30~19:15 静坐
参 加  明眼
役 位  直日:明眼
 
 道場の回りの草引き作務を30分行った後、一炷香独坐し帰路につきました。
この季節は草がのびるのが早く30分の作務ではとても追いつきません。次回はもう少し早く行き、きれいにしようと思います。
 帰りの阪和線で先行電車がイノシシとぶつかったという事で電車が数分遅れました。色々な事が起こります。
     明眼 記
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今里静坐会(5月17日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/5/19 21:24
昨日5/17()にプレジデント今里(大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室,千日前線今里駅,下図二参照)で,今里静座会(プレジデント今里の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)171回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部) 25回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。
 第一部はHさん・Oさん・Uさん・坂本法燈が出席しました。第二部はHさん・Oさん・坂本法燈が出席しました。

第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅をそれぞれ回座りました。
その後,真向法で身体をほぐして疲れを取り,抹茶をいただき茶話に興じました。

第二・第四木曜日に宝厳寺で開催されている今里静座会(宝厳寺の部)とは異なり,輪読は行わない代わりに,座禅は身にて学道する赤肉団(生まみの身体)の学道なり(道元)といわれるように,調身・調息・調心を大きな目標にしていきたいと思っています。
また,茶話会において,数息観の仕方や疑問,仏教全般への疑念,日常生活での問題点や要望など,さまざまなことについて自由な意見の交換をしていきたいと思っています。
当日は,Uさんから,雑念の防ぎ方についての疑問が出されました。座禅中の雑念を取る手法には,様々なことが言われています。ⅰ念起こらば即ち覚せよ之を覚すれば即ち失す(坐禅儀),ⅱ数息以外のことを考えずに二念を継がない(数息観のすすめ),ⅲ雑念を正念化する(新編無門関講話18),ⅳ雑念に取り合わずすぐに数息観・随息観にとって返す(秋月),ⅴ雑念を笹の葉に乗せて母なるガンジス河にそっと流す,ⅵ雑念を唯じっと観る(巌光庵),ⅶ意識的な腹式深呼吸(長呼気丹田呼吸)をする(村木,喚気一息),ⅷ正しい坐相を刻々に狙う中で放っておけば自ずと雑念が手放されていき雑念は自分から消えていく(曹洞宗の只管打坐),などのことが言われています。ⅰ~ⅳが基本でⅴⅵはこれと同内容であり,ⅶは長呼気丹田呼吸を強調するもの(白隠),ⅷ(曹洞宗)は正しい坐相を狙って本来の自己に深まっていく只管打坐を基本として思いの手放しを強調するものです。ⅰ~ⅵは効果が大きな正統派で,ⅶの腹式丹田呼吸も非常に効果があります(時には空といった深淵を覗くこともできます),また,ずっと修行が進むとⅷを試されてもいいように思われます。
その他に,ⅸ(上座部仏教):雑念にラベリングをし(地橋)・思考停止のために実況中継する(スマナサーラ)もⅰを強調して雑念を捨てていこうとするものですが,私には実践が困難でした。
様々な引き出しを用意して,自己に合った方法を工夫して,それぞれ実践していくことが大切なように思われます。

   法燈 記

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和歌山木曜静坐会(5月17日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/5/19 21:19
日 時 5月18日(木)
     17:30~18:00 和歌山座禅会会計担当引継ぎの最終確認
     18:30~19:15 静坐
参 加  山本居士明眼
役 位  聖侍:山本居士、直日:明眼
 
 静坐会が始まる前に、圭堂居士と二人で和歌山座禅会の会計引き継ぎの最終確認を実施。

18:30より一炷香静坐。終了後に禅子寮に積んであった大量の古毛布を、廃棄の為に山本居士の軽トラに積み込みしました。
1F廊下の古い冷蔵庫乾燥機も来月初に運びだし、山本居士に処分場に持ち込んでもらいます。間仕切りをやりかえた禅子寮を関西道場にならい整備し、実際に活用できる部屋にします。
 終わってから専門農家の山本居士に教えてもらいました。普通さつま芋には肥料をやりませんが、苗を作るときは肥料をやるそうです。また自分で作った苗は傷んでいないので取ってから3~4日水に浸け根を出してから植えると良いそうです。早速、育ちの悪い当家の苗に肥料をやりました。
 
   明眼 
 

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和歌山大学の清稟座禅会に行ってきました。出席は、顧問のH先生と男子大学院生1人と私の3名。


大学は毎年学生が入れ替わって行くので参加者確保が中々大変なようです。院生の方がH先生に熱心に新人募集の方法を相談されていました。これだけ熱意があればきっとうまく行くだろうな、と思って横で聞いていました。


12時半~13時まで静坐の後解散。一足早い「初夏新緑」の中を帰って参りました。


  明眼 拝
 

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今里静坐会(5月10日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/5/14 21:07
先日5/10()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)170回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)24回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部はSさん・Oさん・鶴井随心さん・坂本法燈が出席しました。第二部はTさん・鶴井随心さん・坂本法燈が出席しました。
 第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(あたりまえのこと,ありのまま112115)を輪読しました。輪読内容は,①禅の公案や禅語には一見常識はずれのように思われるものが多いが,その真意に到達すれば,ごくあたりまえのことをいっていて,少しも奇異なものはない(仏とは,喫茶喫飯屙屎送尿困じ来れば肘を枕にして寝る(喉が渇けばお茶を飲み腹がへれば飯を食い小便・糞をたれ疲れたら寝る,これが仏だ))。しかし,実は当たり前のことを当たり前にしていくことほど難しいことはない。②趙州の有名な則に「至道無難 唯嫌揀択」があり,この語の意味は,至極の大道はきわめて平易なものであたりまえにすればよい,それをあれこれとむつかしく思慮分別するから,かえって真理から離れるという趣旨である。③柳は緑・花は紅という禅語があり,これはありのままに真理であることをいったものであるが,同じく柳は緑であっても悟る以前と以後とでは大きな違いがある。(色即是空の真意を)悟る以前に柳は緑と見ているのは相対的な見方であり,その相対界を破って唯一絶対の悟り(色即是空)に到達すれば,柳は緑を失い花は紅を失い,山は山でなく川は川でなくなるが,その唯一絶対が現象界に現れると柳は緑・花は紅となる(空即是色)。空とか色とかいってもそれは二つの別のものではなく「空即色」一体のものが実在しているのである。禅でいうありのままは,悟り終わった上で,あるがままの姿に空即是色の絶対の実在を見ているのである(柳は緑そのまま絶対の実在),といったことでした。

そしてこれに関連して,①本当の自己・真実の自己を極めていくと,自己と汝さらには宇宙との境界がなくなり全てがぶっつづきの一体()であることを体得することになり(天上天下唯我独尊そして色即是空に通じる),そこでは緑だの紅だのといった相対的な価値はなくなってしまうが,大乗仏教においてはこの色即是空はそのまま直ちに空即是色なのであって(このことを唯一絶対が現象界に現れると表現している),本来空と色は一体で不二一如のものなのであるから,このことを悟得し得た後には柳は緑・花は紅となる(あるがままの姿に空即是色の絶対の実在を見る)。②この色即是空がそのまま空即是色であるとする如是法三昧の境涯から運び出せば,何をやっても是れ道何を思っても是れ法で,嫌うべきものは何もなく,当所即ち蓮華国・此の身即ち仏なりであって,娑婆即寂光浄土と観て,菩薩の遊戯三昧を行じることができるようになるであろう,③この境涯が,喫茶喫飯屙屎送尿困じ来れば肘を枕にして寝るであり,至道無難・唯嫌揀択であり,柳は緑・花は紅であろう,といったようなことを話し合いました。
 第二部は総裁老師著「坐禅の効用-他のことに気を散らさないで今に集中できる効果25~30頁」を輪読しました。この本は,アマゾンでも禅部門でベストセラーになった本であり,初心者には分かりやすく,禅の入門書としても理解しやすいと思われます。道元の言葉に,「頭燃をはらふがごとく坐禪をこのむべし」(頭に火がついたのをはらいのけるように少しの猶予もなく坐禅をとりあげて行いなさい)というのがある,老師や先輩の中には,1年間で1千炷香とか,数年間で1万炷香とかを実践されている方々がいらっしゃり,坐禅は質よりも量であるとも仰っていた,といったような話をして,解散しました。

法燈  記

 
 

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