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人間禅 関西道場


関西道場

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関西ブログ - 最新エントリー

今里静座会報告(1月9日)

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関西支部 2020/1/14 21:10
1/9()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)226回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)54回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。
 第一部は、耕隠さん・法燈が出席し、第二部は、耕隠さん・Sさん・MWさん・MSさん・法燈が出席して開催されました。(MSさんは初参加)

第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分の座禅をそれぞれ2回座りました。
 その後,第一部は,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(悟後の修行85~94)を輪読しました。輪読内容は,長い間の精進努力がみのって、父母未生以前における本来の面目即ち真実の自己を徹見したときの歓喜は大きく法悦は深く、禅の修行の目的である自力による救済・安心立命は一応達成されたが、それは禅の山に第一歩を踏みいれたに過ぎない。禅の奥の院に到達し、本当の安心立命の実境涯をえ、禅者の洒々落々たる大自在の境涯にいたるためには、さらにさらに修行を継続していかねばならない(悟後の修行)悟りに二つはないと悟後の修行を否定する向きもあるようであるが、凡庸なわれわれの場合においては、さらに坐禅の行にはげんで、着実に一歩一歩と自らの実境涯を高めて禅の奥の院にせまる以外に道はない。大悟十八回小悟その数を知らずともいわれるように、梯子禅と罵倒されようと悟後の修行の階梯を一歩一歩と登りつめていくほうがはるかに確実でわれわれに向いている。悟後の修行の大綱を、以下有名な禅書「十牛図」、即ち、父母未生以前における本来の面目=仏性ないし真実の自己を一頭の牛になぞらえ、この牛をさがしにかかる初発心の段階から究極の活仏の段階まで、言い換えれば禅の修行の全過程を十段階にわけ、それぞれの段階を図と序と偈頌とをもって説いたもの、によって説明する。撥草尋牛(初発心つまり西も東も分からず尋ねまわっている)段階、権為見跡(牛の居場所くらいはおよそ見当がついてくる見性以前の迷いの)段階、従声見牛(初関をパスして真実の自己とはこいつだ!これが仏性だ!と理の上で気がついたが、実際に仏(自覚覚他・覚行円満=完成された人間)の境涯に到りえたわけではなく、実際には仏性は依然として本能欲望の雲におおわれがちである、見性入理の)段階、この理仏を事仏にまで育てあげていくことが悟後の修行である、得牛加鞭(悟後の修行の最初の段階で、牛は煩悩妄想がきわめて旺盛であるから、手綱をしっかと握って大いに鞭をくれて野性を矯め飼いならさなければならず、修行で最も骨の折れる重要な)段階、換主人公の則=惺々著、といったようなことでした。
 そしてこれに関連して、頓悟と漸悟の違いがあるとされるが、釈迦、空海や道元のような天才でない私たちには、十牛図による漸悟を地道に歩むのが王道である。初関の透過は、従声見牛の段階とされており、図柄でも牛の尻を描いてあるだけで牛の全体を得ていないことを暗示してあるように、境涯的には、成仏したとはいっても真実の自己は煩悩妄想にさえぎられて依然として迷える凡夫の境涯にさまよっているのが実情であり、見性入理(自己即仏であることを理として自覚したにとどまる)という低次の見性にすぎないものであって、自覚覚他・覚行円満という、自ら円かに悟り他を悟らしめ悟りと実行とが一致する実境涯をえた完成された人間(事仏)とは相当離れており、実境涯を伴わない理仏の段階であるとされているのを見て、若干安心した(自己の経験に照らして見性入理で深く入れたという実感が余り感じられなかった故に)換主人公の則=惺々著とは、真実の自己が一切の他者(真実の自己以外の一切のもの)に対して常に主体性を確立しておれという意味のようで、人間禅における最も重要な聖典とされる「寶鏡三昧」の最後で「只よく相続するを主中の主と名づく」とされているように、正念の相続が修行における主中の主である、といったようなことを話し合いました。
 第二部は、人間禅名誉総裁老師著「坐禅の効用・一日一炷香のすすめ176184頁」を,輪読しました。禅修行において、公案参究によって道眼を開き、数息観の行取によって道力を付けることは、車の両輪であり、両者相まって人間形成が完成すると言われている。一日一炷香を欠かしたら法が絶えるという決意をもって、修行に励むようにという教えの有難さは、私自身も実感しているところであります。NHKTVを見ていると(サイエンスゼロ,ためしてガッテン),ハーバード大の研究で座禅やマインドフルネスなどの瞑想を2ヶ月間行うことによって海馬が活性化して5%増大し脳幹・小脳も増大したとの報告,自閉症・不安神経症・認知症・ストレス不安等にも効果がある,うつ病の非再発率が高まる(向うつ薬よりも高率),遺伝子の働きが変わるといった報告もあるそうです、といったようなことを話し合いました。


     坂本法燈 記

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今里静座会報告(12月26日)

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関西支部 2020/1/1 10:32
12/26()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,Tさん・耕隠さん・坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されて,第225今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(参禅と見性78~84)を輪読しました。

輪読内容は,師家から授かった公案につき自己の見解ができたら、その見解が真正の悟りであるかどうかを鑑別してもらうために、師家の室に独参しその見解を呈する(入室参禅)が、師家は工夫の仕方や方向を指示したり激励することはあっても一言も教えるようなことはしない(人情を涓滴も施さず)夏目漱石の小説「門」(主人公は宗助)に、漱石自身が鎌倉円覚寺で実際に参禅を体験したことを描写した場面がある(実際の老師は釈宗演、漱石の世話をした青年僧は釈宗活(釈宗演の勧めで人間禅の前身を創設)であった)。漱石(宗助)は、大疑団となり公案(「本来の面目」)と自己と不二一如になって工夫することなく、公案を自己に対立させて思慮分別をめぐらし脳細胞で思索していたのであり、数息観をしたこともなく公案に取り組んだので煩悩妄想や思慮分別が湧き出て禅定三昧どころではなく、また、恥も外聞も忘れて根気強く何回でも入室参禅を繰り返すだけの大憤志と根気がなく、ついに十日間で根を上げて、初関を透過できないまま山門を出ていく羽目になった。数息観によって養った三昧力をもって煩悩妄想はもとより一切の思慮分別・理屈道理を棚上げにし父母未生以前の世界に入ること、そして公案と自己と不二になること、これがこの第一関門を透過する上の要諦であり、それ以外にはいかなる抜け道もないのである。初関透過に至るまでには、人それぞれの個性や素質や因縁などによって期間の長短はあるが、如法に修行をつづけて退転さえしなければ、万人が万人誰でもみな、その賢愚・利鈍・僧俗・男女の別にかかわりなく、父母未生以前における本来の面目を徹見することができる。そして、この本来の面目とは、釈迦が「一切衆生悉有仏性」といったその仏性と、名は異なるが実体は同じものであるから、本来の面目を徹見することは、とりもなおさず釈迦の悟った仏性を徹見することで、その意味でこれを見性というのである、といった内容でした。

これに関連して,公案は、転迷悔悟の方便であり、人々の持つ鉄鎖(貪瞋痴)や金鎖(仏見・法見)などの拘りを打ち砕くハンマーであり、それによって初めて人々が誰でも本来豊かに有しているぎらりとした仏性が現れ出ることになるともいわれる。人情を涓滴も施さないということは師弟にとっても辛いことであるが、これが長い目で見た場合の本当の親切であって、情けをかけた老婆心はかえって本人のためにならず人間としての成長(大成)を妨げると繰り返し言われている。師家が入門してきた学人を室内において公案修行の指導・育成するやり方は、師家それぞれの人柄・家風を反映して千差万別であるといわれる。初関も浅く透ることもあれば、深く透ることもあろう。しかしながら、初関を透過して見性入理の段階に至ったとしても、その後の永い見性悟道・見性了々などの修行の段階が待ち構えているのであって、要は、各学人の個性や器量などに応じて、長期的な視野に立って学人に道力・道眼を付けさせ、学人の一生涯を睨んだ人間形成を大きく完成させていくことが最大の眼目であると思われ、参禅は、師家と学人の命がけの真剣勝負ということができるであろう、といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の居酒屋に赴き,懇親会を開催しました。寺院での参禅や徹宵夜坐の厳しさや、各師家の家風、知人の近況ことなど,さまざまな話を交わして解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,1/9()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
     坂本法燈 記


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今里静座会報告(12月19日)

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関西支部 2019/12/22 21:13
12/19()にプレジデント今里(大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室,千日前線今里駅,下図二参照)で,第224今里静座会(プレジデント今里の部)(18:30~20:00)が開催され、Tさん・坂本法燈が出席しました。

最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2座りました。その後,真向法などで身体をほぐしました。

 今里静座会(プレジデント今里の部,第3木曜日)では,宝厳寺で開催されている今里静座会(宝厳寺の部,第24木曜日)とは異なり,輪読は行わない代わりに,座禅は身にて学道する赤肉団(生まみの身体)の学道なり(道元)といわれるように,調身・調息・調心を通じた数息三昧を大きな目標にして行きたいと思っています。また,懇話会において,数息観・仏教の修行の仕方や疑問,日常生活での問題点や要望から法律問題など,さまざまなことについて自由な意見の交換をしていきたいと思っています。
 この日は、近所の食堂で、来年215日の合同静座会の件、現役当時や現在の生活の在り方やよもやま話などについて、意見交換をしました。「もし人一時なりといふとも三業(身口意)に佛印(仏心印)を標し三昧に端坐するとき遍法界みな佛印となり尽虚空ことごとくさとりとなる。(道元・弁道話)

    坂本法燈 記

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土曜静座会報告(12月7日)

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関西支部 2019/12/16 20:33
日時:12月14日 土曜日  19:00~
場所:人間禅関西支部 
参加者:坂本法燈、M居士、柏谷絶学 (3名)
 
19:00~ 静座30分x2回
 
  終了後簡単な茶話会、
21:00 解散
*12/7は、歴史探索、次週12/21は、例会、忘年会なので、今日は、 とても静かな道場で、 静かに静座することに集中いたしました。

   絶学 記

 
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土曜静座会報告(11月16日)

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関西支部 2019/11/22 9:18
日時 2019年11月16日(土)19:00-21:00
場所 関西禅道場(京阪橋本駅下車 徒歩15分)
内容 座禅/茶話会
参加者 泰仁さん(当番),M居士、法燈、 3名

深々と冷えを感じる座禅会であった。

 茶話会では,数息観のやり方の問題、三昧の深さの話、数息観だけでどこまで境涯を高めることができるか、公案への取り組みの問題など、様々な問題が話し合われた。また、超ご多忙な泰仁さんの近況報告なども伺った(泰仁さんは翌日は和歌山の一日静座会に参加されて、講演をしていただく予定である)。土曜静座会は風邪気味ということで欠席されたが、絶学さんが、土曜静座会の前にお独りで道場で作務をされたとのことで、30袋近い草木のビニール袋などを何と独りで穴を掘って埋められていただけではなく、その他、シーツの整理なども行われており、全く驚愕してしまった。絶学さん有難うございました。
 なお、この日の午後1時過ぎ頃の随心さんからのメールで、脇田巳代治(圭堂)居士逝去の報を受けた。 最近は、炭﨑先生のご逝去など、色んな大変な事件の起こる日常である。 皆様方は、お体をお大切になさってください。

法燈 記

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土曜静座会報告(11月9日)

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関西支部 2019/11/13 8:58
日時 2019年11月9日(土)19:00-21:00
場所 関西禅道場(京阪橋本駅下車 徒歩15分)
内容 座禅・茶話
参加者 礌石,M居士、K居士、Nさん、法燈、 5名

少しずつ寒くなって来ていることを実感する座禅会であった。
茶話では,草木ごみ処理方法・道場北側庭で野菜を耕作することについてNさんから提案があり、皆で検討することになった。また,礌石居士が1年近く取り組んでいた仕事の大型案件がやっと山を越えそうなことなどが話題となった(礌石居士は,次回の摂心会からは張り切っています)

合掌 法燈 記

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今里静座会報告(11月7日)

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関西支部 2019/11/11 10:06

11/7()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)220回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)53回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。

 第一・二部ともに、Mさん・坂本法燈が出席して開催されました。

第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分の座禅をそれぞれ2回座りました。

 その後,第一部は,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(信のおける師家63~67)を輪読しました。輪読内容は,師家を選ぶに当たって最も重要でかつ比較的にわかりやすい基準は、その師家がどの法系に属し、誰の法を嗣いだか、さらにその嗣法が確実かどうかを調べてみることである、正統の法系に属し嗣法が確実であれば、その師家は師家としてまず信をおいてよいであろう。禅では古来、伝法・嗣法ということを極度に重視し神聖視していて、弟子の中から嗣法にたえる人物をたたき出し、これに法を嗣がせ禅の法脈を絶やさないことは、師家たるものが命がけで果たすべき最大の使命・責任とされている。弟子の道眼が明白に道力が絶大になり、よく正念が一貫相続し、その悟りの境涯が師匠のそれと近いまでに円熟し高まってきて、その結果期せずして師匠の肚がわが肚となり、師匠の誓願である正法の護持とその弘宣流布とが何ものにも優先するという心構えが勃然ともえあがってくると、師匠は弟子の境涯の円熟したのを確かめて証明を与え、さらに熱意・実行力・徳望・学識・健康など諸他の条件をも勘案し禅の師匠たるにあたいすると判定してはじめて、師家として世に立つことを印可するのである。もしもこういう師家があるなら、その師家が僧侶であるか在家の居士であるとにかかわりなく、しばらくその主宰する摂心会に参加し、提唱や法話を聴聞しその風格にも接してみて、その師家に絶対の信をおけるとの確信ができ、かつ自らに猛烈不退の求道心があるならば、入門を願い出ればよい、といったようなことでした。

 そしてこれに関連して、人間禅に関していうと、鎌倉円覚寺管長今北洪川・同管長釈宗演・釈宗活(宗演の勧めで洪川の始めた両忘会を再興)と続いた法脈が、在家の立田英山耕雲庵老大師に伝法(歴史上初めて在家の居士身のままで嗣法)されて、老大師が昭和24年に人間禅を発足させた(山岡鉄舟や中江兆民らが結成し洪川が始めた両忘会の後身に当たる)今北洪川が山岡鉄舟に宛てた手紙が残っており、鉄舟(江戸城無血開城に活躍し明治天皇の侍従となるなど明治の剣道・禅の大家)が侍従職などを辞して出家し僧になる決意であることを聞いた洪川(自らは出家し本格修行するために妻子を離縁せざるを得なかった)が、鉄舟は昔中国で禅修行しながら国の大臣を辞めなかった著名な顔真卿・富・范などのように、在家のまま明治政府の要職で活躍すべきであるとして、出家を強く止める手紙を書いている(鉄舟は出家しなかった)。このような経過を経て、歴史的に見て、在家が在家に嗣法伝法するという前代未聞の僧伽が上記のように誕生したのである。新到者には、オウム真理教などのカルト教団との区別はつきにくいので、たしかに、仏祖の慧明を嗣いでいる嗣法者なら間違いはないといえるだろうし、形式的ではあるけれどもそれが現実的で次善の選択であると思われる、といったようなことを話し合いました。

 第二部は、人間禅名誉総裁老師著「坐禅の効用-後期の数息観168173頁」を,輪読しました。禅修行において、公案参究によって道眼を開き、数息観の行取によって道力を付けることは、車の両輪であり、両者相まって人間形成が完成すると言われている。三昧力の深化によって初めて公案がしっかりと見えてくるし、道眼が本当に開かれる。逆に、三昧を深めるだけの只管打坐では、公案に込められた祖師方の崇高な香り高い境涯を我が物にすることは極めて難しい。古則公案は生き物であり生ものであり、師家と学人の間の生きた商量で仏祖の境涯をその場に蘇らせることができるかどうかが問題であり、そのためには上級数息観三昧が必要である、といったようなことを話し合いました。


 次回の今里静座会(プレジデント今里の部)は,11/14()18:30~20:00に,プレジデント今里で開催いたします(一部構成)

 奮ってのご参加をお待ちしています。

 よろしくお願いいたします。

     坂本法燈 記

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今里静座会報告(10月24日)

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関西支部 2019/10/28 20:50

10/24()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,Sさん・Tさん・耕隠さん・随心さん・法燈が出席して,第219今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。

 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(学道の三則57~62)を輪読しました。

輪読内容は,学道(修道)の三則は大疑団・大憤志・大信根であり、修行を根気強く継続し大成する上の原動力である。大疑団とは、人生の根本問題(死とは・仏性とは・平等と差別の関係・真実の自己等)に関して、大きな疑いをもちそれの徹底的な解決を求めて全身これ疑いのかたまりとなりきることである(疑わざる是れ心病なり(臨済))。大憤志とは、釈迦と同じ悟りを開くための仏道修行・人生の根本問題を自力で解決し生きがいある人生を送るための禅修行を行うために、釈迦何人ぞという猛烈不退転の決意と自信を持つことである。大信根とは、宇宙に不生不滅・唯一絶対の理である如是法の存在すること、釈迦や仏祖らは如是法に体達しそれを体現した活仏であること、この師家に就いて如法に修行を継続しさえすれば自分もまた必ず釈迦と同じく如是法に体達する(転迷開悟し仏道を行じる)ことができることを信じることである。この三則の中でもがことに重要である(法然に騙されて地獄に落ちても可なり(親鸞)・慧可断臂)、といった内容でした。

これに関連して,「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとそればそれは仏教だ(アインシュタイン)」ともいわれるように、仏教や禅は最先端の現代科学と少しも矛盾しないといわれます。仏教や禅の空、すなわち諸行無常・自他不二・相互依存・相即相入といった世界は、138億年前の宇宙開闢たるビッグバンから始まる太陽・星・宇宙の万物が生成・消滅・変遷を繰り返している過程や、宇宙のあらゆる物質の分子・原子を構成する最小単位である素粒子のレベルで微細なクォークといった粒子が生きているかのように動き生成・消滅・変遷を繰り返している過程と、極めて酷似しているだけでなく、最近では仏教の量子力学やさらにはダークマターとの親和性なども取り上げられているようです。このように、禅や仏教は、迷信や妄信とは無縁な、現代科学にも寄与しうる、疑うに足るまた信ずるに足る宗教であるということができると思われます。啐啄同時(雛が孵化するときに雛は中から親鶏は外から卵の殻をつつきその息が合って雛が殻から飛び出してくる)といわれるように、他力でも自力においてでも、修行者の大憤志は修行の大前提(第一歩)であり必要不可欠なものである。大信根とは、この師家のもとで自分も釈迦と同じく如是法に体達することができることを信じることであるが、道元は次のように言っている、「阿耨多羅三藐三菩提を修行するときには導師を得ることが最もむずかしい。無上菩提を述べ説く師に出会ったときには氏素性を観察してはならないし、顔のよしあしを見てはならないし、間違いとみられることがあってもいやがってはならない、行(修行の生活の仕方)を批判してはならない。衆のための主人である人は必ず法の眼の明るさによって判断しなさい。ひとえに得法を敬う(得道の人を礼拝する)のである。」,といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の居酒屋に赴き,懇親会を開催しました。日頃の悩み,天災のことから,故郷のことがらなど,さまざまな話を交わしました。

      法燈 記



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土曜静座会報告(10月26日)

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関西支部 2019/10/28 20:41
日時 2019年10月26日(土)19:00-20:30
場所 関西禅道場
内容 座禅30分×2回/茶話会
参加者 長空庵法燈居士、K居士、M居士、N居士、T禅子、明眼 6名
    (居士は男性への敬称、禅子は女性への敬称です)

 奥庭のザクロの実がきれいな茜色に色づきました。関西道場も秋が進んでいきます。

その道場にて6人で30分×2炷香静坐。終わった後はお茶を飲みながらよもやま話をしました。今回は野菜作りの話が中心でした。Nさんは、かなり手広くやっておられタマネギも1500本も植えられるそうです。広いにしろ狭いにしろ、ものを育てるのは楽しいものです
皆さんの顔が微笑んでいました。

  明眼 記

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土曜静座会報告(10月19日)

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関西支部 2019/10/23 9:58
日時 2019年10月19日(土)19:00-21:00
場所 関西禅道場(京阪橋本駅下車 徒歩15分)
内容 座禅/「禅が問う私の事【その一】」/茶話会
参加者 長空庵法燈居士、K居士、M居士、T禅子、智常 5名

今回の土曜静坐会は智常の担当でしたので、一炷香(30分)の静座の後、
智常から「禅が問うわたしのこと(その一)」として40分程度お話しさせていただいた。
その後、20分ほど静坐し、座談会とした。

5人だけではあったが、味わい深いひと時であった。
   智常 記

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