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関西ブログ - 今里静座会(7月25日)報告

今里静座会(7月25日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/7/29 9:29

7/25()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,耕隠さん・坂本法燈が出席して,第212今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。

 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家如々庵芳賀洞然老師著「禅入門」(自力救済の道22~25)を輪読しました。

輪読内容は,仏教で古来より説かれる,八正道や六波羅蜜の中で最も基本的なものが正定・禅定であることは,釈迦の成道の経緯をみれば明らかである。釈迦は,出家した後,まず,バラモン教学によって哲学的思索の積み上げにより学問的・知識的に無限絶対なものを把握しようとつとめたが,求める我と求められる真理との対立を前提としている哲学的な思索(相対的知識)を積み重ねても,無限絶対なものに届かぬことは理の当然であり,これを断念した。次いで,難行苦行により,一切の欲望を断じつくして,無限絶対の世界に入ろうと努力したが,生身の人間である以上,生物としての本能・欲望は断じつくせるものでもなく,これも断念した。最後に釈迦が実践したのが,禅定三昧を行ずる道であり,相対の世界に生きるわれわれ人間が,自力で対立を絶した絶対的なものをつかむには,一切の差別・相対の未だ分れない以前の世界・主観と客観未分以前の世界に立ちかえる,つまり,絶対そのものと不二一如となる以外に術はなく,そのために坐禅による内観静慮の法以外には道はないと決断して,菩提樹下で坐禅の行を続け,ついに禅定力が熟し,前後截断・主客未分以前の世界に入り込み,12/8朝明けの明星を一見した機にふれて忽然と正覚を成じ,無限絶対なものを,この五尺の肉体をそなえた生きた自己に即して証悟した,といった内容でした。

これに関連して,釈迦の開語の話は,実に感動的な物語であり,(著者が述べるように)有限相対な人間がそのまま無限絶対のものたりうること,また禅定三昧の行がそのための唯一のしかも確実な手段であることを,自らの実践によって証明したもので,空前絶後の大発見であった。良心的に実践しているかとの反省の結果,一遍は誰でも自己嫌悪に陥るものであり,逃避することさえ許されないこの深刻な血みどろの悩み・苦しみを救済するのは宗教以外にはなく,宗教の救いは実にそこにあるといわれる。かくて,大乗仏教徒は自己を否定し尽くした上で自己を肯定し,安らかな信仰に住して,いやが上にも自らを清うしながら感謝の日々を送っており,確固たる信念の下に,いよいよ正念の工夫を試みながら,日々是好日の人生を味わって居る。娑婆即寂光浄土とか,煩悩即菩提とかいうことは,理の上において大乗禅の基盤をなしているばかりでなく,到り得帰り来たってみれば事の上においても亦然りで,娑婆を離れて浄土を求むる必要もなく,煩悩を棄てて菩提と入れ換える必要もない,離れたり棄てたりしてはいけません,否離れることも棄てることもできません,そのままで宜しいそれだけのこっちゃ,これが大悟徹底した見性了々底の境涯というものである,というのが耕雲庵老大師の説くところ(人間形成と禅)である,といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の居酒屋に赴き,懇親会を開催しました。動中の工夫の重要性,「無字」の公案には雑則があることや,ビッグバンと宇宙の成り立ちなどについて,さまざまな話を交わしました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,8/8()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)

 奮ってのご参加をお待ちしています。

 よろしくお願いいたします。

                                  坂本法燈 拝


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