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関西ブログ - 今里静坐会(11月8日)報告

今里静坐会(11月8日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/11/10 7:26
11/8()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)187回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)35回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部はY居士さん鶴井随心さん坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されました。第二部はさん鶴井随心さん坂本法燈が出席しました(さんは初めての出席)
 第一二部とも,最初に般若心経を唱えて,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(雑念を起こさぬ166171)を輪読しました。輪読内容は,前に,眼耳鼻舌身意の六根門から外部の刺激を受けいろいろのものを識別しても,なおかつ環境に汚染されずにいるのが、不垢不浄の本性であるといった。しかしながら,眼にものを見れば美しいとか汚いとか意識するのが当然なところ,それでいて汚染されることなく清浄であるのはなぜかという問題が起きるが,雑念にとらわれないためには,一念を生じたところで打ちきって二念をつがず,二念三念と執心しないようにすれば,無心で思慮分別がなく清浄を保つことができ,しかも後に何等の痕跡も残らない。(うつるとも月も思わずうつすとも水も思わぬ広沢の池) 維摩経中の物語に,維摩や文殊菩薩達が衆生を観ずるにはどうすればよいかを論じた挙句、「無住の本より一切の法を立つ」と維摩が結論を下したとき,一人の天女が現われ菩薩方や弟子達の上に花を撒き降らしたところ,この花が菩薩達の身に降りかかると、ヒラヒラ舞い落ち花がついた痕跡を残さないが,(墨染めの衣をまとっている)弟子達に降りかかると、のりづけをしたようにピッタリ体にくっつき(きらびやかで不浄(不如法)な花を)もぎ取ろうとしても取れなかった。菩薩達と花には思慮分別がなく汚染されないが,弟子達には思慮分別があり不如法になり汚染されるから、ついて離れなかったのである。老婆が、長年供養していた僧に対して,年頃になり美しくなってきた娘に意を含めて僧にすり寄らせてこの僧の人物を試したところ,僧は少しも騒がず「古木寒巌に寄る三冬さらに暖気なし」(出家として色気など微塵もないわい)と言ったので,この婆子はこの僧を人物ができていない馬鹿坊主といって追い出し、住んでいた庵を見るのもけがらわしいと焼き払った(「婆子焼庵」という有名な公案)。その他,坦山和尚が若い婦人を背負って川を渡った逸話。このように,自己の本性を悟れば無着,無住でありあらゆるものを応接して汚されもしなければ痕跡だに残さない。(坐禅せば四条五条の橋の上往き来の人をそのままにして),といったものでした。

そしてこれに関連して,雑念を取り除く手法には,数息観以外のことを考えずに二念を継がない(数息観のすすめ上記輪読内容①)念起こらば即ち覚せよ之を覚すれば即ち失す(坐禅儀)雑念を正念化する(耕雲庵老大師)雑念に取り合わずすぐに数息観に取って返す(秋月)雑念を木の葉に乗せて母なるガンジス河にそっと流す,雑念を唯じっと観る(巌光庵)意識的な腹式深呼吸(長呼気丹田呼吸)をする(村木,喚気一息)正しい坐相を狙う中で放っておけば自ずと(所詮は根無し草であるから)雑念が手放されていき、雑念は自分から消えていく(曹洞宗の只管打坐)雑念にラベリングをするなどする(地橋,スマナサーラなどの原始仏教)などのことがいわれている。からは同旨であり,念起こらば即ち覚してこれに取り合わず、すぐに数息観に取って返し唯ひたすらに数息観と一枚となるという点で一致するし,はこれに若干技術的な面を加味したものであり,これらが王道のように思われる。からで少し経験を重ねた後に試してみるとよいと思われる。は私にとっては余りにもせわしなくて煩わしい些末で技術的な手法のように思われた。維摩経の話,婆子焼庵,坦山和尚の話など,如何にも禅的で大変に面白い話であり,大いに骨折って工夫し,参禅弁道すれば力が付くものと思われる。煩悩即菩提,娑婆即寂光浄土であり,自己の本性をしっかりと掴んで,随所に主となれば立処皆真なりと生きたいものである。和尚は,禅により,ニュートラルな立ち位置を常に探ることの重要性を説いておられた,といったようなことを話し合いました。

 第二部は,総裁老師著「坐禅の効用--7我がまま自己中心を消滅させる効果46~51頁」を輪読しました。座禅で三昧に入り頭頂連合野がサイレントになり前頭葉が活性化すると,他と区別する意識が減退することが、脳科学的にも指摘されているという。これにより、個我小我エゴが空じられ、自他不二の境涯を体得することに繋がり、大我ビッグマインド本来の面目絶対の自己が確立されることが促されることになり、最初の公案(初関)の透過に与るのであろう。ただし、本当の意味で、我がまま自己中心を消滅させるには、さらに座禅三昧を深めて悟後の修行を積み重ねていく必要がある、といったような話をして,解散しました

   法燈 記
 

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