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関西道場

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関西ブログ - 今里静坐会(10月25日)報告

今里静坐会(10月25日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/10/28 19:01
10/25()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,さんさん鶴井随心さん坂本法燈が出席して,第186今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(隠すものなし163~166)を輪読しました。

輪読内容は,清浄であれば,隠すべきものは一物もなく,執心がなくなり,心を閉ざしておく必要がなくなるため,常に開け放して楽々としていられる。ある僧が趙州禅師に対して「いかなるか是れ趙州」と問ったところ,趙州は「東門西門南門北門」と答えた。一切の門戸を開き,表からでも裏からでもどこからでも入って隅から隅まで自由に見てくれと言っているのであるが,そこまで言える人は少ない。禅の修行は,堂々とあけすけに自己を開放し,誰の前にでもさらけ出せる人物を鍛えるもので,見られて困るものがある間は,本当に自己を確立したとはいえない。というのも,元来法といい,道というもの自体がちっとも隠されていないからで,その法を悟った上で法どおりに行っていくなら,これまた隠すべきものはちっともないはずである。孔子も弟子に対して「吾なんじに隠す無し」(論語)といっているように,儒教においても,聖人の道は無隠であり聖人に隠すべきものはない。黄竜宗(臨済宗の一派で相手が最も得意とするものを取って相手を説得することを特徴とする)の祖心禅師が儒者の黄庭堅に対して,木犀の香ばしい香が漂ってきた際に,「吾なんじに隠す無し」といって悟らせたという逸話があるといったようなことでした。

そしてこれに関連して,禅の修行により,虚妄の我を殺し,大死一番絶後に再蘇して,自己の本心本性正体真理を悟ることができれば,我と汝と尽一切はまさしくぶっ続きの生命を生きていることを体得するに至るであろうが(内山興正),そうなれば,一切の垣根や牆壁がなくなってしまい,執心がなくなり清浄となり,誰に対してでも隠すべきものは一物もなくなってしまうに違いないであろう。このようなぶっ続きの生命仏性というものは実は誰の眼前にでも明々白々に露呈されているもので,そのことに気づくか気づかないかの差があるにすぎないのであり,また法といい,道というものも,このような自他不二に徹した境涯からは,自ずから運び出されるものであろう,なお,儒教の説くところは禅とほとんど同一であるが,儒教には実践的修行方法がなくなり衰退したといわれている(今北洪川禅海一瀾),といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の店で懇親会を行いました(これにはSさんも合流されました)。その際に,女優の原田美枝子が禅をやっているという話から,現代人の精神的安寧を図るためにも,禅やマインドフルネス(簡易な禅ともいわれる)などによる心の豊かさの醸成の大切さ,さらには宗教教育の重要性なども話し合って、解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,11/8()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
     坂本法燈 拝

 
 


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