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関西ブログ - 今里静坐会(9月月27日)報告

今里静坐会(9月月27日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2018/9/29 7:27

9月27日(木)に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)さんY居士さん鶴井随心さん坂本法燈が出席して,第183今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(鏡と珠の話149~154)を輪読しました。

輪読内容は,前回の六祖の偈や千代野の歌を言い換えるならば,虚妄の我を殺して自己の本性(無一物で元来清浄無垢のものであり、またこの世界は仏世界極楽浄土である)を悟った境涯である。この本性を鏡に喩えて,もともと明鏡であるが,雑念にわざわいされて曇っているので,雑念に迷うている虚妄のわれを殺しさえすれば,おのずから自己の本性が現われ,明鏡が輝きだすといわれる。そしてこの明鏡は,対象物をありのまま写し取るが、同時に対象物の痕跡を全くとどめることはない、心に何の執着もないからである。次にこの本性(仏性)を水晶のような無色透明な珠(摩尼宝珠)に喩えて、青色(赤色)の上におけば青色(赤色)になるという具合に珠が五色を表すように、本来は無色透明の珠清浄無垢の仏性であるがこれが現象界では魚や木石として現れている(これらは仏性という点ではただ一つのものであり別個のものではない)。「静けさや岩にしみいる蝉の声」(いずれも清浄な珠と珠が相反映してあたかも仏世界を現出している)武田信玄が戦の直前に禅寺の住職に桜見物に誘われて、勧められるままに心ゆくまで桜を鑑賞して一首を詠じているが、軍備に忙殺されている真只中においてもこれだけのゆとりが欲しいものである。禅語に「南村北村雨一犁、新婦は姑に餉ひし、翁は児に哺す」とあるが、妄想雑念を捨て去ってしまえば、見渡す限り清浄無垢の仏世界である、といったようなことでした。

そしてこれに関連して,上記は「大死一番絶後に再蘇す」といわれるところであって、数息三昧に入り「正念の相続」を継続することによって無空に徹して見性する(自己の正体本性真理を悟る)ことをいうが、見性によって「自他不二」(物我不二不二一如ともいう)であること即ち我と汝と尽一切はまさしくぶっ続きの生命を生きていることを体得するのである。上記は「正受にして不受」といわれるところであり、上記は「自他不二」を表現するものであり、上記は「正念の相続」や「正受にして不受」をいうものである。

因みに、三昧には、正念の相続自他不二正受にして不受という三つの意味があるといわれており、正念の相続とは数息三昧についていうと数息の一念だけが生き生きと働きそれが切れ目なく一貫相続することをいい(独楽が高速で回転していて一見静止して見える澄んだ状態をいう)、自他不二とは主観と客観が一枚になることをいい、数息観ならば息を数える我と数えられる息とが不二一如となることをいい、正受にして不受とは、独楽が高速回転しているように人間のあらゆる機能が正しく働いていてしかも外界が邪魔にならないので、明鏡が物を写すようにそっくりそのまま受け入れるが同時にその痕跡をとどめることはないことをいう。この三つは互いに密接不可分な関連がある、といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の店で懇親会を行いました。その際に,今回の摂心会や65周年記念式典のことや、和歌山座禅道場の台風21号による惨状、健康状態、岩坪先生のことなどを話し合って、解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,10/11()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
 よろしくお願いいたします。
 
    坂本法燈 
 


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