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関西ブログ - 今里静坐会報告(11月9日)

今里静坐会報告(11月9日)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2017/11/13 7:41
11/9(木)に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図参照)で,(第一部)第154回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)第15回「大阪で夜一番遅い座禅会」(20:30~22:00)が開催されました。第一部はTさん・Mさん・田倉明眼さん・坂本法燈が出席し,お寺の和尚さんも参加されました。第二部はTさん・田倉明眼さん・坂本法燈が出席しました。
 第一・二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座りました。その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(見性成仏49~58頁)を輪読しました。輪読内容は,①釈迦の悟りをそのまま仏の境涯として伝えているのが禅である,②達磨はインドの28祖となった王子で70歳を超えてから禅(仏心宗)を伝えるために中国に渡来して梁の武帝に会い,(帝のように)寺を建て僧を度すと何の功徳があるかとの帝の問いに対して「無功徳」と答え,仏教の第一義は何かとの問いに対して「廓然無聖」と答え,朕に対する者は誰そ?との問いに対して「不識!」と切って捨てた,③達磨に道を乞うた二祖神光は断臂して入門を許されたが,心に未だ安心を得られなかったので達磨に安心を乞ったところ,達磨から心をもち来たればその心を安んじて進ぜようと言われ,迷いに迷い工夫に工夫を重ねてようやく心が何かを会得した(北条時宗が祖元禅師に対して臆病心はどこから出てくるかと問うと師は汝時宗より来ると示された),といったことでした。そしてこれに関連して,①禅は本来放ち忘れて捨てるものであって,禅から得られるものは何にもなく無功徳というのが禅の真髄であると言われてきました,それは衆生本来仏なりで煩悩や雑念を放ち忘れることによって,誰もが元々有している仏性・本性が現れ来るのであって,他から得るべきものは何にもないという大乗仏教の根本思想に基づくものでありますし,経験的にも自己に不足があり他から何か得たい又は欲しいものがあるという心境では天上天下唯我独尊といった絶対的な境涯には到底届かないと考えられるところでありまして,帝(あるいは社会)に対して無功徳と何の拘りもなく言えることは,禅の面目躍如といったところでありましょうし,②廓然無聖とは,諸法実相つまり有りのままの相(スガタ)がそのまま仏法の真っ只中で真理そのものであり,相対的な対立の全くない境涯ということであり,③禅でいう心とは,物に対立する心ではなく万物一切の根源としての心(ものそれ自体・仏性などともいう)でありますから,禅の一枚看板である直指人心見性成仏とは自己の本心本性をこれだと指して見ることができれば,真箇の自己を発見でき成仏することができるという趣旨になるわけで,それは二祖神光の場合でも,北条時宗の場合でも同様である,といったようなことを話し合いました。
 第二部は総裁老師著「人間形成の禅-その効用・効果について-その13(人の香りが醸し出される効果)26~27頁」を輪読し,三昧が身に付いてくると次第に小さな吾我を空ずることができるようになるので,知らず知らずの内に人としての香りが感じられるようになるともいわれますが,顧みて恥ずかしい限りであるといったような話をしました (実際,私などは家内から何十年も禅をやってこの程度かとよく言われております) 。
 次回の今里静座会は,11/23(木) 18:30~20:00に宝厳寺で開催いたします。             坂本法燈  記
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