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人間禅 関西道場


関西道場

京都府八幡市橋本東原28
090-3927-1237(法燈)
080-2516-4415
(慶雲)

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関西ブログ - 最新エントリー

市民静坐会(11月14日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/11/15 19:21
場 所: 関西道場。
静 坐: 45分×2回。
参加者: N氏、Tさん、Y氏、F氏、慶雲、以上5名。

直日:Y氏、聖侍:Tさん, 助警:慶雲

 
最近の常連5名の市民静坐会となりました。自宅での静坐はどうしても日常生活の真っ只中での静坐ということで、道場での静坐同様という訳には行きません。今日ご参加の皆さんは何となく「ヤッター!」という満足の表情を滲ませながら道場を後にされました。

味の良い境内のミカンは食べ頃を迎え、皆で有難く戴いて帰途に着きました。

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
○これやこの 行くも帰るも 分かれては 知るも知らぬも 逢坂の関。(蝉丸)
○これやあれや 泣いて笑うて 分かれては 知るも知らぬも 元の故郷。
○衣手は 雨にぬれつつ 足曳きの 山田耕す 人もあるかな。
○怖い顔して にらんで居ても 落ちて砕ける鬼瓦。
 


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今里静坐会(11月8日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/11/10 7:26
11/8()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)187回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)35回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部はY居士さん鶴井随心さん坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されました。第二部はさん鶴井随心さん坂本法燈が出席しました(さんは初めての出席)
 第一二部とも,最初に般若心経を唱えて,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(雑念を起こさぬ166171)を輪読しました。輪読内容は,前に,眼耳鼻舌身意の六根門から外部の刺激を受けいろいろのものを識別しても,なおかつ環境に汚染されずにいるのが、不垢不浄の本性であるといった。しかしながら,眼にものを見れば美しいとか汚いとか意識するのが当然なところ,それでいて汚染されることなく清浄であるのはなぜかという問題が起きるが,雑念にとらわれないためには,一念を生じたところで打ちきって二念をつがず,二念三念と執心しないようにすれば,無心で思慮分別がなく清浄を保つことができ,しかも後に何等の痕跡も残らない。(うつるとも月も思わずうつすとも水も思わぬ広沢の池) 維摩経中の物語に,維摩や文殊菩薩達が衆生を観ずるにはどうすればよいかを論じた挙句、「無住の本より一切の法を立つ」と維摩が結論を下したとき,一人の天女が現われ菩薩方や弟子達の上に花を撒き降らしたところ,この花が菩薩達の身に降りかかると、ヒラヒラ舞い落ち花がついた痕跡を残さないが,(墨染めの衣をまとっている)弟子達に降りかかると、のりづけをしたようにピッタリ体にくっつき(きらびやかで不浄(不如法)な花を)もぎ取ろうとしても取れなかった。菩薩達と花には思慮分別がなく汚染されないが,弟子達には思慮分別があり不如法になり汚染されるから、ついて離れなかったのである。老婆が、長年供養していた僧に対して,年頃になり美しくなってきた娘に意を含めて僧にすり寄らせてこの僧の人物を試したところ,僧は少しも騒がず「古木寒巌に寄る三冬さらに暖気なし」(出家として色気など微塵もないわい)と言ったので,この婆子はこの僧を人物ができていない馬鹿坊主といって追い出し、住んでいた庵を見るのもけがらわしいと焼き払った(「婆子焼庵」という有名な公案)。その他,坦山和尚が若い婦人を背負って川を渡った逸話。このように,自己の本性を悟れば無着,無住でありあらゆるものを応接して汚されもしなければ痕跡だに残さない。(坐禅せば四条五条の橋の上往き来の人をそのままにして),といったものでした。

そしてこれに関連して,雑念を取り除く手法には,数息観以外のことを考えずに二念を継がない(数息観のすすめ上記輪読内容①)念起こらば即ち覚せよ之を覚すれば即ち失す(坐禅儀)雑念を正念化する(耕雲庵老大師)雑念に取り合わずすぐに数息観に取って返す(秋月)雑念を木の葉に乗せて母なるガンジス河にそっと流す,雑念を唯じっと観る(巌光庵)意識的な腹式深呼吸(長呼気丹田呼吸)をする(村木,喚気一息)正しい坐相を狙う中で放っておけば自ずと(所詮は根無し草であるから)雑念が手放されていき、雑念は自分から消えていく(曹洞宗の只管打坐)雑念にラベリングをするなどする(地橋,スマナサーラなどの原始仏教)などのことがいわれている。からは同旨であり,念起こらば即ち覚してこれに取り合わず、すぐに数息観に取って返し唯ひたすらに数息観と一枚となるという点で一致するし,はこれに若干技術的な面を加味したものであり,これらが王道のように思われる。からで少し経験を重ねた後に試してみるとよいと思われる。は私にとっては余りにもせわしなくて煩わしい些末で技術的な手法のように思われた。維摩経の話,婆子焼庵,坦山和尚の話など,如何にも禅的で大変に面白い話であり,大いに骨折って工夫し,参禅弁道すれば力が付くものと思われる。煩悩即菩提,娑婆即寂光浄土であり,自己の本性をしっかりと掴んで,随所に主となれば立処皆真なりと生きたいものである。和尚は,禅により,ニュートラルな立ち位置を常に探ることの重要性を説いておられた,といったようなことを話し合いました。

 第二部は,総裁老師著「坐禅の効用--7我がまま自己中心を消滅させる効果46~51頁」を輪読しました。座禅で三昧に入り頭頂連合野がサイレントになり前頭葉が活性化すると,他と区別する意識が減退することが、脳科学的にも指摘されているという。これにより、個我小我エゴが空じられ、自他不二の境涯を体得することに繋がり、大我ビッグマインド本来の面目絶対の自己が確立されることが促されることになり、最初の公案(初関)の透過に与るのであろう。ただし、本当の意味で、我がまま自己中心を消滅させるには、さらに座禅三昧を深めて悟後の修行を積み重ねていく必要がある、といったような話をして,解散しました

   法燈 記
 

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市民静坐会(11月7日)報告

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関西支部 2018/11/9 10:31
場 所: 関西道場。
静 坐: 45分×2回。
参加者: B氏、法燈、慶雲、以上3名。

直日:法燈、聖侍:B氏, 助警:慶雲。
 
○今回はベテラン3名のみの静かすぎる市民静坐会となりました。
○当市民静坐会は、参加者本位で開いています。

○開始時間に遅れても、都合のつく限り参加しましょう。

 そのときは、聖侍(入口に近い、正面を向いて坐っている堂場を取り仕切っている役位の人)の斜め前で合掌し、許しを得てから静かに自席の前に進み、正面の「文殊菩薩」の掛け軸に向かって合掌・一礼の上、自席に坐具を敷き、静かに静坐します。

 静坐の途中、止むを得ず中坐する場合は、上記とは逆に坐具を持って正面に向かって合掌・一礼の上、静かに聖侍の斜め前に進み、合掌・一礼して許しを得てから静かに退出します。

   慶雲 記

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
(こも)着ても やつれ顔なき 水仙花。
○これきりで もうないぞよと 母は出し。
○これぞこの 仏の道に 遊びつつ つくやつきせぬ みのりなるらむ。(貞心尼)
○これはこれはとばかり 花の吉野山。(貞室)
 


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市民静坐会(10月31日)報告

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執筆 : 
関西支部 2018/11/1 16:58
場 所: 関西道場。
静 坐: 45分×2回。
参加者: N氏、Tさん、Y氏、H氏、真際、慶雲、以上6名。

直日:Y氏、聖侍:Tさん, 助警:真際
 

○前回の市民静坐会には参加されなかったTさんが加わり、活気溢れる静坐会でありました。

○静坐後、道場のミカンも食べ頃になったものを分け合って楽しく過ごした秋本番のひとときでした。

○この調子で、また来週 集まりましょう。

  慶雲 記

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
○今度来るなら 持て来ておくれ伊豆の深山の 良い花を。
○米の実は 又來る年も 米生えて 老いまかるとも米は米なり。(二宮尊徳)
○米蒔けば 米草生えて米の花 咲きつつ米の みのる世の中。(二宮尊徳)
 


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今里静坐会(10月25日)報告

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関西支部 2018/10/28 19:01
10/25()18:30~20:00に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,千日前線新深江駅,下図一参照)で,さんさん鶴井随心さん坂本法燈が出席して,第186今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。
 最初に般若心経を唱え,30分間の座禅を2回座った後,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(隠すものなし163~166)を輪読しました。

輪読内容は,清浄であれば,隠すべきものは一物もなく,執心がなくなり,心を閉ざしておく必要がなくなるため,常に開け放して楽々としていられる。ある僧が趙州禅師に対して「いかなるか是れ趙州」と問ったところ,趙州は「東門西門南門北門」と答えた。一切の門戸を開き,表からでも裏からでもどこからでも入って隅から隅まで自由に見てくれと言っているのであるが,そこまで言える人は少ない。禅の修行は,堂々とあけすけに自己を開放し,誰の前にでもさらけ出せる人物を鍛えるもので,見られて困るものがある間は,本当に自己を確立したとはいえない。というのも,元来法といい,道というもの自体がちっとも隠されていないからで,その法を悟った上で法どおりに行っていくなら,これまた隠すべきものはちっともないはずである。孔子も弟子に対して「吾なんじに隠す無し」(論語)といっているように,儒教においても,聖人の道は無隠であり聖人に隠すべきものはない。黄竜宗(臨済宗の一派で相手が最も得意とするものを取って相手を説得することを特徴とする)の祖心禅師が儒者の黄庭堅に対して,木犀の香ばしい香が漂ってきた際に,「吾なんじに隠す無し」といって悟らせたという逸話があるといったようなことでした。

そしてこれに関連して,禅の修行により,虚妄の我を殺し,大死一番絶後に再蘇して,自己の本心本性正体真理を悟ることができれば,我と汝と尽一切はまさしくぶっ続きの生命を生きていることを体得するに至るであろうが(内山興正),そうなれば,一切の垣根や牆壁がなくなってしまい,執心がなくなり清浄となり,誰に対してでも隠すべきものは一物もなくなってしまうに違いないであろう。このようなぶっ続きの生命仏性というものは実は誰の眼前にでも明々白々に露呈されているもので,そのことに気づくか気づかないかの差があるにすぎないのであり,また法といい,道というものも,このような自他不二に徹した境涯からは,自ずから運び出されるものであろう,なお,儒教の説くところは禅とほとんど同一であるが,儒教には実践的修行方法がなくなり衰退したといわれている(今北洪川禅海一瀾),といったようなことを話し合いました。

その後,有志で近所の店で懇親会を行いました(これにはSさんも合流されました)。その際に,女優の原田美枝子が禅をやっているという話から,現代人の精神的安寧を図るためにも,禅やマインドフルネス(簡易な禅ともいわれる)などによる心の豊かさの醸成の大切さ,さらには宗教教育の重要性なども話し合って、解散しました。

次回の今里静座会(宝厳寺の部)は,11/8()に宝厳寺で開催いたします(二部構成)
 奮ってのご参加をお待ちしています。
     坂本法燈 拝

 
 


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市民静坐会(10月24日)報告

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関西支部 2018/10/24 19:23
場 所: 関西道場。
静 坐: 45分×2回。
参加者: N氏、Y氏、H氏、真際、慶雲、以上5名。

直日:Y氏、聖侍:H氏, 助警:真際。
 

○秋日和の午後、参加者は多数とは言えないが久しぶりに真際さんが見えられ充実した市民静坐会でありました。

○ベテラン4名の中に在ってN氏も敗けずに2炷香、シッカリ坐り抜かれました。

○全員、「姿勢」と「呼吸」を乱さない90分間、兎に角坐り抜く、これは今日この道場に集まった5人共通の良い体験でした。

○この調子で、また来週 集まりましょう。

   慶雲 記

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
 
○言葉たくみに身も世も忘れ末は腹いたあとまつり。
小袋(こふくろ)に 大千(だいせん)入れて (はな)(ごころ)
○こぼれ松葉をあれ見やしゃんせ枯れて落ちてもちても二人連(ふたりつづれ)

 
 


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今里静坐会(10月18日)報告

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関西支部 2018/10/22 18:51


 10/18()にプレジデント今里(大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室,千日前線今里駅,下図二参照)で,今里静座会(プレジデント今里の部)が開催されました。
 当日は,常日頃ご支援をいただいているこの部屋の所有者である先生坂本法燈が出席しました。先生は偶々この部屋に来られていて今里静座会に遭遇したものですが,ご参加していただきました。
 
最初に般若心経を唱え,座禅を座りました。その後,抹茶をいただき茶話に興じました。第二第四木曜日に宝厳寺で開催されている今里静座会(宝厳寺の部)とは異なり,輪読は行わない代わりに,座禅は身にて学道する赤肉団(生まみの身体)の学道なり(道元)といわれるように,調身調息調心を大きな目標にしていきたいと思っています。また,茶話会において,数息観仏教の修行の仕方や疑問,日常生活での問題点や要望など,さまざまなことについて自由な意見の交換をしていきたいと思っています。
 
当日は,人間禅関西支部の皆がよく頑張って65周年記念式典が無事終わったことや,岩坪先生の幼年時代のお父上お母上のお話しや,先生が生涯をかけて追求してこられた教師の職を通じて何を目指して来られたかといったことなどのお話しを伺うなどして,解散しました。

    坂本法燈 
 


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市民静坐会(10月17日)報告

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関西支部 2018/10/18 18:53
場 所: 関西道場。
静 坐: 45分2回。
参加者: N氏、Tさん、Y氏、H氏、慶雲、以上5名。

直日:Y氏、聖侍:N氏, 助警: H氏

 
 

○秋日和の午後、参加者は多数とは言えないが充実した市民静坐会でありました。

○静坐中、隣近所の学童前の子供たち数人の元気な声が聴こえる中、参加者全員は微動することもなく、只管 姿勢正しく坐り続けられ、決められた時間通り無我夢中で坐り続けられました。

○全員 「姿勢」と「呼吸」を乱さない45分間、兎に角坐り抜く、これは今日この道場に集まった5人共通の良い体験でした。

○この調子で、また来週 集まりましょう。
   慶雲 記

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
○事足らぬ事な思いそ鴫の足短くてこそ浮かぶ瀬もあれ。
○事足れば足るに任せて事足らず足らで事足る身こそ安けれ。
○子供等と手毬つきつつ此の里に遊ぶ春日は暮れずともよし。(良寛和尚)
 


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市民静坐会(10月月10日)報告

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関西支部 2018/10/11 19:05
場 所: 関西道場。
静 坐: 45分×2回。
参加者: Nさん、Hさん、慶雲、以上3名。

直日:Hさん、聖侍:Nさん, 助警:慶雲。

 

○秋雨が断続する午後、参加者は少数ながら実のある市民静坐会でありました。

 

○このところ足の痛いのを我慢して気合の入った静坐に取り組まれているNsannさんは、市民静坐会だけでなく土曜静坐会にも参加され、坐禅に対する意欲が並々ならぬことを感じさせておられ、若い人たちに良い影響を与えて頂けるお一人です。 お商売の不動産業も永年、真面目一筋に取り組んでこられ、「住まいのコンサルタント」をモットーとされ、発展著しい「くずは地区」で日頃の活躍振りを彷彿とされています。

 

○一方、Hさんは市民静坐会の最古参で6年前から、当初は慶雲と二人きりでのスタートを切った市民静坐会草創のメンバーであり、市民静坐会は基より、関西支部の緒活動の「縁の下の力持ち」の働きを果して頂いております。「段取り・真剣・後始末」特に摂心会その他の支部行事での食器包み布巾類等の洗濯その他の後始末作務の実行力については長空庵坂本法燈関西支部長以下全員の認める処である。 多謝!

 

○かくして わが市民静坐会も、地元八幡市、枚方市等々の市民有志の着実な参加者のパワーアップは従来からの「土曜静坐会」の更なる成果と相待って、オール関西支部の発展に寄与するものと信じます。

  慶雲 記

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
 
○こぞの実は 今年の糧となりにけり 今年の実り 来年の種。(二宮尊徳)
 
○東風吹かば 匂起こせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな。(菅原道真)
 
○今年や豊年青物店も瓜や茄子の あたり年。
 

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市民静坐会(10月月3日)報告

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関西支部 2018/10/4 20:16
場 所: 関西道場
静 坐: 45分×2
参加者: N氏、Tさん、F氏、B氏、法燈、慶雲、以上6名
直日:Tさん、聖侍:B氏 助警:法燈。
 

○2度目の大型台風の被害は参禅室と隠寮の前の屋根の波板が吹き飛んだ程度で済みました。善後策については、またまた絶学さんの出番となりました。

○静坐後のひと時、N氏が先週の土曜静坐会があるものと思われて道場に来られた処、図らずも65周年記念式の前夜祭が始まっており、引っぱり込まれて大いに戸惑ったが、禅の会の全く違った一面に触れることができてその奥深さのような雰囲気に浸ることができたような気がしたとのこと。

○Tさんも式典当日の呈茶の会場で、ぶっつけ本番で給仕役(半東)を務めて頂きました。お点前された礌石さんからよくお礼を言っておいて下さいと云われております。有難うございました。

  慶雲 記

 
禅林世語集(土屋悦堂輯 基中堂刊)より
此処(ここ)も旅 又行く先も旅なれば一寸(ちょっと)此処らで一休み。
○ござれ見せましょ虚空(こくう)軽業(かるわざ)身すぎ世わたる縄の上。
○腰は腐れど不動の姿幾夜ゆるがぬ活き佛。
○古則とは関を閉ざせる扇をば打ち叩き割る石瓦なり。
 


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