メインメニュー
人間禅 関西道場


関西道場

京都府八幡市橋本東原28
090-3927-1237(法燈)
080-2516-4415
(慶雲)

連絡はお問合せをお使いください。
お問合せはこちらをクリック
 
ブログ カレンダー
« « 2019 3月 » »
24 25 26 27 28 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 1 2 3 4 5 6
このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google

関西ブログ - 最新エントリー

今里静座会報告(3月14日)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/3/16 20:21
3/14()大阪市東成区神路法厳寺で,今里静座会(法厳寺の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)198回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)41回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。
 第一部はさんY居士鶴井随心さん坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されました。第二部はさん鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。

第一二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅をそれぞれ2回座りました。
 その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(学習の広さ198201)を輪読しました。輪読内容は, ファウストの悲劇(ファウストが悪魔と、死後の魂の悪魔への服従を交換条件に、現世で人生のあらゆる快楽や悲哀をファウストに体験させるという契約を交わす。ファウストは、素朴な街娘グレートヒェンと恋をし子供を身籠らせ,逢い引きの邪魔になる彼女の母親を毒殺し兄をも決闘で殺した後に,赤子殺しの罪で逮捕された彼女との悲しい別れを体験する。皇帝に仕えたファウストは、悪魔の助けを借りて功績を挙げ,絶世の美女へレネーを求めて悪魔らとギリシャ神話の世界へと旅立ち,へレネーと結婚し男児をもうけるが,やがてその息子は死んでしまう。現実世界に帰ってきたファウストは,巧みな戦術で皇帝を戦勝へと導き,広大な領地を授けられ大事業に乗り出すが,灰色の女「憂い」によって両眼を失明させられて死に,ファウストの魂は神との賭けに勝ったから自分のものだと主張する悪魔の意に反して,かつての恋人グレートヒェンの天上での祈りによって救済される)華厳経の善財童子遍歴の話(童子は長者の家の子に生まれ,仏教に目覚めて様々な指導者(善知識)53人を訪ね歩いて段階的に仏教の修行を積み,最後に普賢菩薩のところで悟りを開いて,華厳蔵世界に入るという物語で、この善知識には船頭や淫婦など社会のあらゆる階層の人がいて,諸法実相の世界を学ぶことになる)でした。
 そしてこのに関連して,神戸国際大学の近藤教授は久松真一の著書を引用して,「キリスト教は絶対他者的な神を信ずるが,仏教では信ずるのではなく覚する,即ち仏教は人間が信者になることを目標にするのではなく人間が覚者になることを究極の目標とする。キリスト教の救いは、例えば将に水に溺れんとするところを他から差し伸べられた手によって救助されるというものであるが(ファウストの如し),仏教は水に溺れて沈んでいくほかない者が自分のうちから泳ぐ力が出てきて溺れる自分を脱して他の力を借らずして自分一人で泳ぐようになる,これが仏教の救いの根本構造である。人間の本来もっている真実なるものが内から殻を破って脱け出るのであり,人間には誰にでもすべて仏性があり,それが現実の人間の殻を破って躍如として飛び出る,これが仏教の救いの根本構造である。キリスト教は「信の宗教」であり,仏教は「覚の宗教」である」と言われる。(もっとも私は究極的には自力も他力も一致するものと確信している) 善財童子遍歴の物語は、四弘誓願の三番目の「法門無量誓願学」を言っているものであり、華厳蔵世界つまり諸法実相(全ての存在のありのままの姿がそのままに真実であるという)の世界を学ぶものである,といったようなことを話し合いました。

第二部は、総裁老師著「坐禅の効用-5章集中力三昧力を高める方法-(1)数息観法の初期中期後期の工夫-道力をつけるふたつの推進力()--第一の推進力()直向さ130~140頁」を輪読しました。総裁老師の作られた数息観評点基準は,数息観の初歩から究極である只管打坐に至るまでの,道力形成の全過程を一覧表示した画期的なもので、座禅の修行(特に道力形成)において大変に参考になる、といったような話をして,解散しました。

 
  坂本法燈 


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (11)

和歌山木曜静座会報告(3月14日)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/3/16 19:07
日時  3月14日(木) 
      17:00~18:00 侍者作務外階段清掃
      18:30~19:15 静坐
参加  さん、明眼
役位  聖侍:さん 直日:明眼
 
 道場に入ると、外の洗面所の前に作業服のおじさんが二人立っておられました。随心さんが何か作業を依頼されたのかと思って聞いてみるとお寺の墓地の草引きを頼まれた人たちでした。和歌山弁と泉南弁でチグハグな会話でしたが話は通じました。
 さんと二人で45分静坐。修了後の話題は、3月9日の合同静座会の件になりました。さんは出席予定だったのですが、当日朝の急用で欠席されました。出席したかったのに残念だったとのお話でした。私も来年また開催したいが、最終的に参加してくれた皆さんのご意見で開催できるかどうか決まりますと申し上げました。
   明眼 拝
 
 
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (10)
日時  3月9日(木) 
      10:00~18:45
参加  静座会員11人・関西支部会員8人 計19人
場所  関西道場
 
 3月9日(土)第2回合同静座会を開催しました。関西支部内の各静坐会に来られている皆さんに集まってもらい、いつもの静坐会より一段深い禅の体験と相互交流を図る行事です。
 当日は、好天に恵まれました。朝10時から静坐・自己紹介・懇話・講演・禅の作法での昼食・作務・参禅室見学・静坐・懇親会と18時45分まで、19人で充実した時間を過ごしました。
 今年の講演は、柏谷絶学居士(京都大学准教授)の「禅における呼吸法の重要性と科学的解釈」。居士の専門分野の製鉄のCO2削減の話も交えた興味深い講演でした。懇親会の最後は静座会より参加のM居士が落語で締めくくってくださり、皆で後片付けして下山(道場を出ること)しました。
   明眼 記
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (26)

和歌山木曜静坐会(3月7日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/3/8 8:50
日時  3月7日(木) 
      17:30~18:00 作務(ゴミの片づけ)
      18:30~19:15 静坐
参加  居士、明眼
役位  聖侍:山本居士 直日:明眼
 
 ごみ置き場に、レジ袋に入れたごみが積んであったのでゴミ袋に移し替えました。ちょうど今日は居士が来てくれたのでゴミ収集に出してもらうべく、車に積んで持って帰ってもらいました。
 静坐後の茶話の際にお聞きしたのですが、居士は外に落ちている空き缶や大きなプラゴミなどを、通行人の邪魔にならないように家に持って帰って処分されているそうです。私も自分の事だけやっていてはいけないと反省しました。
   明眼 拝
 
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (15)

和歌山木曜静坐会(2月21日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/2/23 7:54
日時  2月21日(木) 
      17:30~18:00 作務(外階段内階段の掃除)
      18:30~19:15 静坐
参加  さん、K居士、明眼
役位  聖侍:さん 直日:明眼
 
 木曜静座会の恒例でストーブを点けずに一炷香静坐。(さんは寒さ知らず、K居士と明眼は消火したか後で気にならないように)その後の3人での茶話は、孫の話健康の話防衛問題でした。

またその間に、K居士に摂心時に出たごみを自宅で収集に出していただける様お願いし、快諾をいただきました。
   明眼 拝
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (24)

今里静坐会(2月21日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/2/23 7:51
2/21()にプレジデント今里(大阪市東成区大今里西2-17-10プレジデント今里1006号室,千日前線今里駅,下図二参照)で,今里静座会(プレジデント今里の部)が開催されました。その内訳は,(第一部)196回今里静座会(18:30~20:00)と,(第二部)40回「大阪で夜一番遅い座禅会(20:30~22:00)の二部構成です。
 第一部はY居士鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。第二部は鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。

第一二部とも,最初に般若心経を唱え,30分間の座禅をそれぞれ2回座りました。
その後,真向法などで身体をほぐして疲れを取り,抹茶をいただき茶話に興じました。
今里静座会(プレジデント今里の部,第3木曜日)では,宝厳寺で開催されている今里静座会(宝厳寺の部,第24木曜日)とは異なり,輪読は行わない代わりに,座禅は身にて学道する赤肉団(生まみの身体)の学道なり(道元)といわれるように,調身調息調心を通じた数息三昧を大きな目標にして行きたいと思っています。また,茶話会において,数息観仏教の修行の仕方や疑問,日常生活での問題点や要望など,さまざまなことについて自由な意見の交換をしていきたいと思っています。
 当日は,法燈が来月関西禅道場で開催される学生インターン座禅会で行う講話「般若心経」が話題となり,有名な般若心経の解説書にも様々な内容のものがあり、禅の立場から惚れ惚れするほど見事に解説するものや、上座部仏教の立場からこの経は釈迦の生み出した仏教を全面否定したものだとするものなど、様々な見方があるものだと感心したとか、上座部仏教だと、仏になれるのは世界でたった一人しか存在せず釈迦の次に仏になれるのは数十億年後の弥勒だけに限られており、それ以外の者は決して仏になることはできず、どんなに努力しても阿羅漢という仏よりもずっとランクの低い聖者にしかなれないところ、大乗仏教は衆生本来仏なりといい、ありとあらゆる者が仏になることができるとしたものであるとかなど、様々な話をして,解散しました。

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (26)

土曜静坐会(2月14日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/2/17 20:52
日時  2月16日 
      19:00~20:35 静坐
      20:35~21:30 茶話
参加  さん、さん、居士、法燈、明眼
役位  聖侍:居士 助警:法燈 直日:明眼
 
 土曜静坐会を休んだことのない慶雲さんが、この日は欠席でした。代わりまして留護当番の明眼がブログを投稿します。
 この日の静坐会は、私がいつも行っている和歌山に比べて特別に寒く感じました。了後、地元のNさんが、道場のある橋本からは京都盆地の内側になり、隣の樟葉とは2~3度温度が違うと言っておられました。寒いはずです。その他にも、いろいろと八幡周辺の昔の話を伺って解散しました。
 一人残って四畳半の部屋で小さな電気ストーブを点け、掛布団2枚・毛布3枚かぶったうえにセーターを着て寝たのですが、寒くて夜中に何度も目が覚めました。京都盆地の冬恐るべし、です。
    明眼 拝
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (25)

今里静坐会(2月14日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/2/17 20:42
先日2/14()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)195回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)39回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていまして,第一部はT氏さんY居士鶴井随心さん坂本法燈が出席し、第二部は鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。
 第一二部とも,最初に般若心経を唱えて,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(愚かな男の話190193)を輪読しました。輪読内容は,一人の若い僧が修行に励みながらも色欲を制しきれないために日頃悩んだ末に,男根を断ち切らぬ以上立派な僧になれないと決意し,ある日鋭利な斧を借りてきて自分の男根をあわや切り落そうとしたとき,釈迦が来られ男の愚かさをたしなめて,仏の知恵を得ないためにお前はそんな馬鹿なことをする,そのようにして自らを傷つけるならば長く苦しむことであろうと諭され,転迷開悟とは愚かな振る舞いによって欲を断つものではないことを教えられた(愚かな男の物語法句比喩経),晩年のトルストイの崇高な求道心を慕って各地から巡礼者が集ってきた中に,一人の風変わりな老人(かつて巨万の富を蓄えた商人だったが,富は他人の財産を収奪して作られる不正なものであることに気づき,全財産を貧者に与えて自活しながら30年余り各地を遍歴している人物であり,ボロをまとい手製のパンをこねて常食とし,水だけを飲んでいた(牛乳は牛に対して相すまない))がいて,トルストイが見かねて茶を出すと,茶を飲むと(中国人は良い土地を茶の栽培で占領され麦を撒けないので)中国人からパンを奪うことになるといって固辞した(パンだけは人間の弱さに妥協していると言った)という実話がある。この老人は神の国を非常に窮屈に考え,自己の欲望を断ち切る消極的な行為を他への憐みと取り違えている,といったものでした。
そしてこれに関連して, 人間は,食慾性欲睡眠欲などの欲望がなくなっては,生命を維持することもできず,完全に欲望を断ち切ることは不可能であり,それは人間であることを否定することになるのであって,大切なのは,自分の欲望や心を,自分で自由自在に自然のままに,使いこなせるようになることであり(心の欲する所に従えども矩を踰えず),それができれば,煩悩即菩提となるであろう。大乗仏教では,人が自己の本心本性を尋ね行きこれを徹見し体得すると,全ての自他の畔が消滅して自他不二となってしまい,自己も貴方もさらには宇宙の万物(尽一切)も全てが本来ひとつの仏であり,煩悩や欲望を持ったこの身このままで,すべての衆生が仏であるという悟りに至るといわれます。「善人なおもて往生をとぐいはんや悪人をや」(親鸞)ともいわれ,欲望()も大きければ大きいほどでき上がる喜び()も大きいともいわれるところであります。理屈をいうと,禅や大乗仏教においては色即是空はそのまま直ちに空即是色なのであって(般若心経),この境涯に徹すれば,娑婆即寂光浄土と観て,菩薩の遊戯三昧を行じることができるようになるであろう。そして,禅のような自力宗(自己の裡に無限絶対のものを見出し自己を絶対者にまで育て上げる)と,浄土宗のような他力宗(自己に絶望し自己を棄て切って自己以外の絶対者にすがる)とは究極において一致する,なぜならば,自他不二に徹すれば,絶対者である自己と自己以外の絶対者は同一に帰するのであるから。即ち,己を空しくして真に己を活かすという仏教の根本原理は自力他力ともに共通しており,そして一切のはからいを離れるとき,天真自然に通ずる道,自然法爾といった究極の世界が広がってきます,といったようなことを話し合いました。
  法堂 記

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (20)

和歌山木曜静坐会(1月24日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/1/26 7:49
日時  1月24日 
      17:00~18:30 作務(摂心後の作務他)
      18:30~19:15 静坐
参加  さん、明眼
役位  聖侍:奥野さん 直日:明眼
 
 作務は、一階玄関のガラスの寸法取り(割れガラス取り換えの為)と新しく買った丼鉢の入れ替えをしました。文科系でして、ガラスが割れないか木の桟がおれないかとヒヤヒヤものでしたが、やればできるものです。
 さんとストーブはつけないで一炷香静坐し、この日は茶話はなしで下山しました。
   明眼 拝
 
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (35)

今里静坐会(1月24日)報告

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
関西支部 2019/1/26 7:47

1/24()に宝厳寺(大阪市東成区神路3-17-8,新深江駅,下図一参照)で,今里静座会(宝厳寺の部)が開催されました。内訳は(第一部)193回今里静座会(宝厳寺の部) (18:30~20:00)と,(第二部)38回「大阪で夜一番遅い座禅会」(宝厳寺の部) (20:30~22:00)となっていて,第一部は鶴井随心さん坂本法燈が出席し、お寺の和尚さんも参加されました。第二部はさん鶴井随心さん坂本法燈が出席しました。
 第一二部とも,最初に般若心経を唱えて,30分間の座禅を2回座りました。

その後,第一部は,人間禅師家一宇庵小野円照老師著「禅入門」(施しの心181187)を輪読しました。輪読内容は,仏教では,転迷開悟を得るために実践しなければならない六種の徳目(六波羅蜜=布施持戒忍辱精進禅定智慧)の第一に布施があげられているが,その布施のためには三輪清浄,即ち,施す人貰う人施す物がともに清浄無垢である必要があるとされていて,施す物が清浄であるとは,自己の所有物で平等に施して無際限でなければならないとされている。したがって,質と量においても差別なく無際限に施せるものを無尽蔵に持っていることを要求され,この条件にそうものは法施だけであり,法を自利の修行によって獲得した上で無心に施していくのが最も崇高な布施ということになり,聖徳太子も同旨を説かれている。布施の心について経典で説かれた代表的なものとして,雪山童子の物語(羅刹()が雪山童子に「諸行は無常なり是れ消滅の法なり」と偈の前半を説き,童子は後半の偈を懇望すると,羅刹は生きている人肉と生き血を食わせてくれたら言おうと述べ,童子は我が身を羅刹に与えると誓ったので,羅刹は「生滅滅しおわって寂滅を楽と為す」と後半の偈を示したため,童子は崖の上から谷底に身を投じたところ,羅刹は帝釈天に身を変じて童子を受け止めて地上に下ろした),投身餓虎の物語(王子が餓死寸前の虎の母子のために自分の身を提供する)があり,法隆寺の玉虫の厨子に描かれている,といったものでした。

そしてこれに関連して,禅では古来,自未得度先度他(自分が悟りの彼岸に到達することよりも他の人を先に到達させることを優先させなければならない)と説かれているところである。 欧米の幸福学の研究では,(自分に対してよりも)他人に物を与えることによって遙かに人間の脳の報酬系が活性化され幸福度が高まることが科学的に実証されていて,人間は本来社会的な生物であり,大乗仏教はそういった人間のありのままの本質に基礎を置いていることが分かる,布施においては,先ず自ら光を投げかけなければならない,そうするとそれが相手から跳ね返ってくるものである。そのためには,無我に徹して無心になり,自他不二の境涯になる(見性する)ことが前提であり,そうなると自然体で慈悲が溢れ出てくるようになる(孔子のいう心の欲する所に従えども矩を踰えず)。こういう所をステップを踏んで表したものが六波羅蜜である。また,布施を崇高なものと見るのは誤りであり,布施は我が子に注ぐ母の愛のような,自然な自ずから湧き上がってくるようなものであり,戒律のようなものではなく,財施と法施は同時に起こるものである,といったようなことを話し合いました。

 第二部は,総裁老師著「坐禅の効用-5章集中力三昧力を高める方法-(1)数息観法の初期中期後期の工夫-数息観初級から中級の人に対して126~130頁」を輪読しました。総裁老師の作られた数息観評点基準は,数息観の初歩から究極である只管打坐に至るまでの,道力形成の全過程を一覧表示した画期的なものである、といったような話をして,解散しました。
        法堂 記
 


  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (39)