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現代人の生活をふり返ってみると、物質の面は豊かで外装はきわめて華やかになっています。

また知的情報は豊富で、生活やものの考え方も合理的になっていますが、肝心の生活の根底になる心の内実というものは見失われているようです。


家庭や学校や職場で行われている営みをみても、

“人間は、どうあればよいのか?”

“人間として生きてゆくほんとうの意義は何なのか?”

という根本的な反省を欠き、心底から納得できる心構えが得られないまま、生きるための技術に没頭せざるをえなくなっているのではないでしょうか。

これでは、なんとしても人間の生き方としてはほんものではないですし、ほんとうの生き甲斐というものも得られないのです。

 中国の古い語に

【天行 健なり。君子 自彊(じきょう)して息(や)まず。】

という言葉があります。

 「天行」とは、天の運行であり、天命とか天道とかいわれる大自然のいのちのことであります。

その天行とは、元来まことであり、健やかで病はない、というのです。

 これは、一見何でもない平凡な語のようにみえますが、よく噛みしめると、深い智慧と境涯に裏づけられた珠玉の言葉です。

 次に大自然のいのち即ち天行が健であれば、その現われである人間のいのちも健でなければなりませんが、人間に対しては、そのあとを受けて「自彊して息まず。」としています。

自彊とは、自ら人間形成に精進しつとめることです。

 つまり人間は、他の動物たちと違って、自然のまま放置すると病になる、だから人間形成につとめなければならないというのです。

 これは、人間が、考える葦(あし)として、自ら我見をつくりあげ、天行にそむき、病いの道を歩むからです。

 人間は、どうしても我見という非本来的な虚妄の状態を克服し、その本来性をとり戻し、天行と不二一如である健やかな本然のすがたに帰らなければなりません。そのために自彊してやまないのが人間の道なのです。

 坐禅とは、【天行 健なり。君子自彊して息まず。】という人間の道です。

 現代人の多くの人は、ものごとを知ればよいと考え、自分の我見の垢を洗い落とす人間形成の行に思いをいたす人は非常に少ないようです。

 しかし人間形成の修行のないところに、人間としての真の自由と平等は具現されません。

 また人間は心の基本に「まこと」をすえ、正しい願いをおこし、その実現のために苦難を乗りこえて骨を折って人間形成の修行に進んでゆくことなしには、人間として生きることの真実のよろこびを味わうことはできないのです。

 これは何人もあざむくことのできない不昧の道理です。

 現代の教育は、この基本の人間形成の修行による心の琢磨ということを打ち棄てていると言えます。しかし、心の琢磨のない知識の習得・技術の修熟だけでは、かけがえのない自分の人生の意義を腹の底から感じ、感謝にみちあふれた真実のよろこびを噛みしめるということはできないのです。



 禅は、哲学ではない、信仰でもない、心を琢磨する修行です。

我見を洗い落とすことによって、本来健やかで智慧と慈悲と勇気とを持っている心の本面目にかえるのです。

それは、また自分の一生を人間形成の一生として受けとめ、家庭や職場を人間形成の場とし、ほんものの人間になる修行なのです。



<坐禅のすすめ 内田昭夫編より>


 

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