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呉坐禅道場

呉坐禅道場
呉市両城2丁目2-11
(呉駅から西 徒歩10分)

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広島ブログ - 最新エントリー

マインドフルネス瞑想法Ⅱ

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広島禅会 2014/11/6 12:27
日々の数息観の実践にも、非常に参考になると思いましたので、以下、そのまま引用します。


「心の生活習慣に気づく」

自分の心や身体を観察し、自分自身を知ることが、この大きなテーマとなります。

「自分を知る」というとき、どんなことをイメージするでしょうか。
自分の長所や短所、性格や好みなどをイメージするかもしれません。
こうした自分の特徴を知ることにつながりますが、「気づき」の対象となるのは、実はもっともっと単純なことです。
とってもシンプルなことなのです。

いろいろな方法がありますが、たとえば日常生活のなかで、私たちは呼吸を意識することはほとんどありません。
つまり、呼吸をしていることには気づいていないのですが、呼吸をしていない人は誰一人いません。
同じように、特に意識していない自身の行動や、心の動きに意識を向けるのです。
呼吸以外にも、たとえば自身の身体に「気づき」を向けます。
たとえば、身体の「かゆみ」などを意識します。
そのとき、「かゆみ」を感じたとすれば「かゆみ」があることに気づきます。
そして、その「かゆみ」をただ観察します。観察するうち、その「かゆみ」は必ず変化します。

頭がかゆいときに、私たちは無意識に頭をかいているでしょう。
そして、私たちの日常生活のほとんどは、このような無意識の行動の集合体とも言えるのです。

心の動きも同じです。
日常の生活習慣と同じように、「心の生活習慣」もあります。
そうした自分の心の動きを、私たちは十分に把握しているとは言えません。
無意識に呼吸し、無意識に頭をかくのと同じように、私たちは無意識に喜んだり、腹を立てたり、不安になるといったことを繰り返しているのです。

~続く~

宗源宗匠の思い出

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広島禅会 2014/11/2 17:40
「何といっても宗源宗匠」

 お稽古をつけていただいた方々の、おそらく全員がそう言われるであろう。

 もちろん私もそう思う。こればっかりは、理屈では無い。

 広島市内に在る、茶道 上田宗箇流 第十五代家元 上田宗源宗匠である。

 宗匠に初めてお目に掛かったのは、私が就職した翌年、23歳の時だった。

  私は学生時代、茶道部で少しだけ石州流清水派を習っていた。そんなこともあって、広島に上田流の家元が在ることは知っており、同じ武家茶道の流れなので、とにかくここで稽古を始めたのだった。

 私にとっての茶道とは、未だにこの宗源宗匠から出ていない様に思えてならない。茶味の音楽であり、和風のハーモニー其の物なのである。

  それは宗匠のお稽古場の空気、雰囲気の全てがそれを醸し出していたからである。

 当時、宗匠のお稽古に来られる人のなかには、毎回、ただ何度も平点前だけを、繰返しお稽古される方がいらした。これも理屈では無い。それがその人にとっての、最高の稽古だったからなのである。

 宗匠のお点前の稽古は、何時も畳半畳を隔てた間合いで、小さなお声で静かに、まるで一緒に点前をしていただいている様な心地がしたものである。

 当時、稽古をすることがとても楽しみだった。そして稽古を終え、ご挨拶をして稽古場を去り、電車とバスに乗って帰宅する帰路においても、その稽古の空気が、ずっと続いていたのを今でもよく覚えている。その事を思い出すだけで、今でも至上の幸福感に包まれる心地がするのである。

 「薫習七年」という言葉がある。その人の薫りが醸すのに、その道に入って、およそ七年の年月を要するというのである。平たい話「身に付く」ということである。剣豪は、一呼吸の間に、その対した相手の剣の腕前を正確に見抜くのだそうである。この事は、剣や禅や茶においてだけでなく、どんな世界においても同様なのだと思う。つまりはその道の習熟度という事になるのであろう。

 私もいつか、「遠回りして無駄骨を折る事をいとわず、密かな陰徳を積む。」と云った根気を強いるやり方だけでなく(もちろん、それが不可欠なのだが)、この宗源宗匠の様な、ただ自然体で稽古を積み重ねていける様な、そんなことでも在りたいものだと、ふと思ったりしている。

 しかしここで大切なことは、「こだわりを持たないこと。」にも、決してこだわってはいけないという事なのであろう。浮世の外の物語である「心地よさ」ばかりに酔ってしまってはいけないのだ。

 きっと茶道は、そうゆう風に伝えて行けるものなのだと思うのである。

呉の“いが餅”

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広島禅会 2014/10/24 1:14
 “いが餅”は、餡子を入れて蒸した求肥団子に、色の付いた米粒を付けたもので、この地方では、どうやら呉地域だけの風習のようである。店によって、中が漉餡、粒餡、側がヨモギなど色々ある。


 亀山神社のお祭りと、11月3日の小祭りに、お菓子屋さんや露店で“いが餅”は売られている。小祭りとは、呉地区周辺の、小さなお宮が一斉にお祭りをする日である。


 呉では、「“やぶ”(鬼?)を観て、“いが餅”を食べないと、お祭り気分にならない。」と言う人も多い。露店も数軒あり、色々食べ比べる人もいる。


 信州や東北、その他各地に同じような餅があるのだそうだが、この辺りでは呉だけのようだ。


 先日、広町の中山さんという方からお電話をいただいた。お話の趣旨は、何でも「広甘藍(ひろかんらん)」が、町興しなどのために、つい半世紀前の事なのに、歴史的に事実では無い内容で、事実無根のまま脚色されて流布されていて、それが児童教育現場でも伝えられていることを、非常に憂いているとのことだった。

 「広甘藍(ひろかんらん)」については、以前このホームページのブログでも取り上げたが、検索で我々のホームページのブログをみつけて、お電話して来られたとのことだった。色々お教えいただいたので、お礼を述べた次第だった。


 そのお話の中で、“いが餅”の事も仰っておられた。広や阿賀地区が貧しかった頃に、米が貴重だったことから出来たお菓子だという言い伝えは、どうやら違うとのことであった。


 この“いが餅”の起源は、昔、お米の貴重な時代に、団子に米の粒を付けたのだとか、貧しい乙女が、愛しい人に会いに行くときに、作って持って行ったなどとか、子供の時分に聞いた覚えがあったが、それはどうやら違うようだ。


 どうも大正15年頃にはあったようで、愛媛県の松山には古くから、いが餅と同じような輪饅(リンマン)というのがあり、明治時代に松山からきた人が、名称を“いが餅”として売り出したというのが、どうもその始まりのようである。


 考えてみれば、この様な伝説めいた話は、禅の世界にも多々あると思う。確かに学問的に史実かどうかというと、かなり怪しいものも多いだろう。しかし、それ以上のというか、それ以前の正しい真実の在りかを、真剣に追及しなければならないのがこの世界である。

呉へのアクセス

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広島禅会 2014/10/18 15:12
 広島から呉に来るのには、まずJRの呉線がある。通常の時間帯で10~20分間隔で運行している。広島駅から直通の快速で約30分、各駅停車で50分程である。
 呉線は広島-三原間の路線であるが、沿線に海が見えて瀬戸内海の多島美が楽しめるので結構人気がある。


 高速バスもある。広島バスセンター(紙屋町)から呉駅まで45分位である。10~20分間隔で運行している。






 車だと、呉・広島高速道路を利用して30分位で呉に来る。因みに呉から北へ向かうと、酒どころの西条(東広島)まで30分位で行く。





広島空港からエアポートバスが一日7往復、片道約70分で運行している。

 因みに羽田-広島間の空路は約1時間20分である。繋ぎが良いと東京まで結構速い。ANAとJALがそれぞれ9往復している。









 また呉から南へ四国の松山まで、高速艇なら約55分で行く。因みに広島の宇品港までも約20分で行く。一日6往復している。






 このように呉の交通アクセスは、意外なほど良く、また各種ある。

 ありがたい街である。

お宮の祭がありました

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広島禅会 2014/10/13 21:05
20141011_123226三次の龍舟です。

非常に大型で強力な台風19号がやって来る前に、わかたのお宮の祭がありました。二年に一度、前夜祭をしています。反対の年は文化祭みたいなことをしています。

すべて地元の人たちだけの手作りでおこなわれるという、街に住んでた時のことを思うと、なんともすさまじい行動力と企画力です。歌謡、コント、演劇、屋台、、、この充実ぶりはおもしろすぎます。

今回は司会役で参加させていただきました。ただ読むだけだと面白くないので、いろいろネタを仕込んでおりましたが、それなりに好評でした。

20141012_144948翌日は本祭ということで、神輿を担いで回りました。わたしは太鼓を持つ役です。法被姿のこどもたちがかわいすぎます。最近、息子たちと接する時間が増えてきて、あらためてこどもってかわいいな、と思うようになってきました。

いつか反抗期になって、生意気なことを言ってきたりするんでしょうか? それもかわいいですね。


「のちの月の茶席」に行ってきました。

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広島禅会 2014/10/12 21:00


三次の龍舟です。先月は中秋の名月、すばらしい満月の下、観月茶会が各地で行われました。古くから片見月を避けられてきた日本人、どんだけ月を見るのが好きなん?と思いますよね。わたしも好きなので、今月は十三夜に「のちの月の茶席」に行ってきました。「の」が多いww

というか、行ったら簡単茶事でした。これだから茶人こわい、油断なりません。なんでも茶事にしちゃう。

写真を載せたいのですが、あまりにもプライベートで、しかも暗かったから全然撮ってません。思い出という心のフィルムに焼き付けましたが。(←ここ、うまいところ)

月がいい感じに見えてきて、一汁一菜のお膳。新米がとれたからおむすびにしてくれたり、アサリのみそ汁、イワシの切り身焼き、、、特別高価で贅沢なものを買い集めた風のない、よくある素材に手を入れてつくられる料理は、ほんと、その思いに涙が出てきます。寝れないと困るから薄茶だけにしたり、と略式ですが、客への思いの込め方はまったく遜色ありません。客もまた本気で返し、笑いの絶えない席でした。点前の練習をするだけがお茶ではない、と言われ続けていますが、こういうことも行われているのも知っていただきたい。

翌日には月食、それからスーパー台風の到来、とあわただしい日々ですが、心と心のつばぜり合いの一瞬が生きている実感を強めてくれます。茶の湯は日本人らしい文化のひとつ、大切につなげていきたいですね。
 

美しき人

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広島禅会 2014/10/9 12:47
 今、2015ミスユニバース広島大会が、初めて呉市で開催されています。この度は、呉市阿賀の「ねむの木」という美容室さんの主催で、地元呉市の各企業が応援して開催しているそうです。

 出場者された方は皆、美しい容姿を整え、美しい所作や話し方を身に付けて、少しでも多くの人々に喜びを与える事を願っておられることでしょう。考えてみれば、これはとても勇気のある尊いことだと思います。きっと、明日には大輪の華を咲かすことでしょう。

  うず高き花より 数々の花飾りを作り得ん
  かくの如くに ここに生まれたる者
  ここに死すべき者の 成し遂げうべき
  善きことは多し         法句経

 色とりどりの華を集めて美しい花飾りを作るように、私たちも、ここに生まれて来ました。そして、やがて死んでしまう私たち。ささやかでも、何か美しい花の種を遺して行くことは出来ないものでしょうか。
「きっと沢山の善い事が出来ますよ。」と経典には説かれています。

 美しい花がぱっと咲いているのを観ているだけで、とても晴れやかな気持ちになります。
 ただ静かに色とりどりの花が咲いているだけで、優しく楽しい喜びで満たされた心地になります。私たちも一日に、何か一つでも美しい花を咲かせてみたいものです。

 そしてこの様な毎日々の積み重ねは、その人の本当の美しさを彫造し、生涯に亘る積み重ねは、その人の薫りとなって顕れてくることでしょう。


 何はともあれ幸運にも、ミスユニバース広島大会ファイナルステージのチケットを、ひょんなことから入手しました。呉に多少でも貢献する意味からも、ぜひ応援に参りたいと思っています。
 今から、12月がとても楽しみです。(笑)

注目の「マインドフルネス瞑想法」

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広島禅会 2014/10/5 15:52
 「マインドフルネス瞑想法」は今、Googleやインテルなど、世界の最先端企業で、ストレス対策やリーダー教育として研修に取り入れられている。

 日本でも2013年に「日本マインドフルネス学会」が設立されている。

 「マインドフルネス瞑想法」は、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせず、とらわれのない状態で、ただ観ること。」と定義されている。

 そのルーツは禅などの仏教瞑想であり、1980年頃から心理療法に取り入れられ、「第三世代の認知行動療法」と言われるほど注目を集めている。

 ストレス対処だけでなく、うつ病の再発防止等、様々な精神疾患に用いられ、ここ数年ビジネスの世界でも着目されはじめている。

 マインドフルネスという言葉は、もとはインドの古語であるパーリ語で、仏典に使われる「サティ」を英訳した言葉である。
英語のマインドフルは「注意する」「心にとどめる」等の意味があり、漢語では「念」、日本語では「気づき」等に訳されている。
仏教瞑想がルーツであることに違和感がある人もいるかもしれないが、マインドフルネスは今や世界中の心理学者や脳科学者も注目をしている。

 マインドフルネス瞑想の一番の基本は、「呼吸に意識を集中すること」である。
静かに自分の呼吸に意識を集中し、ただ呼吸を観察する。
今、自分は、「息を吸っている」「吐いている」と、自分の呼吸を観察し続ける。
このとき、呼吸を深くしようとか、ゆっくりしようなどと意識せず、自分の自然なペースで呼吸する。
鼻から吸って、鼻から吐く。呼吸とともに、お腹が膨らんだりへこんだりする、その変化を意識し続けるのである。

 最初は10分程度を目安に、少しずつ時間を伸ばす。必ず毎日やる。

 この呼吸への意識集中は意外に難しい。

 数分もすれば、いろいろな雑念が浮かんでくる。
 それを否定も肯定もせず、静かに「そう感じた。考えた。」と、ただその事実だけの確認をするだけで、再び呼吸に意識を戻す。
 ひたすら、ただこれだけを繰り返す。
 大切なことは、考えたり、思ったことに対し、「良い。悪い。」といった価値判断をしないことである。

 呼吸に集中するのが難しいと感じる時は、呼吸を数える。
1から10まで数えたら1に戻る。または、1から100まで数えたら1に戻るでもいい。
 数え間違えたり、途中で分からなくなったら1に戻ってまたはじめる。

 この瞑想で、次第に心が落ち着き、気持ちがすっきりすることを感じる。

 これはもう、全く人間禅が創設以来ずっと推奨している「数息観」そのものである。

三次で茶の湯稽古

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広島禅会 2014/10/4 19:42

Photo月に二回の三次での稽古ですが、今月は一回になりましたので、大切な時間です。講習会で茶桶があるからか、濃茶の続き薄をしようということになりまして、久しぶりの濃茶点前に悪戦苦闘です。

なにより濃茶と薄茶の両方を点てて、普段の倍の時間がかかるんですから、足がしびれてビリビリです。

でも、ずいぶんと上手になってきました。先生のおかげです。いまだに茶筅の持ち方から細かく注意していただけるので、確実に上達するのを実感できます。ありがたいことです。感謝感謝。

茶禅一味の会のご報告

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広島禅会 2014/10/2 0:27
Photo

1
 龍舟です。すっかり秋ですね。

 さて、平成26年9月20〜23日、呉坐禅道場で茶禅一味の会を開催しました。茶道部の皆様にもお集まりいただき、充実した茶の湯三昧の日程を終えることが出来ましたこと、感謝いたします。

 今会の目玉は茶道上田宗箇流の家元「和風堂」の見学です。茶道家元の中でも最大の敷地面積を存分に使われた茶寮は、武家茶独特の「御成の茶事」が再現できるつくりになっています。

 普段は非公開で、和風堂に入るだけでもなかなかのことですが、さらに、茶会に招待された人でも入れないようなところまで見学させてもらいました。

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 当日は和風堂事務局長様に丁寧な案内をしていただき、手入れの行き届いた茶庭や数寄屋造りの茶寮にみな感動しながら見入っていました。

 武家屋敷らしい冠木門(かぶきもん)で集合写真を記念撮影をして、茶事では続いてこの長屋門を通るのですが、この先から古文書に記された樹木の数まで再現された庭が続きます。

 この長屋門にしても、「御成の茶事」で殿様のお付きの人が大勢ありますので、そうした方が休めるように作られています。 4

 茶事を行う際に使われる外路地の腰掛待合では、上田宗箇流独特の特徴があり、腰掛けて正面の壁には柱が見えず、己の心と向き合うようになっています。

 この茶席に入るだけの鍛練を積んできたかと自問自答するのです。

 老師もその壁を見つめながら、自問されています。続いてみんなも実際に座ってみて、上田宗箇の自他に厳しい姿を目の当たりにしました。 2

 夜の講話は竜穏庵老師から奥田正造著「茶味」を引用しながら茶禅一味の醍醐味をお話しいただきました。茶も禅もじつに味わい深く、アプローチが異なるだけで目指すものに変わりないことを改めて学ばさせていただきました。

 たとえば、平点前の稽古を千回繰り返すことで所作で意識する次元が越えられていく様を表現されるのですが、道半ばといえども、それに近い体験をしていると、なるほどと納得してしまいます。

 禅の修行を通じて、これからさらに新たな世界が開けるのかと思うと、胸が躍ります。

5
 もちろん、広島へ来たからには、本場のお好み焼きを食べていただきました。

 クレープ状の薄皮の上にこんもりキャベツと肉と卵を載せて焼いた広島のお好み焼きを鉄板の上で食べるのは、まさに絶品です。

工藤俊作は正気か‼ <その2>

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広島禅会 2014/9/30 12:35
 この時の 工藤 俊作 艦長 の決断は、

 「戦いが終われば敵も味方も無い。一番砲だけ残し、総員で漂流者の救助に当たれ。」と、当時としては極めて異例の号令を発したのでした。
そして、マストに『救難活動中』の国際信号旗を掲げ、救助に当たったのです。
直ぐに「工藤艦長は正気か‼ いったい何を考えているんだ。戦争中だぞ。」と一斉に批判の声が上がりました。しかし彼はこれを断行したのです。

 救助した英兵を貴重な真水で洗い、衣服を提供し、工藤船長は英語でこうスピーチしました。
「諸官は勇敢に戦われた。今や諸官は、日本海軍の名誉あるゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争をしかけたことは愚かなことである。」救助された英兵たちは大感激しました。

 こうして「雷」は、スラバヤ沖海戦の掃討戦において撃沈された英駆逐艦の乗組員422名を、翌日、パンジェルマシンに停泊中のオランダの病院船に引き渡したのでした。

 しかし、この後「雷」は、2年後の昭和19年に沈没し、元部下だったほとんどの乗組員が犠牲になってしまいました。
工藤俊作は、昭和17年8月には直ぐに「雷」の艦長を解任され、新たに駆逐艦「響」の艦長に就任していたので、難をまぬがれたのでした。その同じ昭和17年の11月に海軍中佐に昇進し、その後退役しました。

 戦後は、海兵のクラス会等にも一切出席せず、毎朝、戦死した同期や部下達の冥福を、仏前で祈っていたのだそうです。昭和54年1月12日、胃癌で78歳の生涯を閉じました。

 そして工藤俊作は、この事実を一切家族にも話していませんでした。それは「雷」が沈没し、多くの元部下だった乗組員が犠牲になったので、その自戒の念から語らなかったのだろうと想像されています。あるいは武士道の国、日本海軍のサイレントネイビーの伝統を、忠実に最後まで貫いたからだと考えられています。

 しかし工藤俊作自身が、「自分自ら心底から納得していたのか。」という点は不明です。それはあるいは、東北出身者特有の湿潤とした粘り強い意志からなのかもしれませんし、あるいは、罪の意識や無常観だったのかもしれません。本当に彼自身にとって、悔いの無い判断、悔いの無い人生だったのかを尋ねてみたくなります。

 この様に「正しさ」あるいは「正しく」は、現実世界において、結果的に何が「正しい」のか本当に難しい場合も有り得ます。おそらく、工藤俊作自身も、死ぬまでずっと自問自答していた様にも思えます。

 あるいは「一切唯心造」、もしくは聖徳太子が言われたと伝わる「世間虚仮・唯仏是真」などのように、世間や外面の世界には、絶対に、永遠に、普遍的に、「正しい」ことなど何一つ有り得ないのでしょうか。

 遺族がこの話を初めて聞いたのは、「雷」に救助された「エンカウンター」の元海軍中尉サム・フォール卿からでした。サム・フォール氏は、戦後、外交官として活躍していましたが、命の恩人である工藤をずっと探し続けていたのでした。そして彼が工藤の消息を探し当てた時には、すでに工藤は他界していました。そこで、せめて墓参と遺族へ感謝の意を伝えようと、平成20年12月7日、66年の時を経て来日し、念願を果たしたのでした。

 このように、工藤俊作などは、名も無い一介の海軍将兵ですが、日本が世界に誇れる勇気ある日本男児の一人なのだと思います。


名古屋禅会の玉蘭です。
9/20日~9/23日に広島茶禅一味参禅会に参加させていただきました。
関係者の皆様、本当にありがとうございました。
ご迷惑をお掛けしながらも、小4の娘共々大変貴重な勉強をさせていただきました。
娘は典座(台所)長の浄円さんのご指導のもと、お手伝いをさせていただきました。
母と違って娘の心をくすぐる素敵なご指導の仕方にやる気満々。すっかり浄円さんの虜です(笑)
虜は娘だけでなく私もなんですが。本当に食事が美味しいのです。
特に毎食のお味噌汁は最高!心が入った(三昧力)食事というものは食べた人の心をつくります。
座禅で三昧力をつけることで、お料理の味も変わります。美味しくなること間違いなしです。
お料理だけでなくすべてに心が入るようになります。
一緒に座禅で三昧力を身につけませんか?

次回は12/11日~12/14日に参禅会があります。
是非、皆様のお越しをお待ちしております。

浄円さんのお味噌汁も是非ご賞味あれ(^人^) 合掌玉蘭 拝

工 藤 俊 作 は 正 気 か ‼<その1>

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広島禅会 2014/9/14 15:54
 済州島フェリー沈没事故があったこともあり、「工藤 俊作」が話題を呼んでいます。

 韓国船舶の事故については、他国でもあり、日本とは価値観、慣習、モラルなどが違うので、あまり触れたくないですが、少しだけ記しておきます。

 この船長の判断と行動は、果して「正しくなかった」のでしょうか。
 「艦内放送は、パニックを防ぐために行った。」のであり、「乗客を船に残して急いで下船したのは、沈没が迫っている状況下では“緊急避難”です。法的には正当な行為だった。」といえます。間違っていたのは、オペレーター側ではなく、安全装置などの維持管理がずさんだった船主側です。

 しかしこれで本当に「正しい」のでしょうか。
 心情的に云うと、立場上、他の乗船者より先に知り得た情報を、乗客に開示することなく、操船責任者が真っ先に逃げるという行為は許し難く思えます。せめて船長は、乗客全員の安全確保に最後まで責任を持って、船と命運を共にする位であって欲しいものです。


 本題ですが、実のところ私も、これまで「工藤 俊作」など聞いたことがありませんでした。

 この人は、大東亜戦争開戦時(昭和17年)に、日本海軍の駆逐艦『雷(いかずち)』の艦長でした。

 明治34年1月7日生まれ。山形県出身。海軍兵学校卒(第51期)。身長185㎝、体重95㎏という巨漢で、柔道の有段者。性格は温和で「工藤大仏」とあだ名されていました。艦内では鉄拳制裁を厳禁し、部下には分け隔て無く接していた事から、工藤が艦長を務めていたときは、アットホームな雰囲気に満ちていたそうです。決断力もあり、細かいことには拘泥しなかったので、部下の信頼は厚かったのだそうです。

 そして昭和17年3月2日、フィリピン沖を航行中、『雷』は大変なものを目撃したのでした。

 それは海面に浮遊する大勢の英国兵士だった。

・「雷」の乗員は全員で220名。敵将兵は450名以上が浮遊していた。
・この海域は敵の潜水艦が跳梁しており、艦を停止すること自体が自殺行為に等しかった。
・そもそも海軍の国際法の規定には、危険海域における溺者救助活動では、「たとえ友軍であっても義務ではない。」とある。ましてや友軍でも民間人でもなく敵兵だった。反撃してこないとも限らない。

 選択枝は、3つでしょう。

 ・海上に浮遊している敵英国兵を、一斉射撃して全員を海底に沈める。

 ・全て無視して、そのまま過ぎ去る。

 ・救難活動する。

 果してこのケースの場合、どの選択が「正しい」のでしょうか?

 そしてその理由について、『雷』の乗組員の安全、今後 敵軍に与える影響、今後『雷』の乗組員の士気に与える影響、当時の海軍上層部の意向や判断などについて、先の戦争開始当時の、この『雷』の工藤俊作艦長の立場に立って、自分ならどう判断してどう行動するのか、一度ゆっくり考えてみてください。

≪つづく≫

す す き 

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広島禅会 2014/9/11 15:52


  炭俵 もとをただせば野山のすすき 月と遊んだこともある




 炭俵でも、シャキッと真直ぐで、どこか凛々しい『すすき』です。




 炭置き小屋の一隅で、ひっそりと炭を守っている炭俵。





 月受けの「すすき」なんです。

スーパームーン 

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広島禅会 2014/9/10 12:23



『あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや 月』 (明恵上人)


 明恵上人は、鎌倉時代の僧侶で、栂ノ尾の高山寺を開き、日本で最初にお茶を栽培された方です。


 なんと、シンプルで素直な歌なのでしょう。

 明るいお月さまを見て、喜んでいるだけなのです。

 ただ自然な感動が 『 明か 、明か 』 となって、口をついて出たのでしょう。

 そして最後の 「月」 が、快いワンポイントとなって、おもわず微笑んでしまいます。

 きっと御上人さまは、子供のように澄んだ心と、大人のユーモアセンスを、併せ持ったご境涯だったのでしょう。

呉のフライケーキ

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広島禅会 2014/9/7 11:58
 「福住(ふくずみ)」のフライケーキは、1947年(昭和22年)に開店した呉の駄菓子屋さんである。今も、れんが通り沿いにあり、まとめ買いする人々でにぎわっている。カリッとした外皮に、フワッとした生地の中に、程よい甘さのこしアンが包まれている揚げ饅頭である。菜種油で揚げてあり、口当たりは思いのほか油っこくなくサラッとしている。

 このフライケーキを考案し、「福住」を始めた先代店主は、1907年(明治40年)生まれで、19歳の時にアメリカ帰りのパン職人に師事してパン作りを始め、様々な洋菓子、和菓子を習得したそうである。不二家菓子店に勤め、戦前、戦中は上海にも渡り、呉に帰って店を持ったのだそうだ。「福住」の「フライケーキ」の配合は、そんな先代が独自に考案したものなのだ。

 こういった揚げ菓子は、意外と歴史が古く、中国大陸と関わりの深い地域でみられる。元々は唐菓子であり、「からくだもの」と呼ばれ、仏教と共に我国へ伝わり、天台、真言など密教のお供えものとして、当時は高貴な食べ物だった。

 京都の亀屋清永の「清浄歓喜団」、奈良の萬々堂通則(まんまんどうのりみち)の「ぶと饅頭」、沖縄の「サーターアンダーギー」などである。

 それぞれ素朴な「あんドーナッツ」であることには変わりがないのだが、その食感はどれも全く違っている。

 また現代でも、ボウタイをしたヒゲのコックさんのロゴマークで有名な、ミスタードーナッツなどは、日本全国で1,300店舗のフランチャイズチェーン展開している。「あんドーナッツ」も人気である。

 この様にこれらは全て、同じ「あんドーナッツ」なのに、それぞれ全く異なっているモノなのである。同じ「あんドーナッツ」という以前に、その違いを観るべきなのである。そして似たような姿の中にも、違いが歴然と見えてくる。これを平等中の差別という。

 もし3歳の幼児ならば、この「あんドーナッツ」をどう受けとめるのだろうか。きっと彼らは何の判断もなく、ただ「美味しい」と食べているだけだろう。

 そして一番大切なことは、既に言葉、無数の知識、分別心を身につけてしまった我々が、そのままで、もう一度そこまで戻ってやろうという、内面的な旅路へ出発することなのである。

飛 耳 長 目 

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広島禅会 2014/9/4 22:49
 第二次安倍内閣が発足した。

 その安倍首相が尊敬する幕末の思想家に、長州山口が生んだ俊英、吉田松陰がいる。消費税を8%に引上げる際にも、「志定まれば、気盛ん成り。」と松陰の言葉を引用して決意を鼓舞されていた。「目標を決め、それに全力を尽くして突き進む。」という普遍的な道理である。

 松陰は、人を育てることに秀でていた。松下村塾からは、後の明治政府の要人として活躍する多くの人材が輩出した。観察眼に秀で、時代の空気の流れを鋭敏に察知する能力に、ことのほか長けていたといえる。村塾の雰囲気は堅苦しくなく、自由闊達であったらしい。松陰が「礼儀を重んじすぎること」を避けていたようだが、こういった雰囲気も、偉人たちを育てることに一役買ったのだろう。

 また、上下の身分制度を忌避していた。そういった雰囲気を感じ取ってか、塾生も「立身出世」のために入学して来るものはおらず、「国のため」という高い志を持った人が次々と門を叩いた。そして「人の育て方」として、基本的に短所を改善しようとせず、長所を活かすことのみに留意したのだというのだ。さらに、「自分(松陰)と同じ様な人間を作らない。」ことに特に注意したのだという。これは結果的に多様性を生み出すことにつながり、様々なタイプの英雄を輩出することになったのである。

 また松陰は、現状把握のため情報収集を欠かさなかった。26歳のときに著した「士規七則」に、「冊子を披繙(ひはん)すれば、嘉言(かげん)林のごとく躍々として人に迫る。」(書を読めば、素晴らしい言葉が躍動して迫ってくる。)と記している。

 情報を重視した松陰は、村塾に 『 飛 耳 長 目(ひじちょうもく) 』 と題した帳面を置き、塾生たちに自由に読ませていた。情報こそが先見性を左右する最重要素であることを弟子たちに説いたのである。遠くのことを聞き(飛耳)、遠くまで見通す(長目)。物事の本質を見極め、先を見定めて、進むべき方向性を見出すためには、欠かせない最重要素である。

 しかし今、現代社会は、その情報の格差が拡大しているといわれている。良質な情報を選択的に享受している「情報富裕層」と、良質な情報とジャンク情報が区別できない「情報難民」が居るといわれている。「情報の平等性」は、今はもう崩れてしまったのだ。それはインターネットの普及で起こった「情報ビッグバン」によるといわれている。

 現代人はもう「同質の情報」を共有していない。情報の二極化が進行しているのである。この格差は、そのまま社会生活上の自由度の差として顕在化して来るのである。

 情報もまた、エントロピー増大の法則を逃れる事は出来ない。確かに全ての情報は、ネット上に海のように存在している。

 そして優れたネット・ユーザーは、「クオリティの高い情報の発信者」や「情報価値を適切に判定できる人」のところに良質な情報が選択的に集中することを知っている。そのようなポイントは、情報の「ハブ」になる。そこに良質な情報を求める人々が、リンクを張ってくる事になるのだ。

 逆に、情報の良否が判断できないユーザーは、ジャンク情報が、排他的に蓄積されることになる。さらなる不幸は、自分が「難民」だということを知らないという点にある。そしてネット上に「広場」を作り、そこに自分たちの情報を集約する。しかし、そこに集まるのは、「自分に同調する人間が沢山いることを確認するため」だけであって、「自分の情報の不正確さや欠落について吟味し、再確認し、再構築する」ためではない。

 つまり、現代人に最も必要な能力は、この様な膨大な情報の海の中から、本当に必要な正確で有用な情報だけを、ピンポイントで選び出せる能力なのである。

 いわば、このことこそが「情報の源」たる「自在格」であり、結局これは「禅定力」に通じている。

『艦女子これくしょん』 

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執筆 : 
広島禅会 2014/9/1 21:45

 三笠舞子さんのコミックス『艦女子これくしょん これが海の女性自衛官だ!』が、雑誌『海上自衛隊』に掲載されて話題を呼んでいる。








 また「ゴールデン・エレファント賞」で大賞を受賞した、時武ぼたん さん の小説『ウェーブ』が刊行された。

 このところ、女性海上自衛官『Wave』(Woman Accepted for Volunteer Emergency)を取り上げた作品を目にする機会が増えた様な気がする。

 きっと呉によく来るからなのだろう。(笑)

 知っているだけで、女性艦長は二人いる。200人程の部下を従えて、洋上勤務をされている。もはや女性は銃後の守りなどではなく、凛々しき『Wave』達である。

 女性自衛官は、男性に比べて体力面では不利だが、協調性や集中力では負けず、女性だからこそできる任務も少なくないとのことである。
子育てしながら活躍する女性自衛官も多い。自衛隊の託児所は、24時間の受け入れ体制で対応しているらしい。



 クッキーのパッケージにもなっている。











 これは一番人気らしい。
 もっとも本気でかかって来られても困るが…

 しかし日米同盟はそんなに弱くない。日本の自衛隊も、実際の総合戦力は想像以上に相当強力である。十二分な抑止力になっている。

夢之丞 一人発見 

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執筆 : 
広島禅会 2014/8/29 23:08

 広島の集中豪雨での被害が、大きくニュースで流れたこともあり、各所からお見舞いのメールや、お電話を戴き、ありがとうございます。おかげさまで、当方関係者や呉の道場には、幸いにも直接の被害は何もありませんでした。

 災害復旧活動も、逐次進んでいる様ですが、お亡くなりになった方、怪我をされた方、またお住まいが崩壊して避難生活をされている方々に、心からお悔やみを申し上げます。


 この様な中、一匹の災害救助犬の活躍が報道されていました。ご存知のひとも多いと思いますが改めてご紹介致します。



 この子は、この眼で生き運を掴んだのです。
 ガス室へ行く直前で、或るNPO法人に拾われた運の強い子です。


 殺処分用のケージのドリームボックスから、夢之丞(ゆめのすけ)と名付けられました。










 そして3年、災害救助犬の訓練を受け、この度の被災地で活躍しているのです。



 どうか一刻でも早く、全ての行方不明者の方が見つかりますよう願います。


 夢之丞達がんばれ。

呉の“旅行の友” 

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執筆 : 
広島禅会 2014/8/27 0:55
 第一次世界大戦(1914~1918年(大正3~7年))、日本は日英同盟でドイツに開戦。海軍はドイツの植民地(サイパン、パラオ)へと侵攻した。
 海軍は、ある問題に直面する。
 それは、太平洋の南の島は、気温・湿度が高く、漬物や味噌が腐ってしまうことだった。そこで、呉市で味噌・漬物・瓶・缶詰を製造・販売していた田中食品へ、新しい保存食の開発を要請した。

 そして開発されたのが『旅行の友』(1916年(大正5年))である。

 当時の田中食品の社長は、我が子を戦地に送っており、「戦地で食べ物に困らないよう、少しでも栄養価の高い食べ物をなんとか食べさせたい。」との親心で、工夫を重ねて作り上げたのだった。まだまだ当時の日本は非常に貧しく、殆どの庶民は白飯など食べられない状態だった。つまり“ふりかけ”は、鰹節や海苔などの高い材料が使われている高級品だったのだ。

 この様に元々“ふりかけ”は、兵糧として開発された軍需物資だったのである。“ふりかけ”開発の歴史は、日本の近代戦争の歴史と重なっているのである。

 こうして誕生した“ふりかけ”は好評で、「旅行の友」として一般流通したのだ。また「旅行の友」は、平成22年3月、広島市から「ザ・広島ブランド」にも認定されている。小魚やゴマが入った懐かしい味で、カルシウムも豊富である。長く愛されてきたのには理由がある。

 そしてこの「旅行の友」という名称には、「旅行に持って行くお弁当などに、いつも手軽に使っていただきたい。」という意味が込められている他に、もうひとつ大切な理由があった。
 それは、当時の田中食品の社長の奥さんの名前が「トモ」さんだったからである。家事と仕事を両立してくれる奥さんへの感謝の気持ちも、「旅行の“トモ”」という商品名に込められていたのだ。
 女性を大切にし、心から敬意を払う気持ちを絶対に忘れてはならないことは、何時の時代でも変わらない真理である。