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呉坐禅道場

呉坐禅道場
呉市両城2丁目2-11
(呉駅から西 徒歩10分)

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090-5153-3018(増田)


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広島ブログ - 最新エントリー

浴衣の着はじめ

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広島禅会 2015/5/31 19:56

そろそろ6月、梅雨入りが気になるところですが、梅雨入りと同じ時期にあるのが広島三大祭りのひとつ「稲荷(とうか)さん」ですね。

今年は6月5日(金)~7日(日)です。

とうかさんは、別名「浴衣の着はじめ祭り」ともいわれています。

ゆかたを着る風習も、梅雨が来てジメジメと鬱陶しくなるから、という理由もあるそうです。

ゆかたって風流でいいですよね。カープ女子たちも、この日には、浴衣姿で「とうかさん」へと、街に繰り出すわけです。そして広島の夜の街も一段と華やぎを増します。

 光禅 記


 

夢之丞ネパールへ行く

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広島禅会 2015/5/8 20:45

 たぶん今、夢之丞(ゆめのすけ)は、広島で一番有名なワンコである。

 広島県神石高原町にある、世界各地の紛争地域や被災地で人道支援をしているNPO法人、ピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)の災害救助犬である。

 殺処分寸前の捨て犬から災害救助犬になった。
 人によって捨てられた命が、災害に苦しむ人たちの命を救うべく活動している。
 広島土砂災害でも活躍し、現在は地震で大きな被害を受けたネパールで活動している。

 2010年11月、夢之丞は広島県動物愛護センターにいた。
 殺処分される予定だった日、処分数が多くて後に回されたことで助かったのだ。
 救助犬候補を探しに愛護センターを訪れていたPWJのスタッフが夢之丞を見つけ、引き取ったのだそうである。

 「人によって捨てられた犬が人の命を救う」という目標の下、専門のドッグトレーナーが捜索や救助の訓練をしてきた。

 引き取られた時、夢之丞は生後4ヵ月だった。
 人への警戒感が強く、救助犬向きとは言えなかったのだそうである。
 人を捜すのに必要な好奇心が持続せず、臆病だったという夢之丞。

 災害救助犬の役割は、地震などの災害時にいち早く現場に駆けつけ、がれきや土砂の中から一人でも多くの命を見つけ出すことが要求される。

 そこでまずは人に慣れさせ、「待て」「座れ」などの基本動作を覚えさせた。
 人の指示に従う訓練や、がれきの中を歩く練習などを繰り返したそうである。

 夢之丞の初陣は、昨年8月の広島土砂災害の現場だった。
 仲間のハルクとともに土砂が流れ込んだ民家を捜索し、行方不明になっていた人たちの遺体を発見した。

 現在、ネパールで起きた地震の被災者救援と支援のため、PWJの緊急支援チーム6人と、仲間の災害救助犬ハルクとともに、首都カトマンズで活動している。
 チームは倒壊した建物の周辺などで捜索活動を始め、水や食料などの支援物資の調達にもあたっているそうである。

 広島に続いて昨年末には台風被害を受けたフィリピンへ派遣され、今回のネパールで3度目の出動である。

 PWJの広報担当・大成絢子さんは「ネパールでも犬とスタッフの安全を第一に考えながら、一人でも多くの命を救えれば」と話しているそうだ。

 たとえ思っていても、決してなかなか簡単に出来ることなどではない。

 貴重な尊い方々である。


  光禅 識

定期的に心の掃除を

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広島禅会 2015/5/7 12:52
 禅では今このひと時に集中し、「成り切る」ものだと教わりました。

 仕事中は一人のビジネスマン。

 家に帰ったら一人の父親であり、夫。

 飼い犬には優しい飼い主であり、実家に帰ると、親にとっては息子でもある。

 これを当たり前のようにこなしていると感じていますが、実はそうなっていないのかも知れません。

 仕事中も昨晩の夫婦喧嘩を思い出し、仕事に打ち込めないとか、親から電話があり実家の墓参りをいつにするかとか。

 別の立場になってもすぐ前の立場を引き摺って振舞っているように感じます。

 つまりは成り切っていないということです。
 
 子供の頃学校でよくやったドッジボール。

 校庭に線をひき、相手の陣地、自分の陣地を確認してその中でボールを投げ合ったり、逃げたりします。

 ゲーム中は線を越えて逃げることは許されません。

 しかしゲームが終わればその線は跨いでも良い訳です。

 仕事中に仕事のみに集中出来ず、昨日の出来事に気分を害されているということは、昨日ひいたドッジボールの線を気にしているのと同じかも知れません。

 別の言い方をすれば、脳には今日の仕事中であっても、昨日の、一昨日の出来事のルールや結果が消しゴムで半分消されたような薄い軌跡で残っている。

 成り切るために坐禅をする。

 前のゲームのルールを、頭から取っ払って綺麗にする。そんな効果があるのかなと思っています。

「成り切る」ということは、「分別を乗り越えることなのだ」と、 私はこの頃、毎日の一炷香の坐禅の度にそんな気がしてます。

 心眼 記

ナイトスタンド・ブディスト

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広島禅会 2015/4/11 1:57
 仕事を終えて帰宅し、入浴や夕食を済ませて一息ついたら、書斎や寝室、自分の部屋などで、ひとり静かにナイトスタンドの小さな光を灯して、テレビやパソコン、スマホなど、一切全く何もしないで、自らを見つめてただ瞑想する。

 こんな人々をアメリカでは「夜の電気スタンド仏教徒」と、ユーモアを交えて呼んでいるのだそうです。

 そして既にこんなナイトスタンド・ブディストが、アメリカには300万人いるとの事です。

 これはもうアメリカの仏教徒が、ユダヤ教を抜いて、キリスト教に次ぐ第ニの宗教になったと云う事でもあるのだそうです。
 
 これはある意味、現代の世界的な在家仏教の新しいスタイルなのかもしれません。

 我が国でも是非、皆んなで、Night-stand Buddhistsを『数息観』で実践しませんか!

 もっとも私自身は、朝の方が性に合っている様な気がしますが、きっと習慣の問題でしょうね。(笑)

 小畠 光禅 記

広島東洋カープと禅

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広島禅会 2015/4/10 12:52
 心眼です。
 
 今年は広島カープに黒田がアメリカからもどり、マエケンも残留していることから地元広島では優勝も狙えるのではないかと期待が先行していました。

 しかし期待とは裏腹に、カープは泥沼の連敗に突入し、先が見えない状況となりました。

 スタートダッシュが得意な(それも鯉の季節まで)チームが、です。

 未熟な私は思わぬカープの泥沼の連敗に、「なぜ?どうして?」と当惑や怒りがわいてしまうのでした。他のチームはあんなに頑張っている。カープの選手の何が悪いのか?主砲エルドレットの故障からくる貧打のせいじゃないのか?
 
 鬱屈した気持ちをぶつけるように、カープの 4 連敗を越えたあたりから毎日1柱香の坐禅を、 2 柱香近くするようになっていました。
 
 禅では「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があり、 他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省しようという意味だそうです。
 
 坐禅をして足元、翻って自分のことを省みれば、参禅会での一風景が眼に浮かびます。

 参禅会では老師に公案の答え、見解(けんげ)を呈します。カープの貧打打線に負けないくらい自分だって、室内では老師の前に三振、内野ゴロの山。

 なかなか痛快な安打は生まれません。
 
 私が公案でもがくように、選手もバッターボックスやマウンドで闘っている。そう思えばカープのもがきも自分を離れた遠くのものではなく、自分ごとのように感じる気がします。

 自分のことを棚にあげて他人を批判するな、それを指摘するかのごとく、カープの連敗は私に「脚下照顧」を思い知らせたようでもありました。
  
 幸い今日は巨人に連勝し、少しずつですがカープも調子を上げてきております。
 
 広島では 4 月 16 日から参禅会があります。 4 月新年度最初でもあり、いわば「開幕戦」ですね。

 今年の私にはどんなドラマが待っているのでしょうか。

 参禅会で公案を通ると、野球選手のように「年棒」はあがりませんが、「境涯」が上がる❓ ので頑張りたい所です(笑)。

大 漁

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広島禅会 2015/3/8 17:44

 朝焼け 小焼けだ 大漁だ

 オオバいわし の 大漁だ

 浜は 祭り のようだけど

 海の中では 何万の

 いわしの弔い するだろう


 この詩の作者「金子みすず」は、山口県の日本海側にある仙崎という漁村で生まれ育った。仙崎は、鯨漁なども行われた、古くからの漁港である。これなども、漁師町ならではの詩であろう。

 そして、ここには思わず「ハッ」とさせられる独自の視点がある。

 人はそれぞれ皆、自分自身の為、最愛の人や家族の為、自分が勤めている会社の為、あるいは所属している責任組織の為、さらに大きくは地域社会の為、我が国の為、これからの世界人類の為と、幸福を願って努力し行動していく。

 しかし、「一つ視点を転ずれば、それらは全て例外無く『人間の業』でしかないのだ。」と言われている様に思える。

 つまりは、それらは全て一つの「系」だけの幸福であって、その「系」を出てみれば、真逆の事を生じさせているという訳なのである。

 勝利と成功そして栄光の向こう側には、敗北と失敗そして屈辱がある。

 ほとんどの人は、この事に関しては全く何の自覚も無いままに、ただ負けない様に、ただひたすら何かに憑かれた様に、他を押し退けて勝ちを望む。

 「もしかしたらこれは、いけない事なのかも知れない。私は罪を犯している。」などと思っている人など、まず誰一人いない。

 勝ち敗けが無い、勝敗を超えた勝敗の世界などが、果たして本当にあるだろうか。

 確かに理においては、勝つときは共に勝ち、負ける時は共に負けるのが、勝敗無き勝敗の世界となろう。只勝ち、只負ける、それだけのことである。

 そしてこれが、実際に自分自身の時々刻々の現実生活において、果たしてどうかなのだろう。

寒 の 水 

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広島禅会 2015/3/1 19:04
♪ 大寒(おおさむ)小寒(こさむ)
 山から小僧(こぞう)が泣いてきた
 何と言って泣いてきた
 寒いといって泣いてきた・・・・♪

 この頃では余り聞かなくなった童歌に、この「大寒 小寒(おおさむ こさむ)」がある。

 昔から味噌や醤油、日本酒は、「寒仕込み」といって、冬場に仕込みがなされてきた。「寒の水」といって、この時期に汲まれた水は、質が良く、柔らかな味わいだといわれ、「寒の水は薬」ともいうのだそうである。

 呉市仁方町の「寶剣」を醸す宝剣酒造の蔵元杜氏、土井鉄也さんなどは、「冬場は刑務所(酒蔵)に籠もって、ずっと体力勝負で酒造りをしている。だから酒造りが終わったら、次の造りまでの間、できればのんびりと、好きなことをして遊んでいたい。」などと言っているそうである。寒くてきつい仕事である。

 呉にはこの「寶剣」の他にも、同じく仁方の「雨後の月」、三宅の「千福」、音戸の「華鳩」など、名の通った銘酒が沢山ある。

 三月に入って、春の訪れを感じる様になってきた。
この時期、春を告げる風物詩に、奈良・東大寺の二月堂で行われる法要、「お水取り」がある。正式には『修二会(しゅにえ)』といい、世界文化遺産にも登録されている。

 ちなみに修二会は、もともとは旧暦の2月1日から行われていたため、“二月に修する法会”という意味があり、二月堂の名前もこれに由来しているのだそうである。
夜空を焦がす炎は素晴らしく、感動を与えてくれる。

 そして、この一連の行事の中心となるのが、3月12日深夜(13日の午前1時半頃)に、二月堂前にある“若狭井”(わかさい)という井戸から、ご本尊の「十一面観音」にお供えする『お香水(おこうずい)』を汲み上げる儀式が行われる。

 この行法の意味は、「人間の罪深さをおわびするため」なのだそうである。昔の日本人は、「災いは人が悪いことをするから起きる」と考えていたようである。病気も地震も飢饉も、それらは人間が悪いことをしたからだというのである。

 ただ正しく生きようと思っていても、過ちや罪を犯してしまうのが人間である。
では、万民が幸せに生きるのにはどうしたらいいのだろうか。

 辿り着いたのが、罪をおわびして、おわびして、それから幸せを祈ること。それが形になったのが、修二会であり、十一面観音に御供えする行法なのだというのである。

 故意はもちろんの事、無意識のうちに犯してしまった自らの罪の全てに光を照らして悔い改め、すべての人々の幸福を願う強い意志を持つ事だというのである。つまりは、心の奥の深い所までを「寒の水」で隈なく潤して、浄化せしめるといったところであろうか。

 しかし、それはそれとして、やっぱりこの時期には、寒の水の寒仕込みの熱燗を、湯豆腐や水炊きなどで一杯やるのに限る。(笑)

坐禅のある生活に入って

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執筆 : 
広島禅会 2015/2/11 0:39
 坐禅は自分の心と直接向き合うチャンスをくれ、そして参禅会で行われる参禅では、自分と禅との関わりをしっかりとしたものに出来る良い機会です。それを継続することが社会生活へどう影響がでてくるのか、考えてみたいと思います。

 これまで私としては禅というのは、葬式仏教的な寺か、修行専門の禅寺での閉鎖的な空間で、その崇高な精神を後世に引き継ぐといったイメージを持っていました。
禅がいかに自分のあり方さえ根本的に変える崇高なものとはいえ、社会を捨てて山に籠らなければ触れることができないほど高いものであれば、逆に普通の社会人にとっては絵空事になりかねません。 つまり社会生活と禅は別世界のもので、相容れないのでは、という疑問です。

 禅をどのように社会人の人格形成に活かしているのか。この年になっても、また初関を透過してもなお自分の弱さというものは克服するのは容易ではなく、むしろ改善すべき点ばかり見つかってしまう自分ではありますが、人間禅には、一般社会のそれぞれの分野で、活き活きと活躍なさっている方たちが多くおられ、それがこの組織の強みとなっているのだと実感します。 諸先輩方は禅で得た教訓を、すぐに実生活に活かす術をすでに得ている気がします。

 また、人間禅では剣道を嗜む方も多くおられ、山岡鉄舟翁や小川忠太先生など、禅を極めた剣の達人が関わっておられ、その心の蓄積にも触れることができます。
 さらにこれら剣道や茶道や弓道など、ただ日本古来の文化的に崇高なものだけに限らず、「ごく平凡な日常生活の中にさえも、禅の『かけら』がちりばめられている。」のだと教えられました。
 確かに坐禅をして、外を歩くとその『かけら』は目の前に落ちている、そんな気がするのです。
坐禅をして、その呼吸で社会生活の只中に飛び込み、感じたものをまた坐禅に戻す生活を習慣にすることで、フィードバックを得る。
 一日一柱香と、その後の一日の生活の蓄積で禅の心をどのように仕事や趣味に適応させていけるものなのか、またその中から新しい何が生まれるのか楽しみです。

柳 心眼 記

呉かき海道 

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広島禅会 2015/2/3 12:47
2015年もいよいよ牡蠣祭りシーズンが到来し、広島では週末に、各地で牡蠣祭りが開催されています。

この冬は「暖冬」と予想されながらも、大雪が降るなど寒さが身にしみますが、栄養満点のカキを食べて冬を元気に乗り切りましょう。

カキには、たんぱく質が豊富に含まれています。特に、8種類の必須アミノ酸、18種類のアミノ酸を含む、とても良質なタンパク質です。

またカキには、牛乳の35倍、ほうれん草の7倍もの亜鉛が含まれており、亜鉛は体内の酵素を作るといわれています。

さらには、カキに含まれるメチオニン、シスチン、タウリンなどの硫黄を含んだアミノ酸などにより、顔色をよくして、肌をきめ細かにするそうです。

そしてカキに含まれるタウリンが肝機能を高めて、滞りなくアセトアルデヒドを分解することができ、二日酔いの症状を軽減してくれます。

特に旬である今の季節は、生ガキ、カキフライ、お鍋、グラタンなど、煮ても焼いても揚げてもおいしいカキを、是非、ご賞味あれ。

どうも「カキ」という名前の由来は、漢字で書くと「牡蠣」ですが、海の岩にくっついた貝を「かきおとす」から「カキ」という説や、殻を欠き砕いて取るというところから「カキ」となったという説など、カキの殻を取るための動作から、この名前がついたと言われています。

日本の食文化としてのカキの歴史は古く、縄文時代から食用として食べられていたそうです。多くの貝塚からカキの殻も発見されており、ハマグリの次に多く食べられたといわれています。

現在のように生でカキを食べるようになったのは、欧米文化の影響を受けた明治以降とのことだそうです。カキの生食文化は、日本ではまだ新しいのですね。


呉地区での開催日時などは、以下のとおりです。お出かけの参考にしてみてください。


★音戸かき祭り
  日時:2.1(日)9時~ 会場:音戸漁業協同組合横駐車場 問合先:音戸漁業協同組合 0823-52-2561

★江田島市カキ祭
 日時:2.1(日)10時~14時 会場:江田島町小用みなと公園 問合先:江田島市カキ祭実行委員会 0823-40-2771

★田原かき祭り
 日時:2.8(日)9時~ 会場:田原漁業協同組合前広場 問合先:田原漁業協同組合 0823-52-2900

★2015呉水産祭り
 日時:2.11(水祝)10時~14時30分 会場:呉市中央公園 問合先:呉市水産祭り実行委員会事務局 0823-25-3319

★坂町漁業水産まつり
 日時:2.15(日)9時~ 会場:パルティフジ坂 問合先:坂町漁業協同組合 082-885-0009

★宝島くらはしフェスティバル
 日時:2.15(日)9時~14時30分 会場:呉市倉橋町 桂浜温泉周辺 問合先:宝島くらはしフェスティバル実行委員会 0823-53-1111

★早瀬かき祭り
 日時:2.22(日)8時30分~ 会場:旧早瀬小学校前広場 問合先:早瀬漁業協同組合 0823-56-0470

★安浦かき祭り
 日時:2.22(日)10時~ 会場:グリーンピアせとうち 問合先:安浦漁業協同組合 0823-84-2003

猫のあくび

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広島禅会 2015/1/10 1:38
    猫は、よく寝ることから、語源は『寝る子』からとのことです。

 日光東照宮に、左甚五郎が作ったという、『眠り猫』という彫刻などが有る位です。

 猫の睡眠時間は、1日平均14時間(子猫は20時間近い)、1日の大半を寝て過ごしていて、一生のうち約2/3は眠って過ごすことになります。

 「猫のあくび」といえば、「Cat’s yawn」である。曹渓庵佐々木指月老師による、れっきとした有名な英語の禅の書物である。何でもチベットのラサの僧侶が「人生は猫のあくびのようなものだ。」と言ったとか言わないとかから取ったらしい。

 その曹渓庵佐々木指月老師であるが、私ども人間禅の第一世総裁である耕雲庵立田英山老大師の兄弟弟子に当たる方である。現在、ニューヨークを中心に活動している「アメリカ第一禅堂」の礎を築かれたのだそうであるが、非常にユニークなところのある人だったようである。

 禅の師匠である両忘庵釈宗活老師の意向に逆らって、出家得度して、激怒を被ったなどの逸話もある。アメリカで布教活動をするのに、その方が都合いいからとの理由だったそうであるが、どうなのだろうか。それは在家禅の本質や良さを、根本的に歪めて否定して仕舞っていないのだろうか。

 しかしながら、とかく人は内容よりも、まず外観や服装などで判断する指向性を持っているようである。相手がアメリカ人ならば、なおさらそうであろう。そういえば詐欺師は、よく制服を使うようである。特に日本人は、案外簡単に騙されてしまうものなのだ。詐欺事件が後を絶たずに発生しているのも現実である。さもしく、哀しい現実である。

 また、この老師には、「ほら吹き指月」という仇名があったくらいで、かなり虚言癖があったようだ。言っていることの何が何処まで真実で、何処からが嘘なのか判らない様な、山師的で、あまり信用が出来ない人だったようである。

 今でも偶にそんな人に出くわすこともある。信用出来ないで、頭をひねって悩んでしまう。「どちらが嘘をついているのかは、嘘をつく理由がある方が嘘をついている。」とシャーロックホームズも言っているが、その場繕いに平気で簡単に嘘をつく人にも困ったものだ。

 しかしよく考えてみれば、戦前、未開の新天地であるアメリカ本土に単身で乗り込んで、禅の布教活動を行う事は、かなり山師的な神経でなければ、実際のところ出来なかったのであろう。

 取り敢えずは、そういう事にしておこう。(笑)

牛のゲップ

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広島禅会 2015/1/7 3:17
新年の各例会のマスコミ報道などで、原発の再稼働や廃炉の事などが取り沙汰されています。その一方で、地球温暖化についての考慮が、少し忘れられている様な気がします。

日本の近海で熱帯産の魚や海草が観測されたり、椿や梅などの花の開花時期が早まったり、西日本の夏日が長引いたりしています。キリマンジャロやヨーロッパアルプスで急速に氷河が溶け出していること。これらは地球温暖化の影響といわれています。

そのすべてが、人類の活動の中から排出される、温暖化ガスによる影響なのです。

温暖化ガスを最も多く放出しているのは、アメリカと中国ですが、この両者共、自国の国益に反するとして、温暖化ガスを自主規制しようとする京都議定書から離脱しています。

アメリカは、世界の石油消費量の4割を燃やしている世界最大の炭酸ガス発生国ですし、中国は、13億の国民が各種経済活動を活発化させて、エネルギー・穀物を大量に輸入している世界最大の資源消費国です。

また、穀物増産のために、アマゾンなどの熱帯雨林を伐採し、穀物畑を広げようという動きなども、温暖化を早めています。

温暖化ガスを出しているのは、自然現象によるものもありますが、最も多いのは石炭や石油をエネルギーとしている工業分野と生活分野です。

そのほかにも、農業分野からの発生も無視できないのです。

今、地球温暖化を防ぐために、肉を食べるのを少しだけ控えようという主張があります。

それは、牛や羊などのゲップから出るメタンガスが、地球温暖化に影響している、という冗談のような真面目な話です。

世界中の牛などのゲップから放出されるメタンガスは、大気中の全メタンガスの25%を占めているといわれています。

このメタンガスは、炭酸ガスの21倍の温暖化効果があり、炭酸ガスと同様、温暖化防止には見逃せないのです。

1頭の牛の出すゲップは、1日に500リットルにもなり、大きな地球温暖化問題となっています。

京都議定書では、乳牛1頭から発生するメタンガスは、年間116.4キロと計算されています。

このように、牛のゲップが大きく取り上げられるようになったのも、牛の飼育頭数が急速に膨らんできたからです。世界の経済が安定し、中国など、巨大な人口を抱える国の所得が伸びるに伴い、牛肉の消費量が飛躍的に伸び、牛の飼育頭数が増大しているからです。

このような、温暖化ガスの発生を抑える方法には、温暖化ガスを出さない原発の再稼働や推進、電気自動車などの普及のほかにも、牛肉を食べるのを控えることにもありそうです。

日本人は、1日に125gの肉を食べているのだそうです。肉食の量を少し減らすことが、地球環境を守り、自分の健康にもつながるのなら、皆で真面目に取り組んでみてはどうでしょうか。(笑)

羊の寝言

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広島禅会 2015/1/4 19:22
皆様 明けましておめでとうございます。

年末年始と、本年度は長期の休みの方も多かったと思いますが、いかがお過ごしだったでしょうか。

私は久しぶりに、この際、もっぱらじっくり寝正月でした。これといって極力何もせず、なるべく何も考えずに、只ボーと毎日を過ごしてみました。これも一説には、元々左利きの人間には、たまには必要な時間らしいのです。少なくとも、私はそう信じています。(笑)

今年は、ひつじ年ですが、眠れない夜には「羊」を数えるって聞いた事がありませんか?

これは、イギリスのお話だそうです。

Sheepと発音する時、Sheeと息を吸って、Pooと息を吐いて、これを腹式呼吸で繰り返す事で、眠りを誘う。

つまり、数息観ですね。

ですから日本語で「 ヒ・ツ・ジ 」と数えるのは、もともと意味がない訳です。

このような呼吸を数えるという単純作業は、身心を非常にリラックスさせて、それだけでリフレッシュさせる効果があります。

本年もよろしくお願いします。

安芸灘の風

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広島禅会 2014/12/10 12:43

 レーモンド松屋の「安芸灘の風」は、呉の下蒲刈のご当地ソングとして、カラオケなどで親しまれている。

青くやわらかな この海は 島々包むゆり籠
眠る歴史が 陽炎の中 ゆらゆら蝶と揺れてる
関前の空 流れる雲 観音崎からあなたを見送る
あれからずっと とまち瀬戸で その日が来るのを待ってた
きっと来る あなたは来る いくつもの橋を渡って
きっと来る あなたは来る 安芸灘の光る風に乗って

あなたの好きだった 御手洗の 古い町並み歩いた
昔のざわめきが 耳をすませば 今も鮮やか聞こえる
大長港 みかん船 高燈籠で願いを込めて
風待ち潮待ち あなた待って その日が来るのを信じて
きっと来る あなたは来る いくつもの橋を渡って
きっと来る あなたは来る 安芸灘の光る風に乗って

初めてあなたと 下蒲刈の あかりの館訪ねた
であいの岬 夢を語った 恋ヶ浜の海まぶしく
櫓を漕ぐ人は あび漁か 十文字山で遥かに見つめる
思い出訪ね あなたしのんで その日が来るのを待ってた
きっと来る あなたは来る いくつもの橋を渡って
きっと来る あなたは来る 安芸灘の光る風に乗って


 広島県 呉市 川尻町と、その南東に位置する安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ計画がある。広島県は、安芸灘諸島連絡架橋(1~8号橋)の建設を進めている。

 安芸灘諸島は、温暖で風光明媚な自然環境に恵まれており、柑橘類の生産や、漁業が盛んに行われており、県民の浜など観光スポットも点在している。

 また、広島県の呉地方、拠点都市地域・景観指定地域に指定されており、瀬戸内海特有の豊かな多島美を生かした、観光開発の促進にも力を入れている。

 瀬戸内海沿岸のこの地域一帯は、古くは神功皇后伝説の地であり、下蒲刈は朝鮮通信使の寄港地でもあった。
 

マインドフルネス瞑想法 Ⅴ

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広島禅会 2014/12/10 12:38
 
 毎日の数息観の実践にも、多少参考になると思いましたので、以下、そのまま引用します。
 
 
「心の色眼鏡を外すトレーニング」
 
不安等のネガティブな感情が起こったとき、私たちは何とかその気持ちを解消しようとします。
 
しかし、避けたい気持ちが強すぎると、不安なことに意識が集中し、冷静な思考ができなくなってしまうのです。
 
逆に、ネガティブな感情から離れるために、他の何か楽しいことで気分転換をすることもあるでしょう。
 
この気分転換が有効な場合もありますが、一方では、問題解決をただ先延ばしし、状況をさらに悪化させてしまうこともあるでしょう。
 
こうした悪循環を起こさず、今ある不安を、ただそのままに受け取るのです。
 
「あるがまま」に受け取るとは、今ある不安や、恐怖から始まる様々なネガティブ感情を、増幅させたり、逆に軽視したり、無視するなど、考えないようにするといったことを発生させないための方法なのです。
 
自分の感情を否定したり、他に意識をそらせたりすることなく、「あるがまま」に眺めます。
 
感じている不安は、不安としてそのまま受け取ります。
 
これは、自分の気持ちに寄り添うことであり、自分自身を受容することでもあります。
 
そして、不安にエネルギーを与えず、ただそのままにしておくと、自ずと不安の方から変化し、不安な気持ちは低下していくのです。
 
今ここにある感情に対して、必要以上に反応せず、客観的かつ冷静な対処を行う能力を育てるというのが「心の色眼鏡を外すトレーニング」です。
 
この論理自体、それほど難しいものではありませんが、効果を得るには、何度も繰り返し「あるがまま」に眺めるトレーニングが必要です。
 
~続く~
 

勁質にして雅文なるもの

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広島禅会 2014/12/3 21:57

 茶道、上田宗箇流の流祖のことを記した「宗箇翁伝」に、こんな表現がある。

 「翁の茶に於(お)ける楽しむ所は、清静(せいせい)に在り。用いる所の器は、唯だ、勁質(けいしつ)にして雅文(がぶん)なるものを好む。艶形(えんけい)華色(かしょく)は輒(すなわち)取らず」。

 この様に上田宗箇流とは、はっきりと強さと雅(みやび)とを併せ持った、他の流儀には決してみられない、独自の茶風なのである。

 「勁質にして雅文なるもの」

 「清静として凛」

 この二つは、上田宗箇から連綿と今に噴流し続けている、流儀伝世の河底まで均質に貫かれた超然とした流れである。

 「つよさ」を表す漢字として、「強(きょう)」とは別に「勁(けい)」がある。例えば書画や詩文に力がみなぎるさまを「雄勁(ゆうけい)」という。「勁草(けいそう)」は風雪に耐えるつよい草から転じ、思想信条の堅固なさまを指す。左のツクリは、縦糸の意。いわば背骨を貫く矜持(きょうじ)であろう。

 上田宗箇は、ある意味、決して上手な世渡りなどとは縁が無かったようである。たとえ相手が天下人であっても、義あらば一歩も引かない頑固さがあった。それでも「宗箇なら是非も無し。」という、戦国時代後期においては、歴戦の先駆けの名手として、越格の武功を得ていた軍神格の一人であったことで、どうであっても天下御免だった。

 上田宗箇自身、実際に戦国の血糊の中を、懸命に振りし切って駆け抜けた英傑なのだが、何処か清らかで静かな、凛とした風を感じさせる人である。

 決して殺戮を好んだ訳では無かったのだろう。ただ生まれて育って生き抜いた時代が、戦国の世だったという事である。こればっかりは致し方がない。

 もし今のような豊かで平和で自由な世の中に生まれていたら、人並みはずれた身体能力、ずば抜けた胆力、秀でた叡智を持ち合わせたこの人は、また違ったひとかどの人物になっていたことだろう。

 先月末、菅原文太が高倉健に続いて亡くなった。81歳だった。晩年は山梨県で農業を営んでいたそうである。二人とも、かつての東映の任侠映画のスターだった。

 菅原文太は、呉・広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」(1973年)で主演し、一躍有名になった。それぞれ実在のモデルがいたことでも話題になった。おかげで、かつては呉・広島といえば、「ヤクザの街」のイメージが付いて仕舞った時代もあった。今はもうそれも忘れ去られてしまったようだ。

 菅原文太の演じた極道のモデルは、呉では知らない人はまずいないだろうが、最後は組を解散し、クレイトンベイホテルと云う観光ホテルのオーナーとして実業家となった美能幸三氏である。マンションの建設販売会社の金主だったとも噂されていたりした。

 任侠道の世界はよく知らない。また賛美する気など毛頭ないが、きっとこの人なども、戦中、そして敗戦後の混乱期の時代の中を、必死に生き抜いて来たという事なのではないだろうか。

 そういった意味では「全く是非も無し。」と云ったところか。

マインドフルネス瞑想法Ⅳ

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広島禅会 2014/12/3 21:47


 日々の数息観の実践に、非常に参考になると思いますので、以下、そのまま引用します。


「あるがままの自分に気付く」


自分の心や身体を客観的に観察し、その瞬間での「あるがまま」の状態に気づき、「あるがままに受け取ること」が大きなテーマとなります。


このことについて、とかく「あるがままではダメではないのか?」「それでは進歩がない。」などと考えがちです。この「あるがまま」について、少し詳しく検討したいと思います。


たとえば、何かに腹を立てているなら、「腹を立てている」と気付くこと、気持ちが落ちつかないときには、「落ちつかない」と気付くことです。


人は時として自分自身の感情に気付かず、冷静さを失うことがあります。


また自分自身の気持ちに気付いても、その気持ちを否定したくなることがあります。


怖いと感じたとき、その「怖いと感じていること」に気付き、「怖い」という気持ちを否定しません。ただ眺めます。


「腹が立つ」とき、「悲しい」とき、「疲れを感じた」ときも、すべて同じです。


「感じること」や「考えること」に対して、価値判断することなく、ただ「あるがまま」に受け取ります。


通常、私たちは、不安や恐怖等のネガティブな気持ちになるのは、イヤなものです。


そこで、「不安を感じないようにしたい」、「安心したい」と考えますが、そう考えるほど、不安に対して逆に敏感になり、不安の材料をどんどん集めることになるのです。


すると、もっと些細なことにも不安を感じ、より安心できる状態を求めることで、さらに不安の材料を探しはじめ、さらにさらに不安は高まるといった、悪循環に陥ってしまいます。

~続く~

イルミネーションロード呉

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広島禅会 2014/11/30 11:43
 年末年始には、広島市内の平和大通りで、大規模なイルミネーションが行われるが、呉でも、ほんとうに呉らしいイルミネーションが蔵本通りを飾る。

 海をイメージした電飾に、戦艦大和、空母赤城、戦闘機の紫電改など、呉ならではの幻想的なイルミネーションや、音戸の瀬戸をモチーフにしたものなどで彩られる。


 






期 間:平成26年12月5日(金)~平成27年1月12日(日)

      点灯時間17時から23時

 場 所:呉市中央2丁目 蔵本通り
















 その一方、港町呉ならではの夜景スポットとして、灰ヶ峰山頂展望台から見る大パノラマがある。

 ここから観る夜景のスケールは、全国でも屈指のレベルで、眺めていると、まるで空を飛んでいるかのような錯覚を覚え、360度の雄大なパノラマ風景が広がる。

 眼下には、基盤の目のように整然とした呉市街の灯りが足元から広がり、呉港、休山、広湾、遠くは瀬戸内海の島々や、四国連山まで一望できる。

 週末には、天気が良いとカップルや家族連れなど、多くの人々が夜景鑑賞に訪れる。しかし展望台が大きいので、落ち着いてゆっくりできる。

 感動間違い無しの、お薦めパノラマ夜景スポットである。

 そしてこんな美しい冬の夜の中に身を置いて、光と闇などについて、思索をめぐらせてみるなども、中々乙な一趣向ではなかろうか。

阿賀、神田神社の薪能

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広島禅会 2014/11/27 22:32
呉方面から休山トンネルを出て、阿賀地区の右手側に、神田神社は位置している

天文六年(1537)に、神田八幡宮として社殿が建造された。その後も、江戸時代以降、再建、改築が繰り返され、長くこの地域の信仰を集めてきた。

神功皇后が、三韓征伐の帰途、阿賀村沖を航行中に強風が続き、ここに滞在したとの伝説があり、その地続きに神田神社の地があったと伝えられているそうである。

また、平清盛が音戸の瀬戸を開削する際に、この神田神社に使いを出して、安全祈願をしたとも伝わっているようである。

秋祭りの「よごろ」(広島でいう前夜祭)には、神事として「薪能」が奉納される。今年も9月22日に、観世流の能楽師、吉田篤志の薪能が奉納された。

薪能は、広島県下では、他にも尾道市の浄土寺(観世流)、広島市の護国神社(喜多流)などで行われている。

神田神社の薪能は、舞台は小さいものの、人気能楽師が演じており、しかも無料で鑑賞できる。

豪華な能装束の舞は、迫力満点で、実に優美で幻想的である。時には幽玄の世界に浸るのも、最高に贅沢な時間の過ごし方である。

「能」といえば、まず何といっても「風姿花伝」や「拾玉得花」など、数々の秘伝書を著した世阿弥が思いあたる。

世阿弥は、「秘すれば花」「離見の見」「初心忘れるべからず」「珍しきが花」など、数々の珠玉の名言・名文で、世界でも類を見ない芸術家自身による偉大な芸術理論を遺している。

このような思念の根底には、流れゆくものをそのまま見つめ、いずれは朽ちるという事実をそのままに受容しようとする姿勢がある。

花の美しさを散らすまいとするのではなく、散るからこそ咲きでた一瞬が美しく、花を待つあいだの思いが深いとする美意識である。

そして何時か朽ち果てて土に戻り、土に戻ることによって、また甦るという回帰の願いがその根底にある。

時間とともに変化していく面白さを何よりも大切に思う心であり、新しさを喜ぶと同時に、古びていく過程に美を捉え、朽ちるものへと愛情を注ぐのである。

そしてこれは、決して滅びの美学などでは無く、散りゆくことは、新しい芽生えの前提と捉えるのである。

回帰と転生の相の中に身を置いた、永遠の、絶対の現在への思慕の姿なのである。

花を散らさずに残すという工夫の方向ではなく、散るからこそ美しいのだという視点に立っているのである。

さらには、積極的に散らすことによって、花の新鮮さを際立たせ、花の新たな生命を待とうという立脚点なのである。

茶道でいう「一期一会」の精神も、この一生に一度きりの厳しさを示唆している。

その時、その場、その一回々々を、本当に芯から充実させ、真剣に懸命に生きるという、そういう生き様なのである。

マインドフルネス瞑想法Ⅲ

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広島禅会 2014/11/18 12:39
 日々の数息観の実践に、とても参考になると思いましたので、以下、そのまま引用します。


「雑念を眺めるトレーニング」について

心の生活習慣を知ることが自分を知ることであり、自分をより深く理解し、自分の心とも上手につきあうことができます。

呼吸に意識を集中することを行っていると、いろいろな雑念がわいてきます。
仕事のことが気になり、集中できないこともあります。
そんな自分にイライラすることもあります。
眠くなることもあります。
退屈することもあります。
そしてこれができない自分を、否定したくなることもあります。
それでいいのです。

こうした自分の心の動きを知ることです。
逆に言えば、心の動きを知るために、呼吸に意識を集中します。
呼吸は、心の映す静かな湖面です。
ゆったりと繰り返される呼吸を背景に、様々な風景が浮かぶでしょう。
それをただ眺めるのです。

ただし、ここでは、眺めている状態を維持しようとすることが大切です。
この湖面に浮かぶ景色のなかに、自分自身が入ってしまうと、それはもう離れています。

たとえば、明日の仕事が気になる自分、に気づきます。
そこで、再び呼吸に意識を戻します。
ここでは、仕事のことが気になる自分、に気づいています。

しかし、ここから仕事のことを考え始めると、それはもうそうではなく、ただ仕事のことを考えているだけになります。

呼吸に意識を集中しながら、自分の身体や心をただ観察します。

バットの素振りや筋トレのように、退屈に感じることもあるでしょう。

しかし、こうしたトレーニングを繰り返すことで、自分をよりよく知り、自分自身とうまく付き合えるように成ります。

~続く~

呉のエーデルワイス

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執筆 : 
広島禅会 2014/11/9 11:11
呉の本通りから森沢ホテルの筋を少し入った右手側に、エーデルワイス洋菓子店、呉本通店がある。

 エーデルワイスの原語は、独: Edelweiß(エーデルヴァイス)で、「高貴な白」という意味だそうである。ここのお菓子も、何処か高貴でクラッシクな印象がある。
 クリームパイが有名である。呉でケーキあるいは洋菓子と云えば、ここのクリームパイを、まず思い浮かべる人も結構いるのではないだろうか。呉のソウルデザートの一つといったところである。
 クッキー生地の上にプリン、その上に生クリームを載せたシンプルなものなのだが、本当に美味しい。程よい甘さで、いくらでも食べたい位である。
 お土産に持っていくと必ず喜ばれる。ただし生菓子で日持ちがしないので、その日のうちに食べないとだめなのだが。

 洋菓子や、シュークリームと言うと、私は若い頃に最初に師事した、当時の仏通寺の管長、青松軒 藤井虎山老師のことを思い浮かべてしまう。甘いものがお好きだった。
 特に生クリームや小豆の餡ものなどは、特にお好みに合っていた様でした。

 虎山老師は、講話が大変お上手で、近隣の各所に招かれては、講演や布教活動をされていました。

 その虎山老師のお話の中で、未だに強く印象に残っていることがある。

 それは「ふと、想い返す。」ということである。

 何度かこの話をお聞きしたことがあったが、おおよその概要はこうである。

 ある社会的に立派な立場にある方が、虎山老師の先代の吹毛軒 山崎益洲老師の高名を聞いて、坐禅をしに仏通寺を尋ねて来たのだというのである。しかし意外な事に、益洲老師から直接「ここは貴様のような奴が来るような所では無い。帰れ帰れ!」と、全く邪険にぞんざいに断られてしまったので、思わず腹を立てて、直ぐに急いで帰路に着いたのだそうだ。
 しかし、この方はここで思い返されるのである。「まてよ、益洲老師と云えば、この辺では禅の方では高名な方だ。もしかするとこれは何かあるのかも知れない。」と思って、踵を返してもう一度、そのまま再び仏通寺に向かったのだそうである。
 すると今度は、打って変って居士として入門を許され、禅の指導を受けることになったというのである。

 考えてみると、参禅などは、毎回常にその繰り返しである。振鈴を振られ続けて「もうどうにもならない。これはもう駄目だ。」と思う。

  そしてまた「ふと、想い返す。」、この瞬間が勝負である。

 あるいはまた、室内で指導を受けても、どうにも腑に落ちない。「もしかしたら、自分は参禅に向いていないのだろうか。」などと思う。

 それでも、ふと、想い返して、また参禅に行ってみる。この時、前後裁断の三昧力が発揮されるのである。

 何のことはない。これは毎日の数息観の実践で、しょっちゅうやっている、ふと気が付いて一にリセットする瞬間のことである。

 参禅を辞め、諦めて行けなくなってしまわれた人も、どうぞぜひ「ふと、想い返す。」を実践され、リセットして再びトライしましょう。

 きっとあなたの禅定力、三昧力に弾みが付きますよ。(笑)