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呉坐禅道場

呉坐禅道場
呉市両城2丁目2-11
(呉駅から西 徒歩10分)

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広島ブログ - 坐禅(座禅)の仕方、気をつけたいことカテゴリのエントリ

Photo龍舟です。この写真は「組子飾り」といって道場の禅堂の床の間の横に入っています。きれいですね。
 
さて、座禅に効用はない、と修行を積んだ禅者はよく言います。禅で何かを得ようなんて考えるな!ということでしょう。
 
しかし、座禅の効用は数限りなくあり、人間禅の季刊誌『禅』41号(25年7月1日発行)に総裁老師が敢えて、道を求める人たちのために、禅の効用についてお話をした「法話録」が掲載されました。とても長い文章なのでかいつまんで掲載します。全文を読んでみたい方には「禅」誌を差し上げますのでお気軽にお申し込みください。
 
 
かくいう私も、一日中座禅をする参禅会のあとは体力的にもぐったりするはずなのですが、不思議と腹の底から力がふつふつと湧き出るような気持ちになります。
 
基本的に、「座禅による人間形成」は一言であらわすと「三昧力を身につける」ことです。今やっていることに意識を集中させ、それ以外のことに念慮を働かせません。脳科学的に言うと座禅三昧の時は前頭葉が活性化されて、頭頂連合野がサイレント状態になります。感性が活発に働き、知性が落ち着いているのです。ではそうなればどんな効用があるでしょう…。
 
(効用その1) 集中力
 
子供の学習態度や大人の仕事力アップに人間形成の禅は直接、効果を発揮されます。勉強や仕事にすぐ取り掛るようになったり、「今」に集中できるようになります。
 
 
(効用その2) 平常心
 
溢れかえる情報社会の中にあっても慌てません。精神的ストレスを一度ご破算にして後に残さず、不幸や逆境を「これもまた風流」と乗り切って行けるようになります。 
 
 
(効用その3) 脳科学的にも良い
 
座禅をして三昧になると体内に「幸せホルモン」とも呼ばれるセロトニンが作られます。心のバランスを整える物質で消化器、循環器、呼吸器などを安定させる。キレやすい不安定さも解消されます。
 
 
(効用その4) わがままが消えていく
 
座禅の三昧で脳の前頭葉が活性化すると「オレがオレが」という自我が消え、喜怒哀楽に振り回されず、自分のわがままに気付けばすぐ摘み取ることができます。
 
 
(効用その5) 人間力がついてくる
 
言うだけでなく実践する人になる。決めたら迷わない決断力がつく。「今でしょう」という間髪入れない働きができるようになります。チームワークに貢献し、柔軟で聞き上手になります。
 
 
(効果その6) 個性とひらめきを発揮する
 
前頭葉が活発化した時、感性が磨かれ個性が発揮されます。創造力や独創力は感性のたまもの。偉大な発明・発見は感性のひらめきから生まれます。
 
 
(効用その7) アンチ・エイジング 
 
座禅は副交感神経の働きを活発にして加齢を防ぎます。禅の達人は横になれば、すぐ寝息を立て熟睡します。ストレスを作らないので、壮年のように颯爽と生きています。
 
 
(効用その8) 利他心、慈悲の心が湧き出る
 
人間形成が深まれば、自分以外の他の尊厳に気付くようになります。「天地と我と同根、万物と我と同根」の心境です。まさに菩薩の境涯に到ります。
 
 
(効用その9) 人の香りが醸し出される
 
人の香りはそれぞれの個性から発せられる存在感が、その人の雰囲気として出てくるものです。三昧が深く身に付くと、人格から発露しています。
 
龍舟 拝







合掌して静かに立ち上がります。

中央の通るところに出て、道場の前 仏壇の掛け軸に合掌します。

その後、道場の後ろにいる聖持(しょうじ)のところへ行き、座って合掌します。
(これは退場の許可を得る意味がある)

聖持が合掌して許可をくれるので、そのまま退場します。

休憩後、再度入場する時は、逆の動作をしてください。

詳しくは道場の作法のところをごらんください。 
数息観は息を数えるだけなので、簡単そうに見えますが、実際にやってみると雑念にとらわれて、数を忘れてしまったりします。

最初は、1ができたら、2を目標、2ができたら、3を目標というように段階的に修行していくといいでしょう。

100まで自在に数えられるようになったら、100、99、98と逆に数えたり、素数だけを数える(これは無理があるかも?)方法もあります。


以下、耕雲庵立田英山(こううんあん たつたえいざん)著 「数息観のすすめ」より抜粋しますので参考にしてください。

a . 勘定を間違えないこと
b . 雑念を交えないこと
c . 以上二条件に反したら1 に戻すことの三つです。

前期の間は、そう厳格にこの三条件を振り回したら、自己嫌悪におちいって、数息観をするのが嫌になってしまいますから、或る程度のミスは黙殺することにします。黙殺といっても余りひどいのはいけませんが、7 9の次にうっかり5 0と数えてしまったのや、足が痛くなったから、こんど1 0 0 まで数えたら止めようと思う位は、まァ黙認しておこうというものです。

もっとも黙認にも階梯があることで、最初の1 0 0 までは余りやかましく言わず、次の1 0 0 はやや条件を厳しくし、さらに次の1 0 0 を数えている時はなるべく条件を厳守して、数え直しをやるようにするとよいです。それでもある程度の黙認をやらないと、なかなか1 0 0を3回、つまり3 0 0まで数えることはできないものです。

ですから線香が一本燃え終わったら、数にかかわらず、その日はそれで止めることにでもしないと疲れ過ぎます。最初のうちは余り無理せん方が長つづきします。どうせ完全に数息観ができるなんて、半年や一年の修練では望めないことなのですから、あまり気をおとさずに、細くとも長くつづけることが肝心です。 
合掌して足を組み替えてみてください。

それでもどうしても痛い時は、静かに立ち上がってください。
その際、手は、叉手当胸(さしゅとうきょう 胸の前で掌を重ねる)にしてください。

痛くなくなったら、また坐って合掌し坐禅を続けます。

足が組めない方、痛めている方は、正座でも、イス禅をしてもかまいません。

最初、坐禅で足が痛くなるのは仕方ありませんが、2,3ヶ月も続けているとだんだん足が慣れてきます。

それまでは、イス禅も併用しながら、禅を続けていくと良いのではないでしょうか?

がんばってください。