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広島ブログ - 眞壁の平四郎( 『丁』一字に参じて九年 )

眞壁の平四郎( 『丁』一字に参じて九年 )

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
広島禅会 2017/4/19 12:34

 
 講談で有名な「眞壁の平四郎」の一段ですが、東北の松島、瑞巌寺に伝承されてきたお話しです。

 瑞巌寺は、老大師( 耕雲庵 立田 英山 人間禅 第一世 総裁 )が見性された因縁のお寺です。

 時は、本能寺で信長が討たれた天正年間。

 東北の小藩主、真壁の時幹(ときもと)の下僕、平四郎のお話です。

 ある冬、凍てつくような寒い雪の日のこと、平四郎は真壁時幹(ときもと)のお伴をして侍屋敷に出向きました。

 よほど困難な案件だったのか、なかなか時幹は戻ってきません。 

 東北独特のしばれるような寒さの中で「時幹様のお履物が凍てついてしまったら大変だ。お帰り道にお困りになる。」とばかり、身を切る寒さの中で平四郎は、時幹の下駄を自分の懐の奥深くに仕舞いこむ。

 ただでさえ震えるように寒い玄関口で、我が体温を主人の履物に送り、温め通す平四郎でした。

 何時かが過ぎ「郡主殿、お玄関、御出まし~!」の相図で、素早く温かい履物を玄関口にお揃えする平四郎。

 手柄を誇るつもりはなかったが、少なくとも喜んでほしかった。

 下駄に冷え切った足をすっと入れる時幹。その瞬間、鋭敏な時幹は、足裏に伝わる暖かさに気づく。

 それと同時に時幹は「おのれ平四郎、わが下駄を尻にでも敷くとはけしからん。これへ参れ!」と命じた。

 全く思いもかけぬことに、時幹は平四郎の労をねぎらうどころか「私の下駄を腰掛にしよって、今の今まで横着にも休憩していたに違いあるまい。」と曲解し「こんな汚れた下駄が履けるものか。」と、下駄を手に取りあげ、平四郎の頭上めがけて有無を言わせず何回となく打ちすえた。

 平四郎の頭は割れ裂け、周囲の雪面に赤い鮮血が散らばった。

 噴出する血を手で抑えもせず、平四郎は頭を垂れてなされるがまま立ちつくすほかない。

 「おのれトキモト、この恨み晴らさずにはおられまい。きっと、きっと、きっとこの平四郎に向かって平伏させてやる。」と腹を固める平四郎。

 
 時幹のもとを飛び出し、平四郎が目指した場所はなんと中国(宋の時代)。

 主人に対して単純な報復をしても始まらない。

 平伏させ、平謝りさせる方法をいろいろと考えた結果、平四郎は僧として大成する道を選んだ。

 立派な僧侶になれば、殿様といえども頭を下げさせることができる。

 中国で高名な径山(けいざん)の 無準禅師のもとを訪ねた平四郎。

 中国語がさっぱり分からない。

 おまけに仏教用語もわからない。

 皆目 訳が分からない、見当もつかない中で修行が始まりました。

 無準禅師が書いてくれた「丁」の文字を連日ながめながら、座禅と修行の生活に入る平四郎。

 「丁」ってなんだ????わからない。いくら考えてもわからない。

 やがて、わからないこともわからなくなるほど、わからなくなっていきました。

 やがて考えることをやめ、ひたすら目の前のことにひたすら専心するようになりました。

 時は移り、九年たったある日、ついに平四郎は大悟し、悟りを極めたのです。

 無準禅師から法身性才禅師と名づけられるほど、堂々たる禅師になっていました。

 勇躍帰国し、大殿様・伊達政宗候の帰依を得て、瑞巌、円福寺を再興させた法身性才禅師。

 ある日、政宗候とともに瑞巌円福寺に招きを受けた、小藩・真壁の郡主時幹は、床に飾ってある下駄をみてけげんな表情を見せました。

 その様子を見て、法身性才禅師こと平四郎は、

 「 一上径山弄風光 帰来応天目道場

  法身覚了無一物 咄是真壁平四郎

 (一たび径山に上りて風光を弄す。帰り来って天目道場に応ず。

  法身を覚了すれば無一物。元是れ真壁の平四郎。) 」

 と、唄うかのように叫びました。

 「あっ!」とおどろく元主人の時幹。

 「あの平四郎・・・」

 「さよう、あの真壁の平四郎なり。あの下駄殴打を今すぐここで謝罪されたし。」などと野暮なことは言わない。

 平四郎が時幹に言った言葉は、意外にもこんなものでした。

 「ご主人様のあの下駄のお陰で、今日瑞巌円福寺が再興を果たせたのでございます。」と当時の郡主に頭を下げ、心からなる御礼を申し述べたというのです。

 「主人を平伏させる。」という復讐の動機で、中国に渡った平四郎だが、道を究める過程で恨みは、いつしか感謝の心に変わっていたのでした。

 人は感謝の心で、幸福感を得られるのだそうです。

 「我が身に起こる困難は、自分自身の心を成長させるために起こる。」と受け止めて努力もし、困難を乗り越え、ついに困難にも感謝することになったということなのでしょうか。

 皆、人々、それぞれ置かれた立場々々で、進学・就職、恋愛・結婚、出産・育児、転勤・昇進、配置転換、更には独立起業、ついには定年、継承、そして患病、介護、果ては老後、末後終焉に至るまで、とかく心波立つことの多いのが、人の世の常の様です。

 しかし例えどの様な風であっても、お互いがいつか 暖かい感謝の思いで受け止められる様でありたいものです。

  光 禅 記

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