広島ブログ - 無用なもの達
「一見、ムダに見えるものでも、実は大切な役割を果たしている。」 という お話し です。
ムツゴロウこと 畑 正憲 さん に、次の様な お話し が有ります。
あるサーカスに10頭の虎がいました。8頭はシベリア産の虎で、2頭はインド産です。
シベリア産の虎は、とても頭が良く、芸もすぐマスターします。
しかしインド産の虎は、怠け者で頭も悪く、まったく芸を覚えません。
「なぜこんな物覚えの悪い虎を置いておくのですか ? 全部シベリア産にすればいいじゃないですか。」
と、ムツゴロウさんが聞きました。
するとサーカスの人は、
「これでいいのです。全部シベリア産にすると、すぐケンカします。インド産の怠け者がいることで全体がなごやかな雰囲気になり、調和が保たれているのです。」
と答えたそうです。
これはサーカスの虎だけでなく、アリにも似た様なお話しが有ります。
100匹のアリがいると、その中の20匹は、必ず怠けているそうです。

皆が働いている時に、ノラクラと働かない怠け者がいるのです。
「それじゃ、どうしょうも無いから、働かない怠け者の20匹は除けてしまえ。」と、その20匹を除けると80匹になります。
すると、その中の2割が、また働か無くなってしまいます。
これは何匹にしても、必ずその中の2割が働かないそうです。
そういう習性がアリには有るそうです。
「無用の用」という荘子の言葉があります。
決して合理的でも効率的でも無く、損得で考えても、ただ単なる「無駄」というもの。
そんな「何の役にも立たないもの」も、実は大切な働きをしているというのです。
ムダを排除することは必須条件でも、「必要なムダ」もあるということです。
例えば、車のハンドルの「アソビ」のようなものでしょうか。
アソビがなければ、ハンドルをちょっと動かしただけで直ぐ曲がってしまって、車は運転できません。
日常、毎日の生活の中で「一日一炷香」と云った、他に何もしない、何も考えない、只坐禅だけをすると云う、一見無駄とも思えるような時間を持たないなら、およそ味もそっけもない、つまらない人間、つまらない人生にしか成り得ないのかもしれませんよ。
光 禅 記