広島ブログ - 祖父母の言葉

私の父方の祖父は、造船会社を定年まで勤めた人でした。
威張ることもなく、淡々と真面目だけど、冗談を言ってよく笑わせてくれました。
祖父は亡くなる前、私の姿を見ると弱った体で酸素マスクを外して、擦れた声で、「頑張りなさい。」 と、繰り返し頷くように囁いていました。
父方の祖母は生前、「真面目に正直に生きるのが一番や!」とよく言っていました。
自分の事なのでおこがましい様ですが、父方の祖父母は、天寿を全うした立派な人生だったと思います。
母方の祖父は、国鉄に勤めていて、定年後も会社に呼ばれて仕事に行っていました。
寡黙で一見気難しそうに見える人でしたが、孫達が遊ぶ姿や、成長する姿を眺めているのが何より愉しそうで、黙ってニコニコ微笑んでいました。
正月や盆には、親、兄弟、従兄弟、ひ孫達がみんな集まって、爺ちゃんと、婆ちゃんの、長寿のお祝いをしたものでした。
餅つきや凧揚げ、竹とんぼ、畑で採ったスイカを井戸で冷やして食べたりと、沢山の楽しい思い出があります。
母方の祖母は、俳句や畑、花を植えたりしながら、いま一人暮らしをしています。
叔母やデーサービスの方、母たちに支えられながら、そして何よりご近所さんが当たり前のように良く面倒をみてくれている様です。
婆ちゃんは、「みんなが良くしてくれるのは、爺ちゃんのお陰やなあ!」 と、毎日、仏壇に手を合わせています。
爺ちゃんは、婆ちゃんの話によると、戦後の物不足の時には、ご近所さんと助け合っていたのだそうです。
時には、自分が種イモを食べて、薄い服を着ていても、文句ひとつ言わず、美味しい芋や服は、人にあげる様な人だったのだそうです。
そしてそれが爺ちゃん本人にとっても、ごく自然で当たり前のことだったのだと思います。
広島禅会では少しだけ先輩で、お医者様をされている道友の方と親しく話しをしていました折に、ふとその中で、「そうだ、私にもこの精神は、脈々と流れているのだ。」 と気付かせて頂きましたので、祖父母の思い出を綴ってみました。
先輩ありがとうございました。
友 松 記