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呉坐禅道場

呉坐禅道場
呉市両城2丁目2-11
(呉駅から西 徒歩10分)

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090-4654-7993(中倉)
090-5153-3018(増田)


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広島ブログ - 最新エントリー

「 あなただけの人生をどう生きるか 」

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広島禅会 2018/9/12 15:33

 書店でふと手に取った、渡辺和子シスターの「あなただけの人生をどう生きるか」という本に とても感銘を受けたので、その感想を書きました。

 この本は渡辺和子さんの全集の中の一つですが、他にも 若い人向けの講話や、入学式や卒業式での告辞などが収められていました。「雑用などありません。用を雑にした時に雑用になるのです。」「卒業式には さようなら ではなく、必ず いっていらっしゃい と伝えています。」などの言葉が収められています。

 彼女のお父さんが 渡辺 錠太郎 陸軍中将 なのは、ご存じの方もあると思いますが、彼女が小学校3年生で9歳の時に、自宅で二・二六事件に遭遇し、大好きだった父親が、目の前で43発の銃弾を浴びせられて惨殺されるのを目撃したことが、彼女がキリスト教に生涯を捧げられた、大きな動機だったのだそうです。幼かった彼女の 恐怖、胸の痛み、喪失感は、一体どれほどのものだったでしょう。

 幼き日に、そんな壮絶な体験をされた彼女だから、卒業生には「さよなら」でなく「いってらしゃい」と伝えているという言葉は、胸に強く響いてきます。

 私は或る総合病院の事務の仕事をしているのですが、昨年の春に転勤で岡山から呉市に移り住んで来ました。そしてこの夏には、豪雨災害に見舞われた呉市で、様々な人の悲報を直接見聞きしました。また今年は、大阪や北海道などで、台風や地震の災害も群発しています。
 
 この街の何処かにも、突然、大切な人との別れを経験された方もいらっしゃるかと思いますが、私自身も「別れ」や「死」について、今一度、真正面から、逃げずに、静かに捉え直してみたいと思います。
 
 そして、渡辺和子シスターが説かれているように、たとえ一般の多くの他の人達とは違っていても、いつの日か 自分だけの、自分らしい、かけがえのない人生を、暖かく肯定して受けとめ、大切にしていきたいと思います。
 
( 増田 安風 記 )


思 い 出 の タ グ ( 付 箋 )

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広島禅会 2018/8/26 13:34
人生にはさまざまな思い出があります。その思い出の一つ一つをたぐるものは、まずアルバムの写真でしょう。今では、スマートフォンの写真アルバムが それに成ってしまっています。

あるいは、そのころ街で流れていた、流行歌の場合もあります。聞いたり歌ったりしていると、何となくその懐かしい日々の気分に浸れるものです。

しかし、このような視聴覚から入ってくる情報などより もっと強烈なのは、匂いや味、季節の風などです。北風と焚き火の煙の匂い、思い出のチャーハンの味、金木犀の花の香り、夏の日の熱風など、出会った瞬間に心は急激にワープします。

先日、女流作家で 天台宗の僧侶の 瀬戸内 寂聴 師 が、俳句番組で「テレビで話すのは、ほんとはとても恥ずかしいのですが、自作の俳句の中で一番好きなのは 『 むかし むかし みそかごとあり 桜餅 』 と云う句です。」と話されていました。高齢の尼僧には余り似つかわしく無い、艶っぽい句ですが、若い頃には文芸に命を捧げ多情に生きた彼女にとって、春の“桜餅”は、やるせなく甘く切ない道ならぬ恋の一つに通じた、かけがいの無い一筋の大切な付箋なのでしょう。

 もしかしたら この度の豪雨災害で、辛く哀しい思いをされた方も、あるかも知れません。しかし そんな中、何とか無理をしてでも、何か楽しい思い出を作ろうなどとしなくてもいいのだと思うのです。何故ならそれは、いつの間にか心の奥深くに入り込んでしまうものだからなのです。

そして時の移ろいは、いつしか全ての思い出を、美しく 愉快で 楽しい ものに、自然に浄化してくれるからです。辛かったこと、哀しかったこと、苦しかったこと、腹が立ったこと、悔しかったこと、恥ずかしかったこと、恋しかったこと、切なかったことなど、行き場の無い全ての思いを、心の中の大切な宝物に浄化してくれます。

本当に豊かな人生の宝物とは、そんな様々な小さな思い出を手繰り寄せる、ささやかなタグ(付箋)のことなのかも知れませんね。

( 光 禅  記 )

捜査1課長 の 運転担当

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執筆 : 
広島禅会 2018/6/22 1:37

このごろ刑事物のテレビドラマを見ていますと、警視庁 捜査1課 という部署は、どうやら凶悪犯罪の担当部署のようです。

そして赤い丸バッジを左の襟元に付けた、警視庁でも花形の部署のようです。

そして、そこの代表者である 捜査1課長 と云うのは、いわゆる警察のキャリア組などではなく、また昇進試験に合格して出世してきたのでもなく、ただ兇悪犯を数多く逮捕してきたと云う実績と実力とで評価されてきた、いわゆる叩き上げの人物として描かれています。

おそらく現実にも、きっとそんな人材が多いのでしょう。俗に「1課長(イッカチョウ)」とよばれる人物です。

そしていつもドラマを見ていて面白いと思うのは、いつか将来「1課長」にでも成るかも知れないと云う有望な新人を「1課長の運転担当」として選んで、秘書役的に常に傍に随行させていることです。

もちろんそう云う仕事をする人が必要なのでしょうが、これはそれ以上に教育的な意味合いが大きいのだと思います。

運転担当と云うのは、ほとんど四六時中、代表の責任管理者に随行しているのですから、急な呼び出しも多く、仕事的には大変過酷な部署なのだと思われます。しかしその反面、とても遣り甲斐のある光栄な役職の一つなのでしょう。


我々の禅の集いでも、侍者(隠侍)と呼ばれる役目があります。

摂心中(一ヶ所に集まって、集中的に坐禅や作務、公案の工夫をする期間)などでは、常に老師(指導者)の傍らで、秘書的な仕事を担当するのですが、食事を作ることや、洗濯、掃除、風呂の用意、薬の用意、床の上げ下ろしなど、老師の生活全般の世話を全て担当します。

もちろん、この様な細やかな心配りに元々向いている人を選任する場合もあると思いますが、同様に、教育的な意味合いもあるのだと思います。

そんな風に人から人に直に何かを伝えていくと云うのが、きっと どの世界でも大切な日本の伝統なのでしょうね。

( 光 禅  記 )

呉市で詠まれた 俳句 三題

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執筆 : 
広島禅会 2018/2/1 12:40

  (両城の石段、摂心初日の早朝に踏破)
  
 〇 二百段 霜の朝闇 一歩づつ 

   
 〇 子規も見る 大船寒し 呉の海      

  
  (佐久間艇長の遺碑を拝して) 
  
 〇 鯛の宮 遺文を胸に 花堅し

   常 明


 蔵六庵 廣内 常明 老師 が、この度の1月25日~28日に行なわれた短期摂心会から、広島をご担当してご指導して下さっています。上の俳句は、その時、呉坐禅道場の近隣を散策されて詠まれたものです。

 老師は、英語がとてもご堪能で、横浜や岳南(熱海)などでは、外国の方の禅のご指導もされておられますよ。

永遠の0

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執筆 : 
広島禅会 2017/12/31 10:36

 映画『永遠の0』の、ワンオクの挿入歌『Fight The Night』です。

 ONE OK ROCKのボーカルTakaの透明な歌声が素敵な歌ですね。

 Taka(森内貴寛)は、随分前に別れていますが森進一と森昌子の、男子 三兄弟の長男としても有名ですよね。

1. Here  comes  the rain
   So many scars never fade
   This is the price of war  And we've paid with time
   We'll fight fight till there's nothing left to say 
  (Whatever it takes)
   Fight fight till your fears they go away
   The light is gone and we know once more
   We'll fight fight till we see another day

2. Let's move along, it's late
   The sun will rise once again
   This field is lined with the brave Souls in relief
   We'll fight fight till there's nothing left to say 
  (Whatever it takes)
   Fight fight till your fears they go away
   The light is gone and we know once more
   We'll fight fight till we see another day
   Another day
   Whatever it takes…
   Whatever it takes…

3. Here comes the rain
   So many scars never fade
   This is the price of war And we've paid with time
   We'll fight fight till there's nothing left to say 
  (Whatever it takes)
   Fight fight till your fears they go away
   The light is gone   and   we know once more
   We'll fight fight till we see another day
   We'll fight fight till we see another day
   We'll fight fight till we see another day


 正確では無いでしょうが大体の意味としては、こんな様なことですかね。

 雨が降ってきた。

 沢山の傷跡は 決して消えたりはしない。

 これが 戦いの代償なのだろう。

 そんなことに 多くの時間を費やしてしまってきた。

 そして 言葉ではもう言い尽くせないところまで 唯 戦うのだ。

 闘い抜くのだ。

 何があっても。恐れが 消えて無くなるまで戦うのだ。

 そして、闘う光が消えて。漸く微かに知るのだ。

 目指すべき 更なる日を見るまで、闘っていくのだ。

 さあ前へ進んで行こう。悔やんでも もう遅いから。

 日はまた昇る。

 大地には 勇気の証 が立ち並ぶ。

 救いの魂たちが。



 表面上の意味は、戦争とその悲惨な傷跡のことなのでしょうが、私たち一人一人が 生きて行く中での様々な内なる葛藤、『心の闇との闘い』を歌っているのですよね。


 とてもとても受け入れ難いことを、受け止めなくてはいけないのは、時間もかかるし、恐ろしく莫大な エネルギー がいる事です。


 本当の答えを得心する瞬間は、夜の闇が明けた時、明日を迎えた自分にしか無いのですから。


 今は何も見えなくても、答えなど判らなくても、唯、自分自身を信じて、勇気を出して、前に進もう! 飛べ!


 さぁ・・・!!


  ( 光 禅 記 )



Believe

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執筆 : 
広島禅会 2017/12/30 23:27
 シェネル の シリーズ4作目『 BRAVE HEARTS 海 猿 』の 主題歌 ビリーヴ です。

 呉や広島では、そのせいなのかどうなのか、映画が封切られてすでに数年経った今でも、時々 この歌を聞く事があります。

 (ただ歌いやすくて、いい歌と云うだけなのかもしれませんが (笑) )

 本来は男女の出会いと愛情がこの歌のテーマなのでしょうが、潜水士は2人一組でバディ(相棒)を組んで潜る事から、そのお互いの友情と信頼関係にも通じているのかもしれませんね。

 呉坐禅道場の南正面に、『海猿』の映画で、ロケ地に成って有名に成った『両城の200階段』がよく見えます。


① Destiny
 この出会いは奇跡のように ほら、君と二人巡り合えた Suddenly
 You have changed my life
 その全てが、いま きらめきを放つ memories
 明日への ray of light 輝く空に続く道

 離さない(I Believe) このまま たとえどんなことが あっても
 もう離れない(I Believe) 必ず 君といくよ あの場所へと
 一人じゃない I'll be by your side 信じる勇気を 強く胸に抱いて
 I Believe

② Silently
 言葉なんていらないから そう、君がそばにいるのなら Hand in hand
 はじめは小さな力でも We can make it through 大きくなる
 希望の ray of light 輝く空に続く道

 変わらない (I Believe) 想いは たとえどんなことが あっても
 もう怖くない(Don't be afraid) 'Cos I'm with you 共に描く未来の先へ
 一人じゃない I'll be by your side 信じる勇気を 強く胸に抱いて
 I Believe

③ I'll be strong
 いまなら 振り返らない 乗り越えていく you and me, yeah
 この地球(ほし)の上で 繋げてゆく愛は 消えないから I Love You

 離さない(I Believe) このまま たとえどんなことが あっても
 もう離れない(I Believe) 必ず 君といくよあの場所へと
 一人じゃない I'll be by your side 信じる勇気を 強く胸に抱いて
 I Believe


  ( 光禅 記 )

呉市にメキシコから来訪者

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執筆 : 
広島禅会 2017/11/21 12:39
メキシコにある大学の学長さん、先生たち、学生さんたちと、引率の方、12名が、呉市に来られました。

日本には、2週間くらい滞在し、東京より西の、神社や寺院などを参拝して周っておられるのだそうです。

この後、宮島に行かれ、九州の小倉にある人間禅の鎮西道場を拠点として、鹿児島などを歴訪されるそうです。

日本の神社仏閣巡りの旅の途中に立ち寄って、呉道場で一泊されたのですが、学長さんは呉駅の近くのスーパー銭湯『大和の湯』に行かれて『景色も素晴らしく、人生最高の入浴だった。』と、とても感激されていました。

どうも向こうでは、湯船に浸かる習慣はないのだそうですね。

海外から来た人が、いったい何に感動され喜ばれるのかは、判らないものですね。

( 光禅 記 )

広島支部 結成記念式 の 総裁垂示

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執筆 : 
広島禅会 2017/10/24 22:32
 広島支部が誕生したことは、本当におめでたいことであります。総裁としても法喜禅悦であります。
私が総裁になったのは11年前ですが、それから残念ながら4支部が支部から禅会に降格になりました。そして今までに新しい支部が、11年間で3支部設立され、この広島で4支部目であります。
支部の数としたら差し引き同じということではありますが、実はそれで単にイーブンというのではなくて、降格した4支部は、すべてしっかり禅会として再起を賭けております。そして新しい、広島も含めた4支部は、この4支部とも全く1からの出発なのであります。

その4支部の中の最後のこの広島支部は、特に今までの支部と異なって、全く0から立上げて支部と成った、昨今では稀な支部であります。
よその周辺の会員が集まって、その支部のある所の新到者と一緒になって支部を立ち上げるというのが通例であった訳ですが、この広島は、光禅親子を中心にして静坐会が始まり、そして禅会が始まってから16名の人たちがこの広島から参上して、そして会員になった、まさにこの広島の純正のマツダ自動車と同じように、純正の広島支部であります。

ここまではとにかく、いろいろな方々、まさに天の時、地の利、人の輪が揃って、今日の支部創設になったわけであります。直近の広島禅会の担当師家の目から見ましても、老若男女、バランスの取れた、そして魅力的な支部になったという風に思います。

しかし「創業は成り易く、守成は成り難し」であります。どの時代、どの時代にもそれぞれのその時代の風土といいますか、価値観といいますか、そういうものをよくしっかりと掴んで、その時代に適合した布教の在り方をやらなければならない訳です。
次の世代、次の 次の 世代 まで持続発展するために、これから「守成は成り難し」という段階を、しっかりとやっていただきたい訳であります。今日ももちろん、さることながら、やはり何が大切かと云いましても「正しい修業が、熱く継続され続ける。」ということであります。その修業全体に『徳が生きている。』。そういう集まりであってほしいと思います。

藏六庵老師のご指導の下に、これからますます精進して、次の世代、次の 次の 世代、次の 次の 次の 世代 まで 悠々と、広島全体に、この人間禅の法帖を広げていってもらいたいと思います。


平成29年10月15日
人間禅 広島支部 呉道場 に 於いて。

 
 講談で有名な「眞壁の平四郎」の一段ですが、東北の松島、瑞巌寺に伝承されてきたお話しです。

 瑞巌寺は、老大師( 耕雲庵 立田 英山 人間禅 第一世 総裁 )が見性された因縁のお寺です。

 時は、本能寺で信長が討たれた天正年間。

 東北の小藩主、真壁の時幹(ときもと)の下僕、平四郎のお話です。

 ある冬、凍てつくような寒い雪の日のこと、平四郎は真壁時幹(ときもと)のお伴をして侍屋敷に出向きました。

 よほど困難な案件だったのか、なかなか時幹は戻ってきません。 

 東北独特のしばれるような寒さの中で「時幹様のお履物が凍てついてしまったら大変だ。お帰り道にお困りになる。」とばかり、身を切る寒さの中で平四郎は、時幹の下駄を自分の懐の奥深くに仕舞いこむ。

 ただでさえ震えるように寒い玄関口で、我が体温を主人の履物に送り、温め通す平四郎でした。

 何時かが過ぎ「郡主殿、お玄関、御出まし~!」の相図で、素早く温かい履物を玄関口にお揃えする平四郎。

 手柄を誇るつもりはなかったが、少なくとも喜んでほしかった。

 下駄に冷え切った足をすっと入れる時幹。その瞬間、鋭敏な時幹は、足裏に伝わる暖かさに気づく。

 それと同時に時幹は「おのれ平四郎、わが下駄を尻にでも敷くとはけしからん。これへ参れ!」と命じた。

 全く思いもかけぬことに、時幹は平四郎の労をねぎらうどころか「私の下駄を腰掛にしよって、今の今まで横着にも休憩していたに違いあるまい。」と曲解し「こんな汚れた下駄が履けるものか。」と、下駄を手に取りあげ、平四郎の頭上めがけて有無を言わせず何回となく打ちすえた。

 平四郎の頭は割れ裂け、周囲の雪面に赤い鮮血が散らばった。

 噴出する血を手で抑えもせず、平四郎は頭を垂れてなされるがまま立ちつくすほかない。

 「おのれトキモト、この恨み晴らさずにはおられまい。きっと、きっと、きっとこの平四郎に向かって平伏させてやる。」と腹を固める平四郎。

 
 時幹のもとを飛び出し、平四郎が目指した場所はなんと中国(宋の時代)。

 主人に対して単純な報復をしても始まらない。

 平伏させ、平謝りさせる方法をいろいろと考えた結果、平四郎は僧として大成する道を選んだ。

 立派な僧侶になれば、殿様といえども頭を下げさせることができる。

 中国で高名な径山(けいざん)の 無準禅師のもとを訪ねた平四郎。

 中国語がさっぱり分からない。

 おまけに仏教用語もわからない。

 皆目 訳が分からない、見当もつかない中で修行が始まりました。

 無準禅師が書いてくれた「丁」の文字を連日ながめながら、座禅と修行の生活に入る平四郎。

 「丁」ってなんだ????わからない。いくら考えてもわからない。

 やがて、わからないこともわからなくなるほど、わからなくなっていきました。

 やがて考えることをやめ、ひたすら目の前のことにひたすら専心するようになりました。

 時は移り、九年たったある日、ついに平四郎は大悟し、悟りを極めたのです。

 無準禅師から法身性才禅師と名づけられるほど、堂々たる禅師になっていました。

 勇躍帰国し、大殿様・伊達政宗候の帰依を得て、瑞巌、円福寺を再興させた法身性才禅師。

 ある日、政宗候とともに瑞巌円福寺に招きを受けた、小藩・真壁の郡主時幹は、床に飾ってある下駄をみてけげんな表情を見せました。

 その様子を見て、法身性才禅師こと平四郎は、

 「 一上径山弄風光 帰来応天目道場

  法身覚了無一物 咄是真壁平四郎

 (一たび径山に上りて風光を弄す。帰り来って天目道場に応ず。

  法身を覚了すれば無一物。元是れ真壁の平四郎。) 」

 と、唄うかのように叫びました。

 「あっ!」とおどろく元主人の時幹。

 「あの平四郎・・・」

 「さよう、あの真壁の平四郎なり。あの下駄殴打を今すぐここで謝罪されたし。」などと野暮なことは言わない。

 平四郎が時幹に言った言葉は、意外にもこんなものでした。

 「ご主人様のあの下駄のお陰で、今日瑞巌円福寺が再興を果たせたのでございます。」と当時の郡主に頭を下げ、心からなる御礼を申し述べたというのです。

 「主人を平伏させる。」という復讐の動機で、中国に渡った平四郎だが、道を究める過程で恨みは、いつしか感謝の心に変わっていたのでした。

 人は感謝の心で、幸福感を得られるのだそうです。

 「我が身に起こる困難は、自分自身の心を成長させるために起こる。」と受け止めて努力もし、困難を乗り越え、ついに困難にも感謝することになったということなのでしょうか。

 皆、人々、それぞれ置かれた立場々々で、進学・就職、恋愛・結婚、出産・育児、転勤・昇進、配置転換、更には独立起業、ついには定年、継承、そして患病、介護、果ては老後、末後終焉に至るまで、とかく心波立つことの多いのが、人の世の常の様です。

 しかし例えどの様な風であっても、お互いがいつか 暖かい感謝の思いで受け止められる様でありたいものです。

  光 禅 記

旗旒信号とモールス信号

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執筆 : 
広島禅会 2016/12/7 10:07

【 旗旒信号とモールス信号 】

 

少し前ですが、古い友人が呉を訪れた際、港に出入りする艦船が用いる信号旗とアルファベットの対応表を一緒に見る機会がありました。

彼が「これは面白い・・」と笑ったのが、Z旗で、もともとの意味は「本船はタグボートを必要とする」というもので、推進装置が故障したから助けてくれ・・という情けない内容です。

・・・・・・

しかし、ご承知の通り、Z旗は日本では特別な意味を持ちます。日本海海戦の際に旗艦「三笠」に掲げた旗です。「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ」ということで、国力を消耗した日本にとって、まさに後が無い最後の戦いだったから、アルファベットの最終文字を使った訳です。

・・・・・・

聞くならく、Z旗は真珠湾攻撃の際にも掲げたそうですが、これはどうでしょうか?

この作戦は戦争を開始する緒戦だったのですから、A旗の方が適切だったのではないでしょうか?全ての戦いは乾坤一擲ですが、真珠湾攻撃の場合は、その後にも多くの海戦が予想される長期戦の始まりだったのですから、これでおしまいというZ旗は似合いません。

・・・・・・

私がかつて勤務した製鉄所にはZプロジェクトという組織が存在しました。ジリ貧の鉄鋼の業界で画期的な技術革新をしなければ生き残れないという考えで、精鋭の技術者を集めた横断的組織としてZプロは作られ、技術開発と研究を推進しました。そのチーム長の席の後ろの壁には、大きなZ旗が掲げられていました。確かにZプロからは画期的な技術が生まれ、成果を挙げたのです。しかし、経営方針の変更で、やがてZプロは解散となり、その後、技術開発は停滞していきました。Zプロを率いたチーム長は閑職に異動となり、その後亡くなりました。その十数年後にその会社はライバル会社と経営統合になり、Zプロが開発した技術の幾つかは、ライバル会社の競合する技術に置き換えられ、姿を消しました。なんだか日本海軍みたいです。

・・・・・・

今は他の通信手段が普及し、信号旗で船舶や艦船が連絡を取り合うことは殆どなさそうです。民間船舶の場合、船舶電話がありますし、衛星携帯電話も使えます。

軍艦の場合は傍受や暗号解読が難しいデータリンクというシステムを使います。

・・・・・・

旗を用いた旗旒信号やモールス信号を用いた発光信号、手旗信号などといった古典的な通信はまず登場しまい・・と思っていましたが、そうではありませんでした。

1980年代、樺太上空で大韓航空のジャンボジェット機がソ連(当時)の戦闘機に撃墜された際、墜落現場に日本の海上保安庁の船が向かう途中でソ連の警備艇に妨害されました。警備艇には、3字信号の旗旒信号PP1が掲げられました。その意味は「我を追い越すな」です。

実は便利なデータリンクは自国の軍隊または友軍の間でしか使えません。敵国、あるいは違う言語やプロトコルを用いる国の船とは使えません。

ソ連の艦船と日本の船が連絡を取り合う時、そこで国際信号旗が役に立つのです。

・・・・・・

敵国の艦船との通信の場面は、多くの映画に登場します。「レッドオクトーバーを追え」では追跡するアメリカ海軍の原潜が、ソ連の原潜「レッドオクトーバー」と何とか通信しようとして、艦長が発光信号機を用いてモールス信号を送信します。「アナポリス(海軍兵学校)以来だから、自信がないが・・」と言いながらアルファベットの英文を送るのですが、不可解です。相手はロシア人で、ロシア語を話し、使用する文字はキリル文字です。「通じるのかしら?」と思いますが、問題はありません。なぜならレッドオクトーバーの艦長はショーン・コネリーで、艦内の乗組員も、なぜか全員英語で会話しているからです。実に奇妙な映画です。

・・・・・・

モールス信号や旗旒信号に最もこだわったのは、宮崎駿のアニメです。モールス信号は、「天空の城ラピュタ」にも登場しますし、「崖の上のポニョ」では5歳の幼稚園児が、猛烈な速さでモールス信号を発光して沖を通過する船に連絡します。 そんな事はある訳ないさ・・と思いました。

そして、旗旒信号が登場するのは「コクリコ坂から」です。この映画では、海で亡くなった父を想う少女が、毎日、旗旒信号を掲揚するという習慣がひとつのポイントになっています。映画を見た時には、掲げられる信号旗の意味を解読する余裕は無かったのですが、後でタイトルの絵を見れば、2字信号でUWとなっています。

・・・・・・

これは出船に対しては「ご安航を祈る」、入船に対しては「ようこそ」の意味の国際信号です。 「Von Voyage」または 「一路平安」 に近い意味です。

港の入り口などに、この信号旗が掲げられているそうですが、「普通の民家で旗旒信号を掲げるなんて、そんな事はある訳ないさ・・」と思っていたら、実はありました。

・・・・・・

呉の港を見下ろす傾斜地の上にある、一軒の家には、いつも2文字信号のUWが掲げられています。「海猿」で有名になった200段の階段の上の方で、海上からも見える場所です。他人の家の写真を勝手に掲載するのもどうかと想いますが、既にGoogleStreet Viewでは見られますし、ご本人も見られることを前提に旗旒信号を出されているものと思い、アップします。

・・・・・・

なるほど、本当の「コクリコ坂」は、横浜ではなく呉にあったのだ・・と気づきます。

そして呉では、港から離れた場所に、もうひとつ旗旒信号を掲げる場所があります。

呉の休山の高台にある長迫公園は海軍墓地でもあります。でも特定の個人の墓ではなく、第二次大戦までの多くの艦船の記念碑が、所狭しと並んでいます。そして奇妙なことにそれらの石碑の前には十字架のように、アルミニュウムのポールが立っているのです。

http://www.geocities.jp/hashirouvx800/kaigunboti.htm

・・・・・・

「キリスト教徒という訳でもないのに、この十字架は何だ?」

怪訝な顔をすると、海上自衛隊の幹部自衛官だったNさんが教えてくれます。

「これは旗旒信号を掲げるための檣(マスト)を模したものです。慰霊祭などの式典の時にはここに旗を飾るのですよ」

・・・・・・

「なるほど、日本海軍の軍人はやっぱりZ旗なのだな・・」と思いますが、「待てよ?」とも思います。 信号旗にはいろいろ意味があるけれど、死者を悼む信号旗、鎮魂を祈る信号旗などありません。 「一体、どの旗を掲げればいいのだ?」 丘を埋め尽くす、夥しい数の軍艦の墓標を前に私は粛然とした気持ちになりました。

 

水夫(かこ)の碑の 旗無き棹に 秋の風

 

心鏡 記

無用なもの達

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執筆 : 
広島禅会 2016/12/4 19:09

「一見、ムダに見えるものでも、実は大切な役割を果たしている。」 という お話し です。

ムツゴロウこと 畑 正憲 さん に、次の様な お話し が有ります。

あるサーカスに10頭の虎がいました。8頭はシベリア産の虎で、2頭はインド産です。

シベリア産の虎は、とても頭が良く、芸もすぐマスターします。

しかしインド産の虎は、怠け者で頭も悪く、まったく芸を覚えません。

「なぜこんな物覚えの悪い虎を置いておくのですか ? 全部シベリア産にすればいいじゃないですか。」

と、ムツゴロウさんが聞きました。

するとサーカスの人は、

「これでいいのです。全部シベリア産にすると、すぐケンカします。インド産の怠け者がいることで全体がなごやかな雰囲気になり、調和が保たれているのです。」

と答えたそうです。


これはサーカスの虎だけでなく、アリにも似た様なお話しが有ります。

100匹のアリがいると、その中の20匹は、必ず怠けているそうです。

皆が働いている時に、ノラクラと働かない怠け者がいるのです。

「それじゃ、どうしょうも無いから、働かない怠け者の20匹は除けてしまえ。」と、その20匹を除けると80匹になります。

すると、その中の2割が、また働か無くなってしまいます。

これは何匹にしても、必ずその中の2割が働かないそうです。

そういう習性がアリには有るそうです。


「無用の用」という荘子の言葉があります。

決して合理的でも効率的でも無く、損得で考えても、ただ単なる「無駄」というもの。

そんな「何の役にも立たないもの」も、実は大切な働きをしているというのです。

ムダを排除することは必須条件でも、「必要なムダ」もあるということです。

例えば、車のハンドルの「アソビ」のようなものでしょうか。

アソビがなければ、ハンドルをちょっと動かしただけで直ぐ曲がってしまって、車は運転できません。


日常、毎日の生活の中で「一日一炷香」と云った、他に何もしない、何も考えない、只坐禅だけをすると云う、一見無駄とも思えるような時間を持たないなら、およそ味もそっけもない、つまらない人間、つまらない人生にしか成り得ないのかもしれませんよ。

光 禅 記
龍舟です。
 
 今月もあちこちへお仕事させていただき、予定パンパンの毎日を送っておりますが、そういえば先月の終わり頃、大学の研究室からの依頼で現況実測調査のために道場をお貸ししました。工学院大学の冨永祥子研究室から15名ほどの学生さん。泊まりがけで道場も含めて周辺の数軒を実測。ちょっとのぞいてみたら、かなり本格的な野帳とスケッチです。私は、この建物を改修したということもあって、あれこれの質問に答える役です。
 
 道場についてのお話をしていて改めて思うのは、天井の高さと石垣の堅牢さ。両城地区として建物に特徴めいたものがあるようでもないというか、つかみにくそうでしたが、温暖な瀬戸内海地域の、私らからするとよくある系統の建築です。全国を見て回ってる学生さんからはどんなふうに見えたのでしょうか?
 
 さて、来月も10/20〜23は呉坐禅道場にて参禅会です。がんばっていきまっしょい!
 
龍舟 拝

海に行ってきました。

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広島禅会 2016/8/24 13:00
 友松さんが暑い暑いと書いてらしたので、涼みに海水浴してきました。
 
 普段は家族で出掛けることはないんですが、ちょうど都合が付いたので、島根の海に行ってきました。とはいえ、ひとの多いところは苦手なので、少し外れたマイナーな海水浴場。潮の流れがちょうどいいのか、ごみが流れ着くこともなく、透明な海水は気持ちよかったです。
 
 家が山の中にあるので、坐禅をしながら生活するのに最適だなぁと思っていましたが、もしかして、潮騒に包まれながら坐禅をする生活もいいのではないでしょうか? 地名については詳しくないのですが、だいたい出雲です。海も山も近く、空がきれいで、比較的(高知県に比べて)平野も広く、こんなに住みたくなるほど気持ちの良い土地もめずらしいです。さすが、太古から人が集まり、神様も集まる地域です。
 
 数年ぶりの海水浴で、しかも息子たちとの楽しすぎるひとときで調子に乗ってしまったせいか、火傷のような日焼けをしてしまい、夏休み残り二日間は苦悩の時を過ごすこととなりました。
 
ちゃんちゃん
 
龍舟

日本の夏

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広島禅会 2016/8/10 12:38
 日本の夏は、何故これほど暑いのでしょうか?

 きっと大抵の人はご存知なのだとは思いましたが、少し調べてみました。

 やはり理由があるようです。

 日本は地形上、夏の季節風、つまり太平洋高気圧からの湿った風が山脈に当たり、湿った空気が溜まりやすいのだそうです。

 人間は汗をかいて、気化熱で体温を調整するのだそうですが、湿度が高いと気化しにくいとのことです。

 どうやら赤道に近い乾燥地帯の方が、よほど過ごしやすいようです。

 「人は皆 炎熱に苦しむも、我は夏日の 長き事を愛す」と云う禅語もありますが、今の日本の夏は、とにかく蒸し暑く不快なだけでなく、熱中症による生命の危険すらあります。

 やはり太平洋側にある都市の、アスファルトやビルに囲まれた市街地区などでは、エアコンと上手に付き合う必要がありそうですね。

 暑い夏、涼しい滝や山の小川の水に触れてみたいものです。

 友 松 記

ピエール・ロティと芥川龍之介

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広島禅会 2016/7/24 7:58
 先日、呉の座禅道場に遅れて駆けつけたところ、玄関でまず俳句を書けと、促されました。
 単なる宴会ではなく、俳句の句会も兼ねていた事は知っていましたから、いずれ俳句は作らなければ・・と思っていたのですが、まだ作っていませんでした。

 そこで咄嗟に浮かんだ駄句を書き込みました。慌てたので、その直前まで頭の中で考えていた事を盛り込みました。

 我が駄句を、そのままここに紹介するのも厚顔の極みですが、恥を忍んで書きます。

 「 漆黒に 汝(な)がVie(ヴィ)の如く 花火降る 」

 Vieは、フランス語で人生の意味ですが、俳句の文句にフランス語の単語を入れるのは、かなり気障ではないか・・・と自分でも思います。
 では、なぜそんな気障な言葉を使ったかと言えば、その直前まで、芥川龍之介の「舞踏会」のことを考えていたからです。


 芥川龍之介の「舞踏会」は、フランス海軍の士官だったピエール・ロティが書いた小説「お菊さん」を元に、そのモデルとなった老婦人との会話を書いた短編小説です。

 作品「お菊さん」自体は、エキゾチックな存在と思われた鹿鳴館時代の日本人女性をロマンチックに紹介するだけの駄作と言うべき小説だったようです。(私はあらすじだけを知っており、本文は読んでいません。・・・フランス語を読めないので)。


 西洋人の青年と、アジア人の女性が恋に落ち、やがて男性が去って女性が残されるというパターンは、よくあります。
 私はこれを「蝶々夫人型」と呼びますが、「ミス・サイゴン」も映画「慕情」も皆このパターンです。ピエール・ロティの「お菊さん」も典型的な蝶々夫人型作品です。


 面白いのは、芥川龍之介がこの作品を研究し、そのモデルとなったH夫人へのインタビューを小説にしている事です。
小説ですから、本当にH夫人に面会したかは不明です。


 そじて、その「舞踏会」に、フランス人将校と日本人女性(明子)が、舞踏会場の外に出て、夜空に上がる花火を眺める場面があります(以下、青空文庫から引用)。

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 その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手に闇を弾きながら、将に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生(ヴィ)のやうな花火の事を。」
 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この中で、フランス人将校は人生(Vie)を花火に例えています。
 鹿鳴館に集い、ダンスに興じる人達も、一生を通じて華やかな生活が続く訳ではなく、若い男女がきらめいているのは、花火のごとくほんの一瞬です。
 そして日本の歴史を見ても、鹿鳴館を中心として、ヨーロッパ的な社交界が存在したのは、ほんの一時期です。


 その刹那の輝きを花火に例えたのは、多分ピエール・ロティではなく、芥川龍之介でしょう。
 不思議なことに、芥川龍之介も菊池寛も、処女作は老人をテーマにした作品です。
 自分自身が若い頃に、敢えて老人の視点を研究して小説を書いているのです。
 そして芥川の場合、「舞踏会」でも、既に老境に達した女性が若き舞踏会の日々を回顧する形の小説にしています。
 これも、よくあるパターンで、私は「舞踏会の手帖型」と名付けています(誰も支持してくれませんけれど)。


 面白いのは、芥川の「舞踏会」を三島由紀夫が研究していることです。
 彼が指摘したことですが、芥川は、初版と後期の版で、小説の結末を変更しています。
 最初の版では、H老婦人は、かつて自分がダンスの相手をしたフランス人青年がピエール・ロティその人であり、自分が「お菊さん」のモデルであることを知っていましたが、後の版では、それを知らないことになっています。


 これは芥川が推敲した結果の変更であり、私如きがコメントする事はできませんが、変更後の、老婦人がピエール・ロティと「お菊さん」を知らない結末の方が、小説として優れているように思えます。
 三島由紀夫はどちらがいいとは書いていません。


 しかし、三島がこの作品をリスペクトしていたことは間違いなく、それに対する回答として、戯曲の名作「鹿鳴館」を書いたのだと・・私は思います。
 ちなみに、芥川と同じ早熟の天才作家、三島由紀夫は16才で処女作「花盛りの森」を書いていますが、これは老人の視点で書いた作品ではありません。
芥川と三島の違いの一つです。


 そんな事を考えた直後に、俳句を書くよう迫られたので、私は思わず花火をVieに例えて表現しました。
 「なんだ、芥川の小説からの盗用か・・・」と言われる前に、このブログで白状します。
 本当なら、ピエール・ロティ=芥川龍之介=三島由紀夫と続く系譜の後に、小生も文学作品で表現できればいいのですが、そんな才能は全くありません。


 せめて、呉の花火大会を眺めて、また駄句でもひねりたいな・・と思うだけです。

  心 鏡 記

7月の参禅会、たのしかったです。

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広島禅会 2016/7/19 14:06
 7月15日から18日までの四日間、参禅会が行われました。それぞれにとてもいい会でした。
 
 私は仕事があるので、二日間だけ、それも仕事が終わって駆けつけて、参禅したらまた夜には帰宅する、の繰り返しなのですが、それでも貴重な経験の積み重ねです。長い目で見た時の今は、仕事に注力するときなんだと思います。会社としても踏ん張り時ですし、次のステージに進む切り替わりなので、あっちもこっちもするから身体がいくつあっても足りない毎日です(笑)
 
 そんな日々をなんとかこうして過ごしていけるのも、毎朝起きたら坐禅を組んで20分ほど座って、最高の状態と気分で仕事に臨んでいるからだと思います。人間ですから調子の良いときも悪いときもありますが、それを言い訳にせずその中で最高の状態に持っていくことが出来ることを知っていますし、やっていきたいと願う今日この頃です。
 
 参禅会はちゃんとした厳密なスケジュールに添って進められていきますが、こんな私の都合も受け入れてくれる懐の深さも持ち合わせています。私だって四日間を通して参加したいのですが、長い人生の中ではこうしたこともありますし、だからといってまるっきり参加しないのも本当に惜しい会だからこそ、寸暇を切り詰めて参加するのです。
 
 楽しみにしてたのに途中からになってしまった講演会では、田岡美江さんからドリームマップについてのお話を聞けました。どちらかというと私はやりたいことや夢を実現してきたのですが、それを方法論に落とし込んで育てていくのが、このドリームマップなんだと思います。今回のお話で、さらに大きな私の夢の実現に加速がつきそうです。(笑)
 
 そんなひょんな出会いもあり、もちろん座ることで自分を研ぎ澄まし、参禅で鍛え上げることができるからこそ、すこしでも時間をつくって参禅会に参加するのです。家族とも仲良しです。
 
     龍 舟 記

祖父母の言葉

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広島禅会 2016/7/4 22:20

 私の父方の祖父は、造船会社を定年まで勤めた人でした。

 威張ることもなく、淡々と真面目だけど、冗談を言ってよく笑わせてくれました。

 祖父は亡くなる前、私の姿を見ると弱った体で酸素マスクを外して、擦れた声で、「頑張りなさい。」 と、繰り返し頷くように囁いていました。


 父方の祖母は生前、「真面目に正直に生きるのが一番や!」とよく言っていました。


 自分の事なのでおこがましい様ですが、父方の祖父母は、天寿を全うした立派な人生だったと思います。



 母方の祖父は、国鉄に勤めていて、定年後も会社に呼ばれて仕事に行っていました。

 寡黙で一見気難しそうに見える人でしたが、孫達が遊ぶ姿や、成長する姿を眺めているのが何より愉しそうで、黙ってニコニコ微笑んでいました。

 正月や盆には、親、兄弟、従兄弟、ひ孫達がみんな集まって、爺ちゃんと、婆ちゃんの、長寿のお祝いをしたものでした。

 餅つきや凧揚げ、竹とんぼ、畑で採ったスイカを井戸で冷やして食べたりと、沢山の楽しい思い出があります。


 母方の祖母は、俳句や畑、花を植えたりしながら、いま一人暮らしをしています。

 叔母やデーサービスの方、母たちに支えられながら、そして何よりご近所さんが当たり前のように良く面倒をみてくれている様です。


 婆ちゃんは、「みんなが良くしてくれるのは、爺ちゃんのお陰やなあ!」 と、毎日、仏壇に手を合わせています。


 爺ちゃんは、婆ちゃんの話によると、戦後の物不足の時には、ご近所さんと助け合っていたのだそうです。

 時には、自分が種イモを食べて、薄い服を着ていても、文句ひとつ言わず、美味しい芋や服は、人にあげる様な人だったのだそうです。

 そしてそれが爺ちゃん本人にとっても、ごく自然で当たり前のことだったのだと思います。


 広島禅会では少しだけ先輩で、お医者様をされている道友の方と親しく話しをしていました折に、ふとその中で、「そうだ、私にもこの精神は、脈々と流れているのだ。」 と気付かせて頂きましたので、祖父母の思い出を綴ってみました。
 
 先輩ありがとうございました。

  友 松 記

絶妙なバランス

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広島禅会 2016/6/25 10:05
ある映画でコマを題材に面白い話があった。
コマは高速で回り続ける時、一点を軸にほとんど静止したように動かなく見える。
しかし回るスピードが下がってくると、軸にしていた一点から徐々にずれるようになる。そしてコマの軸は傾き、揺れ始める。
前者の状態を「千早振る(ちはやぶる)」。後者を「荒振る(あらぶる)」とも表現できるそうだ。


荒振るコマはバランスが悪く、不安定であることに対して、千早振るコマは猛烈な旋回で真ん中の軸を中心に均整がとれている。
その話を聞いた時、コマのほとんど止まったような凛としたとした姿がイメージとなって映画の後も頭の中に残っていた。


ハイスピードで回るコマは一見止まっているかのようであり、それでいて凄まじいエネルギーを内包している。
コマはコマそのものの材質、力学的なバランス、コマを支える床の性状、周囲環境、観察する人の位置など多方面に影響して存在している。一見止まるという表現はコマの前に立った観察者の一つの見方にすぎない。


似たような例えとしては、綱引きの真っ最中の綱の中心もあげられるかと思う。
両側からそれぞれの思惑で、引き手が力の限りで自分の方向に引っ張るのだが、双方の力が全く同じ時に、やはり張り詰めたような静止した状態となる。


コマといい綱といい、一部に注目すれば止まった姿しか我々には見えないが、その背景を垣間見ることができれば物事がどのようになりたち、それぞれのファクターがお互いに影響し、融合し、干渉し、攻め、守り、支えているかを感じることができるのではないか。


これは別の表現をするならば、「絶妙なバランスが醸し出す美しさ」ともいえる。その絶妙なバランス、というものが実は坐禅に通ずるのではないか、とも思う。
自分にとって坐相を整えることはとても難しいと感じている。
このことは体のどこに気をつけるという力学的な部分のみならず、その他様々な要素のバランスが試されているのではないか、と思う日々である。


心眼 記

ゼロの発見 再び

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広島禅会 2016/6/15 12:32
 誤解の無い様に最初にお断りしておきますが、このお話しは、どうぞ私の一つの或る思い出話しとして受け止めて下さい。けっして生きた禅を、学問的に「禅学」として頭で捉えようなどという、本質的に間違った指向の思いなど、今は全くありません。
 なお禅的な「無」や「空」につきましては、白田 劫石 著 「東洋的無」 〔東信堂1986(昭和61)〕などの名著もございますので、どうぞそちらなどをお読み下さい。いえ、それよりも何よりも、自分自身で参禅弁道なされる事をお勧めします。

・・・・・・・

 かつて、米国や欧州にいた頃、とんでもない質問を受けたことがあります。
例えば飛行機で隣り合わせた人から、私が日本人だと分かると、「日本人の思想の根本にあって、西洋人と違うものは何か?」と訊かれたり、夕食のテーブルで、一緒になった人達との会話で、「西洋と東洋の根本的な違いは何か?」と哲学的な問題について訊かれたりします。

 普通は、そんな難しい質問には、回答できないのですが、私もお酒を飲んでいたりすると、思わず饒舌になり、つまらない回答をしてしまいます。

 あるクルーズ船の夕食の際、円卓を囲む我々が、それぞれ自己紹介した後に、やはり彼らから東洋の思想の特徴を訊かれました。東洋人は私と家内の2人だけだったのです。
 酔った私は、以下のことを口走りました。

 「古代に限って言えば、アジアの思想の特徴の一つは、ゼロを知覚(recognize)することだった。

 我々アジア人は、目に見えないもの(invisible object)、触れないもの(untouchable object)でも、その存在を強く意識することがある。例えば、アラビア数字の1から9まではアラビア人によって発見されたが、0(ゼロ)はインド人に発見された。

  0(ゼロ)、即ち、自然数を離れた、存在しない存在を認識する事で数学は飛躍的に進歩した。
 十進法が確立し、桁(digit)という概念が登場し、大きな数を表現できるようになった。
 その根底には、非存在(null-existence)を認識するインド人の哲学があった。
 テーブルを囲んでいた、アメリカ人夫婦、カナダ人夫婦は、その回答に少し驚き、少し拍手してくれました。

 その時、私は、東洋の思想では「無」という概念を大切にするのだ・・と本当は言いたかったのですが、それはできませんでした。「無」または「空」を表現する英単語を知らなかったからです。
 Nothingやempty、vacancyでは通用しませんし、だから数字のゼロだとかNull-existenceという奇妙な言葉を用いたのですが、概ね意味は通じました。

 勿論、私がアメリカ人とカナダ人に説明した内容の多くは、私のオリジナルではありません。
 吉田洋一先生が書かれた、数学の啓蒙書として知られる「零の発見」からの引用です。
 恥ずかしいことですが、その席上では、私自身の発想であるかのように語ってしまいました。

 しかし、私が説明したかったのは、古代のことです。その後、「無」の概念は、洋の東西でそれぞれに進化したように思います。

 抽象化を進めていった西洋の数学では、早い時期に、目に見えない虚数あるいは複素数の概念が登場し、ガウスらによって複素関数論が確立しました。
また哲学では実存主義に於いて、existenceのrealityが議論されています。
 これなどは、般若心経の「色即是空、空即是色」に通じるのではないか?などと勝手に思ったりしています。

 では東洋の方はどうか?というと、私にはさっぱり分かりません。東洋に於ける「無」や「空」の概念は、禅に於いて深く理解されているはずですが、あいにく、私は入門者なので、ここで語るほどの理解はしていないのです。
 そこで、古代「無」や「空」という漢字を発明した中国の、現在はどうか?と考えてみます。

 現代中国にも、無論、零や無(无)、空という漢字があり、その意味も明確ですが、それ程強く「無」の概念は意識されないようです。
 「無い」という事実は肯定的表現ではなく、「没有=(ありません)」という否定の形で表現されることが多いと感じました。「零」の方は、ゼロという意味もありますが、ごく僅かのもの、或いは小さなものという意味で用いられることが多いようです。
 でも中国は禅の発祥地ですから、私が知らないだけで、「無」の研究は深く進んでいるはず・・とは思うのですが・・・。

 そして20世紀以降の現代物理学に於いても、「無」の概念は再び重要になっているようです。
 先日、物理学を専攻するある学生と話した時のことです。彼によれば、ディラックの物理学では、真空の空間は「無」ではなく、負のエネルギーを持った電子で満たされていると解釈されたそうです。
 その後の現代物理学では、宇宙空間は真空ではなく、圧倒的な量の見えない何か(暗黒物質)が多くの空間を占めている・・という説が有力だとか? 物理学者は「無」を嫌うのか?

 暗黒物質には質量はあるものの、電磁波と反応しないため、見る事はできず、観測することもできません。
 本来「無」なのですが、「無」ではありません。
 そして暗黒物質の一種とも考えられ、空間を飛び交うニュートリノも、殆ど他の物質と反応しません。
 質量はかすかにあり、スピンはあるものの、電荷はなく、観測は困難です。スーパーカミオカンデで、何とかそれを観測した日本の物理学者達がノーベル賞を受賞したのは、記憶に新しいところです。 
 実際、日本の研究者が明らかにするまでは、ニュートリノの質量はゼロだと考えられていたのです。

 従来なら、それは「無」であると断定された、何かを、物理学者達は追い求めています。
 「無」あるいは「空」を見つめ続けるのが、東洋の哲学であり、物理学なのだ・・と言いたいのですが、私にはうまく説明できません。

 私が「そうすると、現代物理学では『零の再発見』が必要になるね」と言うと、くだんの物理学科の学生はニヤリと笑いました。
 どうやら彼も、少年時代に吉田洋一先生の「零の発見」を読んだようです。

  心 鏡 記

ある一人の石工の話し

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広島禅会 2016/6/12 3:57
 民俗学者の宮本常一が、『庶民の発見(1961)』の中で、広島県の西条、西高屋で出会った、ある一人の石工の話しを記している。


 “  金が欲しゅうてやる仕事だが、決していい仕事なんかじゃない。
  ことさら冬に川の中でやる仕事など、泣くに泣けない辛い事がある。
  子供は絶対石工になどしたくない。
  しかし自分は生涯これで暮らしたい。”

 ” 田舎を歩いていて、何でもない田の岸などに見事な石の積み方がしてあるのを見ると、心を打たれる事がある。
 「こんな所にこの石垣をついた石工は、どんなつもりで、こんなに心を込めた仕事をしたのだろうか。」と思って見る。
 「村のほんの一部の人くらいしか、誰も見てくれる人もいないだろうに……」"

 " しかし石垣積みは、仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。
   二度と崩れない様な……。そしてその事だけを考える。
   築き上げてしまえば、それっきり、その土地とも縁が切れる。"

 " それでも、いい仕事をしておくと楽しい。"

 " 後から来た者が、他の家の田の石垣をつく時など、やっぱり粗末な事は出来ないものである。前に仕事に来た者が雑な仕事をしていると、こちらもツイ雑な仕事をしてしまう。"

 " 親方取りの請負仕事なら、経費の関係で手を抜く事こともあるが、そんな工事をすると、大雨の降った時などは、崩れはせぬかと夜も眠れぬ事がある。"

   
 " やっぱりいい仕事をしておくのがいい。"

 "「俺のやった仕事が少々の水で崩れるものか。」と云う自信が、雨の降る時には湧いて来るものだ。"
   
 " 結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、後から来る者も、その気持ちを受け継いでくれるものだ。”

 また、” 褒められ無くても、自分の気がすむ仕事がしたい。”  とも、この石工は語っている。


 この言葉を承けて、宮本常一は、「誰に命令されるのでなく、自らが自らに命令することができる事の尊さを、この人達は自分の仕事を通じて学び取っている。」と云っている。


 この石垣積み職人は、或る時、”見事な石積み” に出会って感動し、自分も将来、同じ職工の眼に触れた時に、恥ずかしくない仕事をしておきたいと思ったのである。

 つまりこの時の、この石工のこだわりは、おそらく会える事も無い、未来の職工達に宛てられているのである。


 はたして自分自身を振り返って、目先の評判や評価、利害損得などで無く、遠い先の世代が見聞きしても、決して恥ずかしくないものを遺すと云う、この一人の石工の様な、心の中に密かに秘めた、ささやかな矜恃を持って、この今を生きている、と云えるだろうか。

 世の中の悪い例なら、新聞や雑誌を見るまでも無く、幾らでも無数にある。

  光禅 記