メインメニュー
このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google
検索
カテゴリ一覧

ブログ - 念 場 漫 録  (抜粋)

念 場 漫 録  (抜粋)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
函館禅会 2017/5/3 11:34

      両忘協会という禅の団体の『凡夫禅』という雑誌を読む機会に恵まれた。創刊号は昭和21年1月発行となっている。そこに、寸鉄山人名で立田英山老師の書かれた念場漫録という文章が載っていた。若い人々には語句も表現も理解するに難しいかと思われるが、まさしく珠玉の言葉である。
大禅者の境涯をうかがい知るのにふさわしいので、抜粋してご紹介することとした。味読されるよう願っている。
なお、旧漢字は現在慣用の漢字に替えさせていただいた。読み仮名(旧仮
名遣い)や注は、私が勝手に付け加えたもので、原文にはない。カッコ内の数字は、昭和20(1945)年の月日であろう。
                                                                   


念 場 漫 録  (抜粋)
                                 寸 鉄 山 人
 
           余 八ヶ嶽山麓 念場ケ原に寓棲(ぐうせい)し以来、
          思ひ附くまゝに寝語(しんご)を書き附けしもの
          此の漫録なり。 従って順序もなく統一もなし。
          或は他の照心(せうしん)の縁(よすが)ともならむか
           念場ケ原: 山梨県下の地名
            寓棲: 身を寄せ住む
            寝語: 寝言(ねごと)
            照心: 自分の心を照顧省察すること

     躬(みづか)ら耕して食(じき)を求む是(こ)れ人間本然の
      相(すがた)なり。 然(しか)りと雖(いへど)も未だ人間界
       を出でず。美を愛し善を好み真を悦(よろこ)ぶも亦(また)
       天上界を超えず。
       如是法(にょぜほふ)に遊戯(ゆげ)して始めて四聖の列
       に入るべし。                      (4・8)
        如是法: 仏法。誤り無き真実の法
        遊戯: 無心に遊ぶが如く、心に滞りなく自由に往来
        四聖: 釈迦・キリスト・孔子・ソクラテス

      物質文明も今にしてブレーキをかけずんば、頓(やが)て
       人道を脱線すべし。                  (4・10)

      自他の分界なきを無我と言ふ。無我の境地に到るに二途
       あり。一は偉大なるものに帰入し他は自分を偉大なるもの
  に育成す。前者は他力にして、後者は自力なり。
                                     (4・11)

      他力は報恩感謝に尽き、自力は法喜禅悦(ほっきぜんえ
       つ)に止(とどま)る。而(しか)して両者の究極は一致す。
                                     (4・11)
        法喜禅悦: 仏道禅法に対して喜悦の信心を持つこと

    困苦と欠乏とは人の情けと物の有難みとを思はしむ。
                                     (4・12)

    『三人寄れば我が師あり』と。吾に学ぶ気構えあれば
一人にても吾が師はあるものなり。
       『三人寄れば文殊の智慧』と。中々以(もっ)て世界中の人
       が集りても文殊の智慧は出ぬものなり。      (4・20)

  種子の良否は収穫を決すとは一応の道理のみ。
       蒔き時・地味・天候・手入れは又収穫を左右す。因あれど
       縁あらざれば果は生ぜぬものなり。         (5・8)

      『段取り・真剣・締め括り』は、目前の些事(さじ)より一生

の大事に至るまでの要訣(ようけつ)なり。
                                     (5・10)
        些事: 取るに足らないわずかばかりのこと。小事
        要訣: 物事をなすのに欠かせない大切な方法

      『念には念を入れよ』とは、同じ事を漫然と繰り返へすに
       非ず、別な角度より綿密に検討するの謂(いひ)なり。
                                     (5・12)

      自由平等は生(なま)のまゝにては我儘勝手の代名詞に
       過ぎず。然れども熟せば人間真実の叫びなり。 (5・25)

 衣食足りて礼節を知り、衣食余りて礼節を忘る。
                                     (6・20)

      親心あれば信頼され、責任を持てば信用さる。  (7・1)

      信義は嘘言を吐かざる一点に尽く。         (7・1)

    反省すれば恥を知り、恥を知らば我儘は出(いで)ず。
       人と人との和は只々反省にあるのみ。       (7・3)

      人に合掌せよ、動物に合掌せよ、植物に合掌せよ、山川
       に合掌せよ、器物に合掌せよ。而(しか)も頼む心を以て
       神仏には断じて合掌すべからず。          (7・3)

      自然を征服すべしとは嗤(わら)ふべき人間の思ひ上りな
       り。世界を征服すべしとは愍(あはれ)むべき民族の自惚
       (うぬぼ)れなり。前者は人類を滅亡に導き、後者は世界を
       動乱に誘ふ。                      (7・25)



      負くる時は総に負く。是れ禅者なり。       (7・15)

 言葉の美なる程結実は劣悪なり。
                風呂敷の大なる程内容は貧弱なり。        (10・5)

       如意ならざるは己(おの)れが不徳無力と羞(は)じよ、
          如意なる時は法恩衆恩に感謝せよ。        (10・8)

          楷書を習ひ尽して草書に及び、写生密画を極めて南画に
                到り、連歌を脱して俳句生れ、大名茶に厭(あ)きて佗茶(
わびちゃ
                を楽しむ。総べて東洋文化の粋は省略の妙にあり。 (10・10)

         草さへ生えぬ畑に稔りなく、草の繁れる畑に稔りなし。
            心田を耕するも亦又 如是(かくのごと)し。   (10・15)

 ○ 己れの欲せざる処他に施さば罪悪となり、
           己れの欲する処他に施さざれば吝嗇(りんしょく)となる。
          己れの欲せざる処他に施す勿(なか)れと道徳は教へ、
            己れの欲する処他に施せと宗教は叫ぶ。    (10・24)

 生活の味は簡素にあり
                     芸術の妙は枯淡にあり。             (10・28)

 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (32)

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://www.ningenzen.jp/hakodate/modules/d3blog/tb.php/420