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ブログ - 三島静坐会 一月の禅語 松柏千年翠

三島静坐会 一月の禅語 松柏千年翠

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2019/1/31 19:10

松柏千年翠 (松柏(しょうはく)千年(せんねん)(みどり))

 「松柏千年翠」というこの五字一行は、一般にはいつか「松樹千年翠」と変

り、「青松寿色(じゅしょく)多」という句などと同じように、おめでたい句として茶席に使

われているようである。しかしその出典に即して、全体の文章から解釈すると、

この句の本来の意味は、世間一般の解釈とはだいぶちがうようである。

南宋の末の頃に出て、破庵(はあん)祖先(そせん)(11361211)の法を()ぎ、五山第四の浄慈(じんず)

第二の霊隠(りんにん)等の諸大寺に住し、無準(ぶじゅん)師範(しばん)(11781249)らとともに当時の禅界に大

きな足跡をのこした禅僧に石田(せきでん)法薫(ほうくん)(11711245)という和尚がある。この「松柏 

千年の翠」という句は、実はこの石田の示衆(じしゅう)の法語から出ているのである。

およそ物事には本末先後の別があり、その別をわきまえて明白なのを賢

といい、その別を顚倒(てんとう)するのを愚といい迷というのである。石田はこの見地か

ら弟子たちに向かって、ある日「()だ本を得て、末を(うれ)えること(なか)れ」、すなわ

ち「根本第一義を体得することにつとめよ、枝葉末節のことにとらわれるな、

思いを労することなかれ」と注意しておいて、さてそれにしても「何を()んで

か本となし、何を喚んでか末となすや」と問いを発した。しかし、誰もこれに

答える者がなかったので、石田(せきでん)和尚、それでは「わしの見所を示そう」というので、(じゃくご)の体裁で唱え出したのが、

松柏千年青    松柏(しょうはく) 千年の青

不入時人意    時の人の()()らず

牡丹一日紅    牡丹(ぼたん) 一日(いちじつ)(くれない) 

満城公子酔    満城(まんじょう)公子(こうし)酔う

という()である。松柏の「柏」は落葉濶葉樹(らくようかつようじゅ)のあの「カシワ」のことではなく、

趙州(じょうしゅう)従諗(じゅうしん)(778897)の名高い公案「庭前の柏樹子(はくじゅす)」の柏樹と同じく、常緑針

葉樹の槇柏(しんぱく)のことである。そしてその「千年の()」が、「千年の()」と改められ

たのであるが、意味において変りはなく、この()の大意は、

「松柏の(みさお)」などともたたえられる松や槇柏のあの常住不断の翠色をめ

で、パッとしないがその不易(ふえき)な美を理解する人は、近年まことに少ない。

これに反して、牡丹が豪華絢襴な花を開くと、それがたちまちにうつろう

一時の美であるにもかかわらず、満都の貴公子たちがその美に魅せられて

大はしゃぎをする。

というほどのことである。そして石田はこの偈に託して、

世の人びとは、千古(せんこ)不易(ふえき)な本体には意をとどめず、たちまちに流転変化し

 しまう現象にだけ心を奪われ、うつつをぬかしている。末ばかり追って本を

忘れている。それはあたかも牡丹の花の感覚的な美に心を奪われ、松柏の不

易な美に無関心なのと似ている。

ということを警告しているのである。「松柏 千年の翠」の本来の意味がどのよ

うなものか、以上でほぼおわかりいただけたことと思う。

この「松柏 千年の翠」の軸を、おめでたい意味にとって、年頭の茶会

暦や古稀(こき)祝賀の茶会などの床に掛けることは、むろん結構な趣向である。しかしその場合でも、単にそれだけにとどめず、その本来の意味を理解して掛けたら、さらに一段と結構であろう。願わくば、この五字一行から、根本をないがしろにして枝葉末節にはしり、永劫不易な真理を求めようとせず、ただいたずらに感覚的表面的な現象を追いかけて浮かれている現代の世相と人心の動向とに対する警告を、読みとっていただきたいものである。ことにお茶人の方がたは、近頃の茶の世界の傾向――茶道の根本第一義であるわび(・・)の精神を忘れ、とかく浮華(ふか)軽薄に流れがちな傾向に対する警告をそこから読みとり、自らの反省の材料としていただきたいものである。いささか堅苦しいようであるが、こういう心がまえで掛物に対してこそ、茶席に掛物とりわけ禅語の掛物を掛ける真旨にかなうものというべきである。

 

   (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 上巻より)

 

 

  『禅林句集』(柴山全慶編):【松樹千年翠 不入時人意】

松樹不断の眞説法も心を向けぬ者には聞えぬ。

  示衆(じしゅう):聴衆(大衆)にほとけの有り様を説法して教える。

  頌(じゅ):偈():偈頌(げじゅ):仏徳を賛嘆し教理を述べたもの。

また、それに準じて、仏教の真理を詩の形で述べたもの。

  着語、著語(じゃくご):禅宗で、公案などに対して、自己の見解を加えて

            下す短い批評の言葉や禅語。下語(あぎょ)

  槇柏(しんぱく):ヒノキ科の常緑針葉高木。イブキの別称。庭木、公園木、

         グランドカバーによく使われる。

  浮華(ふか):うわついていて、外面だけ華やかで実質のないこと。

 

                      合掌  輝風  拝

 
 

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