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ブログ - 三島静坐会 12月の禅語 一箭中紅心

三島静坐会 12月の禅語 一箭中紅心

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/12/23 19:16

一箭中紅心(一箭(いっせん) 紅心(こうしん)(あた))

 

 「一箭 紅心に(あた)る」とは、たった一矢(ひとや)で的の中心を射抜くということで、

源平の屋島の戦いで、那須(なすの)与市(よいち)宗高(むねたか)が平家方のくりだした船上の扇の的を、

たった一矢で見事に射落としたという話を思い出させる句である。この句の

解説はこれでもう十分なのであるが、いささか駄弁を添えておこう。

 およそ物事には第一義のこと肝心(かんじん)(かなめ)なことと、第二義第三義、枝葉末

節のこととがある。人生に処して事業をなす上で大事なことは、物事の本末

先後をあきらめ、肝心なことと枝葉のこととを誤りなく判別し、その肝心要な

ところをぐっと押えて、あたかも「一箭 紅心に中る」というように、ズカリ

(らち)をあけてしまうことである。しかしそのためには、物事の本末先後を判

別して誤らない道眼(どうがん)と、一心不乱で解決に打ちこむ道力(どうりき)とが必要である。とこ

ろで、この道眼を磨き道力をやしなうのに最も適した道は、我田引水(がでんいんすい)のようで

あるが、私の体験に照らして、禅の修行にまさるものはない。「一箭中紅心」

というように人生の第一義を押え、それに即して生きたいと願うなら、嗣法の

正しい本格の師家について禅の修行にはげみ、道眼を磨き道力をやしなって退

転しないことである。なお、ここで「一箭」との関連で思い出され、ぜひ紹介

しておきたいのは、

徒然草(つれづれぐさ)』の第九十二段の、

或人、弓射る事を習ふに、双矢(もろや)をたばさみて的に向ふ。師の云はく、「初心

の人、ふたつの矢を持つことなかれ。(のち)の矢をたのみて、初めの矢に等閑(なおざり)

の心あり。毎度ただ得失なく、此の一矢(ひとや)に定むべしと思へ」といふ。わづ

かに二つの矢、師の前にて、ひとつをおろそかにせんと思はんや。懈怠(けたい)

心、みづから知らずといへども、師是を知る。此のいましめ、万事にわた

るべし。道を学する人、(ゆうべ)には(あした)あらん事を思ひ、朝には夕あらん事を

思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。(いは)んや、一刹那のうちにお

いて、懈怠の心有ることを知らんや。なんぞ唯今の一念において、直ちに

する事の(はなは)(かた)き。

という一文である。私たちの人生はあとにも先きにも、ただこの一回、この一

箭限りである。来世の存在、いや明日のあることさえ期待することなく、今日

の一日、ただ今のこの一刹那を、第一義底の実行に集注して、力いっぱい生き

たいものである。

 

 (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 上巻より)

 

 

  那須与一(なすのよいち、生没年未詳):平安時代末期鎌倉初期の武将。

下野那須(今の栃木県)の人。名は宗高。源平の屋島の戦い(1185)

で平家方の小舟に立てた扇の的を射落として名をあげた話し

で知られる。

  箭(せん):や。やがら。「光陰如箭 時不待人」

  埒(らち):馬場のかこいの低い垣。転じて、物事のくぎり。限界。

      (埒が明かない:物事のきまりがつかない)

 『徒然草』(つれづれぐさ):鎌倉時代の随筆。作者は吉田兼好(兼好法師)

     「つれづれなるままに」と筆を起こす序段のほか、種々の思索的

     随想や見聞など243段より成る。名文の誉れ高く、

     『枕草子』(清少納言)、『方丈記』(鴨長明)と合わせて

     日本三大随筆の一つと評価されている。

 

                          輝風 拝

 

 

 

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