メインメニュー
このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google
検索

ブログ - 三島静坐会 10月の禅語 徳不孤

三島静坐会 10月の禅語 徳不孤

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/10/29 9:48

徳不孤(徳は孤ならず)

 『論語』の「里仁(りじん)篇」の末尾に近く、子曰、徳不孤、必有隣。 子曰く、徳

は孤ならず、必ず(となり)有り。という一句がある。「徳は孤ならず」というこの三

字一行は、これに典拠し、これを圧縮したものである。

『易経』の「文言(ぶんげん)篇」に「同声(どうせい)相応じ、同気(どうき)相求む。水は湿(しつ)に流れ、火は(そう)

()く」とあり、また『史記』の「伯夷(はくい)伝」に「同類相求む」とある。「牛は牛づ

れ、馬は馬づれ」という(ことわざ)は、この消息をわかりやすく言いかえたもので、

類をもって(あつ)まるという意味である。最近、「暴走族」とよばれる連中がどこか

らともなく集まってきて、深夜の街路にオ―トバイなどを疾駆(しっく)させ、いろいろ

問題を起こしているようであるが、とかく非行の(やから)はすぐ類をもって(あつ)まりや

すいもののようである。これに反して、心操(しんそう)高潔で謹厳篤行(とっこう)の士はとかく敬遠

されて、孤独におちいりやすいものである。世の人びとに理解されがたいもの

である。しかし、本当に徳ある人物、君子道人ならば、いつまでも理解者も

支持者もなく、孤独であるなどということはない。必ずや「同声相応じ、同気

相求む」で、同じく道を求め道を行じ、徳を積もうとしている他の君子道人

ないし理解支持者、すなわち「隣人」が現れるものである

よし孤立しても、それは一時的のことにすぎない。「徳は孤ならず、必ず隣有り」

とは、孔子が自らの体験に(かんが)みて、この消息を説いた句である。

人間というものは、世間に顧みられず、理解者もなく孤立していることには

なかなかたえがたいものである。その結果、せっかく正しい道を求め徳行(とっこう)につとめても、理解者のない孤立感から、つい世俗に妥協して、心操をけがし徳行を放擲(ほうてき)してしまいがちなものである。しかし、それでは薄志弱行(じゃっこう)の徒というものである。よろしく孔子のこの「徳は孤ならず、必ず隣有り」の述懐を信じて、一時の孤立無援にたえて、いよいよ求道心を猛烈にし徳を積むことにつとめるべきである。いささか堅苦しいようであるが、「徳不孤」の三字一行は、道人の座右の銘として、また知己(ちき)を迎えての茶席にまことにうってつけのものである。

  (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 上巻より)

 

 
 

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (5)

トラックバック

トラックバックpingアドレス http://www.ningenzen.jp/gakunan/modules/d3blog/tb.php/127