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ブログ - 三島静坐会 8月の禅語  如是

三島静坐会 8月の禅語  如是

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/8/27 19:09

 

如是(にょぜ)

 

「如是」とは「()くの如し」と読み、「このまま、このとおり」ということ

であるが、古来、さまざまな意味に使われている。

()『法華経』をはじめ仏教の経典をみると、その冒頭に「如是(にょぜ)我聞(がもん)――()

の如く我れ聞けり」とある。これは釈尊の入滅後、遺弟らが釈尊の教説を(けつ)(じゅう)

した時、十大弟子のなかで「多聞(たもん)第一――記憶力抜群」と称された阿難(あなん)が「釈

尊があの時、どこそこの会場で説法されましたが、それを私はこのように聴聞

しました。その説法はこうでした」といって、その説法をそのまま再現し、そ

れが基調となって結集が進行したため、「如是我聞」の四字が巻頭に出るように

なったのだといわれている。その(はら)は「釈尊の説法をそっくりそのまま、いさ

さかの私見も加えずここに再現している。経巻(きょうかん)をひもとく人は、よくこのこと

を信受して奉行(ぶぎょう)せよ」ということである。なお『(へき)巌録(がんろく)』に「世尊陞座(せそんしんぞ)」とい

う一則がある(第九十二則)。それは、

  釈尊がある時、説法をしようと講座台上に登られた。普通はその時司会

  者が「法筵(ほうえん)龍像(りゅうぞう)衆、当観(とうかん)第一義――お集まりの大徳方、(まさ)に第一義を

  はっきりつかみなされ」と宣し、それから説法が始まるのである。ところ

  が、この時に司会役をつとめていた文殊が、この語を宣せず、しかも釈尊

  がまだ一言も発せられない先に、いきなり(つち)で卓を打ちカチッと音を立て

  てみなの注意をひいておいて、「諦観(たいかん)法王の法、法王の法は如是――釈尊

  の法をはっきりと()なされ、釈尊の法はまさに是くのとおり」と、説法

  終了の文句を宣してしまった。すると、釈尊ス―ッと座を下りてしまわ

  れた。

という公案である。これは文殊が早とちりして合図をまちがえたのではない。
それなら「法王の法は如是」と宣した文殊の(はら)はどうか、それについての見解(けんげ)

をもってこいというのが、この公案の眼目である。この場合、その見解はま

あ別として、「法王の法は如是」とは、「釈尊は講座台上に立たれただけで、そ

の法をいささかも隠すことなく、()堂々(どうどう)と開示しておられるのだ。それをトッ

クリと拝め」ということであり、「如是我聞」の場合とほぼ同義である。

()五燈会元(ごとうえげん)』巻九の仰山(きょうさん)慧寂(えじゃく)(803887潙山(いざん)霊祐(れいゆう)の法を()ぎ、師に協力

して潙仰(いぎょう)宗を開いた唐代の僧)の条をみると、仰山がある僧と問答し、その僧の

見所(みどころ)をうけがって(註:肯う)、如是、如是。此れは是れ諸仏の護念する所なり。

汝も亦た如是。吾も亦た如是。善く自ら護持せよ。といったとある。このよう

に「如是」は「そのとおり、そのとおり。それでよい」と相手の所説や見所を

肯定し、これに賛同する意味に使う場合もある。
()曹洞宗の宗祖洞山(とうさん)良价(りょうかい)(807~869)の著『宝鏡(ほうきょう)三昧(ざんまい)』の冒頭に「如是の

法、仏祖密に付す。汝、今、之を得たり。宜しく善く保護すべし」とある。

これでわかるように「如是」はここにいう「如是法」とほぼ同義に使われるこ

ともある。ちなみに「如是法」とは、人間がそれを把得(はとく)しようと(いな)とに関係な

く、無限の過去から無限の未来にわたって、この自然と人生とをつらぬいて活

動し、万物を動かしている根本のもの、真如(しんにょ)、宇宙の大生命とその理法とをさ

すのであるが、この根本の当体を「如是」というのである。なお、この世に存

在するものはすべて宇宙の大生命如の発現であり、そうでないものは何一つ

ない、この世界に存在するものはすべて在るべくして在り、生ずべくして生じ

たもので、そのままで真如実相であるというのが、『法華経』の眼目である「諸

法実相」の世界観であるが、この世界観に立って一切の存在と人間の営みとを

「そのままでよい、そのまま、そのまま」と肯定する場合に「如是、如是」と

いうこともある。なおこの「如是」という語は、如是因如是果如是経

是相などと、種々の語の上に冠して用いられる、()の意味が最も重要である。

 

      (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 上巻より)

              

 

碧巌録(へきがんろく):宋時代(1125年)に編集された中国の仏教書。

禅門第一の書といわれ、特に臨済宗において尊重される、代表的な

公案集。碧巌集とも呼ばれる。

奉行(ぶぎょう):上命を奉じて公事行事を執行すること。その担当者。

(しょう):官位があがる。のぼる。のぼらせる。

法筵(ほうえん、のりのむしろ):説教や法会などをする所。

諦観(たいかん):仏、明らかに真理を観察すること。

 

五燈会元(ごとうえげん):中国南宋代に成立した禅宗の灯史である(1252)

「五灯録」と総称される、5種20巻の、皇帝の勅許によって入蔵を認

められた灯史を総合する意味で編纂されたもの。

 

潙山霊祐(いざん れいゆう、771~853):中国唐代の禅僧。福建省の出身。

        禅画「潙山踢瓶(てきへい)図」の故事で有名。

 

 宝鏡三昧(ほうきょうざんまい):中国曹洞宗の開祖、洞山良价によって作成

されたとされる禅の漢詩。『宝鏡三昧歌』ともいわれる。「宝鏡」とは

   「至上の明鏡」の意味で、「明鏡」とは釈迦の智慧を指す。

 

 真如(しんにょ):仏、一切存在の真実のすがた。この世界の普遍的な真理。

 諸法実相(しょほうじっそう):一切存在のありのままの真実の姿。宇宙間の

             あらゆる事物がそのまま真実の姿であること。

             

 

 

 

                             輝風  拝

 

 
 

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