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ブログ - 不思議集団 ⑥

不思議集団 ⑥

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/7/7 15:18

 不思議集団 ⑥

 

摂心は面白い経験だった。座禅は体験としてはしたことがあったが、1時間も長い時間座っ

たことはなかった。参禅も面白い。参禅はどこか遠いところで行われている、縁のないもの

だと思っていた。それが体験できるとは、なんと幸運なことだろう。そしてそのような活動

をしている、人間禅とははなんと面白い集団であろうか。在家の人たちで構成されながら、

禅堂から、台所、風呂など水回りまでを完備する道場では、寝食の一切を行うことができる。

山奥に位置する岳南道場は、人里離れて、ただ山しか見えず、野鳥のさえずりしか聞こえな

い。茶室もあって茶道を行うこともできる。茶禅一味だ。食事は皆で素朴なものを少量いた

だく。朝5時に起き、座禅、参禅のほかに、道場内外の清掃を行う。人と話をすれば、道元、

栄西、達磨、芳賀、出てくる名前が面白い。いずれも私が書の中でしか出会わなかった名前

で、そのような話ができるのが楽しい。こうした大家の言ったこと、書いたことがすらすら

と口が出てくるこの人たちは不思議だ。とても難しい言葉だが、自分なりに咀嚼して理解し

ていなければ語ることができない語り口だ。ああ、面白いことだ。私はこんな風に素朴な生

活を過ごしてみたかったし、このような人たちにあってみたかった。そして、そのような生

活なできないし、そんな人たちがゾロとして集う場があるとは思わなかった。思いもかけな

い幸運である。僧侶の講話や、座禅体験の場は寺周辺にないわけではないが、これほどの空

間は他にない。寺以上のものを志向した実践であり、僧以上に求めるところ篤い人たちがそ

こに参集している。私はただ嬉しくて、夢中で座り、夢中で作務に従事した。

 

縁を辿れば、直接的には芳賀幸四郎の「一行物」である。この本の禅語解説の深さ、そして

鮮やかさに魅せられて関連書籍を求めて、岳南道場に連絡したのがきっかけである。そして

その本をくれたのは、私が通う茶道教室の大先輩であり、高校時代の書道の先生である。私

が合間の時間に書いている字を見せると面白がって、書きたい字を存分に書くのがよろし

いと言ってくれたのが、一行物である。この本のおかげで、かじってはいたもののさっぱり

分からなかった臨済が少し掴むことができた。これは嬉しい経験だった。茶禅一味とは言う

ものの、お茶から禅への拡がりが本当に体感できるとは思わなかった。芳賀先生の本を求め

て訪問して立ち寄った道場で、お借りしたのが、五灯会元である。達磨からの法系の流れが

面白く、生き生きと語られていることに感動を覚えたが、この本が摂心中の講話がベースに

なっていて、指導励ましの言が多分に盛り込まれていることに驚いた。しかも、芳賀先生

80代半ばの著作ということで、さらに驚かされた。しかし、魅力的なことにこの怪物の語

り口は、怪物のようないかめしい、近寄りがたい文体ではない。人間らしく、分かりやすい

という意味で親しみやすく、また背筋を伸ばした人の美しさのような緊張感をたずさえて

いる。一行物も五灯会元も素晴らしい著作である。

 

摂心に参加して驚いたことに、80代、90代の方が凛として参加されている。茶道でも似た

ことがあるが、こうした80代、90代の先輩が涼しげに励まれているのを、6070代が

習っているという構図には恐れ入る限りだ。6070代でまだまだなのでは、私の道のりな

どまったく気の遠くなるほど長い。そう、焦らず、看脚下、一歩ずつ歩めばいいのだ。勝手

にそう慰めている。社会生活を送っていると、こうした遠望になかなか出会えない。結果と

して近視眼的になってしまう。いい機会を得た、歩々是道場、一歩ずつ歩もうと思った次第

である。()

                    鈴木幹久

 

 

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