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ブログ - 狭い料理は深い ③

狭い料理は深い ③

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/7/3 8:21

 狭い料理は深い ③

 

摂心参加後、周りからは痩せこけたと言われてしまった。確かに食事の量は少なく、

運動量は作務のおかげで多かったのかもしれない。日頃食べている量は、日頃の週

1回の10-20KMのランニングを加味しても、食生活としては摂取過多だったのかもし

れない。食事に関して、私は普段の生活においても野菜中心の食事をしている。料理

を自分でする場合は、肉や魚を扱うことは少ない。野菜を煮たり、焼いたりするとき

に、肉や魚があれば料理の幅は広がるし、だしも出て食欲をそそるものが出るので調

子がよい。しかし、それを使わないと一旦決めてしまえば、それはそれで楽しいもので

ある。選択肢の幅が狭くなる分、野菜を大切に美味しく調理しようという意欲が深まる

のだ。食べる方も、動物性の味がないなかで、素朴さのなかで野菜本来の味を探すこ

とになり、いつも口にしている野菜でさえもその豊かな美味しさに改めて気づくことが

ある。精進料理は、単に殺生を避けるというだけではなく、不要なものをやらない、そ

ぎ落とすという禅的思考様式の反映でもあるのかもしれない。動物を食事のために殺

すことは、可哀想というだけでなく、しなくてもよいからやらない、野菜だけ十分過ごせ

るからそれでよしという禅的抑制の志向が働いているかもしれない。やらないことが

増えると、残ったやるべきものが強調される。必要最小限のこと、必要不可欠のこと

が大切なものとして浮き上がって目の前に現れることになる。改めて、五観の偈を唱

えてみれば、ひとしおの味わいだ。




ちなみに、人間禅では、食前の文を唱えるが、私は五観の偈が好きである。食前の

文は、~曰くと、5人の言葉を引用している。思うに、誰が言ったかは重要ではない。

何を想い、何を唱えるかが重要である。五観の偈の精神はすなわち、「素晴らしいい

ただきものを育んだ大自然や生産家、調理してくれた人に感謝します。貪ることなく、

余すことなく、力を得るためにこれをいただきます。この恵みに報いられるよう、今日

一日励みます。」ということである。過不足なく十分である。先に肉や野菜を食べない

理由の分析として述べたように、禅は余分を嫌う。誰が言ったかは、余分である。不

要な言葉はないほうがよいし、唱える言葉の分量として誰が言ったかを述べること

で、全体の文量を逼迫し増長を招いているようであれば、なおさらである。突き詰めれ

ば、五観の偈があるところに、新たに同様のものを創作することが余分であるとさえ

思っている。 




人間禅の食事にまつわるもう一つ気になる点は、食器を小茶巾で拭いて、小茶巾も

食器もそのまま使いまわすことだ。これは水で食器を洗うよりも晃かに不衛生であ

る。これは科学的に検証可能なことである。科学の進歩との同調を謳う人間禅として

はただちに改善すべきことだと思っている。古来からの習慣の精神を維持することは

重要であるが、また科学的正しさとそれを両立させていくこともまた重要であり、これ

は非常に骨の折れる作業である。換骨奪胎してその精神を現代的に実践することは

タフな知的作業であり、本質的挑戦である。これを避け、因習に捉われることは思考

停止であり、挑戦すべき課題に背を向ける安逸である。具体的にどのような作法にア

ップデートしていくべきかは議論があるし、試行錯誤が必要だが、まずはぜひこの問

題意識を皆さまと共有したいところである。(つづく)

 

                                  鈴木幹久





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