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ブログ - 邂逅人間禅 ①

邂逅人間禅 ①

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/6/29 9:53

 邂逅人間禅 

私にとっての禅は、例えば洗練された、そぎ落とされたデザイン美と同義であった。それは茶室の建築様式であり、枯山水であり、精進料理であった。また現代の制作物でも、禅的なものとして例えばアップルのプロダクトデザインなどをそれとして捉えていた。

どちらかというと座禅にはあまり関心がなく、お悩み解決のための瞑想、或いは意義を失った伝統的修行様式くらいに考えていた。京都では妙心寺大心院に泊めてもらうことが何度かあり、早朝の座禅の機会も開かれているが、参加したことはなかった。壮大な伽藍、何もない部屋、静かな夜、美しい庭、素朴な朝食、国内外の宿をともにする人たちとの交流が魅力であった。

仕事を始めて23年が経った頃、少し余裕が出たころにふと自分の拠り所を考えることがあり、その一つとして自分の実家が何宗の檀家なのかなどを調べたのが、意識的な臨済宗との遭遇のきっかけである。(恥ずかしながら、それすら知らなかった)そうして臨済宗妙心寺派であることを知った後に、週末に同宗派の寺を訪ねたり、座ったり、泊めてもらったりすることがあった。その時はそれだけであったが、寺で過ごす時間は静かで好きだった。教本を買い、白隠なる重要人物が故郷出身の人であることを知り、地元を離れ東京で働く身として心強い気持ちを覚えた。

そのうちに、渋谷のBUNKAMURAで白隠展を雑誌で知り、実際に展覧会に足を運んだ。若者や外国人など、およそ仏教とは縁遠い層の人たちが多く来館していることに驚いた。当時、国際協力の仕事をしていた私は、世界のあちこちへ出かけていて、一方で救済されるべき?現地の人たちの幸せそうな様子と、救済してあげようという私の高邁さと悲壮さのギャップに違和感を感じていた。タンザニアの遠浅の海を眺めながら、故郷の駿河湾の海を想った。ある種の青年的ヒロイズムの限界だった。白隠の禅画のいちいちの面白さは当時さっぱり分からなかったが、私が惹かれたのは全国を遍歴し会得しながらも、40歳を前にして地元に帰った白隠の生き方、そしてその書画が200年以上の時間を超えて、遠く日本を離れて、多くの人々の心を捉えていることだった。名寺の高僧ではなく、岩次郎で通っている地元に帰る選択をした白隠の生き方。出生の地にあって臨済禅を改革し、育て、広めた白隠。嗚呼、世界中を飛び回るがごとき、幼稚な活躍像は卒業なのか、とその時思った。


その後、私も地元に帰り、少し余裕が出てきたところで、職場の先輩の影響もあり茶道を始めることになった。同じ教室に、高校時代の書道の先生が習いに来ており、そこでその先生から芳賀幸四郎の一行物をいただいた。これがひどく面白い。とんでもなく面白い。連作の同著、続々、又続、続々と次々と買い求め、すっかり芳賀禅語解説の読み味に魅せられてしまった。芳賀先生の茶道関係の著作が人間禅から出版されているらしいことを知り、最寄りの道場に問い合わせをした。これが私の人間禅との邂逅である。(つづく)

                             鈴木幹久


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