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ブログ - 三島静坐会 6月の禅語 松無古今色 竹有上下節

三島静坐会 6月の禅語 松無古今色 竹有上下節

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/6/18 13:29

松無古今色 (松に古今の色無く)

竹有上下節 (竹に上下の節有り)

 

  「松無古今色 竹有上下節――松に古今の色無く、竹に上下の節有り」と

 いうこの対句(ついく)は、そのままで、あるいは五字一行として別々によく揮毫(きごう)され

る句の一つである。

  松はいわゆる常緑樹で、「松柏千年の(みどり)」という句もあるように、春夏秋

冬、いや幾歳月を通じて常に青あおとして、その色を変えることはない。「松

に古今の色無し」である。竹もまたいつも青あおとしているが、これには上下

の節があるというのである。これは松と竹、無と有、古今と上下を対比させ、

なかなか修辞の妙をえた佳句である。しかし、これは単に松と竹の生態を描写しただけのものではない。大乗仏教の法理をそこに含蓄させているのである。

他のところでも説いているように、人間平等の面だけを主張して男女老幼

の差別を無視するのも、また逆に貧富上下の差別だけを認めて人間としての

平等を認めないのも、ともに一面しかみないもので謬見(びゅうけん)である。平等でありながらそのままで差別歴然、差別歴然でありながらしかも一味平等、平等即差別差別即平等と観ずるのが、真理にかなった円満な見解である。

「雨あられ雪や氷とへだつれど とくれば同じ谷川の水」という古歌があ

るが、これは、この間の消息をうたったものである。

そして、この対句は「松に古今の色無し」で平等一色の面を、「竹に上下の

節有り」で差別歴然の面をうたい、全体として平等即差別差別即平等の真理を表現しているのである。したがって、どちらか一句しか掛けていない場合に
は、その背後に他の一句が隠されているものとして拝見し、味わうべきもので

ある。

差別一辺倒の封建的な人間観は、昨今ようやく影をひそめてきたようである

が、代って男女親子師弟先輩後輩などの見さかいのない平等一辺倒の思

想が、民主主義の名において流行しているようである。しかし、真の民主主義

とは決してそのようなものではなく、それは民主主義のはきちがえある。この

ような悪平等の傾向に対する反省の意味でも、この句、よく玩味していただきたいものである。

        (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 下巻より)

             

出典:『五灯会元』(ごとうえげん):中国、南宋代に成立した禅宗の灯史。

1252年、禅宗の歴代祖師の行状を記した五つの書(伝灯書)

      整理して一書としたもの。

『五灯会元、巻十八、大潙祖瑃禅師』(だいい そちゅん ぜんじ)

僧問う、如何なるか是れ潙山の家風。

師曰く、竹に上下の節有り、松に今古の青無し。

『禅林句集』(柴山全慶編)には、「平等と差別。自らの性を違えずそのまま

真理の妙を示す」とある。

                     輝風  拝

 

 

  

 
 
 
 
 

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