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ブログ - 三島静坐会 4月の禅語 隠徳如耳鳴

三島静坐会 4月の禅語 隠徳如耳鳴

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
岳南支部 2018/5/19 22:38

隠徳如耳鳴 (隠徳(いんとく)耳鳴(じめい)(ごと))
 

 私は先年、裏千家茶道の名誉師範であり、札幌淡交会の大御所であられる

松本宗芳さんから、釈宗演老師のご揮毫になる「隠徳如耳鳴」という茶掛を

頂戴し、折にふれてこれを掛けて自誡のよすがとしている。

 この五字一句は『随書(ずいしょ)(唐の魏徴(ぎちょう)らが(ちょく)を奉じて随の歴史を(せん)した史書

の「李士謙(りしけん)伝」に、「或人、士謙に()いて曰く、()は陰徳多しと。士謙曰く、所謂(いわゆ)
る陰徳なるものは()お耳鳴のごとし。(おの)れ独り之を聞き、人の知る者無し。今、
吾が()す所、吾が子皆な知る、何の陰徳か之れ有らん」とあり、また『北史(ほくし)
(唐の李延寿撰の史書)の「李士謙伝」にもほぼ同様の記事のあるのに典拠し、こ
れを簡略化したものである。
「陰徳」は「隠徳」とも書き、他人に知られぬようにひそかに善根功徳を積み、
隠れて世のため他のため恩徳を施すことである。また「耳鳴」とは精神が興奮
したり血圧が昂進したりした時、聴神経が病的に刺激され、ある種の音が連続
的に鳴るように感じられる症状、いわゆる耳鳴りのことである。但し、耳鳴り
は当人に聞こえるだけで、他人には全然聞こえずわからない。その点で、隠徳
と耳鳴とは共通しているというので、「隠徳は耳鳴の如し」という句が生まれた
のである。

およそ人間というものは自己顕示欲の旺盛なもので、自らが他に施した恩恵
をとかく吹聴したがり、自らの善根功徳を世間から認められ称讃されたがる
ものである。しかしそれでは、せっかくの恩恵も善根功徳も、それの報酬を
期待し算盤ずくの行為、功利的な所行になり、真の道徳とは程遠いものに
なってしまう。先きに「無功徳(むくどく)」の項で説いたことであるが、あたかも太陽が
本然(ほんねん)自性(じしょう)のままに燃焼し、少しも意識せず熱と光りとを地球に送り、人間を
はじめ万物を生成発育せしめるという大恩恵を施しながら、しかもいささかも
その功に誇らぬというように在ってこそ、まことの道徳であり善根功徳である。
そして真の仏菩薩とは、まさにこの太陽のように、恩恵を施すという意識も
なく、それに対する報酬を求めることもなく、一切の衆生の上に慈悲を垂れる
人のことである。ただ当人が知るだけで他に知る者のない隠徳を積むのは、この仏に近づく行にほかならない。隠徳を積むことは、言うはやすく行ないがたいことではあるが、ぜひ、行じたいものである。その願いをこめて、
「隠徳は耳鳴の如し」の五字一句を紹介した次第である。

 

     (芳賀幸四郎著 新版一行物 ―禅語の茶掛― 上巻より)

                   

魏徴(ぎちょう、580~643):中国の唐の政治家。

李延寿(りえんじゅ、生没年不詳):中国の唐の歴史家。唐の太宗に仕えた。随末の李大師の子で、父の未完の南北朝通史を引き継ぎ、16年かけて『南史』80巻、『北史』100巻を完成させた。

李士謙(りしけん、生没年不詳):中国の随王朝に仕えた。富豪。

      「随書 列伝第四十二 隠逸李士謙」
 
                           輝風 拝
 
 
 
 

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