メインメニュー
ブログ カレンダー
« « 2018 9月 » »
26 27 28 29 30 31 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 1 2 3 4 5 6
房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

〒284-0032
  四街道市吉岡1010

お問い合わせは⇒こちら




このページをシェア!
ここでブックマーク: Twitter ここでブックマーク: Facebook ここでブックマーク: Yahoo ここでブックマーク: Google
検索
トップ  >  『数息観のすすめ』より 坐禅儀(全文)
坐禅儀(*1)
                     
夫れ学般若(*2)の菩薩は、先づ当(まさ)に大悲願心を起こし、弘誓願(ぐせいがん*3)を発し、精しく三昧を修行し、誓って衆生を度し、一身の為に独り解脱を求めざるべきのみ。

乃ち諸縁を放捨し(*4)、万事を休息し、身心一如にして、動静間(へだて)無く、其の飲食(おんじき)を量り、多からず少なからず、其の睡眠を調え不節不悉(ふし*5)なり。

坐禅せんと欲する時、閑静の処に於て厚く坐物を敷き、寛(ゆる)く衣帯を繋(か)け、威儀をして斉整ならしめ、然して後に結跏趺坐(けっかふざ)す。

先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ぜよ。
或は半跏趺坐も亦可なり。
但だ左の足を以って右の足を圧(お)すのみ。

次に右の手を以って左の足の上に安じ、左の掌を以って右の掌の上に安じ、両手の大拇指(おやゆび)の面(おもて)を以って相?(ささ)えよ(*6)。
徐徐として身を挙して前後左右反復揺振(ようしん)して乃ち身を正しく端坐せよ。

左に傾き右に側(そばだ)ち、前に窮(かがま)り、後に仰ぐことを得ざれ。
腰脊頭頂(ずちょう)骨節をして相拄(ささ)え、状浮屠(*7かたちふと)の如くならしめよ。
          
又身を聳(そび)えること太(はなは)だ過ぎて、人をして気息に不安ならしむことを得ざれ。
耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対し、舌は上の鰐(あぎと)を牲え、唇歯相い若けしむることを要せよ。

目は須らく微かに開き、昏睡を致すことを免かるべし。
若し禅定を得れば、其の力最も勝れたり。

古え習定の高僧あり。
坐して常に目を開き、向(さ)きの法雲円道禅師(*8)亦、人の目を閉じて坐禅することを討して以って、黒山の鬼窟(*9)と謂えり。

蓋し深旨(じんし)有り。
達者焉(これ)をしるべし。

身相既に定まり、気息(*10)既に調って然して後、臍腹を寛放し、一切の善悪 都(す)べて思量すること無し。
念起らば即ち覚せよ(*11)。
之を覚すれば即ち失す。
久久に縁を忘ずれば、自(おのずか)ら一片となる。

此坐禅の要術なり。

*(ひそ)かに謂(おも)うに、坐禅は乃ち安楽の法門なり。
而るに人多く疾を致すことは、蓋し用心を善くせざるが故なり。

若し善く此の意を得れば、則ち自然(じねん)に四大軽安に、精神爽利に正念分明にして、法味神を資(たす)け、寂然として清楽ならん。

若し己(すで)に発明(はつみょう*12)するところ有らば、謂つべし竜の水を得るが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。

若し未だ発明するところ有らざるも、亦 乃ち風に因って火を吹くが如く、力を用いること多からず。

但だ肎(こう)心を弁ぜよ。
必ず相い嫌(いつわ)らず(*13)。

然り而して道高ければ魔盛にして逆順万端なり。
但だよく正念現前すれば、一切留擬すること能わず。

楞厳経(りょうごん)、天台の止観、圭峯(*14)の修証儀の如きは、具(つぶ)さに魔事を明らめ、豫(あらか)じめ不慮(ふぐ*15)に備うる者にして、知らずんばあるべからざるなり。

若し定を出んと欲せば、徐徐として身を動かし、安詳として起ち、卒暴なることを得ざれ。

出定の後も、一切時中、常に方便を作し、定力を護持すること嬰児(えいじ)を護る(*16)が如くせよ。
かくの如くならば即ち定力成し易し。

夫れ禅定の一門は、最も急務為り。
若し安禅静慮にあらずんば、這裏に到って総に須らく茫然たるべし。

所以(ゆえ)に珠を探るには、宜しく浪を静むべし。
水を動ずれば取ること応(まさ)に難かるべし。
定(じょう)水澄清(ちょうせい)なれば心珠 自(おのずか)ら現ず。

故に円覚経に云く、無擬清浄の慧は皆禅定に依って生ず。

法華経に云く、閑処に在って、其の心を修摂せよ、安住不動なること、須弥山(しゆみせん*17)の如くなるべし。

是に知んぬ、超凡入聖は必ず静縁を仮(か)り、坐脱立亡は須らく定力に憑(よ)るべし。

一生取弁するすら、尚嵯蛇(さだ*18)たらんことを恐る。
いわんや乃ち遷延して、何を将(も)ってか業(*19)に敵せん。

故に、古人云く、若し定力の死門を甘伏する無くんば、目を掩(おお)うて空しく帰り、宛然(*20)として流浪せん。

幸いに諸禅友、斯文を三復(*21)せば、自利利他同じくして、正覚(*22)を成ぜん。


坐 禅 儀 註

1・坐禅儀
この坐禅儀は、道元禅師の『普勧坐禅儀』と異り作者不詳である。
その前文に次の如くある。
「おもうに仏々祖々修定するところの儀則にして道を慕う勝士の伝習する所なり。
もとより由あるが故に、百丈の祖、特に立すると雖も、章を述ぶとをもちいず。
その儀、常に存す。
然るに歳月はるかに遠くして凋弊おのずから出ず、泛々(ぼうぼう:うっかり)として叢林に老ゆる者亦少なからず。
ここを以て東陽、勅を以て清規(しんき)を修むるに及んで、すなわち嘗て伝の存するところの儀をあげて以てこれ等の徒にのこす。」
つまりは長い間叢林で伝えられたものをまとめたものである。

その内容は10節あって、
1.禅の本意を述べ、
2.身の形相を示し、
3.坐の法則をおしえ、
4.坐の不正を督(いま)しめ、
5.正しく禅病を明らかにし、
6.禅の安心を示し、
7.魔の境涯を明らかにし、
8.動中の工夫を説き、
9.禅定の要を掲げ、
10.総べ結んでこれを勧む。

*2.学般若
坐禅するものの眼目を、般若を学ぶとした。
仏の悲智願行を学することが、それである。

*3.弘誓願
仏の誓願で四弘誓願である。
 衆生無辺誓願度、
 煩悩無尽誓願断、
 法門無量誓願学、
 仏道無上誓願成。

*4.諸縁を放捨し
『伝灯録・百丈章』に
「僧問う、如何なるか是れ大乗頓悟の法門?
 百丈云く、汝等先ず外、諸縁を歇め万事を休息し、善と不善、世間と出世間との一切の諸法記憶することなかれ。
 放念することなかれ。
 身心を放捨して、自在ならしめよ。」
とある。

5.不節不悉
不足ならず、また多すぎもせず、中庸である。

6.両手の大栂指の面を以て相拄えよ
『宝鏡記』には、
「心を諸処に安ずるに皆定処あり。
 坐禅するとき、心を左掌の上に安ずるは、乃ち仏祖正伝の法なり。」
とある。

7.浮屠
仏の義もあるが、ここでは寺塔で、五重の塔のようにドッシリと坐れとのことである。

              ろう
8.法雲円通禅師
秦州陳城の人、19歳にして経に通じ、天骨峻抜にして万僧の中に軒昂たり、凛(りん)として機鋒ふるるべからず。

9.黒山鬼窟
『雲門録』に「上堂語に日く、わずかにこの休軟のところを聞いて、すなわち陰界裏に向って目を閉じ、眼を合せて老鼠孔裏に活計をなす。
これ黒山下、鬼窟裡に坐して弁道するなり。
これによりて入路を得ること還って夢にだにも見んや」
とある。
                             
10.気息 
息に四種ありといわれる。
風・喘(たん)・気・息である。
「風」とは、鼻中の息の出入に声あるもの。
「喘」とは、声はないが出入結帯して通ぜず、あえぐこと。
「気」とは風と喘の相はないが、こまや出入細かならず。
「息」とは、出入綿々として存するが如く亡するが如く、神を資(よた)けること安穏に情によろこびを生ず、といわれている。

11.念起らば即ち覚せよ
一念が起ったならば、それはそれとしてそのまま二念をつがない。

12.発明
直指人心見性成仏のこと。

13.ただ芳心を弁ぜよ、必ず相嫌らず 宵は肯である。
禅の修行は、道心道場を則(のり)とするといわれ、己をいつわらず、心底からの納得がいくまで徹してホントーの自分の本心というものを見究めるものである。
頭の素天辺から足のつまさきまで真正直で、寸糸の私念をも介入せしめない。

14.圭峯
唐の圭峰宗密禅師

15.不虞
不測の事態

16.嬰児を護る
赤子をいだくように護る。
「銅皿裏満盛油」ともいわれる。
皿の上に油を入れて、それをもっているときのように護持するとの意である。

17.須弥山
妙高山と訳す。
世界の中央に位置すると考えられていた山、泰山の如く不動なれとの意。

18.嵯蛇
よろよろして根本が定まらぬ。

19.業
業識障。

20.宛然
もとの素凡夫のすがたのまま依然として。

21.三復
ただ読むだけでなく、行取して味わう。

22.正覚
天上天下唯我独尊の本心本性を悟る。
プリンタ用画面
友達に伝える
投票数:54 平均点:5.37
カテゴリートップ
TOP
次
ブログより 坐禅(座禅)の仕方(1)~(9)

Copyright © 2013 人間禅 房総坐禅道場 (Powered by ImpressCMS)