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房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

〒284-0032
  四街道市吉岡1010

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房総ブログ - 最新エントリー

今日(2月2日)の日曜静坐会は、参加者21名。
先週参加された方から、今年で入門50年目という方まで多彩でした。
 
静坐では、本堂の両側に分れて坐ります。
両側にずらりと揃うのは、厳寒期の日曜静坐会としては珍しく、
活気を帯びます。
 
9時から始まる45分間の静坐終了後は、
「般若心経」と「観音経」の読経になります。
 
広い本堂での、21名 声を和しての読経ですので、
荘厳な雰囲気が漂います。
 
お経と言うと、それだけで抵抗感を感じられる方も居られると思います。
坐禅の第一歩は、厭だ・嫌いだという自己に気付き、
我見を弱めて行くことにあると私は思っています。
 
周り の人に和して、読経出来るようになるまで、
私の場合半年は掛かりました。
 
静坐から読経終了までは1時間。
静坐会はここ(10時)で終了です。
 
用事のある方は、ここで帰ることも出来ますし、
お茶を飲みながらの座談会(40~60分)に参加するのも、自由です。
 
どうぞ お気軽にご参加下さい。
(初めての方は8時30分までに、お越し下さい。)
 
合掌 無端
1月31日(金)は、第5週。
一月に5回金曜日があるのは、年1~2回ですが、奇数週なので、
お茶係りに工夫してもらい今日は読書会とお茶がありました。
今日の参加は8名でした。
 
 
まずは、いつもの通り読書会からです。
齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。
 
 
テーマは引き続き「能」です。
今日読んだところで印象深かったところを少し引用します。
 
 
もともと日本人が大切にしてきたのは、能のように沈黙をベースにして、
精神的に満たされる感覚だ。
特に目に見えない力を感じ取ることに充実感を得てきた。
密度の濃い沈黙に出会って感動し、その一瞬を貴重なものと考える。
つまり一つの舞台において、一期一会的な感動を味わってきたのである。
 
その意味では、能は茶の湯や禅の精神ともつながる、
きわめて特殊な芸術といえるだろう。
 
 
また、能を見ることについては、
 これは現代において、きわめて貴重な時間になるだろう。
 なぜなら、テレビやインターネットをはじめとして現代はあらゆるものが饒舌であり、
 意味にあふれているからだ。
 能の世界には、それがいっさいない。
 しかも単なる静寂ではなく、一人の人間が恐ろしいまでの集中力で沈黙をつくり出している。
 そういうものに触れる機会は滅多にないはずだ。
と書いてあります。
 
著者も、禅を芸術と一緒にするのはどうかと思うと前書きで書いてありますが、
精神的には通じるものがあるのではないかと思います。
 
 
次はお茶の時間です。今日は尾山さんのお点前でした。
 
裏千家の茶箱の点前作法は、あまりなじみがなく返って興味深く拝見しました。
小さな箱の中に全ての道具が入っていて持ち運びに便利なように工夫されていました。
これを持って行けば旅の途中でもその地方の水でお茶が楽しめるということでした。
 
 
掛け軸は、南天棒の「雲水托鉢図」。
 
この軸には禅僧が托鉢に出る様子が描かれていますが、托鉢から帰る絵もあるそうです。
 
 
お菓子は、皇居銘菓の菊最中。
 
花は尾山さんの自宅の庭から持ってきていただいた紅梅です。

もう咲いているのですね。
 
 
さて、お茶席での話しですが、
能の話をしているとき、会員の砂村さんから、
「実は私は10年位前から謡(うたい)を習っている」との発言。
皆知らなかったので一同びっくりでした。
年に3回は発表会があり、皆で能を見に行くこともあるそうです。
 
謡には楽譜のようなものもあるそうですが、基本は先生からの口伝だそうです。
繰り返し繰り返し体で覚えるまで練習するそうで、これはすべてに通じることですね。
 
 
座禅の姿勢も、マニュアルを見て一人で覚えることはできません。
自己流でやると返って変な癖がついてしまう恐れもあります。
 
 
この後は、しっかり1炷香(45分位)坐りました。
 
 
興味を持たれた方は、ぜひとも「禅と茶の集い」へきて、
ご自分で座禅を体験してみてください。
このブログをお読みになれば分かると思いますが、座禅以外でもいろいろな話を聞くことができます。
 
 
金曜日の夜は、どうぞ千葉中央コミュニティセンターの「禅と茶の集い」へ。
 
 
義存 合掌
 

左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。
 
 
雨の音に目を覚ました日曜日でした。

夜中の雨は朝には上がって、春を想わせる暖かい日曜静坐会でした。
参加者は、13名。 新到の方(50代男性)が、1名でした。
 
私も、日曜静坐会にデビューした頃は、右も左も分からず戸惑う事ばかりでした。
 
禅堂内は、原則 私語は出来ません。
分からない事は、予め周りの人に尋ねて、確認してみて下さい。
 
皆さん親切に知っている事は教えてくれます。
・・・と言うよりも、
 
尋ねられないのに教えることはしない。
・・・と言う事かと思います。
 
無端
『数息観』に挑戦するときの条件
  a.勘定を間違えないこと
  b.雑念を交えないこと
  c.以上二条件に反したら1に戻すこと
の解説の後半部分です。
 
坐禅(座禅)をするときの大切なテキストである『数息観のすすめ』から  惟然
 
ーーーー
『数息観のすすめ』耕雲庵立田英山老師著より
 
数息観の仕方について(5)
 
cの条件は、
勘定を間違えたり、雑念が交じったりしたら、
正直に1に戻して初めから勘定のし直しをします。
 
たとい80、90まで数えてきて惜しいところであっても、
aとbとの条件に反したら、いさぎよく1に戻す。
 
この原則を良心的に守るとしたら、
恐らく前期の人の数息観の完全にできる人は一人もありますまい。
何とならば、これが完全にできる自信がついたら、
中期に進んでよい人なのですから。
 
前期の間は、そう厳格にこの三条件を振り回したら、
自己嫌悪におちいって、数息観をするのが嫌になってしまいますから、
或る程度のミスは黙殺することにします。
 
黙殺といっても余りひどいのはいけませんが、
79の次にうっかり50と数えてしまったのや、
足が痛くなったから、こんど100まで数えたら止めよう
と思う位は、まァ黙認しておこうというものです。
 
もっとも黙認にも階梯があることで、
最初の100までは余りやかましく言わず、
次の100はやや条件を厳しくし、
さらに次の100を数えている時はなるべく条件を厳守して、
数え直しをやるようにするとよいです。
 
それでもある程度の黙認をやらないと、
なかなか100を3回、つまり300まで数えることはできないものです。
 
ですから線香が-本燃え終わったら、数にかかわらず、
その日はそれで止めることにでもしないと疲れ過ぎます。
 
最初のうちは余り無理せん方が長つづきします。
 
どうせ完全に数息観ができるなんて、
半年や一年の修練では望めないことなのですから、
あまり気をおとさずに、細くとも長くつづけることが肝心です。
 
それは私がまだ旧制高等学校の学生であった頃、
東北帝国大学総長のHさんの奥さんから(この方は後に瑞巌窟老師の法を嗣いで
現に88才(1954)で毎日二炷香坐っておられます。)
“立田さん。毎日一炷香だけお坐りなさいね。
もし一日でも欠かしたら、それで法が絶えるのだと思って、
細くとも長くつづけて下さいね。
もし何かの都合で一炷香坐れなかったら、半分に折ってでも4分の1に折ってでも
一炷香は一炷香になりますからお続けなさいね”
と言われた。私はそれを正直に実行
して来たのです。
 
もし私が心から
“今日あることを得たり”ということを許されるなら、
全くこの奥さんのお蔭であると、今に感謝している次第であります。
 
この体験から私は皆さんに、細くとも長く毎日かかさず坐りつづけることを、
おすすめするのです。
 
合掌
惟然 拝
今日(1月24日)は第4週なので、初めに1炷香(45分)の静座をしました。
 
次は太田先生のお話です。
太田先生は精神科のお医者さんで長く(50年近く)座禅の修業を続けている方です。
「禅と茶の集い」の会員でもあります。
 
千葉市こころの健康センターで、
「調身調息の技法を応用したストレスコーピング」という市民向けの講座をして大変好評だったので、
「禅と茶の集い」でも連続講義を続けてもらっています。
 
実際に体を動かしたり声を出してみるワークショップ的なことも含めていろいろな試みもしますが、
最終的には座禅がしっかりできるようになることを目的としています。
 
かなり講義が進んでいるので初めての方には少しわかりにくいかもしれませんが、
今日は初めての方が多かったので、基本的なことから話をしていただきました。
 
先週から今週にかけて、房総座禅道場のHPがきっかけで、
初めて会に来てくれた人が3人。
とてもうれしく思いました。
 
また、1年ぶりにひょっこり顔を出してくれたAさんは、
しばらく遠ざかっていたけれど、今年は絶対頑張りたい
ということでお見えになり頼もしく思いました。
Aさんのような人が再訪してくれると、こちらも励みになります。
参加人数は12名でした。
 
先週お約束した、
徳富蘇峰の達磨図にある「露堂々」について、
一行物(芳賀幸四郎著 淡交社)から抜粋します。(*)
 
 
一行物では、「明歴々露堂々」(めいれきれき ろどうどう)として紹介されています。
 
「明歴々露堂々」の六文字は、古来、一行物として最もしばしば書かれる句である。
 
「明歴々露堂々」とは「明らかにはっきりとあらわれていて、少しもかくすところがない」ということで、
「遍界曾(かつ)て蔵(かく)さず」という句と、ほぼ同じ意味である。
しかし、いったい、何者がそのように「明歴々露堂々」だというのであろうか。
一般に真理は高尚深遠なところに秘在すると考えられ、「如是の法、仏祖密に付す」などといわれるため、
仏教の極致は何か神秘的なもののように思われているが、
実はそれは「明歴々露堂々」たるものだ、というのである。

(略)

なお、この「露堂々」の三文字を、第二義・第三義のアクセサリー、
たとえば色々の肩書・勲章などで自分を飾ることなく、
またジャーナリズムなどを意識して進歩的なポーズをとるなど、
自己をいつわり気取ることもなく、「ワシはこれだけだ、どこからでも見てくれ」というように、
堂々と人生を生きることの意味にとることもある。
「裏を見せ表を見せて散る紅葉」という誰やらの句があるが、
露堂々と生きるとは、こう生きることである。
但し、そのためには、自己を千鍛百錬せねばならぬことはいうまでもない。
 
義存  合掌 
 

左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。
 
---
*編者註
故如々庵老師:芳賀幸四郎文学博士、東山文化の一人者。人間禅の正脈の師家のお一人。
 
「禅語の茶掛け 一行物」(淡交社)のシリーズ:
雑誌「淡交」(裏千家の機関紙)に掲載された解説を補充して単行本として出版されたもの。
 
合掌 惟然
人間禅女性部の静坐会(坐禅会)で、故磨甎庵老師の『禅の話』の序文の一部が読まれたことが
女性部のブログで紹介されました。
 
この書物は、磨甎庵老師がまだ老師になられたばかりの、40代に書かれたものです。
7年前、若くして癌で急逝されたの大友祖元居士が、「若い頃の老師の厳しさが感じられるとてもよい本だから、読んでみるといい」 と、亡くならる数か月前に、私に貸して下さったものです。
 

次回は、1月25日(土)9:30から擇木道場にて

女性部勉強会へのお誘い~女性の美は坐禅から

ご紹介いたします。

合掌 惟然
 

前回紹介した
『数息観』に挑戦するときの条件
  a.勘定を間違えないこと
  b.雑念を交えないこと
  c.以上二条件に反したら1に戻すこと
を解説している部分です。
 
坐禅(座禅)をするときの大切なテキストである『数息観のすすめ』から  惟然
 
ーーーー
『数息観のすすめ』耕雲庵立田英山老師著より
 
数息観の仕方について(4)
 
さてその条件と申すのは
  a.勘定を間違えないこと
  b.雑念を交えないこと
  c.以上二条件に反したら1に戻すこと
の三つです。
 
これは何でもない条件のようですが、
さていよいよ実施してみると、容易でないことに気づきます。
 
aの勘定を間違えないことは、
数をとばしたり後戻りをしたりしないことです。
 
bの雑念を交えぬとは、
数をかぞえること以外のことを考えぬことです。
 
勿論、無感覚になっているのではないのですから、
外界からの刺激を受けて、見えもし聞えもしましょう。
 
いわゆる見れども見えず、聞けども聞えずというのは、
単に見えぬ聞えぬということではなしに、
見たら見たまま、聞いたら聞いたままにして、
自己の考えを乱されないことです。
 
むずかしく言えば二念を継がないことです。
 
例えば目の前を一匹の蚊がプーンと過ぎたとします。
そしたら、蚊がブーンと過ぎただけにしておけばよいので、
今のは縞蚊だから刺されたらさぞ痒いだろうの、
アノフェレスではないからマラリア病にかかる心配はない
との連想をはたらかせずに、
すなわち、
二念を継がず、そのまま数息観をつづけていけばよいのです。
 
二念をつぐと三念四念と連想が起り、
記憶を呼び起こす想像をたくましうして、
ついには数息親をしていることすら忘れはてて、
あらぬ事に思いを廻らしていることが
よくあるものなのです。
 
実際やってみると、この第二の条件の雑念を交えないということが、
一番むずかしいのです。
 
 
以前に『数息観のすすめ』のことを
「読み返すたびに新しい発見がある」と紹介させていただきましたが、
この記事を編集しながら、本当にそうだなと思っています。
 
合掌
惟然 拝
名古屋参禅会(平成25年12月19日~23日)参加報告(抜粋2)
 
3.参禅会概況
 
名古屋参禅会は、禅会長の法善居士はじめ比較的若手が中心になり運営されています。
他に、ベテラン典座の自観居士、子ずれで参禅に励む禅子等が主な会員です。
今回の参禅会では、近隣支部から3名、広島禅会から1名が参加されていました。
 
22日の午後には、慧日庵老禅子の講演会が開催されました。
講演会は般若心経に関するもので、
初心者にもわかりやすいとても新到者勧誘に向いた内容でした。
 
リピーターや初参加でも熱心に質問していた新到者がいました。
初心者向けの講演会として、工夫しだいでさらに大きな柱になると思いました。
 
22日の夜は徹宵静坐(徹夜で座禅)でした。
 
スケジュールは、かなり綿密にびっしり静坐時間が配置されたものでした。
 
22時から
静坐2炷香(*)、10分の小休止、2炷香静坐
真夜中の参禅
 
30分間の大(中?)休止、
 
2炷香の静坐、10分の小休止、2炷香の静坐、
 
洗面時間15分の後
2炷香静坐での参禅と
いう流れでした。
 
当日の午後には講演会があり午睡の時間がありませんでしたので、
皆かなり疲労気味に見えました。
 
老師は、真夜中の参禅に備え、直前に床を上げられて
参禅を聞いてくださっていました。
 
それを思うと、居眠りなどしていられないと気ばかり焦りましたが、
疲労困ぱいの体には夜間の10炷香はかなりこたえました。
 
徹宵明けの朝のお茶席は、参加者全員で入り、
法善居士の有楽流のお点前だけでなく、
途中から龍舟居士の上田宗箇流のお点前も披露されました。
 
同じ武家流のお茶でも、
上田宗箇流のお点前は、居合の趣があり、
ハッとさせられる大胆な作法に感心させられることしきりでした。
 
1回の茶席で二つの流派のお点前を拝見させていただくと、
その違い、特徴を理解でき、格別な味わいを感じられました。
 
4. 終わりに
 
名古屋禅会は、若手が中心になり活動し、ベテランがうまく支援し、
女性の参加も多く、僅かではありますが新しい方も見えており、
今後の発展が大いに期待できると思います。
 
ーーー
*編者註:
1炷香は、線香1本が燃え終わる時間でおよそ45分
 
嶢山居士の報告書より抜粋いたしました。 惟然
名古屋参禅会(平成25年12月19日~23日)参加報告(抜粋1)
嶢山居士の報告書より抜粋いたしました。 惟然
 
今回は2日目から最終日の朝食まで参加しました。
 
1.会場までの道順
JR名古屋駅の北口を出て、名鉄線名古屋駅に向かいます。
近鉄線名古屋駅の先に名鉄線があります。
 
会場の願王寺がある中小田井駅(なかおたいえき、無人駅)は、
犬山線の各駅停車に乗り10分で到着します。
名鉄線名古屋駅ではホームの前方にのみ電車が止まり、乗車する位置も電車ごとに異なるので、
駅員に聞くことをお勧めします。
 
改札から左に出て、見通しが利かない道をうねうねと進むと
3~4分で道路の左側がひらけます。
そこに願王寺があり、山門をくぐった奥にある古めかしい建物が会場の明光閣です。
 
初めて会場に伺うものにとって、名古屋駅から明光閣までの道順はかなり難解です。
かなり旅慣れた私でも会場に到達するのは大変でした。
前もっての入念な準備をお勧めいたします。
 
2.会場案内
 
明光閣に入ると右側に大きな典座寮があり、奥に禅堂があります。
 
禅堂を出た右側にトイレがあります。
この会場は、7月に開催される大相撲名古屋場所の際には、
伊勢ノ海部屋(看板力士は現在前頭の勢関です)の宿舎になっています。
 
(ちなみに以前東海支部の摂心会が開かれていた犬山の成田山善光寺は、
出羽の海部屋の宿舎でした)
 
トイレ使用にあたり1点注意しておきます。
便器がお相撲さんサイズになっていますので、
大柄な私でもお尻が便器の中に落ちてしまうくらいビックサイズの便座です。
そっと前の方に座り、くれぐれも勢いよく便座に座らないようにしてください。
 
建物の2階には、大きな板張りの広間があり、隠寮は奥の和室です。
とても広々と感じられる気持ちの良い空間で、
ついつい思いっきり見解を呈したくなりますが、
1階に声が抜けやすいので、ほどほどの声で参禅しましょう。

日曜静坐会報告 千葉は初雪

カテゴリ : 
ブログ » 静坐会・行事
執筆 : 
房総支部 2014/1/19 21:00
1月19日未明に千葉では雪が降り、
朝のうちはまだ雪が残っていました。
 
県道から道場に入る道のあたりで
おそらくは路面凍結によるスリップ事故があった模様で、
警察車両と事故車両を見ながら道場への道に入っていきました。

これから春までの数ヶ月は
充分に気をつけないといけないですね。

(山門の積雪)

降雪と寒さにもかかわらず
今朝は13人の参加者がありました。

一炷香の坐禅と読経の後は
雪が残っているので外の作務は中止とし、
皆でお茶を飲みながらの歓談となりました。


先週初めて来られた方が今週も参加されており、
話題も禅の修行の事に終始しました。
 
道虔 拝
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