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房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

〒284-0032
  四街道市吉岡1010

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房総ブログ - 最新エントリー

スティーブ・ジョブズ 坂本龍一 野村萬斎
 
表題は、変えましたが、話は前回のブログ、
「坂本龍一 音楽の学校 日本の伝統音楽編 能・狂言」の続きから始まります。
(NHK Eテレで放送)   義存
 
スティーブ・ジョブズ氏の話はのちほど。
 
2月27日(木)は、能・狂言の2回目でした。
 
能や狂言の謡や楽器の演奏を改めて聞くと、
これらのものがいかに舞台を後ろで支えているかが良く分かりました。
その音楽性自体もすぐれたものですね。
アドリブがあったりするようで、ジャズに似たところがあるかと思いました。
 
坂本龍一さんは民族音楽にも造詣が深いので、
それに伴ってその背景にある宗教やその他の習俗などにも詳しい方です。
宗教者との対談などもあります。
 
 
ゲストは先週に引き続いて、狂言師の野村萬斎さんでした。
先週から「すり足」に興味があったのでもっぱらそこに注目して見ていました。
 
小さいときから稽古(修行)した舞や声には大変力強さがあり惚れ惚れしました。
これも言葉では伝えられないものを自分の体で覚え、
そしてそれをまた次の世代へ伝えていくという日本文化の素晴らしい伝統だと思います。
 
禅も同じです。
 
 
これらは世界に二つとない誇るべき文化だと改めて気づかされました。
 
 
禅にしても、世界に向けての発信元は日本なので、私達は恵まれた環境の中にいると思います。
 
 
国際感覚を身に付けるためには、
海外に行ったり異文化を学んだりすることが必要だと思いますが、
海外に行ったときに聞かれるのは「日本ではどうなの?」ということです。
まず自分の国の文化を知らないと大恥をかきます。
自分がそうでしたから(笑)
 
ZENはもう国際語です。
フランスでは形容詞として使われているという話もあるくらいです。
日本人のあなたは家で座禅をしているのなどと聞かれることもあります。
 
 
さて、スティーブ・ジョブズ氏が禅の影響を多分に受けているということは、
多くの人が知っていることと思います。
 
簡単に触れると、
ジョブズ氏は大学を中退しインドを旅したときに人生観が変わるような体験をし、
アメリカに戻った後はずっと禅センターに通っていたそうです。
 
結婚式も禅の老師の下で挙げたそうで、
いかにジョブズ氏が禅に傾倒していたかがうかがえます。
 
アップル製品のシンプルさの背景には禅の教えがあるとも言われていますし、
ジョブズ氏の直感力は禅で磨かれたものではないかという話もあります。
 
また、ガンを宣告された後も、
死と直面しながら製品の開発に力をそそぐことができたのも、
禅で養った力が元になっていたのかもしれません。
 
 
アメリカのIT産業の会社やホテルの中にも、
ZEN ROOMがあると聞くと、
日常生活の中にもZENがいろいろな形で浸透しつつあるのだと感心してしまいます。
集中力や直感による創造性を禅で養えるということは、
もう経験的に十分に分かっているのだと思います。
メンタルヘルスのためにも有用ですね。
 
本家本元の日本でもしっかりしないと逆輸入などということにもなりかねないので、
気を引き締めないといけません。
 
これからも、いろいろな形でZENは広まっていくと思いますが、
その本質だけは変わって欲しくないというか、
変わってはいけないというか。
そのためにも私達が本物をつかんでいることが必要だと痛感します。
 
 
日本人としてというより、国際人として、
すぐ目の前にある房総座禅道場や禅と茶の集いなどで、
一度座禅を体験してみませんか。
 
お待ちしています。
 
義存 合掌
 
*禅とスティーブ・ジョブズ氏の結びつきについては、
検索すればいくらでも出てきますので興味のある方はどうぞ。
 
坂本龍一 音楽の学校 日本の伝統音楽編を見ました  義存


NHK Eテレで放送されているこの番組は、
音楽好きの私にはとても面白い番組です。
 
坂本龍一さんは皆さんよくご存知のミュージシャン。
クラシックから、ロック、ポップス、民族音楽など、
幅広い分野で活躍しています。
 
2月20日(木)に放送された番組が
あまりに興味をそそられたものだったので紹介します。
 
そこでは日本の伝統音楽ということで、
能・狂言がテーマでした。
 
これを初めに見たときは、これが音楽かと思いましたが、
「禅と茶の集い」で、
ちょうど日本の伝統芸能としての「能」について読んでいたところだったので、
いっそう興味が湧きました。
 
ゲストは狂言師の野村萬斎さんで、
ブログ(禅と茶の集い便り13)でも取り上げた、
「すり足」について実演して見せてくれました。
 
その所作の美しいこと。
しっかり座禅を組んだそのままの姿勢で
レールの上をすべる様に歩いていました。
座禅でも経品(きんひん)といって
静かに歩きながら一つの念慮になりきる修行がありますが、
なかなかこうは歩けません。(禅ではすり足で歩けとは言いませんが)
 
ワークショップでは小学校5・6年生が参加し、
実際に歩いていましたが、
当然、ぴょんぴょん跳ねたり、体が左右に揺れたりして
お手本のようには歩けません。
当たり前か。(笑)
 
それでも「すり足」を指導され、
能面を付けて歩いてみると少しずつ様になってきました。
能面を付けると足元が見えないので、
必然的に「すり足」になるそうです。
 
能は何回も見たことがあるのですが、
こういう視点には気がつきませんでした。
 
坂本龍一さんとの対話の中では、
二人が口をそろえて、能には「禅」の影響があると言っていました。
 
幸いにも、日本の伝統音楽編 能・狂言は、まだ続きがあるので、
是非ごらんになったらいかがかと思います。
 
禅的視野から見ても面白いし、
無理に関係付けなくて見てもとても面白いと思います。
 
次回は、2月27日(木)23時25分からです。
 
*2月20日(木)の番組の再放送が2月26日(水)深夜24時30分からあります。
 
義存

残雪の中の日曜静坐会(坐禅・座禅)

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
房総支部 2014/2/24 10:00
昨日(2月23日)の日曜静坐会の
参加者は15名、
今回は全員男性でした。
 
残雪がある中の静坐(坐禅)でした。
まだ、大雪による庭木の被害が目立ちます。
 
ーーー
日曜静坐会
 
日時:毎週日曜日 午前9時より 11時ごろまで
 
場所:房総坐禅(座禅)道場 アクセス
 
 
日程:
・静坐(坐禅・座禅) 一炷香(約45分)
・読経
・作務または懇談
 
初心者の方も歓迎します。
 
坐り方などの説明をしますので、初めての方は30分前にお出でください

ーー
岡本居士の報告をもとに
 
合掌 惟然
軸の画賛と落款について 惟然

西來直指 事因囑起
撓聒叢林 元來是你
      不抄拝写
 
とお見受けます。

画賛は
無門関 第41則『達磨安心』の頌
 
落款は
不抄という方の模写、ということになりますが
中村不折と見えなくもありません。
 
なお、『達磨安心』は、
耕雲庵老大師の『新編無門関提唱』では、
第26則『二祖安心』として扱われ、
 
撓聒(どうかつ)叢林 を 擾乱(じょうらん)叢林
 
と意訳しされています。
 
 
 
追伸
読めない字が少々あっても、
インターネットという便利なものがあると
読めた文字列で検索できるものです。
 
さすが、21世紀ですね。(感謝)
 
というわけで、
いま世間を騒がせている(撓聒叢林)ものの正体(是你)は
何者なのでしょうね・・
 
まだ安心?  もはや不安?
 
合掌
惟然 拝
2月21日(金)は、第3週。
読書会とお茶があります。
先週は雪のため二人で座りましたが今日の参加は9名でした。
 
まずは、いつもの通り読書会からです。
齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。
 
 
テーマは今日から「俳句」です。
いきなりすごい見出しで、どんなことが書いてあるのかと思いました。
最初の部分を引用します。
俳句に造詣の深い方は「ちょっと?」と思うかもしれませんが、
齋藤さんの俳句観です
 
 
俳句とは、一言でいえば「退屈芸」である。
 
私はかねてより「退屈力」の養成を提言している。
一見退屈に思えることの中から楽しみを見出す力、
という意味だ。
言ってみれば、教養を身につけるための勉強などは、その最たる例だろう。
明らかに地味ではあるが、真剣になればなるほどおもしろくなっていくものだ。
ふつう、私たちは日常生活が退屈だと思うと、たとえば刺激を求めて海外に行ったり、
非日常的な体験をするためにお金を払ったり、
あるいは趣味や興味のレベルアップを目指してセミナーに行ったりする。
これはまさに現代的・都会的な高刺激社会の賜物だろう。
 
ただこの対極には、低刺激社会もある。
刺激の少ないところでも十分に楽しむことができるのだ。
そのあり方を一つの芸術概念として確立したのが、
いわゆる「わび・さび」ではないだろうか。
 
 
今日はこの先も読みましたが、いろいろな感想が出ました。
 
また、
「俳句は四季の区切りがあるからこそ詠める」ということには皆納得し、
日本の自然はありがたいという感想が聞かれました。
 
砂漠の中では俳句は詠めるのでしょうか。
 
この先にどんなことが書いてあるのか楽しみです。
 
 
次はお茶の時間です。
今日は高貫さんの有楽流のお点前でした。
実は今日がデビューの日です。
先生の大石さんが付いていてくれるとはいえ、
かなりの緊張した様子でしたが一生懸命さが伝わってきました。
 
掛け軸は、中村不折の達磨図。
箱書きにはこれしか書いてありませんでしたが、
絵を見ると、二祖慧可の「雪中断臂」の図ではないかと思います(臂は肘)。
添えられている語はすべては読めませんでした。
申し訳ありません。教えていただければ幸いです。

こういうことは時々あります。
 
お茶は、宝尽の白。
開封したばかりということもあり、大変おいしくいただきました。
 
お菓子は、黒豆かさね。

先週雪の中を大石さんが箱根に行ったそうで、そこのお土産です。
懐紙のお雛様がとてもかわいらしいですね。
 
 
花は尾山さんが自宅の庭から持ってきた紅梅でした。
 
 
さて、お茶席では、今開催中のオリンピックの話へ。
 
選手はオリンピックのものすごい緊張感の中にいるので、
そのプレッシャーに押しつぶされそうになることもあり、
失敗するのもそれはいたしかたないことだろう。
 
メンタルトレーニングもしているのだろうけれども、
座禅でもやって平常心を保つ訓練をしたらどうかと意見も。
 
スタートの前に3回でもいいから自分の息を数えてみたら
落ち着きを取り戻せるかもしれません。
 
と言っても、私はオリンピックに出場したことがないので、
どれほどのプレッシャーがかかっているのか分かりませんが・・・。(笑)
 
 
この後は、しっかり1炷香(45分位)坐りました。
 
 
興味を持たれた方は、ぜひとも「禅と茶の集い」へきて、
ご自分で座禅を体験してみませんか。
 
 
金曜日の夜は、どうぞ千葉中央コミュニティセンターの「禅と茶の集い」へ。
お待ちしています。
 
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」

問い合わせ先s.s.gison@nifty.com

左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。

 
2/16の日曜静坐会(坐禅会)の参加者は、
12名でした。
 
木曜日から金曜日にかけての雪は
夜半から雨になり、
千葉市では8cmの積雪でした。
 
今朝は、
道場へ向かうのに心配していたのですが、
林の中の道も雪は残っていませんでした。
 
道場の土手には、
小さな蕗のとうが見え始めましたが、
春まだ遠い冷たい風が吹いていました。

合掌 無端
今日(2月14日)は、第2週なので
2炷香(45分×2回)の静座の予定でした。
 
ところが外は先週末に続いての雪。
 
かなり強く降っていて、
これでは誰も来られないかもしれないと思いながら、
いつもは歩く道を電車とモノレールを乗り継ぎ
コミュニティセンターへ向かいました。
 
人影もまばらで、
これは一人で座るのかなあと思って和室の鍵を開けているところへ、
長靴を履いた登坂会長がやってきました。
自家用車は使えないのでバスで来たそうです。
 
結局、今日は二人だけでした。
この雪ではいたし方ありません。
帰りの交通が心配だったので残念ながら1炷香で帰りました。
 
 
ここからは個人的に思ったことなのですが、
夏は観測史上初めての猛暑。
冬は何十年ぶりの大雪と、異常とも思える気候が続いています。
これは地球が何らかのサインを発しているのではないか?
 
地球の命は私達の命。
 
人類も他の動物や植物と同じその一構成員として生きているわけですが、
私達は、地球の環境を維持し次の世代に美しい地球を残していかなければなりません。
 
そのためには何ができるのか、何をしなければならないのか、
自分自身の問題として考えていかなければならないと思います。
 
 
釈宗演老師揮毫
 
話は禅に戻って、
先週のお茶の時に掛けた掛け軸、直心是道場(じきしんこれどうじょう)の説明について、
禅語の茶掛 一行物(芳賀幸四郎(*)著 淡交社)から抜粋します。
 
少し難しい言葉も出てきますがご一読ください。
 
「直心」とは清く正しい心のことである。
一切の煩悩妄想を離れ、小ざかしい分別や執着を絶した純一無雑な心、
我見・我執の本である我、いわば虚妄の我(われ)から醒めて、
真実の我に立ちかえった時の心のことである。
また、「道場」とは普通には修業を目的として建てられた建物のことと解されているが、
本来は道を修行する場所という意味であり、
「歩々是れ道場」という語もあるように、必ずしも建物を必要としない。
「直心是れ道場」の道場はこの本来の意味の道場であって、
直心ならば、ラッシュの電車の中でも車往来の十字街頭も、到る処みな道場である。
もし直心でなく、心に分別執着・煩悩妄想の雲がかかっておれば、
いかに静寂清浄な山中や伽藍であろうとも、それは五欲の巷にすぎず道場というには値しない。
道場とはその場所にあるのではなく、その人の心の清浄か否かにあるのである。
なお、これを「家庭であれ、会社の事務室であれ、あるいは電車の中であれ、
どこもみな心を磨く道場だ」というように、アッサリ解してもよい。
 
 
房総坐禅道場の本堂には、大きく「直心是道場」と書かれた額がかかっています。
これを見るだけでも道場に来る価値はあるのではないかと思うほど素晴らしい書です。
座禅を少しやってみても、いや長くやっていても、
なかなか自分で「直心是道場」とは言い切れません。
それでもその場その場でこの言葉を思い出しながら、心を磨いていきたいものです。
 
「禅と茶の集いに」に継続して来るようになった人でも、
なかなか毎日10分でもいいから座禅をするのは難しいと言っています。
でも、良い意味で毎日座禅をする習慣をつけると、
それに従うように日常生活が変わってきます。
 
そのための第一歩はまず自分で体験してみることです。
 
自分ひとりではなかなか続けることは難しいので、座禅をする仲間と一緒に
座ることをお勧めします。
 
 
「禅と茶の集い」や房総坐禅道場で座禅を体験してみませんか。
門はいつも開いています。
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」
 
問い合わせ先 s.s.gison@nifty.com 
 
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。

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*編者註
故如々庵老師:芳賀幸四郎文学博士、東山文化の一人者。人間禅の正脈の師家のお一人。
 
「禅語の茶掛け 一行物」(淡交社)のシリーズ:
雑誌「淡交」(裏千家の機関紙)に掲載された解説を補充して単行本として出版されたもの。
 
房総道場の直心是道場
額の下は、摂心会の夜に正脈の老師による提唱のとき使用する台

合掌 惟然
記録的な大雪のため開催が危ぶまれた内参会でしたが、
坂東道場からの5人もあわせ、22名が参加。

火曜日の朝に内参会が終わり、
引き続き先代磨甎庵老師の六回忌法要が行われました。
法要のみの参加者もあり、総勢は25名でした。
 
雪かき作業は大変でしたが、
雪に埋もれた道場の様子が素晴らしく、
記憶に残る内参会となりました。

(前日からの雪かき作業に疲労困憊、最後の力を振り絞って報告を書いています。
簡単ですが悪しからず。)
 
合掌 道虔 

◇人間禅でも作務の時“段取り、真剣、尻拭い”ということが言われるが、
今回典座における“段取り”について記してみたい。
 
典座と言っても典座スタッフと典座長とでは、
自ずとその職責の度合いが異なる。
 
私の経験したものは、典座長としてのものである。
私の場合、典座長をやるには恵まれた環境にあったのは事実である。
 
一つには小さな会社を自らやっており、
ある程度時間を都合することが出来たこと、
 
二つには市川本部道場近くに住まいがあり、
買い物をするのにどこに何があるかを知っていたこと、
 
三つには長年電気工事業界におり、
大手電気工事会社にいた上司から
“この仕事は段取り八分、段取りさえ出来れば仕事は八割がた終わったも同じ、
ビス1本でも無ければ仕事は終わらない”
と教えられたこと、
 
これらの三つがあったので
本腰を入れて典座に打ち込むことが出来た。
 
 
◇先ずは段取りということでは、
摂心の始まる前に1週間分の献立表作りに2時間を費やし、献立が出来たら
摂心が始まる前の第1回目の買い物に必要な材料、調味料等をノートに書き出し、
それを元に典座寮にある在庫確認をやり、無駄な買い物をしないように努めた。
 
これは後に記するが、“典座は経営に通ずる”の思いがあったからである。
 
そして買い物に行くわけだが、これも最低2時間を要した。
 
買い物は結構時間がかかるものである。
 
買い物が終わると夕食の準備、茶礼の準備と結制茶礼当日は忙しい。
 
そして典座スタッフとして誰がどのくらい参加できるか確認することも大事である。
 
◇私の場合房総支部での経験もあり、
一人で20人分くらいの食事を作ることには自信があったが、
それ以上になると限られた時間内に作るには無理があるので、
典座スタッフを使わざるを得なくなる。
 
それでも日中スタッフがいないとあれば献立を考え直す以外にない。
 
より手間の掛からないように・・・・。
 
因みに房総支部の場合、食事する人数は20~25名くらいが最大だと思うが、
本部道場での春と秋の全国から集まる摂心の場合、
多い時には60~70人分の食事を作ることになる。
 
今回はこの辺で・・・。
 
平成26年2月7日
 
鉄心記
 
2月7日(金)は、第1週。先週に続いて読書会とお茶があります。
毎週お茶がいただけるのはありがたいです。
今日の参加は10名でした。
 
まずは、いつもの通り読書会からです。
齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。
 
テーマは引き続き「能」です。
今日読んだところで印象深かったところを少し引用します。

私はときどき学生に対し、体育館などで「すり足」で歩くように指導することがある。
東儀秀樹などの邦楽を流し、静かに歩くのである。
すると彼らは、「時間性が広がる」という感想を口々に漏らす。
心がシンと静まり返り、ふだんとは違う空気に入り込んで、
「ものすごく気持ちがいい」とも言う。
 
これはぜひとも実践してみたいですね。
ある本には、剣道、柔道をはじめ、茶道や日本舞踊、相撲に到るまで、
和の動作の基本といえるのは「すり足」だと書かれています。
お茶の有楽流はそれほど言わないらしいのですが、
流派によっては「すり足」の指導をこまやかにするようです。
 
最後に、
 
見えない力に敏感になることが能を楽しむコツでもあり、
また現代における能の存在意義でもある。
現代では死を裏側に貼りつけたような精神や身体のあり方は、
見ることさえも稀である。ならば、そういう世界を自分から見に行ってみてもいい。
 
とあります。能を見に行きたくなりますね。
 
この章を読んで、能の世界観が禅に通じるところがたくさん見えてきたように思います。
 
能を見に行く前に、「ぜひとも座禅を味わってから」といってはこじつけになるでしょうか。
どちらにしても「生身」で体験するとか実践してみることが大切だと思います。
 
今日で「能」の章は終了。次回からは「俳句」の章です。さて、どんなことが書いてあるでしょうか。
 
 
次はお茶の時間です。
今日は森本さんの有楽流のお点前でした。
 
掛け軸は、
釈宗演老師の「直心是道場」です。

これについては、また来週触れます。
 
お菓子は、
小川さんが友人からもらった紫いもを使って作ったいも羊羹(手づくり)です。

 
花は尾山さんの自宅の庭から持ってきていただいた白梅です。

先週は紅梅でしたから、二週をあわせると紅白ですね。
 
さて、お茶席での話ですが、
最初はすり足について日本のいろいろな文化を比較するような話をしていましたが、
途中から今の若者をどうしたら座禅へと導くことができるのかという話になりました。
 
今の若い人は、情報は活字媒体ではなく、ほとんどスマホから見るそうなのでで、
坐禅(座禅)のポスターや新聞への広報だけでは若い人の目に留まることはない。
まあ、そういったことを踏まえてこのHPブログを書いているのですが・・・、
 
それではスマホやパソコンを買えないような家庭では時代についていくことができなくなるのでは?
就職用のエントリーシートも送れないのでは最初から格差がある・・・。
最後はこのまま情報社会が発展すればするほど格差がますます広がる懸念がある、
といった社会的な話になってしまいました。
 
このブログを見ている若い方にお伝えしたいのですが、
ぜひ若いうちに坐禅を体験してみてください。
できれば、本当の自分自身を見て、人生の基盤を今のうちに作っておいてください。
社会の動きが速ければ速いほどしっかりした自分自身をつかんでおかないと、
あやふやなままの人生を送ってしまうことになりかねません。
来たれ、若者よ!
 
この後は、しっかり1炷香(45分位)坐りました。
 
興味を持たれた方は、ぜひとも「禅と茶の集い」へきて、ご自分で坐禅を体験してみてください。
 
金曜日の夜は、どうぞ千葉中央コミュニティセンターの「禅と茶の集い」へ。
もちろんこれから老後をどうするか考えている方も歓迎。女性も大歓迎です。
 
義存 合掌
 
 
「禅と茶の集い」
 
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