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房総ブログ - 最新エントリー

第10回茶禅一味の会参加報告

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ブログ » 行ってきました
執筆 : 
房総支部 2013/10/9 0:41
第10回茶禅一味の会参加報告
平成25年10月8日                 仲野 嶢山
 
平成25年10月4日(金)~6日(日)にかけて、本部道場にて第10回茶禅一味の会が開催されました。正式には、近日中に人間禅茶道部から報告が上がると思いますが、参加して感じたことを含めて、会の様子を報告申し上げます。

5日は、台風による雨の中、裏千家、江戸千家、有楽流の3席が設けられました。6日は大日本茶道学会、表千家の2席が設けられました。私は5日午後からの参加でしたが、それぞれに趣のあるお茶のお点前が披露され、和やかな雰囲気の中お茶のご相伴に預かりました。

6日午後には竜穏庵光蓮老居士による「千利休と禅」の講演がありました。利休のお茶と禅との関わりに関するお話でしたが、私の中ではとりわけ利休の禅者としての境涯について触れられた部分が興味を感じました。禅をある程度会得していたので、詫び・寂びのお茶が確立できたのですが、本当に禅で奥の院まで到達していたら、利休は切腹などしなかっただろう。まだどこか捨てきれていない部分があったので切腹を選ぶことになった。ただ、切腹を前に利休が残した辞世の句は、禅者としての境涯の発露だった。お茶人利休は禅者として生涯を閉じた、と講演を聞いた私は理解いたしました。

人間禅茶道部主催ですが、房総支部を含めた近隣支部が担当する本部行事としての会であり、参加者が少なかったことが残念です。元禮さんが侍者として大活躍でしたし、房総支部に関連の深い妙珠さん、慈啓さん、翠松さんが中心になり活動されていました。しかし、見渡したところそれ以外では慧玉さん、名誉会員の大石れい子さん、善導さんと私だけの参加だったようです。7回の参禅の機会もあり、地の利の良い場所での開催であるにもかかわらず参加者が少なかったように思われます。

来年には房総道場での茶禅一味の会の開催が予定されているようです。今後房総支部茶道部の充実、お茶関連のサークルとのコミュニケーション、支部を上げての行事計画が必要となります。新たな会員を集める、茶道関連のサークルとの繋がりを作る、近隣住民への浸透をはかる絶好の機会と考えます。千歳一隅の機会ととらえ、準備を進めましょう。

 

ストレスをためないために

カテゴリ : 
ブログ » 随想・日常
執筆 : 
房総支部 2013/10/7 0:10

①   ストレスは必ずしも悪いことではないが、過大なストレスは適応障害やうつを引き起こす。

②   ストレスに強い人と弱い人がいる。遺伝や養育環境の違いも関係するが、その後の人生の送り方でも差が出る。

③   ストレスを感じ、理解し、はっきり言葉で表せる人はストレスに強い。

④   前向きに考えられる人はストレスに強い。

⑤   どんな苦難に遭ってもそのことに意味を感じられる人はストレスに強い。

⑥   他の人に頼り支えられている人はストレスに耐えられる。反対に対人関係が悪く、誰にも支えられたり甘えたりできない人はストレスに弱い。

⑦   物事の受け止め方にひずみがある人は世の中に対する適応が悪くなりやすい。(自己否定、完璧主義、自己無力感と依存思考、過度な一般化など)

⑧   遺伝的に不安が強い人(30%)、新規探求傾向の人(10%)固執性や過敏性を持つ人、孤独を好む人がおり、そんな人達は適応障害を起こしやすい。

⑨   安全基地を持っているとストレスに耐えられる。安全基地を持つためには自分もまた相手の安全基地になる必要がある。(自分もそう思うという。相手の事に関心を向ける。相手の立場になって感じる。)(思いやりと感謝の気持ち、相手の欠点を受け入れ許す。)

⑩   まとめとしてストレスに強い人は
ストレスの受け止め方がうまい。
そして他の人を頼り支えられている。
そしてストレスの大きさや持続時間が限度を超えない様に休養やリフレッシュをしている。

⑪   ストレスに弱い人の受け止め方(認知)の特徴は
完璧主義で融通が利かない。(何々すべき・・・)
二分法認知(いいか悪いか、など極端で中間がない)
とらわれが強い。
起きてしまったことをくよくよと何度も考える。(反芻思考)
否定的認知(悪いようにばかり考える)
感情的に爆発する(情動制御ができない)
他人に対して共感性に欠ける。    

 

3日後に近くの公民館でストレスに関する話をする予定です。そのためのノートを作ってみました。

これをあと3日でまとまりのある話に膨らませてみるつもりです。  

 

そして、最後に、「今ここに集中して生きることがとらわれのない生き方の基本である」と結び、椅子座禅による数息観の指導までもっていきたいと思っています。 

時間が足りないか・・・質疑応答含めて90分です。

                            道虔 拝 

本朝は台風の影響で小雨でしたが、静坐会への参加者は15人(内女性2名)でした。

        10月に入って秋もすっかり深まり気温もぐっと下がってきて、坐るのには最適な
        気候になりました。
        雨で深まる杉林の緑の中、禅堂の金木犀も開花、芳しい香りが漂っております、
        またつくつくぼうしの鳴き声もしきりです。
        こんな環境の中、ゆったりと静坐のひと時を楽しむことができました。

        合掌 おかもと
 

ドラマ半沢直樹のラストシーン

カテゴリ : 
ブログ » 随想・日常
執筆 : 
房総支部 2013/10/5 21:58

今年一番のヒットドラマ半沢直樹、ごらんになった方も多かったのではないかと思います。私も世間で騒がれているので途中からですが、録画を撮って見てみました。
 
銀行員の半沢直樹は不正を働く常務の陰謀を見事に打ち破り、取引先を窮地から救い、ひいては銀行と頭取を救う大活躍をするのですが、当然懲戒免職になってもおかしくない陰謀家の常務は平取締役に降格という軽い処分ですむ一方で、頭取によって半沢直樹は出向を命じられます。
 
頭取は自分の敵であるが深い痛手を負った常務を自分の直接支配が及ぶ取締役会に残すことで、自分に敵対する勢力が身動きできない体制を作りました。その一方で半沢直樹は出向です。
 
このラストシーンを見て、少なからぬ視聴者は憤慨したとのこと。うちの職場の職員もあれはひどい結末だと息巻いていました。半沢直樹はあんなにがんばったのに左遷されるなんてかわいそうだと。
 
一方、私は全然そんなこと考えませんでした。頭取は半沢直樹の力を充分に認めたからこそあえて厳しい現場で経験を積ませようとしている。厳しい頭取の目の中に”よし、半沢、がんばってこいよ”という激励が見えたような気がしました。
 
皆さんはどちらの感想を持たれましたか?
ネガティブな感想?  それともポジティブな感想?

                      道虔 拝

石川雲蝶の作品を訪ねる旅

カテゴリ : 
ブログ » 随想・日常
執筆 : 
房総支部 2013/10/3 21:42
越後のミケランジェロと称賛される名匠・石川雲蝶の作品を訪ねて

おとなの寺旅という日帰りのバスツアーで行ってきました。
魚沼市(関越自動車道近く)のいずれも曹洞宗の最福寺開山堂と永林寺ですがこの地域には左甚五郎にも劣らない幕末の彫物師石川雲蝶の作品群が多数残されており、越後の東照宮ともよばれている。
彼は無類の「酒好き」と「賭博好き」で、彼の作品に感動した和尚が賭場で出会った雲蝶との賭けで、「負けたら本堂にその力作を残す」という結果となり、13年の間寺に宿泊し多くの作品を制作した。
彼の彫刻は非常に彫りが深く、両面彫りや遠近法をも採用している。
欄間など彫物師としての技はもちろん、漆喰画、美しい書院障子のデザイン、襖絵に絵師としての才能も備えており、独特の構図はまさに下絵、彫刻、彩色を一人で仕上げている。
好きな酒ばかり飲み、賭博好きという破天荒な気性の反面ひとたび気がのったとなると、彫りの鬼と化して作品に向き合ったとも伝えられ、その生き様は決して優等生とはいえないものの、人間味あふれる、憎めない人柄であったことが想像できる。
この地に彼の作品が多く、後に三条(刃物等で有名な)に戻り明治16年70才で死去。





最福寺 開山堂
雪が深く 萱葺きの屋根を保護する為、後に設けられた天蓋屋根



道元禅師が虎に向かって錫杖を投げつけると杖が龍となって猛虎も退散したという逸話




正面欄間の彫物 道元禅師が帰国前に「碧巌録」と出会い急遽 写経している図


永林寺
欄間の透し彫りがすばらしい。
(作品も非常に多く外国人も多く訪れるとか)


両寺共、堂内撮影禁止の為、購入したパンフの複写で、稚拙な技術の為見苦しいことをお詫び致します。

合掌
2013.10.02      廻光会 大木




呼吸法の生理学

カテゴリ : 
ブログ » 随想・日常
執筆 : 
房総支部 2013/10/1 19:43

動物の末梢神経系には随意神経と自律神経がありますが、前者は意識的に調節できる神経、後者は意識的には調節できない神経と単純に説明できます。
 
たとえば自律神経で調節される心臓の鼓動の早さは自分で自由自在に変化させることはできませんが、腕を曲げたり伸ばしたりすることは随意神経を介して意のままにできます。
 
手足の動きを司る随意神経が何のためにあるのかは一目瞭然ですが、自分の意思と関係なく自律的に調節される神経にはいったいどのような役目があるのでしょうか。自律神経は生存の為の基本的な内臓機能の維持を無意識のうちに行い、また危険を察知して戦ったり逃げたりする時のとっさの判断にも役立ちます。
 
また、意識はしていないが何となくいやな感じで不安だ、あるいは何だか気分がよくてリラックスできるといった”情動”を自律神経が司っているのです。
 
緊張して不安なときには脈が速くなります。反対に、リラックスしているときには脈は遅くなります。これは我々みんなが経験している当たり前のことですが、もし不安を感じて脈が速くなっている人に脈を遅くする薬を飲んでもらったらどうなると思いますか?
 
実は、薬を飲んで脈が遅くなると、不安感はかなり軽減します。心が心拍を調整しているだけでなく、心拍も心に影響を与えているわけです。
 
自律神経系は心拍のような循環作用のみならず、呼吸、消化、発汗、体温調節、内分泌機能、生殖機能、代謝などの不随意な身体機能を制御していますが、この中で・・たった一つだけ・・無意識の調節と意識的な調節が両方なされている機能があります。そうです。呼吸です。呼吸なんです。
 
何も意識していなくても、その時の環境の変化によって呼吸の深さや速さは自律的に調節されていますが、意識的に深呼吸をしたりはぁはぁと早く息をすることもできます。心が乱れて苦しいときには浅いあえぐような呼吸になりますが、落ち着いているときには楽で閑かな呼吸になります。とすれば、呼吸を意識的に整えていけば、心の無意識の部分が整ってくる。これが呼吸法の原理です。こんな事が可能なのは呼吸作用が随意神経と自律神経の両支配を受けている特殊なものだからです。
 
呼吸を整える事を通じて心を整えていく、という方法は座禅の専売特許ではありませんが、禅はこの昔からある方法を駆使して真っ正面から心を整えていく行です。
 
湖の水面に細かく動いている心のさざ波がすぅーっと消えたときに水底にある本当の心、本当の自分がはっきりと見えてくる。
 
そしてそれは、ただ呼吸を通じてのみ実現できる事なのですが、この呼吸の特殊性には生理学的な理由があるわけです。
                             道虔 拝
 

ミケランジェロの食事

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
房総支部 2013/9/29 19:26
ルネサンスを代表する天才ミケランジェロは90歳近くまで健康を維持し、絵画・彫刻・建築の分野で膨大な業績を残した人ですが、その日常生活は非常に質素で食事も簡素なものだったそうです。自筆の献立記録を見ると、パンにワイン、ほうれん草などの野菜と魚といったメニューが絵入りで書かれています。質素と云ってもそこはイタリア人、ちゃんとワインは吞んでいたんですね。何だかほほえましいです。     道虔 拝




国立西洋美術館でミケランジェロ展やっています。

http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013michelangelo.html

SOCとストレス対処

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
房総支部 2013/9/28 0:28
SOC(首尾一貫感覚)(sense of coherence)という言葉を
ご存じの方は少ないと思いますが、
大変示唆に富んでおりおもしろい概念なのでご紹介したいと思います。
 
この言葉はイスラエルの健康学者アーロン・アントノフスキー博士の造語ですが、
”高いSOC”がストレス対処と健康保持がうまくいっている人に
特徴的な主要な決定要因である、
というのが博士の主張です。
 
先の世界大戦中に多くのユダヤ人は収容所に入りましたが、
その中で死んでしまう人もいれば、
生き延びた人もいる。
この二つのグループにいったいどのような差があっただろうか、
という疑問から、
戦後多くの人にインタビューを試みて、
ストレスに対してうまく対処できる人の特徴を抽出し、
SOCという言葉にまとめたものです。
 
博士によれば
このSOC(首尾一貫感覚)というのは次の3つの要素からなります。

把握可能感(comprehensibility)

処理可能感(managebility)

有意味感(meaningfulness)
 
人生においては様々なストレスが降りかかってくるが、
自分に今何が起こっているかが理解できるということが把握可能感。
この感覚が強い人はより高い見地から自分に今おこっていることをとらえ、
理解するので、
容易に対処することができる。
 
SOCの弱い人では、
物事は降りかかってくるものであり、
いつも決まって不幸な結果をもたらし、それが一生続くと感じられているが、
反対にSOCの強い人では、
人生における出来事は対処可能な経験として、
応じることが可能な挑戦と見なされる。
つまり、逆境に対しても、
「待ってました、来るなら来い。大変かもしれないが最後にはうまく処理できるだろう」、
と感じられる。
これが処理可能感
 
逆境にある時に、
SOCの高い人はその挑戦をすすんで受け止め、
意味を見いだそうとする。
そして、
主体的に尊厳を持ってそれに打ち勝つために最善を尽くすだろう、
というのが有意味感の説明です。
 
賢明な皆さんはもう感じておられると思いますが、
私は禅(座禅・坐禅)という行にSOCを高めるという作用があるのは
間違いないと思っています。
 
順境にあっても逆境にあっても自分を見失わず、
主体性を持って堂々と生きていきたいものです。

道虔 拝
 
 
秋の本部行事もそこそこに、学会に行ってきました。
去年も坐禅の行事と重なったために欠席したので、今年こそは出席しないと資格剥奪の可能性があったのです。
 
我々居士禅者は坐禅の他にそれぞれ仕事をもっているので、本当に苦労します。修行だけしていればよいというわけにいきませんから。自分の人生の為に禅の修行は続けたい。一方で家族も大事だし、仕事がうまくいかなくなるとそもそも禅の修行が続けられなくなる。
 
だけれど、その苦労自体が本当に役に立つんです。
実際にやっている人にとっては常識ですね。
          道虔 拝

昼休みにちょっと抜け出して、観光もしてしまいました。
でも、ちゃんと学会にも行きましたよ。(証拠の写真を添付します)

道場に行き始めた頃のこと

カテゴリ : 
ブログ
執筆 : 
房総支部 2013/9/19 0:52
30歳にして大学院生となりしばらくたった頃、病理学教室の助手をされていた霊雲さんに誘われて坐禅の仕方を教えてもらいました。毎朝樹徳会の部室で一緒に坐っていただき坐相を直してもらいましたが、ようやく一炷香坐れるようになるまで半年ほどかかったでしょうか。そろそろ摂心会に出てごらんということになり、夏の摂心会に参加するため初めて道場に足を踏み入れました。

その頃は年3回の摂心会にでてある程度座り抜くことができると認められた後に初めて入門が許されました。最初の摂心会はとにかく足が痛くて痛くて、おそらく3日もたなかったかもしれません。逃げ帰るように下山した覚えがありますが、帰りの車の中、カーステレオで聞いたモーツアルトのピアノコンチェルト、ピアノの音、その一音一音が今まで聞いたこともないくらいに粒立って美しく、びっくりしたことを今でも鮮明に思い出します。

次の摂心会も耐えがたい足の痛みは続き、おそらく見るに見かねた道場長と典座長(薫風さん)が静坐の時間が少し短くなる様にと典座係にしてくれたので何とかやり通すことができました。本当に今考えても、どうしてあんなに苦痛にもだえながらもなお坐禅をやめなかったのか、全くわかりません。

ともあれ本当に懐かしい思い出です。                   道虔 



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