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房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

〒284-0032
  四街道市吉岡1010

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房総ブログ - 最新エントリー

先週に続いて、近くの公園の桜を見に行きました。
 
満開でした。
満開の桜
 
多くの人が花見を楽しんでいました。
この桜の木々とはもう30年くらいの付き合いで、
毎日のようにその姿を見てきました。
 
というより、
桜の木々に私が見守られてきたのかも知れません。
 
 
満開の桜だからというわけではありませんが、
この時期の桜を見ると、
まさに「桜が桜をしている」と感じます。
 
文法的には少し「?」ですが、
桜がありのままの姿を見せ、
誰のためということでもなく、
まさに桜自身を生きているということです。
 
このように生きることが出来たらと思うのですが、
まあ、これも雑念か・・・。
 
花見の時には、
友人と酒でも酌み交わしながら花見三昧がいいですね。
 
 
今日(4月4日)は第1週。
 
 
読書会は、齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。
 
 
テーマは引き続いて「俳句」です。
 
俳句と和歌を比べて次のような文が、
 
(俳句には)本来、滑稽味があるからといって、
芸術性が損なわれるということはない。
シェクスピアにも喜劇が多いのは周知のとおりだ。
よく忘れがちになるが、むしろユーモアというものは、
芸術性にとって重要なファクターなのである。
 
確かに和歌などは、滑稽味があまりに合わない。
主に雅な恋愛がテーマで、自分の心情を吐露したものが多いからだ。
 
なるほど、こんな見方が出来るのですね。
 
次はお茶の時間です。
今日は前半が森本さん、後半が高貫さんのお点前でした。
 
お菓子は、小豆こしあん利休
小豆こしあん利休
 
掛け軸は、
両忘庵釈宗活老師の書
 
「雪消山骨露 ?求月自来」で、
?が読めません「他」でしょうか。
 
禅林句集で、
「雪消山骨露 雲出洞中明」という語を見つけましたが、
すこし違うようです。
どなたかまた教えてください。
 
 
花は、椿と花ずおう。
椿と花ずおう
尾山さんが持ってきてくれました。
 
この後は、いつものとおり、
1炷香(45分)坐り(座禅し)ました。
 
 
ここで新しい試みをしました。
各人の姿勢をデジカメで写して、
静座後自分で確認してもらいました。
 
自分で姿勢をチェックすることはなかなか出来ないので、
その場で自分の姿勢を見られると効果覿(てき)面でした。
 
「あれ、こんなに背中が伸びてないのか」、
「あごが引けてない」、
「下を向きすぎている」。
それぞれ反省です。
 
 
来週は、
多くの人が房総坐禅道場の摂心へ行くので禅と茶の集いはお休みです。
 
次回は4月18日(金)、
午後6時から5階和室です。
 
どうぞおいでください。
お待ちしています。
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。

---
御軸は
「雪消山骨露 池求月自来」
と拝読いたしますが、いかがでしょう?

合掌 惟然
◇今回は“段取り”、“真剣”、“尻拭い”の“尻拭い”(後片付け)について、
特に摂心円了(*1)後の懇親会の後片付けについて記してみたい。
 
私の持論は、
後片付けはすでに懇親会メニュー作りから始まっているということである。
 
基本的には、
人数に合わせてなるべく残り物が無いようにすること。
 
どうしたら残り物が少なくなるか工夫を要するところである。
 
懇親会は基本的に酒が出るので、
酒のつまみ的なものを中心に、
なるべく食が進むように工夫する必要がある。
 
 
◇本部道場(*2)の場合、
全国からつわもの達があつまるので真剣勝負である。
 
メニューと共に大事なことは、
オードブル的に何種類か用意して、
なるべく取り皿を使って自分が食べる分だけ取って食べるようにすること。
 
これは20年程前四国4県をぐるっと回った旅行で、
土佐の皿鉢料理にヒントを得た。
 
そして料理が全て無くなったときのために、
乾き物を用意しておくこと。
 
それでも料理が残ったら、
本部道場の場合居士寮(*3)にテーブルを用意して、
残った料理を集めて飲み足りない人に、
後片付けの協力(?)をしてもらっていた。
 
 
◇懇親会が終わった後の後片付けも、
典座長(*4)もしくはそれに変わる人が必ず指揮すること。
 
指揮する人がいるといないとでは、
その後の流れが全然違ってくる。
 
その流れの中で私の場合は、
食器洗い等は皆にやってもらい、
自分はなるべく全体を見て指揮し、
典座寮(*5)の外に出て、
空き瓶・空き缶・ダンボール等の整理をやることにしていた。
 
そのうち遠くから来られた道友、老師(*6)方が
典座に挨拶して帰って行かれる。
 
“鉄心さん!ありがとう”と・・・・。
 
このような言葉を掛けられると嬉しくて、
又次頑張ろうという気になったものである。
 
 
◇ある程度後片付けが終わったら、
最後まで残って協力してくれた人達を慰労する意味で、
残ったお酒で乾杯して解散することを常としていた。
 
私の場合道場の近くに住まいがあった関係で、
その後は一旦引き上げて翌日とかに行き、
最後の点検をして、
典座寮の床の雑巾がけをしてから合掌して終わりとしていた。
 
ここまで徹底してやらないと、
次につながらないような気がしていたからである。
 
以上で『典座を経験して』のブログを、
ひとまず終わりとします。
 
合掌
 
平成26年4月4日   鉄心記
 
---
編者註(サブタイトルも)
 
(*1)摂心円了:摂心会を終えること、ここでは円了茶礼のこと。最終日を指すこともある。
 摂心会では一週間泊まり込みで本格的に坐禅(座禅)をする。
 (一部の参加でも可、問い合わせください)
 
(*2)本部道場:人間禅本部道場 場所は 京葉道場 に同じ
 本部道場の摂心会は毎年5月と9月に厳修される。別に各支部の摂心が年3回程度。
 
(*3)居士寮:居士の居室という意味だが、茶を飲んだりする広間。
 
(*4)典座長:典座は坐禅道場における調理担当の役位。典座長は古参の者から任命される。
 
(*5)典座寮:調理場
 
(*6)老師:人間禅では、公の場合、総裁・名誉総裁および師家を老師と呼ぶ。
 師家は、総裁老師が師家分上の境涯の者の中から任命し、摂心会ならびに参禅会を主宰する。
 人間禅では、自分勝手に老師を名乗ることはできない。
 
合掌
惟然 拝
先日(28日)の『禅と茶の集い』では
静坐の後、太田先生のワークショップ(話と実習)がありました。 惟然
 
6階の和室は、
入り口がワンルームマンションのドアと同じだったので、
狭そうな印象でしたが、
入ってみると広く、
すでに10人ぐらい坐って(座禅して)いました。
 
入り口に座布団が置いてなかったので、
そのまま入っていくと、
聖侍(*1)の女性の方が、
押し入れから座布団を出してくださいました。
 
予定以上の人数なのかと思いました。
 
私も、直前に参加できることになり、
連絡していませんでしたので、
申し訳ありません。
 
その後も入ってきた方が何人かいましたので、
自分だけが原因というわけではないことがわかり
ほっとしました。(これは雑念!!)
 
 
非常に体が大きい方が入ってきてうまく坐れない様子だったので、
助警の義存さんに、私が見ましょうかと仕草で合図をすると、
縦にうなずきました。
 
この方は、足は長く両膝とも座布団からはみ出し、
足は太く半跏趺坐(片足を上げるの)も難しい感じでした。
 
先ず、尻の下の座布団を高くして、
両膝にも体重が乗り、腰が入るようにして、
肩を引くようにすることで、肩の上に耳がのるようにあごを引くように
(背骨のS字ができる様に)しました。
 
手が浮いているので、足に乗せ(安んじ)、
手の形(法界印定)を作りました。
 
最後に、頭が下に傾くので、
顔を真正面に向けたまま、視線だけ畳1mの所に落とすようにしました。
 
後で聞くと、2回目とのことなので、
なおさら丁寧に見られてよかったと思いました。
 
(まだまだ指導力が足りないと思っています。)
 
 
私は坐相を正す指導を厳しいとは思っていません。
 
私は坐相を正されることはありがたいことで、
これこそ親切だと思っています。
 
それは、坐相を乱して泥沼の様になった経験があるからです。
 
坐相のゆがみは、本人自身では絶対に気が付きません。
 
できれば自分の坐相を丁寧にチェックして欲しいと思ってるぐらいですから。
 
 
後半は、
太田(深達)先生のワークショップでした。

(腰の入り方とお腹のツボの関係の説明)
 
ただ、話を聞いて終わりではなく、
実際に体を動かしたりして体験(体感)してみるのが特徴のようです。
 
この日は、
坐禅(座禅)の姿勢や呼吸についてでした。
 
ツボや内言語との関係で説明し、実習しました。
 
いずれの内容も自分が感じていること同じでしたが、
こういう説明の仕方もある(そういう関係もある)ということがわかりました。
 
実際のツボの位置を押さえて、痛いのを確認したりもしました。
 
先生は見て回り、分からない人には、
先生が直接押して確認していました。
 
女性もいましたが、
医師の資格をもっているからできることだと思いました。

終わってから、
食事をしながら太田先生に聞くと、
このワークショップは続けられる限り、毎月続けたいと話していました。
皆さんも是非どうぞ。


ところで、私は、最近、
坐相と首の骨や腰の骨のゆがみとの関係を気にし始めています。
 
実際に矯正してみて、坐相が正せるか、
その結果、坐禅の効果があがるか、
確かめられるなら、やってみたいとも思っていますが、
医師等の資格がないので、他人で確かめることができません。
 
そういう資格をお持ちの方に、
是非研究してほしいと願っています。
 
合掌
惟然 拝

(*1)正面の反対側に坐り、静坐中の出入りの許可をする役位。
 いい陽気が続き、たくさんの花が開き
一気に春がやってきました。 惟然
 
(ミツマタ)

ところが、今日に限って天気が思わしくありません。
佐倉マラソンに参加した道友(房総支部会員)の二人は、
どうしているのだろう。        
 
本日(30日)の日曜静坐会、静坐会の参加者は18名でした
そのうち禅子(女性)が2名でした。
9時から45分間の静坐(坐禅・座禅)の中ごろに、
直日(支部長)から
輝雲さんと私に全員の坐相を見るように
指示がありました。

警策を手に、
それぞれ一列ずつ担当し直させていただきました。
 
私は
坐禅の効果は正しい坐相によりはじめて現れる
と確信し始めています。

足が痛くなるのも、
雑念が止まらなくなるのも、
眠くなるのも、
全て坐相の乱れから。

ですから、
初心者には、はじめから正しい坐相を身に着け、
誤った癖をつけないことを願っています。

坐相を正そうと意識すること
足が痛くなるのも、雑念が止まらなくなるのも、眠くなるのも、
はじめて改善されるのですから。
(ボロボロになった経験があってはじめてわかったこと(涙)です。)
 
まわっていくと、最後に、
「キョウサクをおねがいします」と合掌した方がいました。

私が、「どこかが痛いのですか?」と聞くと
「いいえ」と答えました。

さらに、「眠いのですか」と聞いても
「いいえ」と答えました。

そして「キョウサクでひとつビシッと」とおっしゃったのですが、
私は「そんなものではない。(+α)」
といって叩かずに
警策を置いて自席にもどりました。
 

この日は、摂心会を来週に控え、
午前中は準備作務をしました。

11時すぎに雨が強く降り始めたところで、終了しました。

合掌 惟然
昨日(28日)、『禅と茶の集い』に参加するために
本当に久しぶりに、
千葉中央コミュニティセンターに行きました。惟然
 
コミュニティセンター6階
中央コミュニティセンターに行くのは、本当に久しぶりです。
もうあたりは暗くなっていたが、
千葉都市モノレールに乗ったので楽ちんでした。
 
さて、
暗いコミュニティセンターを、エレベータで6階に上がると、
冷たい廊下には、左右に部屋がならんでいる。
ここで良かったのかと心配しながら歩くと、
『禅と茶の集い』と掲示されたドアを発見しました。
 
物音ひとつなく、静だったのですが、
靴がいくつも並んでいました。
中に入っていくと、線香の香がします。
7時を過ぎていたので、
もう、静坐(坐禅・座禅)が始まっていることがわかりました。
 
コミュニティーセンターには、
30数年前に学生だったときに、
合唱の練習に通ったことを思い出します。
 
千葉大のオーケストラが
定期演奏会でベートーベンの第九交響曲(合唱付き)を
演奏するために合唱団員を募集したのに応募しました。
 
その頃は、まだモノレールはありませんでしたので、
千葉駅から歩きました。
(開業は1979年です)
 
最後に行ったのは、
30年ぐらい前に手話関係の行事に参加したとき
だったと思います。
モノレールは開業していましたが、
車を運転するようになっていましたので、
市役所の駐車場に止めたと思います。
 
初めて行ったのも、学生時代。
白田貴郎千葉大学教授(倫理学)の講演があるのでと
誘われ(動員され?)ました。
千葉大禅の会の顧問の先生でしたので。
 
演題が何だったのか、
どのように行ったのかは全く覚えていません。
ただ他の人に、ついていっただけだったからだと思います。
 
千葉市の市民講座か何かの講座も兼ねていたようでした。
和室だったと思います。
黒板に大きく『道』と書き、「『路』はたくさんあるが『道』は一つ」
というようなお話をされたという印象が残っています。
 
(続く)
 
坐禅と座禅について:
『坐』:すわること  『座』=『坐』+『广』(家):すわる場所
残念ながら『坐』が常用漢字にないので、今の学校教育では『座禅』と教えてますが、本来は『坐禅』です。
このHPでは、それを理解した上で、『坐』と『座』を混在して使用しています。  
『禅』には『静中の工夫』と『動中の工夫』があり、『坐禅』は前者なので『静坐』といいます。 
合掌 惟然
禅と茶の集いに行く前に、
桜の花が見たくてコミュニティセンターのすぐ近くの公園へ寄り道しました。
まだ三分咲きくらいだったでしょうか。
満開になる前、
桜の木全体がうっすらとまさに桜色になっている姿が好きです。
来週はお花見でたくさんの人が夜遅くまで訪れるでしょう。
 
 
今日(3月28日)は4週なので7時からまず静座です。
うれしいことに、
冬に入ってからなかなか会に参加できなかった人が何人か見えました。
冬眠から醒めて春と共に再活動でしょうか(微笑)。
 
 
また、
このHPやブログの編集長役を引き受けてもらっている林(惟然)さんが顔を見せてくれました。
遠路はるばる来ていただいた上に、
さっそくまだ始めたばかりの人の姿勢をチェックしてもらいました。
 
かなりきめ細かく指導してもらったのですが、
この方はまだ足もうまく組めていない状態なので、
「あまり厳しくしないでね」と言いそうになりました。
 
でも、指導してもらっている新到の方も熱心に聞いて、
正しい姿勢を身につけようとしていたので、
新しい目で指導してもらってよかったなと思いました。
 
 
8時からは、太田先生のお話です。
前回も紹介しましたが、「調身調息の技法を応用したストレスコーピング」の続きです。
 
ここのところ、新しく来てくれる方が続いていたので、
毎回最初から話をしていただいていたのですが、
それでは話が全然前に進まなくなってしまうので、
今日は次の段階へと進みました。
 
体の部分(経絡)と呼吸をうまく合わせることで、
深い座禅へと導くワークショップなのですが、
これは会に来て実際に体験しないと全く分からないと思うので(大体体験は言葉にできない)、
これ以上は書けません。
 
ちなみに太田先生は精神科のお医者さんで、
東洋医学にも精通している方です。
 
 
さて、夕刊でちょっと気になる記事がありました。
学力検査で、家庭の年収や塾にかける費用、親の学歴などが、
子供の学力に関係があるという記事です。
 
なんとなくそのような気はしていましたが、
全国的な調査・分析ではっきり確認されたとのことです。
社会的な格差の是正が必要だとの指摘がされたようですが、
少なくとも誰でもが同じスタートラインに立てるようにしないといけないですね。
 
 
ここから座禅の話になります。
座禅を始める(続ける)に当たっては、
年収も学歴も全く関係はありません。
もちろん性別も年齢も。敢えて言えば宗教も。
 
全員が同じスタートラインに立ちます。
なにしろみんな初めてやるわけですから。
 
禅について人に聞いたり本で読んだりすることはもちろん否定はしませんが、
実際に自分が足を組み背筋を伸ばし姿勢を正しくしようというときに、
知識は役に立ちません。
 
もちろん静坐中に、
自分の経歴や社会的地位などのことが頭に浮かべば、それらはすべて雑念です。
仕事のことでいいアイデアが浮かんだとしても、それは雑念。
静坐中は連想を遮断します。
と簡単に書きましたが、これがなかなかできません。
まあ、できないから座禅をするわけですが(笑)。
 
禅について見たり聞いたりするのと、
体験した後では認識が全く変わると思います。
そしてそれを続けるかどうかはその人次第ということになりますが、・・・。
 
興味がある方は、
まずはきちっとした静坐会で座禅を体験してみてください。
本を見て、
自己流でやるのはやめたほうがいいです。
多分100パーセントの人が、正しい姿勢を身につけられません。
 
というわけで、
よしやってみようという方、冷やかし半分の方も、
一度は「禅と茶の集い」や房総坐禅道場へお越しください。
 
多分、今まで覗き見も出来なかった世界が広がっています。
お待ちしています。
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。

3月23日快晴
春本番といった日曜静坐会(坐禅・座禅会)、
参加者は15名でした。
 
 
2週間後には、8日間に及ぶ本格的な修行:摂心会が始まります。
 
私が5年ほど前に摂心会で初めて任された役位は、
道場内に時刻を知らせる合図係でした。
 
朝5時の起床、
朝食、
作務の開始・終了、
昼食、夕食、
10時の開枕(就寝)と
 
係員で交替しながら、板木(ばんぎ)を打ちます。
 
打つことに集中していないと、
打つ数を間違えることになります。
 
板木の音によって道場が動きはじめる起床の合図
 
後になって知るのですが、
最後の一打で、
侍者は隠寮の玄関をガラガラッ・・・
と開け、
老師に「おはようございます。」
 
・・・
 
こうして摂心会の1日が始まります。
 
合掌 無端
今回「典座ブログ」ではなく「里山ウォーキング計画」について、
支部長の賛同を得ましたので紹介したいと思います。
 
きっかけは昨年暮れ、
佐倉印旛沼の辺をジョッギング中休憩所にて、
『里山ウォーキングマップ』というものを手に入れたことです。
 
この地図はウォーキングするのに最適な地図で、
なかなか手に入らないものと思われます。
 
これを元に、
房総道場を拠点にした「里山ウォーキング計画」を思いつきました。
 
現代は車社会で、普段歩くという基本的なことを忘れがちです。
 
この計画が皆様方のお役に立てれば幸いです。
ご意見をお寄せください。良ければ私が責任者で実施します。
 
H26.3.22 鉄心 合掌 
 
 
“里山ウォーキングand禅”計画について
 
◇概要
日曜静坐会(坐禅・座禅)とセットで、豊かな自然に恵まれた房総道場を拠点にして
“体力増進と歩く禅”をテーマに、
1時間半~2時間のウォーキングを行う。
 
◇基本スタイル
各自リュックに弁当・飲み物を持参の上、
道場を10時半頃出発し、
1時間~1時間半くらいのウォーキングの後昼食、
昼食後近くの駅までウォーキングして解散とする。
 
◇実施回数
気候の良い春と秋
年2~3回
 
◇第一案
5月連休明け
道場~川村美術館~旭鶴酒造~小篠塚城址~JR物井駅
 
ご意見等は問い合わせフォームにて
今日(3月21日)は「禅と茶の集い」はお休みなので、
「禅と茶の集い」で発行している機関紙「松風(しょうふう)」
からのエッセイを紹介します。 
 
 
 茶とチャイ
 
 僕はこの「禅と茶の集い」で、初めてお茶というものに出会った。この
会に最初に参加した時に、お茶の飲み方がよくわからずにまごついたこと
は今でもよく覚えている。
 ところで、せっかくこの会でお茶と縁ができたのに、僕はお茶の世界に
はまだなじめないでいる。それは、僕が以前にもうひとつのお茶の世界と
強烈に出会ってしまっているからかもしれない。茶道の入り口にも立って
いない僕には、お茶のことを語るすべもないのだが、僕には僕のお茶の世
界がある。いや、僕の場合はチャイの世界だ。
 
 インドを旅した時のことだ。僕はタージマハールを見た感動を胸に抱い
て、アグラからベナレス行きの汽車に乗った。汽車が比較的大きな駅に着
くと、必ずチャイ売りがやって来る。チャイはミルクと砂糖のたっぷり入
った紅茶だ。周囲の人たちにならって、僕もさっそく飲むことにした。汽
車の中で飲むチャイには、また格別の味わいがあった。
 僕がチャイを飲み終わった後、そのチャイの入っていた器をどうしよう
かと思いまごついていると、前の座席にいた中年のインド人が黙って窓の
外を指差した。はじめは彼が何を言おうとしているのか見当もつかなかっ
たのだが、どうもその器を外に捨てろということらしい。
 日本の駅で売っているお茶の入ったポリ容器なら、なんのためらいもな
くゴミ箱に捨てられるのだが、その赤茶けた素焼きの器にはなんともいえ
ない味わいがあった。
 僕がまだまごついていると、披は、
「土から造ったものは、そのまま土に返すんだ」
と言って、ポーンと器を窓の外に放り投げた。僕はインドで数日を過ごし
ていたのだが、この時初めてインドと出会えたような気がした。
 僕もボーンと器を放り投げた。そしてやっと、チャイの入っていた器の
色と、インドの大地の色がまったく同じだということに気がついた。
器は大地の中に吸い込まれていった。
 
 ガンジス河のほとりで、ブッダガヤで、ヒマラヤの懐に抱かれて、僕は
チャイを飲んだ。一杯のチャイはどれほど僕の心と体を慰めてくれただろうか。
 インドやネパールの旅にチャイは欠かせない。大地はいつも僕たちにチ
ャイを恵んでくれる。大地そのものが、「さあ、チャイでもどうぞと語
りかけてくれているようだ。
 僕はチャイを飲み、大自然と僕自身を味わった。
 僕と大自然は、一杯のチャイで、そこに在ることを分かち合った。
 
 インドのチャイを心から愛している僕としては、お茶の達人の千利休さ
んもぜひ、ヒマラヤでも眺めながらチャイを一杯味わっていただきたい。
 静寂の中で湯の沸く音に存在の詩を聞きながら飲むお茶と、インドで旅
に疲れバニヤンの木陰で飲むチャイとを比べるすべはなく、またその必要
もないのだろうが、どちらにしても心から味わって飲めればそれでいいよ
うな気がする。
 
今日も一杯のお茶を飲めることに感謝します。
 
合掌 義存
 
1983.6.10発行の『松風第4号』に摘載したものを一部校正
 
「禅と茶の集い」ではおいしいお茶がいただけます。
どうぞお出かけください。
 
次回は3月28日、7時から、この日までは6階の和室で開催します。
 
 8時からは精神科医の太田先生の「調身調息の技法を応用したストレスコーピング」
 のワークショップです。
 
 義存 合掌
「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。
 
禅の生死観 一生死をどう生きるか一 より
 
○禅者の生死自在の消息
 
昔、禅僧の死は、
立ったままの立亡や、
弟子に抱きかかえられて辞世を書かせられた座亡があったと聞く。
 
一方、禅の道の先覚者の生死の自在の消息も多く残されている。
 
ありのまま自然の、
生死にとらわれない、
むしろ生死を超越した生死。
 
鍛えあげた生涯の姿である。
 
 
①大力量の馬祖道一禅師は、
山中の盗賊に首を斬られての末期、
禅師は三里四方にも響くほどの大声で泣き叫んだ。
 
平素「平常心これ道」と口ぐせに唱えておられたという。
 
 
②耕雲庵老師は
入院中激痛に際し、
「苦しい時はうんうん唸ればいいね」と洩され
事実大きい声で苦しまれた。
 
後年、
暁方自室の布団の中で大往生を遂げられた。
 
 
③良寛和尚は
自らの静かな生死と重ね合わせるように
「裏を見せ 表を見せて 散る 紅葉」
とありのままの紅葉を詠った辞世の秀句を遺こされた。
 
 
④白隠慧鶴禅師は、
「死ぬ時は死ぬがよろしく候」と淡々と常々の死の心構えを生きた。
 
 
⑤至道無難禅師は、
「なにもおもはぬ物からなにもかもするがよし」
につづけて、
「生きながら 死人となりて なりはてて 思いのままに するわざぞよき」
と、生死自在に生きる生き方を詠んだ。
この歌の心は、
涅槃経の「諸行無常 是生滅法‥‥」
の句意によるという。
                      
 
⑥妙心寺を創始した関山慧玄は、
日常
「わが這裏(内)に生死なし」
と機鋒するどく生死を超越した語を遺し、
旅姿で立亡した。
 
 
⑦「生死到来の時 如何」と問われた大随禅師は、
「茶に遇うては茶を喫す、
飯に遇うては飯を喫す」
と答えた。
 
生死の存亡に逢った時どうするかと問われ、
ケロリと茶を出されれば茶を飲み、
飯を出されればそれを頂く、
まさにあるがままの日常の営みを答えた。
 
今当面することに真向う。
 
これをおいては生死を生きることにならない。
 
生死自在の至言である。
 
 
生きることの有難さを切実に感じる年齢になった昨今、
禅に導かれた人生の幸運を喜ぶ。
 
足腰の不自由は不自由として甘受しつつ、
自由に在ることの尊さは、
恐らく禅を知らなければ得られなかったと思う。
                                                                                                                           l
(了)
----
この稿は、
平成17年1月、房総支部摂心会における故緝煕庵慧純老禅子の法話の内容に
ご自身が若干加筆修正した一文です。
(改行は惟然)
 
摂心会は、本格の坐禅(座禅)の会で、人間禅の各道場では年3回厳修されます。
 
原則として毎晩、老師による提唱(講本をもとにした説法)があります。
日によっては、老師の命により布教の職分にある方による法話となることもあります。
 
日程等はご確認ください。
Copyright © 2013 人間禅 房総坐禅道場 (Powered by ImpressCMS)