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房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

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  四街道市吉岡1010

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房総ブログ - 最新エントリー

今日から、禅体験セミナーで、
禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載します。
 
今回の禅体験セミナーのテキストである『坐禅のすすめ』では、
禅と家庭生活、禅と職業という項目がありますが、
これは後で読んでいただくとして、実際の生活に即したことをお話します。
 
簡単に自己紹介をさせていただきます。
昭和24年8月生まれですので、現在64歳です。
生まれは群馬県で、18歳で千葉に出てきて、
それ以来35年以上は、千葉に住んでおります。
60歳で定年し、現在は、四街道坐禅塾で、坐禅中心の生活をしています。
 
禅には、無功徳という大変有名な言葉がありますが、それはしばらく忘れて、
-仕事や家庭生活が禅でどう変わるか- という副題にそって、
禅によって得られた功徳なり、効果のことについて話します。
 
まず、禅との出会いですが、
中学校3年生の冬休み前に、ある先生から
「冬休みに、坐禅会を中学校の柔道場で朝7時からやるので、
やる気のあるものは、座布団を持って集まるように」
と言われ、興味本位で参加しました。
1学年200名くらいの学校でしたが、20名くらい集まったと思います。
なんとか年末の1週間、毎日、坐禅に通いました。
 
中学校を卒業して、高校生になりましたが、先生が呼びかけて、月2回、日曜日の朝に、公民館で、坐禅会をやり2年間続きました。
私が今も坐禅中心の生活をしているのも先生の影響だと思っています。
 
2度目の禅との出会いは、それから5年後でした。
 
18歳で、工業高校を卒業し、千葉県の市原市にある化学会社に就職し
働き始めました。
その後、仕事をしながら受験勉強をして、4年後に千葉大学に入学しました。
大学には、勉強するために入ったわけですが、
4年間の仕事をした経験で、勉強ができても、精神的に弱いと、
自分で自分に負けてしまい、最終的に良い仕事はできない
という感じがしていました。
 
精神面を強化するために、以前やったことがあった禅を
もう一度やろうと思っていたところ、
たまたま、入学案内に、千葉大学には、禅の会があるのを知り
入学してすぐに禅の会の門をたたきました。
それから毎日、朝7時45分から45分の坐禅をし、
そのあと授業に出ました。
 
そして、学生のための坐禅の塾である四街道市大日の総北五葉塾
(現四街道坐禅塾)に、48年4月に入塾しました。
その後、中途半端に坐禅をしていては、何も得られないという危機感もあって、それこそ、清水の舞台から飛び降りるつもりで、
48年7月に、磨甎庵白田劫石老師に入門しました。
 
昭和51年3月に大学を卒業し、同時に総北五葉塾も卒業して、
山口県の岩国市にある会社に入社しました。
 
1年目から、会社で休みを取り、千葉で開催される摂心会に参加していました。
53年7月に、内田智鏡、慧純ご夫妻の仲人で、見合い結婚をし、
それから、60歳で定年を迎えるまで働き今に到っています。
 
本人としては、仕事と家庭と禅をバランスよく行ってきたつもりです。
そんな訳で、今回の話題である「禅のある人生」という
話題提供者になったのだと思います。
 
続く
 
義存 合掌
 
 「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。
 
梅雨入りしたばかりというのに、前夜は激しい雷雨でした。
 
本日(8日)の日曜静坐会の参加者は17名でした。
 
雨の上がった玄関まわりは、緑一色です。
 
 
 
トマトは、小川農園(会員)の朝取り。
有機栽培で、口に頬張ると、甘さが広がります。
今、次々となって、大わらわだそうです。
 
鉄心さんの手づくり味噌は、仕込んでからちょうど半年
なめてみると甘い。
『江戸甘味噌』だそうです。
 
仕込みには参加していませんでしたが、
分けていただきました。
 
少し写真を撮って、から帰ろうとすると、
鉄心さんがタケノコ(真竹)をくれました。
道の下の竹藪にはえていたそうです。
 
家に持って帰ってから、圧力釜で茹でて、
タケノコご飯にて、おいしくいただきました。
 
合掌
惟然 拝
関東地方も入梅し、外はかなりの雨が降っていました。
先週来られた方が、続けてきてくれるか少し心配でしたが、
ほとんどの方が続けて出席してくださいました。
 
禅体験セミナーは、今日(6月6日)で2日目です。
 
今日のテーマは、
禅のある人生。―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
です。
 
このテーマについては、また明日から少しずつ紹介します。
人生経験も禅の経験も豊かな講師による話だったので、
皆さん真剣に耳を傾けてくれました。
 
今日の坐禅(座禅)の様子です。
 
 
1回や2回で正しい坐禅の姿勢を身につけるのは難しいと思います。
助警(じょけい・姿勢を正す係)が一人ひとりの姿勢をチェックし、
正しい姿勢をとれるように親切に指導します。
いわゆる坐禅の足が組めない方には、
日本坐やイスを使っての坐禅をすすめています、
背筋を伸ばしてあごを引き
正しい呼吸をすることのほうが大切です。
 
前回と比べて皆さん少しずつよくなってきました。
中には、とても2回目とは思えないような
素晴らしい姿勢をとることができる人もいて
こちらがびっくりするくらいでした。
 
来週まで、一日に5分でも10分でもいいので
家で坐禅をしてみてください。
 
念のため、来週の予定を紹介しておきます。
来週6月13日(金)のテーマは、
禅と健康
―心身の健康に基づく生き生きとした人生の送り方―
です。
現役の医師よる話なので、どうぞお楽しみに。
 
続く
 
義存 合掌
 
 「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
坐禅の後、いくつか質問がありましたので、紹介します。
 
Q: 私は、夜よく眠れないのでここに参加させてもらっているのですが、それでもいいのですか。
A: かまいません。来週は「仕事や家庭と禅」、次の週は現役の医師が「健康と禅」に関する話をしますので、また質問してください。
 
Q: すべてのものの中に、人間と同じような命が宿っているという話がありましたが、本当ですか。 
A: 坐禅をして、自分の本心本性を悟るという体験をすると、いわば宇宙の命が、すべてのものの中にあるということを直感できます。
   たとえば、お米一粒をとっても粗末に扱うことはできなくなりますよ。
 
Q: 小さい虫が体にとまってきて、気持ちが悪いときたたいて殺してもいいのですか。
A: う~ん。難しい質問ですね。
まず、その虫にも先ほど言いましたように私達と同じ宇宙の根源的な命が宿っていることには間違いありません。
   殺すという言い方はしませんが、食べ物を食べるということを考えてみましょう。
何らかの形で、相手の命をいただいていることになります。
ですから、その命に対して感謝の念を持っていただくという気持ちになります。残したらもったいないというよりはもう少し深い気持ちでしょうか。
   虫の話ですが、坐禅道場の禅堂にセミやカマキリなどが入ってきたときは、タオルでくるんで外に出します。
   小さい虫や蚊がとまった時は、私はたたいてしまいますね。
   差別しているかもしれません。
答えになっていなくてすいません。
   
Q: アンパンマンの話ですが、答えはアンパンマンのアニメを見れば分かりますか。
A: えっ! あれは、あくまでも自分自身に対して問いかけてみてくださいという話ですから、アニメを見れば答えが出るわけではないと思います。ヒントはあるかもしれませんが・・・。
できれば、ご自身の問題としてとらえてみてくれませんか。
 
 
たまたま、私が答えたのですが、正解ではないものもあるかもしれません。
 この答えは、個人的なものです。
今回で、「禅とは」というテーマで話したことに関するブログは終了です。
 
 禅体験セミナーは、まだ続きます。
 関心がある方は、ご連絡ください。
 
義存 合掌
 
 「禅と茶の集い」
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
釈尊の生涯や禅について少し硬い話となりましたが、
残りの時間でアンパンマンのマーチを取り上げてみたいと思います。
 
 アンパンマンのマーチから抜粋   作詞:やなせたかし
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ
 
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ
 
幼児向けのアニメの歌とはいえ、あなどることなかれ。
とても深い意味がある歌詞だと思いませんか?
改めて読んで、この問いに
正直に自信を持って答えることができるでしょうか。
これは人生に対する根本的な問いかけだと思います。
 
釈尊が、周りからみれば恵まれた環境にありながら苦悩し、
自分が生きるということは何か。
本当のしあわせとは、よろこびとは何か。
そういった疑問を持って道を求めた、まさにその疑問だと思います。
 
やなせさんの追悼番組を見たときに
今話したことを思いついたのですが、
やなせさんは、自分の戦争体験や飢餓体験などを踏まえて
アンパンマンを描いたようです。
ご自分の若き日の過酷な体験を踏まえて、「生きる」ということと
真正面から向き合っていたのだと思います。
「手のひらを太陽に」の作詞が
やなせさんだということも知り納得しました。
 
この問いに答えるためには、自分自身の内側に向かって
問いを発するしかないと思います。
 
そのためには多分いろいろな道があるし、いろいろな出会いがあると思います。
禅だけがその道ではないと思いますが、
一つの有用な道であるということは、責任を持って言えます。
 
後で考えようなんて思っていると、
 
時は はやく すぎる
光る星は 消える
 
ということになりかねませんので、ご用心、ご用心。
 
もちろんこれもアンパンマンのマーチの歌詞の一部ですよ。
(You Tubeで歌も聴けます)
 
続く
 
義存 合掌
 
 「禅と茶の集い」
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
セミナーでは、禅の特徴について配布資料に基づいて話しましたが、
ここではより正しいものとするため、
参考にさせていただいた本から直接引用させていただきます。
少し難しいかもしれません。
 
禅定三昧こそは釈迦の悟り、さらにいえば仏教のそこから生まれ出た母胎だと断じてよい。
したがって、釈迦の悟りをわがものとし、釈迦の真精神に生きようとするならば、
戒律や智慧もさることながら、釈迦と同じく坐禅し、釈迦と同じく禅定三昧に入るのが、
最も確実な道であることは、見やすい道理である。
禅とはこの道理の上に立って、釈迦と同じく坐禅し、釈迦と同じく禅定三昧に入り、
その三昧の力によって釈迦と同じ悟りを開き、
その悟りに即して、この人生を生きることを教える教えだ、と一応定義してよいであろう。
釈迦の死後、その弟子達によって経典が結集(けつじゅう)され、
それを土台に展開された仏教の教学は、その体系の壮大さといい論理の緻密さといい、
まことにおどろくにたえたものである。
しかし経典はみな、禅定から生まれた智慧の表現にすぎない。
しかも釈迦の開いた悟りそのものは、絶対界の消息であり、文字どおり言語道断で、
千万言を費やしてもついに説きあかすことのできないものである。
悟りは自ら禅定三昧に入って、実地に体得する以外にないもの、
いわゆる冷暖自知するほかないものである。
(禅入門 芳賀幸四郎著 春秋社)
 
今や世界の多くの人々は、真実の己にめざめず、自分の信仰や世界観や利害の対立の中で、
正しい人間の道を見失い、あるいは底なしの闘争や、あるいは細かい専門の袋小路に入り、
あるいは自堕落な享楽にふけって、真の理想と希望のない生活にあえいでいるのが実情である。
禅は、多くの宗教の中で、神秘的教義や信仰を立てず、霊魂や死後の世界を語らず、
真実の本心をよび覚ます道を直指する。
それは、科学をほんとうの姿によみがえらせ、社会の現実の営みのただ中にあって、
正しく・楽しく・仲のよい世界建設のための正しい道を開示するのである。
まことに禅こそは、現代のための宗教といえる。
(坐禅のすすめ 内田昭夫編)
 
続く
 
義存 合掌
 
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
前回は、釈尊が悟ったところまでお話しました。
 
ここで話が終わらないのは、釈尊が悟りの体験を自分ひとりのものとはしないで、
その後、亡くなるまで約45年間にわたって教えを説き続けたからです。
釈尊が何も語らずそのまま亡くなっていれば、仏教は後代に伝わってはいません。
 
最初は、苦行を共にしていた5人の仲間のところに行きました。
5人は釈尊の教えを聞いて弟子となりました。
ここから仏教が始まったという見方ができます。
 
このあとも、釈尊は各地で教えを説き続けたので、
帰依する人は増え出家者だけではなく在家の信者も出てきました。
教団はだんだん大きくなっていったようです。
 
この間のことは省略して、お釈迦様が亡くなるときの話です。
釈尊は教えを説く旅を続けていたのですが、
郷里に近いところで病に倒れます。
信者がふるまったキノコを食べてひどい下痢になって亡くなられたのです。
別に劇的なことは何もなく普通の生身の人間として死を迎えられました。
 
遺言としての言葉は、
 
「自分自身を島とし、自分自身を救いのよりどころとして暮らせ。
ほかのもを救いのよりどころとしてはならない。
法を島とし、法を救いのよりどころとして暮らせ。
ほかのものを救いのよりどころとしてはならない」
(大パリニッバーナ経)
 
そして最後の言葉は、
 
「さあ、修行僧たちよおまえたちに告げよう
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。
怠ることなく修行を完成なさい』と」(同)
 
ざっと釈尊の生涯をたどってみましたが、
皆さんの釈尊に対するイメージは変わりましたか。
 
ところで、
釈尊は自分の教えについて体系的に本を書いて残したわけではありません。
 
釈尊の言葉が弟子達によって語り継がれて(口伝)、
それがかなり後になって仏教の経典(お経)となっていきます。
 
一番古い釈尊の言葉として残っているのは、スッタニパータですが、
それを読むと(岩波文庫ブッダの言葉)、
様々な人の質問に答える形で教えが説かれているものがほとんどです。
 
 
この後仏教は様々な形に変容していきます。
釈尊は神格化されていき、仏像として信仰の対象ともなっていきます。
さらに大乗仏教が成立していくとともに多くの経典が書かれ、
今、日本のお寺に行くとたくさん見ることができる弥勒菩薩や観音菩薩など
多くの「いわゆる仏様」が登場します。
 
日本に入って来た仏教はほとんど中国経由の大乗仏教です。
 
仏教史を話すのが目的ではないのでこのへんでおしまいにします。
 
 
これは私が初めて釈尊の生涯について本で読んだときに思ったことです。
 
それまで仏教に触れ合う機会といえば
葬式をはじめとする法事のときしかなかったので、
無知といえばそれまでなのですが、
 
 
「へえ~。釈尊は実在した人なんだ、修行はしたけど葬式をしたことなんてないんだ。
極楽にいて人を救ってくれるわけでもないし、
何かをお願いするとかなえてくれるという人でもないのか」
 
私の認識もこの程度でした。それから、俄然、釈尊という人に興味を持ちました。
 
古い思い出話になりますが、自分のことを話します。
 
学生時代に全く無目的にインドをふらふらしていたときのことですが(そんな時代だったのです)、
釈尊が悟りを開いたといわれているブッダガヤにも足を運びました。
宿で知り合った友人から、
日本寺では夕方に坐禅の会があるらしいから行ってみないか
と誘われて行ったのが私の初めての坐禅体験です。
世界各国からの旅人がいて、大理石の床がとても冷たかったのを覚えています。
背筋を伸ばすように背骨を押され、あごを引くようにと姿勢をなおされました。
 
それから何年かして、この「禅と茶の集い」で禅と再会しました。
生来の怠け者のせいか正式に入門したほうがいいとの誘いを何年も断り続けたあげく、
やっとの思いで師家(禅の法脈を受け継いだ指導者)について
本格の修行(本格とは言いがたいかも)を始め今にいたっています。
在家の身ですが、釈尊の弟子としての自覚を持ちずっと坐禅を続けていきたいと思っています。
 
続く
 
義存 合掌
 
* 多くの書物を参考にして書いていますが、これは個人的なものであり、人間禅を代表するものではありません。
 
 「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で
取り上げた話題についての続きです。

 
前回は、
釈尊が地位も名誉も財産も妻子も捨てて出家しました
というところまで書きました。
書き忘れましたが、これは釈尊が29歳のときです。
 
今回はその後の釈尊がどうなったかということです。
 
出家したとはいえ、どうしたら苦悩から抜け出せるのか、
その方法がすぐ分かったわけではなかったのでしょう。
 
釈尊は修行者の先達である、アーラーラ・カーラマという人と、
ウッダカ・ラーマブッダという人の下で瞑想について習いました。
瞑想といってもこれまたいろいろなイメージがあると思いますが、
何か一つのことに精神を集中することであることは間違いないと思います。
 
坐禅の仕方とか、ヨガで言う瞑想のポーズとかは
釈尊が独自に開発したものではなく、方法としては以前からあったようです。
 
二人の先生の教えについてはあまりに煩雑になるのでカットします。
 
釈尊は抜群の才能を発揮して、先生のいう境地、
いやそれをも越え境地に簡単に到達してしまったようですが、
釈尊が求める絶対的な心の平安は得られず、老・病・死への不安も消えませんでした。
 
困りましたね。
 
釈尊は次に、苦行の道に入りました。
多分その当時も苦行によって悟りを開こうという人は多くいたのだと思います。
 
とんでもない長い時間息を止めるとか、
1週間どころか何ヶ月にもわたる断食とか、
あらゆる苦行を経験し、
周りの人からは、釈尊は「もう死んだのではないか」と
思われるくらいの修行をしたようです。
パキスタンの美術館に
このときの様子を伝える釈迦苦行像というものがあり、
日本にも来て話題になったことがありますが、
それを見ると坐禅をしている釈尊の頬はこけ、
肋骨の骨は浮き彫りのようになり、
まるで骸骨が坐っているようです。
 
信じられないことですが、
これを6年間続けても釈尊は心の平安を見いだすことは
出来ませんでした。
そして、苦行という選択肢そのものが間違っているということに
釈尊は気づき、苦行を捨てました。
 
釈尊は、まず体の回復をはからなければなりません。
ある村の牛飼いのスジャータという娘さんに
乳粥(ミルクで炊いたお粥のようなものを)をふるまってもらいました。
彼女の名前は、コーヒーなどに入れるミルクの商品名になっていますね。
 
さて、瞑想、哲学的思索や苦行でも心の平安を得られず
悟ることも出来なかった釈尊が
最後に選んだのが坐禅です。
 
菩提樹の下に草を敷いてその上で坐禅を組み
禅定三昧に入りました。
悟りを開くまでは、この場を立たないと決めた
最後のそして覚悟の坐禅です。
 
そして、12月8日の朝、
明けの明星を見て忽然として大悟しました。
35歳のときです。
 
 
ここが問題です。
何を悟ったのか?
 
「一仏成道 観見法界 草木国土 悉皆成仏」
(いちぶつじょうどう かんけんほっかい
 そうもくこくど しっかいじょうぶつ。
テキスト「坐禅のすすめ」の77ページ)
 
いきなり難しい言葉が出てきました。
 
「悟りを開いて(一仏成道)、世界を見ると(観見法界)、
草や木もすべてのものが、そのままで仏である」
 
禅ではこのように伝えられています。
 
配布資料に、「衆生本来仏なり」と書いてありますが
これも同じことで、ここでいう衆生とは、
人間に限らず森羅万象のことを指しているといってよいでしょう。
 
といっても初めてこの言葉を聞く人には、
何がなんだか分からないと思います。
大体「仏」といっても、釈尊その人のことや、
死んだ人のことを思い出してしまうと全然違います。
 
今まで釈尊の生涯を振り返り、
老・病・死などの問題に苦悩した人間釈尊が
最終的に坐禅を組んで禅定三昧に入り悟りを開いた、
というところまで話しましたが、
ここが仏教の原点です。
 
不親切だと思われるかもしれませんが、
悟りの内容そのものは体験的なものなので、
言葉で的確に表すことは出来ません。
 
禅体験セミナーに初めてきたので、
仏教、ましてや釈尊の悟りなんて関係ない、
こんな話を聞きに来たんじゃないと思われる方も
いらっしゃると思いますが、
禅の根底にはこういう背景があるということは、
知識としてでも知っておいていただきたいと思って話しました。
 
続く
 
義存 合掌
 
* 多くの書物を参考にして書いていますが、これは個人的なものであり、人間禅を代表するものではありません。
 
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今朝の静座会も新到者1名を含む20人近くの仲間が集まりました
 
じっとしていても汗ばむ空気の中での座禅(坐禅)でしたが、時折風が禅堂の中を通って行くのがここちよく、気持ちのよい会になりました。
 
新到の方に境内を案内しましたが、夏草が大分伸びてきており、季節の移り変わりを感じます。
 
合掌 道虔
禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上で取り上げた話題について、
シリーズで少し詳しくお伝えします。
 
あなたにとって宗教とはどんなものですかといきなり問われて、
すぐに答えられるかといえば、
ちょっとたじろいでしまう人が多いのではないかと思います。
 
日本人の一般的な生活を省みると、お正月は神社に初詣に出かけ、
お彼岸やお盆のときは仏教徒(宗派はいろいろありますが)になり、
結婚式やクリスマスの時にはいつのまにかクリスチャンになっている人が
かなり多いのではないでしょうか。
 
日本は、宗教には寛容な国ですね。
 
宗教を大きく分けると、
神話的な世界や、自然崇拝、先祖崇拝などその地域や民族に伝わる独特の
いわゆる「民族宗教」と、
仏教、キリスト教、イスラム教のように
誰がいつごろ開いた宗教だとわかる「創唱宗教(世界宗教)」になります。
仏教はお釈迦様(以下釈尊といいます)から始まったので当然後者です。
 
禅はもちろん仏教の一つの宗派で、
時代、民族、国を超えて世界に広まり多くの人が実践しているのは
ご承知のとおりだと思います。
 
さて、
ここでは仏教の原点に戻るという意味もあるので、
釈尊の生涯をたどってみましょう。
その中から「禅」というものが少し見えてくるかもしれません。
 
案外このことを知らない人がいますが、
釈尊は実在した歴史上の人物です。
私達と同じ生身の人間で、
最初からいわゆる仏様だったわけではありません。
 
釈尊は、およそ2500年前、
今のインドとネパールの国境付近で釈迦族の王子として生まれました。
 
季節ごとに違う宮殿があったとかという話もあり、
当時としては大変ぜいたくな暮らしをしていたようですが、
釈尊は悩み多き青年だったようです。
 
どんな悩みがあったかというと、
こんなエピソード(四門出遊)があります。
 
釈尊は、王子として大切に育てられていたのですが、
あるときお城の東の門から馬車に乗って外に出ました。
そこで出会ったのが「老人」です。
釈尊はそれまで老人と出会ったことがなかったのでしょうか。
そこにいた御者にあれは何者かと尋ねました。
御者は、
「あれは老人で、人は誰でも歳をとればみなあのようになるのです」
と答えました。
老いるということは、
王様でも平民でも、金持ちでも貧乏でも必ず避けられない、
自分もやがてはああなるのだと思ったに違いありません。
 
次に南の門から外に出ました。
そこで出会ったのが「病人」です。
ここでもあれは何者かと尋ねました。
御者は、
「あれは病人で、人は誰でもあのように病気になることがあります」
と答えました。
 
次に西の門から外に出ました。
そこで出会ったのは、「葬式の行列」です。
死んだ人を見たわけです。
当然、ここでもあれは何者かと尋ねます。
御者は答えました。
「あれは死人です。人は誰でも最後にはあのようになります。
どんな身分の人でも、何をした人でも最後は必ずあのようになります」。
 
ちやほやされて育った釈尊には
さぞかしショックなことだったのではないかと想像できます。
 
釈尊はここで、
「老」、「病」、「死」という三つの苦悩と出会ったわけです。
しかし、これらのことを踏まえると、
「生まれる」ということ自体が苦ということになります。
四苦八苦という言葉を聞いたことがあると思いますが、
「生・老・病・死」がこの四苦です。(残りの四つは省略します)
 
皆さんは今、
これは釈尊の話として聞いていらっしゃるのではないかと思いますが、
これは他人事ではなく私達人間として共通の苦悩です。
 
さて、まだ北の門が残っています。
釈尊は、そこで「修行者」と出会いました。
釈尊の問いに御者は答えます。
「あれは修行者で、老・病・死の苦しみから抜け出すために
道を求めてすべてを捨てて修行しています」。
 
釈尊は、ここで自分の歩むべき道を見つけたのでしょう。
 
地位も名誉も財産も妻子も捨てて出家しました。
 
続く
 
義存 合掌
 
* 多くの書物を参考にして書いていますが、これは個人的なものであり、人間禅を代表するものではありません。
 
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