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房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

〒284-0032
  四街道市吉岡1010

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房総ブログ - 最新エントリー

今日11月15日(金)は、第3週なので6時からコミュニティセンターの5階和室で例会が開催されました。
20分前に会場に着くと、茶室ではもう茶釜が松風の音を奏でていました。
 
今日の読書会も、齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きです。
今はまだ2章の「歌舞伎」ですから、5章の「禅」まではまだまだかかりそうです。
 
今日印象に残り面白いと思ったところは、
 
歌舞伎には日本人が忘れかけた身体性や品格、行儀のよさが残されている。
この伝統芸能に接することで、改めて日本文化のすばらしさや奥深さを知ることになる。
 
世界中の人が驚嘆するであろう派手さを、世界の中では地味に思われがちな日本人が作り出したという事実を私たちはもっと誇ってもいいはずだ。
 
70年代にアメリカのロックバンド、KISSが派手なフェイスペイントをして一世を風靡したが、日本ではとっくの昔からやっていた。
 
などです。
 
お茶の時間では、今日は尾山さんが欠席のため、掛け軸と花はありませんでした。
お茶は一保堂の「月影」、お菓子は、市川島村の「つぎ橋」でした。とてもおいしくいただきました。
お茶とお菓子に加え、大石さんのお手前ですから。
 
途中から誰か来るかと思いましたが、今日の参加者は5名だけでした。
 
それでも7時半からは、きっちり1炷香坐り(*)ました。
会を終えて、コミュニティセンターの外に出たとき、ちょっと冷たい風が吹いていましたが、坐禅の後の風はいつも心地が良いものです。
 
義存

*コミュニティセンター
:千葉市中央区コミュニティセンター 千葉都市モノレール『役所前』駅下車 目の前

禅と茶の集いのご案内 ←クリック

1炷香坐る=1炷香(45分)の坐禅(座禅)をする

経行(きんひん)、胸に手を当てて歩く禅

禅は蒲団上で坐禅(座禅)する静坐だけでなく、歩く禅もあります。
静坐と静坐の間などで、胸に手を当ててあるく禅を経行(きんひん)といいます。

年末の摂心(接心)は、臘八(ろうはち)と位置づけられ、
特に厳しく、徹宵(寝ないで徹夜して坐禅をする)も予定されます。

その間、経行もあるでしょうから、その部分を紹介します。
『念々正念歩々如是』と、頑張っていきましょう。  惟然

---

「経行について」(数息観のすすめより)

三昧の力は、静坐して数息観を修する時ばかりに養われるものでなく、身体を動かしながらでも養いうるものです。
また実際に三昧の力が必要なのは、かえって静坐の時は少ないもので、そのためには動中においても三昧の境の乱れない練習をしておく必要があります。
古人も【動中の工夫は静中の工夫に勝ること万々】と申しております。
その動中の工夫のために、経行(きんひん)ということをやるのです。

経行とは、元来お経を請じながら室内を緩歩することから出た言葉ですが、私どもは歩きながら数息観や凝念を試みることを申しております。
経行をする時は身体を真ッ直に立て、手を胸に当て[又手当胸(さしゆとうきょう)と申します]顎をグッと引いて2メートル位先を見ながら、(但し団体で行う時は片手間隔の前の人の背中を見ることになります)静かに歩むのです。
いくら広い堂内といっても知れたものですから、自然ぐるぐる廻ることになりますが、右廻り(時計の針の方向)するのが正式です。
最初の一歩は左足からときめ、そして左足を運ぶ時はいつも吸う息、右足を運ぶ時は吐く息ときめておきます。例えば12なら、左足を出しはじめてから全身の重みが全くそれかるまでにジューと数え、次ぎに右足を出しはじめてから全身の重みが全くそれにかかるまでに、ニーと数えるのです。

その他、数息観の要領は静坐の場合と全く同じですから、かさねて申しませんが、団体で行なう時は人々によって呼吸に遅速がありますから、とかく間隔が不揃いになり勝ちです。
そこで全体の人が同時に左足なり右足なりを出し得るように、前の人に合わせながら、各自に呼吸の遅速を加減します。

また、これは数息観ではありませんが、経を誦ずる代りに凝念ということをやります。
これが又たいへんに効果のあることですから、むしろ経行の時には凝念の方をおすすめしたい位です。凝念というのは、一心不乱に一つの念慮になりきることですから、数息観も一つの凝念と言えばいえないこともありますまい。
ただ、ちがうのは息を数えるかわりに題目とか称名とかを心に念ずるのです。
陀羅尼(だらに)でもお経でもよいわけですが、私どもは『念々正念歩々如是』と凝念致します。
しかし、その意味はここでは余り詮索しないでおきます。

そのやり方を申しましょう。
経行のやり方は前に申した通りで少しも違いありませんが、ただ念々と左足を出し正念と右足を出し、次ぎに歩々と左足を出し如是と右足を出し、これを繰り返しさえすればよいのです。
三昧になるために南無阿弥陀仏と伏鉦を打ち、南無妙法蓮華経と太鼓をたたく行(ぎょう)と変わりはありません。
念々正念歩々如是と念じて、経行するところの一つの行です。
ただ肝要なことは、救いを求めるでもなく、意味を考えるでもなく、純一無雑で心の中に念ずることです。
凝念は坐禅を組みながらでもできますが、やはり経行の時の方が心身の軽安を覚え、三昧の力を養いやすいようです。
これも熱心に継続しておれば、これで数息観の後期の境涯まで達することができます。

大勢集まって講習会を催す場合には、坐禅の時は数息観、経行の時は凝念ときめるのが一番よいようです。


合掌
惟然 拝

緝煕(しゅうき)寮は
支部創立30周年を記念して建設さわた多目的棟です。 惟然




房総支部創立30周年(人間禅創立43周年・)当時のもの


現在(2013.12.1)


20年経ち、木々は大きくなっています。


錦木

しだれ桜


出拠
「詩経」に,次の語がある。
「学は,光明に緝ぎ、煕むるに在り」
絹ぎは、継ぎなり、護持し相続するなり
煕むるは弘むるなり
光明とは明徳なり

ーーー
摂心(接心)会に参加した時には夜坐室として使わせていただいてます。
(夜坐:開枕(就寝時刻)後の自主座禅)

だいたいこんな予定でやっています。
22:20頃~23:05 1炷香
23:15頃~24:00 1炷香

摂心会の最終日前夜は、
原則として自主的に徹宵(徹夜で座禅)をしています。

だいたいの時は、他に参加者がいないので
(一人だけなので)適当にやっていますが、
こんな感じでやっていると、朝を迎えられます。

0:15頃~ 1炷香
1:30頃~ 1炷香 
2:30頃~ 1炷香 経行 1炷香
4:30頃~起床の板木が鳴り終わるまで

だからといって、日ごろの怠慢を取り戻せるわけでもないのですが。
若い時から参加した時の習慣なので・・。

合掌 
惟然 拝

追伸
摂心(接心)会の最終日前夜の自主徹宵は、
たとえそのときはボロボロになっても、やればやっただけのことはあった。
と感じ始めたこの頃です。貴方もいかがですか。
坐禅儀で、静坐(座禅)はどのようにするかの説明に加えて
どのように誤ってはいけないかについて書かれている部分です。
 
「泛々(ぼうぼう:うっかり)として叢林に老ゆる者亦少なからず。」
という当時の状況から、今日を予言し、書き残され伝わってきた重要な部分だと思っています。
誰のために・・?    惟然
 
 
「左に傾き右に側(そばだ)ち、前に窮(かがま)り、後に仰ぐことを得ざれ。
腰脊頭頂(ずちょう)骨節をして相拄(ささ)え、状(かたち)浮屠(ふと)の如くならしめよ。」
 
・左右に傾いたり、片方の肩が高く曲がった、前へかがんだり、後ろにのけぞったりしないようにしましょう。
 腰、背中、頭、脳天を、関節どうしを正しく重ね支えて、姿が浮屠のようにならせなさい。
 
雑念がわいたとき、眠くなったとき、
気が付けば必ずどこか坐り方が間違っているものです。
 
傾いてないか? 曲がっていないか? ねじれていないか?
腰、背中、頭、脳天は正しく重なっているか?
 
雑念も、眠気も、坐相を正せば吹っ飛ぶと信じましょう。
静坐の途中でも積極的に修正して、その姿勢をキープしましょう。
(何と忙しいことか・・・)
 
 
「又身を聳(そび)えること太(はなは)だ過ぎて、人をして気息に不安ならしむことを得ざれ。
耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対し、舌は上の顎(あぎと)を拄え、唇歯相い著けしむることを要せよ。」
 
・また、体に変な力を入れて伸ばして、気持ちや呼吸を乱させることがないようにしましょう。
 耳と肩が垂直に相対し、鼻とおへそが垂直に相対し、舌は上あごの歯ぐきあたりを押さえ、くちびると歯は閉じて着けるのがポイントです。
 
脚が痛い坐り方を続けると、知らず知らずに逃げる姿勢になります。
そして、さらに変なところに力が入り、ますます痛くなるという泥沼に陥ります。
そういう時は、思い切って座具を高くし、両膝に均等に体重が載るようにし、
攻めの姿勢で身体をまっすぐにします。
正しい坐相にすると、足は痛くなくなります。
足が痛くなるのは、坐り方を間違えてるからです。
(克服した経験者でないと分からないコツです)
 
耳と肩を対するのは、もともと猫背だと、あごや首を引くのが至難の業です。
では、猫背でないのはどんな人でしょう。
バレリーナ、ファッションモデル、体操やフィギュアスケートの選手・・・
いずれも両肩の線が後ろに引かれています。
背中の筋肉で両肩を引くと、頭がい骨ごと垂直にその上に載せることができます。
耳と肩が対していませんか。
 
鎖骨の下に、脳に血を送る血管があります。
このようにすると、その血管も圧迫されなくなります。
手がしびれたり、肩が凝る人にも効果があることでしょう。
 
 
「目は須らく微かに開き、昏睡を致すことを免かるべし。
若し禅定を得れば、其の力最も勝れたり。」
 
・目はぜひともわずかに開き、眠り込んでしまわないようにしなさい。
このようにして禅定が得られれば、その心を乱されない定力は最も優れているぞ。
 
前回紹介した千葉大のサークル「禅の会」で、顧問の白田教授も、
初心者の学生に必ず「目を閉じてはいけない」と説明に付け加えていたことを
思い出しました。
 
「若し禅定を得れば」の「若し」には、
正しい坐相が『禅定』を得る『必要条件』という意味であると受け止めています。
 
 
蛇足
もしも、自分に整体師や医師の資格があり、他人様の骨の並びをいじれるなら
骨盤や頸椎の並びなど矯正して、坐相への影響を試してみたいものだとも感じています。
 
さらに蛇足
「かたち浮屠(ふと)の如くならしめよ」の「浮屠」には、
仏陀の意味と、仏塔(五重塔、五輪の塔)という意味があるようです。
五重塔なのか五輪の塔なのか、あれこれ頭で考えずに、
「かたち浮屠の如く」なら「かたち浮屠の如く」と工夫することにしよう。
 
合掌
惟然 拝
 
(『坐禅儀』に関するブログの記事はとりあえずここまで)
これも、坐禅(座禅)の効果にとて非常に大切だと思いますので、
『揺振』だけを取り上げてみます。  惟然

「徐徐として身を挙して前後左右反復揺振(ようしん)して乃ち身を正しく端坐せよ。」
 
・ゆっくりとした動作で左右前後に揺振することによって、姿勢を正くして坐りなさい。
 
『揺振』とは、上半身を振り子のように揺することです。
 
左右にゆすりながら下半身の安定と上半身の垂直を確認します。
前後にゆする時、特に前に倒した腰のまま身体を起こすと自然に腰がはいります。
効果があるかどうか、一度お試しください。
 
私が『揺振』という言葉を知ったのは、今から35年以上も前です。
 
千葉大学のサークル「禅の会」は、
西千葉キャンパスのサークル棟2階に24畳半の広い部室があり、
平日には、朝に一炷香、昼休みに半炷香の静坐(座禅)をしていました。
(一炷香は線香1本45分、半炷香は半分の25分)
 
学部の会長(*1)と大学院の先輩(*2)とが次々卒業していった年のことです。
お二人とも本格的に禅に取り組んでいました。
医学部(猪鼻)と園芸学部(松戸)にも本格的に禅に取り組んでいる先輩はいましたが、
西千葉キャンパスの部室には遠く平日は参加できませんでした。
 
そこで、その時の会長(*3)はその行動力で交渉し、
「禅の会」発足当時からの顧問で人文学学部長の白田教授(*4)に
毎週一度、昼休みに部室においでいただけるようになりました。
 
顧問の白田教授は、坐り方についても直接説明をしてくださり、
その時はいつも「形には心がある」と付け加えられていました。
 
昼休みに半炷香の静坐では、
直日と聖司を学生がやり、白田教授は助香の位置に座られました。
静坐の拆の後、始定の引磬が鳴るまでの間に、
ご自身も揺振しながら、
時々「上半身を左右前後に揺すりなさい。これを『揺振』といいます」
と説明されていました。
誰か揺振をやっていない者がいたからなのかもしれません。
このようにして『揺振』を覚えました。
 
蛇足:
なお、静坐が始まりしばらくすると、
白田教授は助香の位置から立ち上がり、警策をもって一人一人坐相を見て回ります。
やや乱暴めに、警策でぐいぐいっと直します。
印象的なのが手の形(法界印定)で、
親指が前に倒れていれば、警策の平らな面でお腹の方へ押しつけ、
親指が下りていれば、警策でこじ開けるように広げ、
4本の指が丸くなっていなければ、警策を上から押し付けるように直していきました。
 
そのようなことが続いたある日の朝、
小一時間の通学電車で数息観を試みると調子がいい。
そして昼休み、静坐がはじまりました。
とりあえず、間違えることもなく、余計なことも思い浮かばずに100までいき、
また1からはじめて次の100までいき、さらに少ししたところで解定の引磬が鳴った。
すると、顧問の白田教授から
「おい、お前、いい坐相をしているな」
という言葉がかかった。
しどろもどろでどう返事したかは覚えていない。
 
いずれにしても、それからも含めて最高の半炷香だったという印象が残りました。
自分の財産の一つだと思っています。
 
(*1)抱石庵鉄漢老居士(房総) (*2)萬燿庵閑徹老居士(京浜) 
(*3)祖覚居士(岳南) (*4)磨甎庵劫石第三世総裁老師

合掌
惟然 拝
『坐禅儀』の中の静坐の仕方の部分の続きです。 惟然
 
「先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ぜよ。
或は半跏趺坐も亦可なり。
但だ左の足を以って右の足を圧(お)すのみ。
 
・結跏趺坐をする場合は)先ず、右の足を左のももにのせ、
左の足を右のももにのせます。また、半跏趺坐でも良いです。
これは、左足を右のもも足にのせるだけです。
 
これも、「結跏だから半跏より偉い」と初心者はついつい思いがちですが、
それと坐禅の効果は関係がありません。
私が坐相を乱して苦しんだ理由の一つもここにありました。
 
柔道で膝に怪我をして半跏もできなくなった先輩に、
椅子の静坐(イス坐禅)で初関(最初の公案「父母未生以前における本来の面目」)を
透過した方がいます。
 
私はというと、20年ぐらい前に、車で右すねの骨にヒビを入れて以来、
結跏をするのか怖くて半跏のままです。
 
「次に右の手を以って左の足の上に安じ、左の掌を以って右の掌の上に安じ、両手の大拇指(おやゆび)の面(おもて)を以って相ささえよ。」
 
・次に、右手を組んだ足の上に安定するように置き、
指をそろえた左手の4本の指の裏を指をそろえた右手の4本の指の上に安定するように重ね置き、
両手の親指の先を大きく丸く働くように合わせます。
 
右手は、足の上に正しく置かれているか?
両手の4本の指は閉じて、互いに重なりあっているか?
両親指は正しく触っているだけでなく、丸太を抱えるように働いているか
このように点検します。
 
いわゆる「法界印定(ほっかいいんじょう)」ですが、
仏像にも、親指以外の4本の指は右手が上と左手が上の二種類あるそうです。
 
「掌」には、「手のひら」と「手の裏」と「手の中心」という意味があるようです。
このとき重ねる「右の掌」「左の掌」とはそのうちのどれか?何か?
あれこれ詮索してもはじまりません。

「右の掌」に「左の掌」を正しく重ねましょう。
親指も両腕全体も、丸太を抱えるように働かせましょう。
 
と工夫しています。

惟然
『坐禅儀』の中の静坐の仕方の部分を現代語にしてみます。 惟然


スポーツをするときの「何かの握り方」というと、何を思い浮かべますか?
ボール、ラケット、クラブ、バット、武具・・・
 
その持ち方は、だれに、どのように教わりますか?
分からなくなることはありますか?
 
プロでも、アスリートでも、分からないと悩むことはあるそうです。
素人の方が細かいところはいい加減でも気にならないものです。
 
でも、しばらくやっていると、あれどうだっけ?
と思うことがあります。
 
教本と比較してみましょう。
 
 
「坐禅せんと欲する時、閑静の処に於て厚く坐物を敷き、寛(ゆる)く衣帯を繋(か)け、威儀をして斉整ならしめ、然して後に結跏趺坐(けっかふざ)す。」
 
(現代語訳)
坐禅をしようとするときは、・閑静な所で、・尻の下に厚い座具を敷き、
・ベルトをゆるめて、・身なりを整え
それから結跏趺坐(けっかふざ)をします。
 
さて
「・静かな所で ・帯をゆるめて ・身なりを整え」 とあります。
・閑静の所とはどこか  
は、とりあえずできるだけ静かな所で、としておきましょう。
・帯をゆるめて
ベルトのあるズボンの場合は、ベルトをゆるめ、上のフック(ボタン)を一つ外します。
これは、腰が入る重要なポイントです。
・身なりを整え
これも、とりあえずゆったりとした見苦しくない服装にしましょう。

「・尻の下に厚い座具を敷き」

座具の高さはあっているか?!
これが非常に重要です。いつも気にしていましょう。
 
『坐禅のすすめ』の本文にも2か所できます。
(P12)「この臀にあてる蒲団のたかさは、各自で加減して決めてください。
最も安定感を覚えるときがその人の丁度あった高さといわけです。
これはちょっとしたことですが、坐禅の姿勢に重大な関係があり、
従ってその効果に非常に影響があることですから、軽くみないでください。」
 
(P13)「その時は臀の下の蒲団の高さを加減することを面倒がってはいけません。
でないと坐禅が長つづきしないばかりでなく、どこかに筋肉の収縮に不平均があって、
知らず知らずのうちに上半身が揺れだしたり、病気を誘発することがあります。」
 
最近、滑り止めシートをつかって坐っている人を見かけます。
両方の膝頭と尾てい骨とを結ぶ正三角形の中心に、重心がうまくのっているのだろか?
両膝と尾てい骨の三点に、均等に体重がかかる感じにしましょう。
 
必死に腰を入れようとしても、どうしてもうまくできない人がいます。
また、腰を入れる意識を忘れてしまう人がいます。

おすすめは、先ず思い切って座布団を高くすることです。
そうすると、力を入れなくても自然と腰が入る高さが見つかると思います。

座布団を高くすることは、
足がすぐ痛くなる人や、摂心(接心)などで長時間坐った時にも効果があります。
 
2枚の座布団を2枚とも折って使うより、1枚折って1枚は折らず(一枚半)に坐ったほうが偉い!
などということは絶対にありません。
 
試しに、2枚折った上にもう1枚(計2枚半)使ってみましょう。
その違いがわかることと思います。
 
そんなの恥ずかしくてできない!
と感じたとたん、坐禅の効果に影響がでることでしょう。
(私が坐相を乱し、泥沼に陥った原因の一つです。
どうぞ、積極的に座具の高さを調節して、同じ失敗はしないでいただきたいと
願って止みません。)
 
ベルトをゆるめ、座布団を高くして、
力を入れなくても自然に腰が入るようにしておくと
効果絶大と実感しています。
 
試してみませんか?
 
合掌
 
惟然
今日11月8日(金)は、第2週なので
午後7時からコミュニティセンターの6階和室で例会が開催されました。
参加者は5名でした。
初孫の誕生というおめでたい理由で来られなかった方もいるので、まあ仕方がないですね。
義存
 
今日は、2炷香(45分の静座を2回)続けて坐る日です。
以前は、毎週読書会、お茶,坐禅(座禅)の日程だったのですが、
お茶係の負担が大変なことと、
じっくり坐る時間がもっと欲しかったということで今の日程になりました。
 
初心者の人には、2炷香坐るのは大変なことだということは十分わかっています。
ただし少し慣れてくると、
1炷香でおしまいにするのと2炷香坐るのとでは、
全然坐禅の味わいが違うのが分かってきます。
 
自分の素直な感想を言いますと、
2炷香坐ったときは、
「1炷香目というのは準備体操みたいなもんだったんだ」という感じです。
これは、私が1炷香目から三昧になりきれていないことの裏返しでもあるのですが(笑)。
3炷香坐れば、また、違った感覚になるでしょう。
 
ある先輩が、足の痛みに敢えて挑戦し、
足を縛って5炷香ぶっ続けで坐ったという話を聞いたことがありますが、
誰かやってみますか? 
その後は足の痛みを感じなくなったそうですよ。
 
コミュニティセンターでは、
そこまでの坐禅を求めることはありませんので、ご安心ください。
 
2炷香坐る日でも、
1炷香だけで帰るとか、2炷香目に来るとか、
それはご自分の体調や日程に合わせて来ていただいて結構です。
 
 
ネルケ無方さんの本(迷える者の禅修行)を読むと、
月に一度の接心(*)のときは、
5日間、一日に50分の坐禅を14炷香するそうですが、
これを経験するとどんなことになるのでしょうか?
 
さて、
来週は6時から5階和室で例会です。
どうぞおいでください。
 
合掌
 
 
禅と茶の集い
場所:千葉市中央区中央コミュニティセンター
日時・概要: 
第1・3金曜日 午後6時から 読書会、お茶、坐禅
第2・4金曜日 午後7時から 2回の坐禅(2炷香(45分×2))

初心者の方には丁寧に坐禅の仕方をお教えします。
どなたでも大歓迎です。
 
(*摂心が「接心」となっているのは、ネルケさんの本の表記を使いました。)
廻光会 11月5日 定例例会
午前9:30から12:30 
千葉中央コミュニテイセンター6階和室で開催しました。

今回は初心者体験教室も兼ね、
新到者は男性1名(新聞:朝日フレンド?で見た)、
中国生まれの女性(当コミュニテイセンターの掲示板で見た)1名の2名
会員は男性4名、女性3名の計7名、
合計9名で当会としては久し振りの盛況でした。
 
体験教室なのですが普段と同じスケジュールで見て貰いました。

・静坐の仕方の説明、
静坐(30分×2柱香=合計60分、
途中約5分の休憩と坐そうの指導)

・読経(般若心経、観音経)
 
・禅語を味わう(「ほっとする禅語70」石飛博光著、渡会正純監修)、
本日の禅語は「一期一会」、担当者の朗読(復唱)の後黙祷?
従来はNHKのこころの時代等の市販のテキストを輪読していたのですが、
読後の感想等の督促等が負担になる人や、
静坐後の折角の心の安定(禅定)が乱れゴチャゴチャになるという意見、
当会の当初の指導者がつけてくれた(約30年前)会の名前の由来「回向返照」の主旨に背く、
(外に求めるのではなく、自己の心を見つめる)従って修行(静坐や読経、茶道)に重きをおくべき、
との意見から今年度から実験的に試行している。
 
・その後連絡事項等の説明
11月10日の房総道場での体験教室の案内を新到者に具体的にPR、
(道場の雰囲気、食事の作法、お抹茶、講話の説明、送迎等)したが非常に興味をもっていた。

是非道場へ行き禅に興味を持って頂きたい。
足の痛さに懲りず引き続き参加して頂けることを期待しております。
 
合掌
 
代筆 大木 昌彦 拝

廻光会の紹介

廻光会は有志により“禅の市民グループ”です。
場所:千葉市中央コミュニティセンター
日時:第1、第3火曜日 10:30~12:30
その他の火曜日 13:00~15:00 

体験入会してみようという方気軽にお越しください。
お待ちしています。(年齢性別を問いません)

坐禅の仕方について説明するのにあたり
『数息観のすすめ』より『坐禅儀』(全文)を紹介します。
あなたは、これをどう読みますか?
                                            
合掌
惟然

坐禅の仕方にアップさせていただきました。
 ↑クリック


坐禅儀(*1)
                     
夫れ学般若(*2)の菩薩は、先づ当(まさ)に大悲願心を起こし、弘誓願(ぐせいがん*3)を発し、
精しく三昧を修行し、誓って衆生を度し、一身の為に独り解脱を求めざるべきのみ。
 
乃ち諸縁を放捨し(*4)、万事を休息し、身心一如にして、
動静間(へだて)無く、其の飲食(おんじき)を量り、多からず少なからず、
其の睡眠を調え不節不悉(ふし*5)なり。
 
坐禅せんと欲する時、閑静の処に於て厚く坐物を敷き、寛(ゆる)く衣帯を繋(か)け、
威儀をして斉整ならしめ、然して後に結跏趺坐(けっかふざ)す。
 
先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ぜよ。
或は半跏趺坐も亦可なり。
但だ左の足を以って右の足を圧(お)すのみ。
 
次に右の手を以って左の足の上に安じ、左の掌を以って右の掌の上に安じ、
両手の大拇指(おやゆび)の面(おもて)を以って相?(ささ)えよ(*6)。
徐徐として身を挙して前後左右反復揺振(ようしん)して乃ち身を正しく端坐せよ。
 
左に傾き右に側(そばだ)ち、前に窮(かがま)り、後に仰ぐことを得ざれ。
腰脊頭頂(ずちょう)骨節をして相拄(ささ)え、状浮屠(*7かたちふと)の如くならしめよ。
          
又身を聳(そび)えること太(はなは)だ過ぎて、人をして気息に不安ならしむことを得ざれ。
耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対し、舌は上の顎(あぎと)を拄え、唇歯相い著けしむることを要せよ。
 
目は須らく微かに開き、昏睡を致すことを免かるべし。
若し禅定を得れば、其の力最も勝れたり。
 
古え習定の高僧あり。
坐して常に目を開き、向(さ)きの法雲円道禅師(*8)亦、
人の目を閉じて坐禅することを討して以って、黒山の鬼窟(*9)と謂えり。
 
蓋し深旨(じんし)有り。
達者焉(これ)をしるべし。
 
身相既に定まり、気息(*10)既に調って然して後、臍腹を寛放し、
一切の善悪 都(す)べて思量すること無し。
念起らば即ち覚せよ(*11)。
之を覚すれば即ち失す。
久久に縁を忘ずれば、自(おのずか)ら一片となる。
 
此坐禅の要術なり。
 
*(ひそ)かに謂(おも)うに、坐禅は乃ち安楽の法門なり。
而るに人多く疾を致すことは、蓋し用心を善くせざるが故なり。
 
若し善く此の意を得れば、則ち自然(じねん)に四大軽安に、精神爽利に正念分明にして、
法味神を資(たす)け、寂然として清楽ならん。
 
若し己(すで)に発明(はつみょう*12)するところ有らば、謂つべし竜の水を得るが如く、
虎の山に靠(よ)るに似たり。
 
若し未だ発明するところ有らざるも、亦 乃ち風に因って火を吹くが如く、力を用いること多からず。
 
但だ肎(こう)心を弁ぜよ。
必ず相い嫌(いつわ)らず(*13)。
 
然り而して道高ければ魔盛にして逆順万端なり。
但だよく正念現前すれば、一切留擬すること能わず。
 
楞厳経(りょうごん)、天台の止観、圭峯(*14)の修証儀の如きは、具(つぶ)さに魔事を明らめ、
豫(あらか)じめ不慮(ふぐ*15)に備うる者にして、知らずんばあるべからざるなり。
 
若し定を出んと欲せば、徐徐として身を動かし、安詳として起ち、卒暴なることを得ざれ。
 
出定の後も、一切時中、常に方便を作し、定力を護持すること嬰児(えいじ)を護る(*16)が如くせよ。
かくの如くならば即ち定力成し易し。
 
夫れ禅定の一門は、最も急務為り。
若し安禅静慮にあらずんば、這裏に到って総に須らく茫然たるべし。
 
所以(ゆえ)に珠を探るには、宜しく浪を静むべし。
水を動ずれば取ること応(まさ)に難かるべし。
定(じょう)水澄清(ちょうせい)なれば心珠 自(おのずか)ら現ず。
 
故に円覚経に云く、無擬清浄の慧は皆禅定に依って生ず。
 
法華経に云く、閑処に在って、其の心を修摂せよ、
            
安住不動なること、須弥山(しゆみせん*17)の如くなるべし。
 
是に知んぬ、超凡入聖は必ず静縁を仮(か)り、坐脱立亡は須らく定力に憑(よ)るべし。
 
一生取弁するすら、尚嵯蛇(さだ*18)たらんことを恐る。
いわんや乃ち遷延して、何を将(も)ってか業(*19)に敵せん。
 
故に、古人云く、若し定力の死門を甘伏する無くんば、目を掩(おお)うて空しく帰り、
宛然(*20)として流浪せん。
 
幸いに諸禅友、斯文を三復(*21)せば、自利利他同じくして、正覚(*22)を成ぜん。

1・坐禅儀
この坐禅儀は、道元禅師の『普勧坐禅儀』と異り作者不詳である。
その前文に次の如くある。
「おもうに仏々祖々修定するところの儀則にして道を慕う勝士の伝習する所なり。
もとより由あるが故に、百丈の祖、特に立すると雖も、章を述ぶとをもちいず。
その儀、常に存す。
然るに歳月はるかに遠くして凋弊おのずから出ず、
泛々(ぼうぼう:うっかり)として叢林に老ゆる者亦少なからず。

ここを以て東陽、勅を以て清規(しんき)を修むるに及んで、
すなわち嘗て伝の存するところの儀をあげて以てこれ等の徒にのこす。」

つまりは長い間叢林で伝えられたものをまとめたものである。

その内容は10節あって、
1.禅の本意を述べ、
2.身の形相を示し、
3.坐の法則をおしえ、
4.坐の不正を督(いま)しめ、
5.正しく禅病を明らかにし、
6.禅の安心を示し、
7.魔の境涯を明らかにし、
8.動中の工夫を説き、
9.禅定の要を掲げ、
10.総べ結んでこれを勧む。

*2.学般若
坐禅するものの眼目を、般若を学ぶとした。
仏の悲智願行を学することが、それである。

*3.弘誓願
仏の誓願で四弘誓願である。
 衆生無辺誓願度、
 煩悩無尽誓願断、
 法門無量誓願学、
 仏道無上誓願成。

*4.諸縁を放捨し
『伝灯録・百丈章』に
「僧問う、如何なるか是れ大乗頓悟の法門?
 百丈云く、汝等先ず外、諸縁を歇め万事を休息し、
善と不善、世間と出世間との一切の諸法記憶することなかれ。

 放念することなかれ。
 身心を放捨して、自在ならしめよ。」
とある。

5.不節不悉
不足ならず、また多すぎもせず、中庸である。

6.両手の大栂指の面を以て相拄えよ
『宝鏡記』には、
「心を諸処に安ずるに皆定処あり。
 坐禅するとき、心を左掌の上に安ずるは、乃ち仏祖正伝の法なり。」
とある。

7.浮屠
仏の義もあるが、ここでは寺塔で、五重の塔のようにドッシリと坐れとのことである。

8.法雲円通禅師
秦州陳城の人、19歳にして経に通じ、天骨峻抜にして万僧の中に軒昂たり、
凛(りん)として機鋒ふるるべからず。


9.黒山鬼窟
『雲門録』に「上堂語に日く、わずかにこの休軟のところを聞いて、
すなわち陰界裏に向って目を閉じ、眼を合せて老鼠孔裏に活計をなす。

これ黒山下、鬼窟裡に坐して弁道するなり。
これによりて入路を得ること還って夢にだにも見んや」
とある。
                             
10.気息 
息に四種ありといわれる。
風・喘(たん)・気・息である。
「風」とは、鼻中の息の出入に声あるもの。
「喘」とは、声はないが出入結帯して通ぜず、あえぐこと。
「気」とは風と喘の相はないが、こまや出入細かならず。
「息」とは、出入綿々として存するが如く亡するが如く、神を資(よた)けること安穏に情によろこびを生ず、
といわれている。


11.念起らば即ち覚せよ
一念が起ったならば、それはそれとしてそのまま二念をつがない。

12.発明
直指人心見性成仏のこと。

13.ただ芳心を弁ぜよ、必ず相嫌らず 宵は肯である。
禅の修行は、道心道場を則(のり)とするといわれ、己をいつわらず、
心底からの納得がいくまで徹してホントーの自分の本心というものを見究めるものである。

頭の素天辺から足のつまさきまで真正直で、寸糸の私念をも介入せしめない。

14.圭峯
唐の圭峰宗密禅師

15.不虞
不測の事態

16.嬰児を護る
赤子をいだくように護る。
「銅皿裏満盛油」ともいわれる。
皿の上に油を入れて、それをもっているときのように護持するとの意である。

17.須弥山
妙高山と訳す。
世界の中央に位置すると考えられていた山、泰山の如く不動なれとの意。

18.嵯蛇
よろよろして根本が定まらぬ。

19.業
業識障。

20.宛然
もとの素凡夫のすがたのまま依然として。

21.三復
ただ読むだけでなく、行取して味わう。

22.正覚
天上天下唯我独尊の本心本性を悟る。

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