房総ブログ - 201512のエントリ
今年も皆様には大変お世話になりました。
お陰様で、房総道場HPのアクセス総数も108,717となりました。
(2015/12/31末現在)
ご支援ご協力いただいた皆様のお蔭さまと御礼申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌
惟然 拝
お陰様で、房総道場HPのアクセス総数も108,717となりました。
(2015/12/31末現在)
ご支援ご協力いただいた皆様のお蔭さまと御礼申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌
惟然 拝
日曜静坐会(13日)の参加者有志に濃茶をもてなしていただいた後、稽古が始まりましたのでもう少し見学させていただきました。
湯の沸く音(松風)が温かく響き、湯けむりが立ちのぼります。

裏千家の経験者から、「柄杓の扱いがうまいですね」と声がかかりました。
高めの位置から、こぼさずに湯をこぼさずに釜に返していたからです。
裏千家の家元は献茶のとき柄杓を高くするそうです。
そういえば、11月末に裏千家淡交会千葉県支部創立50周年の式典が鴨川市であり、献茶式が日蓮宗本山清澄寺でありました。
献茶式に参加した方に聞いてみまることにしましょう。
袱紗も、始める時のように、大台子の客柱に蝉結びで結ばれました。
建水だけ引かれ、終わりとなりました。


光の加減で袱紗の色が違って見えます
房総坐禅道場 茶道部(有楽流)
次回は、来年(2016年)1月24日(日)です。
合掌 惟然 拝
僕:
どうだった? 歎異抄第四章。
某:
うん。大体の意味は掴めたつもりよ。
Googleで単語の意味を調べながら・・、大変だったのよ。
僕:
そっかぁ、頑張ったね。
じゃ、まず第一文からいこう。
「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。」
聖道(しょうどう)とは、禅宗、天台宗、真言宗など、自力で修行に励み、悟りを開こうとする仏教、つまり聖道仏教をさしている。
浄土とは阿弥陀仏の救いを説く仏教、つまり浄土仏教をさしている。
"かわりめ" とは、変わり→変化→違い、ということ。
"め"とは、潮目や境目の "め" で、はっきりとした境または壁があるということだろう。
"め" を眼目と捉えれば、「あんたらとは目の付け所が違うわい!」とでもおっしゃっているのだろう。
つまり、こうなる。
「慈悲といっても、自力と他力じゃ、全く違うわい。」
某:
成る程、よくわかったわ。
で、聖道仏教(自力門)や浄土仏教(他力門)って、いつ頃どんな宗派にわかれたの?
Googleで調べたけど、頭がこんがらがっちゃって。(*1)
僕:
(うっ、そんなこと知るかっ!)
そっ、それは今度のHPみて。惟然居士が詳しく説いてくれるから。
この前も、悪人正機について言ってたでしょ。それに仏教用語を沢山入れてもらったほうが、Access数が増えていいんだ。(*2)
某:
(ふん、自分が分からないと、すぐ人任せなんだから。)
わかったわ。でも、そういうことって、他力本願じゃないの?
僕:
あっ、これだけは言っとくけど、それって誤用だからね。なにも努力しないで他人の力に頼ることを他力本願って言ってる場合があるけど、それまったく間違いだからね。(*3)
某:
知ってるわよ。わざと言ってみただけ。
ところで、仏教って釈尊一代45年間の説法をもととする宗教でしょ。
何でそんなに一杯宗派があるのかなぁ?
僕:
そうだね。よく富士山登山に喩えて、登山口はたくさんあるけど、目的とする頂上は一つだ、という言い方するよね。
でも途中の見晴らしも大切だもんね。太平洋を眺めながらいくか、南アルプスを眺めながらいくか、迷っちゃうよね。
某:
そうよ。だって登ったこと無いじゃん。迷っちゃうわ。
でっ、あなたは今どのへん登ってるの? 棘のなか?
僕:
(ウッ、うるさい!)
われわれ人間禅のよく唱える坐禅和賛(*4)も、【衆生本来仏なり】で始まり、【此の身即ち仏なり】で終わってる。(*5)
まっ、お互い仲良くやっていけばいいんじゃない。人間禅ではこれを合掌運動と呼んでいるんだよ。
某:
(そう、あなたがもっと立派な人だとついて行くんだけど。二の足踏んじゃうな。)
まあよく考えてみよっと。
じゃ、第二文にいく?
僕:
長くなるから、次回にしようか。
じゃ、最後に高階禅師 ( 昭和十九年から二十五年間、曹洞宗管長を務められた)のお言葉を紹介するね。
「・・・。今や宗教界も国際的の時代に於いて浄土門の中国における発祥の霊跡が復興せらるることは、独り浄土門のみに非ず全仏教界の慶事であります。
日本の我が禅宗も中国より伝来しましたが、禅と念仏とは表面趣きを異にしておりますも、源泉の仏陀に逆のぼれば人間においていう異体同心の様なものであります。
現時宗教界の複雑混乱の時、禅浄握手して仏陀の正法を宣揚し世道人心の教化を要する時、・・・」
昭和三十一年十二月七日
〈高階禅師香語集 昭和54年12月15日発行 中山書房 164pより〉
とあるんだ。これは60年くらい前の話だから仏教界もあまり進展ないんだね。
では、またねぇ。
輝雲
===
編者註
創建100周年を迎えた人間禅擇木道場で、
第50回擇木禅セミナー「浄土真宗・キリスト教と禅2」が開催されます。
フォーラム 来年(2016年)1月31日(日)13:30~18:00(予定)
ゲスト:東大人文学科学系教授 下田正弘氏:恵泉女子大名誉教授 古谷圭一氏
関心と時間がある方は、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。
(*1)「いつ頃どんな宗派にわかれたの?」
たしかに「Googleで調べたけど、頭がこんがらがっちゃって。」というように、インターネット上には多様な情報がありますね。
いずれにしても、仏教が日本に伝来するずっと以前に浄土思想が生れ、それぞれが中国に伝来したようです。
(*2)
私も学生時代に「禅に関する本は読むな」と教わり、長い間そうしてきました。
詳しいことは、宗教学専門のサイトにおまかせしたいと思います。
(*3)
浄土真宗系のサイト(『浄土真宗を学ぼう』)によれば、
・・・
天台宗、真言宗などの聖道仏教は、煩悩のなくして本当の幸せになろう、という教え、
浄土真宗などの、浄土仏教は、煩悩あるままで本当の幸せになろう、
・・・
と簡潔に紹介しています。
(*4)『坐禅和讃』
坐禅和讃(ざぜんわさん)とは、漢文表記であった坐禅の本質・目的を日本語で解説したもので、民衆にも分かりやすく説いたものである。白隠慧鶴(はくいん えかく)が著した。別名白隠禅師坐禅和讃(はくいんぜんじざぜんわさん)。
臨済宗、とくに妙心寺派では、檀信徒向けの『聖典』には必ず掲載されており、仏事のときに良く詠まれ、僧侶と参列者が一緒に唱えることもある。
白隠 慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。
(Wikipediaより)
人間禅では提唱の際に、講本侍者(聖侍)が音頭をとり、会衆は合掌してこれを和します。
うろ覚えのところがあっても、背中に冷や汗をかきながら、遅れることなく一心に唱えたいと思う今日この頃です。
(*5)
坐禅和讃に【六趣輪廻の因縁は おのれが愚痴の闇路なり】という一節があります。
註(3)では【煩悩をなくして本当の幸せになろう】と【煩悩のあるままで本当の幸せになろう】とを比較しています。
では、【本当の幸せ】とはなんなのでしょう。
【六趣輪廻の因縁】から解放されることだと思いますが、いかがでしょう。
私は一読して、【煩悩をなくして本当の幸せになろう】は手段・目標であり、【煩悩のあるままで本当の幸せになろう】は目的であり、矛盾しないと感じました。
以上、いかがでしょう。
補足(蛇足)
「いつ頃どんな宗派にわかれたの?」という質問に詳しく説明をして欲しいとのことですが、ほとんど知りません。
何しろ『歎異抄』について聞きかじったことがあるのは、前回の第三章のところだけなのですから。
(化けの皮がはがれた! いや はがされた!!)
というわけで、私も(私は)人がついてくるような、立派な輩ではありません。
「慈悲」の次が楽しみです。
合掌
惟然 拝

煤払いの前夜(26日)の房総道場忘年会の折、抱石庵老居士が持参された掛け軸の写真が届きましたので、紹介します。
「今年も亦目出度 千秋楽」如々庵老師筆
83歳の時の書ということです。88歳で逝去されたということですので、没年の5年前のことです。
故如々庵老師:
芳賀幸四郎文学博士、
東山文化の一人者。人間禅の正脈の師家のお一人。
「禅語の茶掛け 一行物」(淡交社)のシリーズでも馴染み深い。
雑誌「淡交」(裏千家の機関紙)に掲載された解説を補充して単行本として出版されたもの。
私は、今年も忘年会には不参加で失礼しました。
合掌 惟然 拝
今日(27日)の日曜静坐会参加者は22名、内新到者1名、女性1名です。
朝は真っ白に霜が降りていて快晴弱風、道場は静寂につつまれ清々しいひと時となりました。
静坐後茶菓いただいて体を温めてから、皆で年末恒例の煤払いに取り掛かり、昼前に下山しました。
暖冬の影響でしょうか、落ち葉の下に、沢山の蕗の薹(ふきのとう)が出ていたのには驚きました。
煤払いの思い出
時は第2次世界大戦後間もないころ、処は東北の雪国。
築二百数十年の木造茅葺の大きな家。
毎年春秋2回晴天の日を選び、家族総出で煤払い。
畳を上げ屋根裏まで一日がかりの大掃除。
当時、煮炊きや暖房は囲炉裏や竈で、燃料は山から切り出した薪、柴や炭。半年の間に家中、屋根裏まで文字どうり煤で真っ黒。
体中煤だらけになっての作業でしたが、きれいになった床柱は、黒々と光っていました。
<南天の 赤い実揺れる 枯木立>
<空青し こころの塵も 煤払い>
合掌 一徹 拝
今日(25日)は今年最後の例会です。
今年は、体験教室も含めると20人ほどの方が会を訪ねてこられました。その中には、熱心に坐禅を続けている方も2,3人います。まことに力強い限りで、こちらも励まされます。
今日は、7時から坐禅(静坐・座禅)をして、7時45分からは、太田先生による坐禅のワークショップでした。
ワーショップには先生自作のテキストがあります。
さすが精神科医といっては失礼かもしれませんが、脳の断面図や体のつぼを示した図もあり、内容はちょっと難しいところもありますが、なかなか面白いです。
太田先生はその中でユネスコ憲章の前文を引用しています。
戦争は、人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
まことにそのとおりだと思います。
今の世界の状況を見るにつけ、誰もが安心して暮らせる平和な社会を求めるのはすべての人の願いだと思います。
そのためには、それぞれの人の心の中に平安があること必要です。ユネスコ憲章が、仏教の唯心論を意識しているかどうかは別にしても、これが基盤にならなければいけません。
差別や偏見は憎しみの心を招きます。
そのためには、相手のことも学ばなければならないでしょう。
すべての宗教の根底にあるものに気づいていけば、教義や主義主張の違いによって争うこともなくなるだろうと思います。
新聞では、ローマ法王のクリスマスメッセージが紹介されていました。
国際社会が気持ちを一つにして、残虐行為を終結に導くように。移民や難民らが尊厳ある将来を築くため、支援し、受け入れている個人や国に神の恩恵がありますように。
仏教の、四弘誓願の一番初めは「衆生無辺誓願度」です。
衆生(この世に生を受けているありとあらゆるもの)は数限りなくいるがすべてのものを救おうという願いです。
来年がすべての命にとって平安でよい年になることを願わずにはいられません。
来年は、1月8日から始まります。
1月15日は、初釜で濃茶を味わうことができますので、ぜひご参加ください。
それでは皆さん、良いお年をお迎えください。
義存 合掌
「禅と茶の集い」についてくわしくは、コチラ
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。
日曜静坐会の後、12月の房総道場の茶道部(有楽流)を見学しました。
佐藤妙珠先生の指導のもと参加者は7名(見学を含む)でした。
菓子も美味しくいただきました。
蒸し栗と柚子羊羹で、それぞれ部員の手作りでした。

くり抜いた柚子の実の中に、餡(あん)をつめ、ラップでくるんで蒸したそうです。
見学者に濃茶を一人一碗づつ点てていただきました。


飲み回しはしないそうです。
若い人の清潔感にあわせた工夫なのかと尋ねてみると、
戦国大名にゆかりの茶道なので、異物を入れる疑いがもたれないようにするためでもあるそうです。
古帛紗も添えれれていたので、作法を聞くと「ご自分の流派でどうぞ」とのことです。
そういわれても、いろいろな流派が頭のなかでごちゃごちゃになっているし・・。
先ずは、礼をする手をひざ前につこうか、『有楽流』にあわせて体側に下ろそうか迷って、どちらつかずの中途半端な位置になってしまいました。
以前にある茶席で、正客の方が堂々と茶碗を回さずに飲まれたときのことを思い出しました。
待合で、その方とすこし話をさせていただいたとき、千葉県内で『織部流』をたしなまれていることを聞き、袱紗も拝見していたのです。
待合で、その方とすこし話をさせていただいたとき、千葉県内で『織部流』をたしなまれていることを聞き、袱紗も拝見していたのです。
「そうだ、『織部流』だ!!」
それ以前に「『織部流』では茶碗を回さないで正面のまま飲む」というのを聞いたことがあったのですが、すっかり忘れていたのでした。
私はいつも、左足からか、右足からか、一歩目でつまづきそうになります。
(続く)
房総坐禅道場 茶道部(有楽流)
次回は、来年(2016年)1月24日(日)です。
合掌 惟然 拝
某:
ねえ。この前言ってた『歎異抄』はどうなったの。
僕:
ああ、禅宗に対する痛烈な批判とみたね。「どうだっ!」と剣先を突きつけられたような。
某:
へえ~。それで浄土真宗に鞍替えするの?
僕:
そんなことしないけど、とにかく一緒に読んでみようよ。
『歎異抄』は、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の高弟・唯円によって書かれたものなんだ。七百年も前のことだよ。
十八章からなり、前半の十章までは、親鸞聖人の直のお言葉を記したもので、後半は、当時流布していた異説の内容と誤りを正したものなんだ。
ところが、五百年前、中興の祖・蓮如上人が、誤解を招くとして封印してしまう。
「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ 」ということらしい。
つまり、門外不出の秘本となってしまったんだ。
この書が再び世に知られるようになったのは、明治の末で、それから今日まで、百年もたっていないんだよ。
某:
へえ~。よく調べたわね。
偉いっ! 感心するわぁ。
(また、クドクドと行くのかしら。参ったな。)
それで、それでぇ~?
僕:
うん、第四章に慈悲について述べてあるから、わずか六っの文から成った章だから、全文読み上げるね。
某:
はぁ~い。(ほら、また始まった。)
『歎異抄』 第四章
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。
聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。
しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。
浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益するをいうべきなり。
今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし。
しかれば念仏申すのみぞ、末徹りたる大慈悲心にて候べき、と云々。
〈 出典 :『 歎異抄をひらく』 高森 顕徹著 平成20年3月3日発行 1万年堂出版 〉
僕:
ねっ、どお~。
自力門の痛い所、よくついてるでしょう?
「自力・他力は初門のことよ!」なんてよく言うけど、そう嘯(うそぶ) いてもいられない。しっかり決着をつけておかないとね。
某:
(そう、勝手にしたら。)
う~ん。よくわかんないわ。
僕:
じゃ、次回は一文づつ読み解いていこうね。
某:
(フゥ。やっと終わったか。)
ハアーイ。よく読んどくね。
楽しみにしてま~す。
輝雲
ーーー
編者註
『歎異抄(たんにしょう)』といえば、
第三章
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」
(善人でさえお浄土に往生させていただくのである。まして悪人が往生させていただけぬはずはない。『意譚 礼拝聖典(浄土真宗)』より)
も特徴的ですよね。
≠×「悪人なおもって往生を遂ぐ、善人いわんやをや。」
禅においてはどうなのだろう?
煩悩だらけ、怒りや不安や悲そうや自慢やうらやみや、そういうののぐるぐる(輪廻)だらけの者は、禅をする資格はないのかな?
いえいえ、悪人(凡人)にこそ、禅の資格がある!禅が伝わってきた意味がある!
と思うのですが、いかがでしょうか。
ということは、物忘れも・・・?
(これはこれは本当の蛇足です)
わが家の菩提寺は、地下鉄日比谷線の築地駅から徒歩5分ほどの小さなビルです。
浄土真宗なのですが、そういえば親鸞や歎異抄について、ほとんど知らないことに気がつきました。
『慈悲』の続きが楽しみです。
皆々様の心身のご健康をお祈り申し上げます。
合掌
惟然 拝
「とてもわかりやすい感想だと思うので、是非お聞きください。」
みなさま、削除されないうちに、いかがですか。
ニュース : ★TBSラジオ たまむすび 小林悠アナウンサーの座禅体験の放送が聞けます!!
先日、TSBラジオたまむすびの取材で、小林悠(はるか)アナウンサーさんが座禅体験に来場されましたが、その体験を放送した内容がホームページで一週間限定で聞けます。
とてもわかりやすい感想だと思うので、是非お聞きください。
1週間で削除されるそうです。
試聴できるのは次のとおり
数息観の話、警策の話、雑念の話などなかなか面白く聞けます。
どうぞお聞きください。
警策の音も録音されていました。
ブログはこちらに書いております。
心印 拝
どこをクリックしたらよいかわかりにくかったのですが
「小噺はるか」の音声は1週間で削除されます。
音声の試聴はこちらから! お早めにお聴きください!
音声の試聴はこちらから! お早めにお聴きください!
↑ここをクリック
12月18日(金)小噺はるか スナックママへの道
小林アナ、坐禅道場へ行ってきました。しかも泊りがけで!
場所は日暮里の擇木道場。
坐禅を組んだら何も考えずに、ひたすら数を数える。
しかしすぐ雑念が入ってくる・・・。
雑念が入ったら、1からやり直し。
初めての人は100まで数えられないそうです。
警策で体を打ってもらうのは自己申告制!
※音声は一週間で削除されます。
2015年12月18日 17:00
是非どうぞ
合掌
惟然 拝
今日(20日)は、本年最後から2番目の静坐会(座禅・坐禅)で、
別にご予定のある方が多く11名の参加者でした。
今冬一番の冷え込みで道場回りの田畑は霜で真白、
道場の庭の水のあるところは氷が張っておりました。
静坐前の道場の掃除でも手と足がかじかみましたが、
エアコンとサッシ窓のお陰により時間がたつにつれ、大分室温が上がりました。
エアコンとサッシ窓のお陰により時間がたつにつれ、大分室温が上がりました。
静坐が始まり暫くするとカラスの鳴き声が聞えましたが、
その後は静かな静かな時間が流れてゆきました。
読経に入る前に直日から
12月26日(土)午後6時からの忘年会についての案内がありました。
12月26日(土)午後6時からの忘年会についての案内がありました。
その後の懇親会では、先輩方からその昔隙間風の中での坐禅の特に寒かった
ことについての思い出話に花が咲きました。
一心 拝